はじまりは、少女が見た夢。
少女の名を、リンと言った。年は十四になったばかり。ラダの村で生まれ、親と兄弟と一緒に育った。
ある日の夜。寝苦しさに目覚めたリンは、誰かの声に導かれるように河へと向かった。真夜中の河は不気味なほどに静かで水音さえ聞こえなかった。生い茂った草が足を傷つけても、止まらずに歩き続けた。
なぜかはわからないが、行かなければならないという使命感に突き動かされていた。我に返ったのは、河の冷たさに足首まで浸かった時。急に恐怖を感じた。
その時。音もなく、河に波紋が広がる。目の前にある水面が揺れて、そこから出てきた大きな怪物。ぎょろりとした目玉が、暗闇の中からこちらを見ている事に気付いた。リンは恐怖で硬直し、河の中から出てきた『何か』をただジッと見つめた。
すると、それは言った。
「我は、神である。この地に災いあれ。この地に災いあれ」
強い恐怖に意識が遠のき、気付いたらリンは布団の上にいた。しかし、体中はぐっしょりと濡れていて、汗ではない泥臭さを感じた。神が、自分に告げた。リンはすぐに村の長にそれを話した。
そして。その二日後。大雨が川を氾濫させて、村は多くの被害を受けた。


 

 

 

 

 

Girl Meets Knight ~乙女の祈り~【後編】

 

 

 

 

 

 

「リンが見た夢は信じがたいものであったが、この地はもとより水神様を祀っていた。何かの前触れかもしれぬと、あの雨の夜、村人はみんなこの建物に避難をしていた。おかげで、死人が出ずに済んだのだ」
村の長が話す言葉を、さくらは真剣に聞いていた。長の隣にはリンがいる。そんな恐ろしい体験をしたというのに、気丈に笑顔を見せている。お告げの夜の話を聞いている間、さくらは怖くて仕方なかったというのに。
長とリンの前に小狼が座り、その少し後ろにさくらは腰を下ろした。ここからは後姿しか見えない。不安に、胸がじくじくと痛んだ。
(だんちょーが私をここに連れてきた。それは、水神様への生贄の為・・・?リンさんを助けるために・・・?)
先程の二人の抱擁シーンが、頭から離れない。だからこそ、嫌な妄想とマイナス思考も止まらない。さくらは、ふるふると首を振って、余計な考えを追い出す。
(いい方に考えよう。私、団長の役に立ちたいってずっと思ってた。お茶を淹れる事しか出来なかったけど、この役目を果たせれば、団長も村の人達も喜んでくれる、よね?)
リンの話を聞いてしまったあとだと、その決心も緩みそうになる。オカルトやホラーの類は苦手なので、水神様の姿を想像するだけで震えがくる。
だけど。ここは、根性を見せる時なのかもしれない。さくらは、膝の上で丸めた拳をぎゅっと握りこんだ。
さくらが口を開きかけた時、小狼が静かに話し出した。
「・・・勘違いをさせてしまったようですが。ここにいる者は私の大切な部下で、女ではありません。生贄の代わりは務まりません」
その言葉に、さくらは驚いた。
今しがた決心したばかりなのに、途端に気が緩む。小狼は、自分を生贄にするために連れてきたのではなかった。それが分かっただけで、ホッと安堵した。
さくらが何かを言う前に、リンが口を開いた。
「そんな・・・!でも、私怖い!騎士様。村の人達が死ぬのは嫌だけど、まだ恋もしたことがないのに!水神様の贄になって河の底に行くなんて」
「これ、リン!罰当たりな事を言うんじゃない!村には年頃の乙女はお前しかおらぬのだ」
長に窘められ、リンは涙を浮かべた。すると小狼へと近づいて、躊躇なく体を寄せる。さくらの顔が強張った。自分より年下だというのに、その色気と風貌に圧倒される。自分の姿恰好を見下ろすと、ますます敗北感が募った。
「リン。あなたが見た夢が本当に水神だったのか、この水害を引き起こした理由は何か。我々は、それを突き止めなければいけません。その為には、直接交渉しなければならない。わかりますね」
「・・・交渉の為に、私は贄にならなければならないの?」
「我が騎士団が、必ず守ります。だから、お願いします」
「ああ。でも騎士様。私、怖いの。だからどうか、今夜はずっとこうして抱いていてください・・・」
小狼の手が、ゆっくりとリンの背中に回る。それを見た途端、体が動いた。
―――ダンッ
両手が、じんじんと熱い。木床に両手を振り下ろしたあと、ゆっくりと立ち上がる。そこにいた全員の目が、さくらの方を向いた。
「私が・・・!リンさんの代わりに!水神様の、生贄になります!!」
「―――!?」
その場に、大きなどよめきが起こった。
男の身でリンの代わりが務まるのか、神を謀ったと知れればもっと酷いことになる、と。様々な意見が飛び交う。
さくらは、勢いで言い出した事をさっそく後悔し始めていた。だけど、どうしても嫌だったのだ。
(それが仕事だってわかってるけど・・・!他の女の子に優しくするのを見るのは嫌なんだもん!)
我ながら不純な動機だとわかっているけれど、止められなかった。もう、覚悟を決めるほかない。せめて毅然とした態度でいなければと、さくらは表情を引き締める。
と、その時。突然に手を引かれた。
「・・・!」
とん、と当たる固い感触。小狼の胸に抱き寄せられて、肩を抱かれる。さくらは驚いて、小狼を見上げた。
―――ぞくり。
肌が粟立つ。小狼の横顔は、怖いくらいに綺麗で。そして、その目には強い怒りが見えた。
「・・・少し、時間をいただけますか。考えがあります。この者とも、ゆっくり話をしなければ」
「は、はい。では、奥の部屋をお使いください。団長様の寝所にとご用意させていただきました」
長の言葉に頷くやいなや、小狼は半ば強引にさくらを連れ出し、部屋へと向かった。
リンや他の団員達の視線が、突き刺さるみたいに痛い。今の自分は、ただの女の子だ。きっと、見る人が見れば分かってしまう。
小狼に恋して、リンに嫉妬して。勝手な事ばかりして、小狼も怒らせてしまった。顔を見られないように、さくらは俯く。自己嫌悪で、胸が痛かった。










「きゃぁ!・・・っ」
部屋に入るやいなや、小狼はさくらを寝所の上へと放った。痛みはなかったけれど、衝撃に驚いて声を上げると、すぐに小狼の手に口を塞がれる。凄まじい怒気を感じて、さくらの全身が震えた。
「・・・いい加減にしろ。俺は、お前にそんな事をさせるために連れてきたわけじゃない。過信するな。お前に、務まると思うのか?」
初めて見る顔だった。小狼は、本気で怒っている。言われた言葉に、さくらはショックを受けていた。わかっていた事とはいえ、面と向って言われると悲しみが増した。
涙を浮かべると、小狼の目にわずかな動揺が走る。しかし、拘束する手はさらに強くなり、捕まれた手首が痛みを感じた。
「勝手は許さない。何もせず、何も考えずに俺の傍にいろ。お前に出来る事はそれだけだ」
「・・・!」
―――がぶっ
「っ!?なに・・・」
口を塞いでいた小狼の手を、さくらは噛んだ。
思わぬ行動に驚いた小狼は、目の前にいるさくらを見て言葉を詰まらせる。
さくらは、ぽろぽろと涙を零しながら小狼を睨んでいた。
「それじゃ、私・・・何のためにいるんですか?だんちょーの為になりたいって、頑張ってる私は・・・っ、全然意味がないんですか!?」
「さくら」
「私は、だんちょーの思い通りになるお人形じゃないです!!ばか・・・っ!!」
覆いかぶさる体を両手で押しのけると、さくらは泣きながら部屋を出て行った。
遠ざかっていく足音を聞きながら、小狼は溜息をついた。頭を抱えて、眉をひそめる。
「・・・俺の思い通りになった事なんか、ひとつもないだろ」










サクが村娘の身代わりに『生贄』として差し出される。
その話は、瞬く間に広がった。余計な尾ひれまでついて、団員の中で面白おかしく語られる。興味津々に話題を振る者、務まるのかと心配する者、「ざまあみろ」とせせら笑う者。周囲の様々な反応も、さくらの耳には入ってこなかった。
唯一違った反応を見せたのは、さくらの同期である杜都だった。
「名誉なことだ!これは、かなり重要な役目だぞ・・・!!きっと、李団長には何かお考えがあるのだ。俺達もそれを全力でサポートしないとな!サク、聞いているのか!?」
「うん・・・。僕考え事してるから、杜都くんちょっと静かに・・・」
「問題は、お前に村娘の代わりが務まるかという事だ!華奢で軟弱であるから故に白羽の矢がたったのだろうが、生贄となれば話は別だ。お前も、一応騎士志望だろう!?ただ捕まるだけの役目で終わるのか!?」
まるで、自分の事のように熱弁する。少々生真面目ではあるけれど、何事にも一生懸命な杜都の姿は、少しだけさくらの気持ちを軽くした。
それでも、溜息は尽きない。さくらは先程の自分の行動を思い返して、激しく後悔していた。
あの瞬間、頭が真っ白になって。ショックで、悲しくて。気持ちが爆発した。小狼に、思い切りぶつけてしまった。後悔しても、もう遅いのに。
「はうぅ―――!!もう、やだ・・・っ、やだぁ!」
頭を抱えて叫ぶさくらに、杜都は同情の目を向ける。生贄の事が余程プレッシャーなのだろうと、この時ばかりは何も言わずにそっとしておいてくれた。
杜都がいなくなって、しばし一人になる。さくらは床の上に寝転んで体を丸めると、固く目を閉じた。小狼の言葉を思い出して、声を押し殺して泣いた。
(だんちょーの・・・小狼くんの役に立てること、私にはひとつもないの・・・?)






「あ、あの。李団長・・・!見習いの、杜都と言います。少し、お時間よろしいですか」
小狼は、声をかけてきた男の顔を見て、ぴくりと眉根を動かした。小狼と話をしていた官僚が、気安く声をかけてきた杜都を叱る。小狼はそれを遮ると、険しい顔のまま話の続きを促した。
杜都は跪いたまま、言った。
「サクは未熟者で軟弱ですが、李団長の役に立ちたいと日々修練しております。至らぬ点が多いと思いますが、どうぞ慈悲の目で見てやってください!俺・・・、私達も全力でフォローします!!」
小狼の顔がみるみるうちに不機嫌になって、空気が凍る。傍にいる官僚も、目の前でその視線を受けている杜都自身も、ただならぬ雰囲気に青褪める。
その時。重い空気をものともせず近づいてきた影が、小狼へとぴたりと体をくっつけて言った。
「騎士様ぁ。お忙しいですか?」
「・・・リン。いや、もう終わった」
小狼は余所行き様の笑顔で応対すると、リンの手に引かれるまま他の部屋に入っていった。
呆然と見送って、杜都は今までとは別の意味でも、小狼へと尊敬の視線を向ける。その足で部屋に戻った杜都は、不貞寝していたさくらを叩き起こすと、興奮気味に話した。
「やっぱり李団長は違うな・・・!女の扱いも一流っていうか、動じなくて格好いいよな。あのリンって娘も妙に色気があって・・・!って、聞いてるか?サク」
「・・・ふ―――ん。そうなんだ。団長とリンさん・・・そうなんだぁ」
「お、おい。サクお前、顔がなんか変だぞ」
「別に!?全然変じゃないもんっ!!・・・もう、知らない!!だんちょの馬鹿・・・っ!!」
生贄の儀式は、満月になる明日の夜となった。憎らしい程に綺麗な月へと叫んで、さくらは一人、涙を濡らすのだった。










翌日。空には大きな満月がぽっかりと浮かび、河はその姿を写して揺れていた。数時間前から閉められた障子の前で、団員達がひそひそと囁き合う。
「なぁ。サク、支度中だって?見ものだな」
「いくら華奢だって言っても、務まんのかねぇ。団長や俺らの顔を潰さねぇように頑張ってもらわないとな」
「お、おい・・・っ!私語は慎め!!」
そのうちの一人が、小狼の存在に気付いて他の団員を窘める。ざわめく騎士団は一気に静まり返り、姿勢を正して道を開ける。小狼は仏頂面で足を進め、障子の前で声をかけた。
「支度は済んだか」
手伝っていた村の女達が、やけに浮かれた声で返事をする。小狼は眉根を顰めると、勢いよく障子を開けた。その後ろから、団員達がこっそりと中を覗き込む。
「・・・あっ!?」
「う、嘘だろ!!」
思わず、驚きの声が広がった。どよめく団員達の声も、今の小狼の耳には右から左だ。その表情は固まったまま、視線は少女へと釘付けになる。
「団長・・・」
紅をひかれた唇が、いつものように呼んだ。長い黒髪に艶やかな唇。美しく色づいた頬紅と、恥じらうように潤んだ瞳。桜の内掛けを羽織って佇んでいる姿は、一国の姫と謳われてもおかしくない。
その姿に見惚れぬ男は、この場にいなかった。―――ただ一人の例外もなく。
「ふふ。驚きますよね。男の子だとは思えない。うちのリンも着飾り甲斐がありそうだが、この子はそれ以上だね。大丈夫。どこからどうみても女の子だ」
「あ、ありがとうございます・・・」
褒められて、さくらは複雑な笑顔を返した。
その時。
だん、と。大きな足音を立てて、小狼が部屋に入ってきた。そうして、ギロリとさくらを睨み下ろす。ぴんと張り詰めた空気に、女達は「では私達はこれで」と逃げるように去っていった。
団員達に持ち場に戻るように指示をすると、小狼は勢いよく障子を閉めた。
部屋の中には、二人だけ。
敵わぬ相手を前にした騎士は、こんな気持ちになるのだろうか―――。さくらは、漠然とそんな事を思う。心もとなくて、不安で。ドキドキと心臓が鳴って、妙な興奮を覚える。
小狼はさくらの前に座り込むと、耳のあたりに手を差し入れた。ぞくり、と。体が震える。
ぱちん。音が聞こえた、次の瞬間。ふわりと黒髪が揺れて、頭が軽くなる。取り去った黒髪を隣に置くと、さくらの短い髪を梳いて、言った。
「・・・こっちの方が、いい」
「―――!」
耳元で響いた声に、さくらの思考が止まりそうになる。小狼が自分を褒めてくれたという事実が単純に嬉しくて、心臓が早鐘を打った。
小狼の手に軽く押されて、さくらの体はゆっくりと後ろに倒れた。豪華絢爛な桜が、畳の上に広がって。その花の中で恥じらう少女を、小狼は眩しそうに見つめた。
「神に捧げる贄は、乙女でなければならないそうだな」
「だんちょ・・・?」
「今ここで、お前の純潔を奪ったら・・・そうしたら、神になどくれてやらずに済むか?」
小狼の指が、さくらの唇をなぞる。吐息が触れるほどの距離で、さくらは目の前の人を見つめた。その瞳に宿るのは、怒りの色ではなかった。
言葉よりも、雄弁に。気持ちが伝わる。
さくらは、涙を浮かべた。抑えきれない嬉しさに、頬が緩む。
「私は、あなたの役に立ちたい。少しでも助けになれたらって、思っています。そうじゃないと、傍にいられなくなる気がして・・・。だから、無茶をしました。ごめんなさい団長」
素直に謝ると、小狼も眉間の皺を解いて、息を吐いた。
「・・・俺も、悪かった。お前を傷つけるつもりじゃなかった」
「あと、それだけじゃないんです。・・・団長が、リンさんを心配するのが嫌だった。嫉妬、してました。つまらない事で困らせて・・・ごめんなさい!」
恥ずかしさと自己嫌悪で顔を隠そうとするさくらの手を、小狼が強く握った。
「嫉妬なら、俺もしてた。お前をこの村に連れてきた理由は、『つまらぬ事』の最たる例だな」
「ほぇ・・・?だんちょーが、嫉妬・・・?誰に、ですか?」
「それはお前が考えろ。さくら」
握った手を離すと、今度は指を絡めて繋ぐ。その感触に、さくらは盛大に照れる。頬に熱が集まった。
小狼は、さくらに笑いかける。優しさと労り、支配欲と、貪欲なまでの愛情。鈍いさくらでも、わかった。言葉にしなくてもわかれ、と。その瞳が、命じる。
逃げる事も、目を逸らす事も許されない。真っ直ぐに向けられる気持ちを受け止める他に、選択肢は無かった。
「団長は・・・やっぱり、狡いです」
「狡くても、なんでもいい。言っただろう。お前は、俺の傍にいればいい」
覆いかぶさる影。近づく吐息に、さくらはゆっくりと目を閉じた。緊張で、きゅっ、と結んだ唇に、ふわりと触れる柔らかな感触。「さくら」と名前を呼ばれ、心臓が壊れるかと思うくらいに跳ねた。
「ん・・・っ」
押し当てられた唇の感触に、さくらの呼吸が止まる。一度離れたあと、追いかけるようにまた触れた。ちゅ、ちゅ、と小鳥のように啄まれ、そのあとに深く合わさる。
夢にまで見た小狼との口づけ。目を開けたら解けてしまいそうで。さくらは、暗闇の中でその感触を追った。
「さくら・・・」
だけど。その声に、逆らえるわけはない。さくらはゆっくりと瞼を開けて、涙で滲んだ視界の中で、その人を見つめた。
「さくら。お前は、俺のものだ。誰にもやらない」
それが、たとえ神であっても。口づけの中で囁かれた小狼の睦言に、さくらはコクコクと何度も頷いた。
「だんちょう・・・っ!私、私も・・・」


「騎士様ぁ?ここにいらっしゃるの・・・?どうして、リンを一人にするの?」


突然に、その声が聞こえた。さくらは驚いて身を起こし、『それ』を見て短く悲鳴をあげた。
障子に映った影は、大きな異形の姿をしていた。そこにいる気配は確かにリンで、声も彼女のものなのに。青褪めるさくらの頭を撫でて、小狼は動揺を見せずに返事をした。
「ああ。すぐに行くから、待っていてくれるか」
「・・・誰といっしょにいるの?」
さくらが恐怖で声を上げそうになると、小狼がその体を抱きしめた。そのままさくらを抱き上げると、音を立てないように隣の部屋に移動する。
「だんちょ、リンさんは」
「シッ。・・・奴はもともと、この満月に合わせて魔力を蓄えていたんだ。リンの体を乗っ取って」
―――奴?
小狼の話がわからずに、さくらは不安気に眉を下げた。安心させるように、小狼がその額にキスを落とす。
襖を二つ、三つと通って素早く部屋を移動し、外に出ようとした。しかし、その時。
「逃がすかぁぁ!!李小狼!!お前の魂をよこせぇぇぇぇ―――!!!」
「ほぇぇぇぇ―――!?!いやぁぁぁ気持ち悪いっ!!!」
大きな影が飛び上がって、さくら達に襲いかかる。
目の前に現れたのは、体長三メートルを上回る化け蛙だった。さくらは悲鳴を上げて持っていた黒髪のかつらを投げつけた。怯んだ隙に、小狼はさくらを抱いて大きく跳躍する。
『前足』の強烈な攻撃を、ひょいと避けて着地すると、小狼は息を吸った。そうして、方々に聞こえるような大きな声で叫んだ。
「クロウ騎士団!敵襲だ!!―――放て!!」
「!?」
建物の周囲をぐるりと囲んで、騎士団員が総勢で弓を放った。数百という弓矢の先には、『破魔』と書かれた札があった。化け蛙の大きな腹や頭に突き刺さり、空気を劈くような鳴き声が響いた。
「・・・よし。効いているな」
「だ、団長・・・!どうなってるんですか!?あれは、リンさんなんですか!?」
「そうだ。だが、中に入っているのは化け蛙だ。河の底で何百年と封印されていたんだ。長い時間をかけて弱まった封印が、あの大雨で完全に流れた」
小狼はさくらを下ろすと、すっ、と手を上げた。それを合図に、騎士達は新たな矢を装填し化け蛙へと向ける。
「ま、待て・・・っ!おいを狙えば、この娘も一緒にしぬっ!!道連れにするからな!?」
「安心しろ。そんな余力も残さない。―――撃て!」
「ぎゅうぅぁぁぁぁぅぅぁぁぁ!?!!?」
破魔の札が、蛙の体を覆いつくすまで、永遠と繰り返す。最後は助けを請う声も無視して、容赦なく矢は降り注いだ。
動かなくなった化け蛙に、団員達がざわめき始める。
小狼が鋭く手を払うと、ぴたりと声が止んだ。化け蛙へと近づいていく背中に、さくらは思わず声をかける。
「団長・・・!」
「大丈夫だ。そこにいろ」
踏みしめた足が、砂を舞い上がらせる。見下ろした先、幾数の破魔札に全身を覆われてミイラのようになった蛙が、低い呻き声を上げた。
「にくい・・・。これを、最初から狙っていたのか・・・」
「そうだ。満月の夜に、お前は力を完全に取り戻す。それは、俺にとっても好都合だった。破魔の力は、魔力が高まった状態であれば一番に効力があるからな」
「にくい・・・にくぃぃ・・・。私を封印したにくい敵・・・!!お前は、それと同じ匂いがする・・・っ。だから、食ってやろうと思っていたのに!頭からばりばりとなぁぁ!!」
「ほえぇっ!?」
破魔札まみれになりながらも咆哮する蛙に、さくらは怯える。
「うるさい。さくらが怖がるだろ」
「ぐぇっ」
青筋を立てて、小狼は蛙の腹を思い切り踏んだ。そうして、すっかり動けなくなった化け蛙へと笑って言った。
「残念だったな。・・・今度はもっと、強い封印を施してやる。何度蘇っても、同じだ。『俺達』がこの世界にいる限りはな」
化け蛙は最後まで無念の声をあげると、体から黒い煙を上げた。その煙は大きな壺の中へと吸い込まれ、のちに小狼が魔導士と共に厳重に封印した。
はらはらと破魔札が散る中、リンが目を覚ました。
こうして。ラダ村で起きた事件は、無事に解決したのだった。










「ショックです・・・。まさか、リンさんに蛙が乗り移っていたなんて・・・。あれ?ってことは・・・生贄も何も関係なかったんじゃないですか!」
「だから、意味はないと言っただろ。生贄云々は、蛙の方便だ。怯える人間を見て楽しんでいたのかもな。あと、俺の魂を狙っていたようだから、殊勝なふりをして近づいてきたんだ。奴の筋書きでは、満月の夜に全魔力を回復させて、油断していた俺を食らい、最終的にはあそこにいた全員を腹におさめるつもりだったんだろうな」
そんな怖いことを、さらりと言ってのける。さくらといえば、未だにあの時の化け蛙の姿が脳裏に浮かんでは、恐怖に震えているというのに。
揺れる馬車の中で、さくらは溜息をついた。疲労感に、どっと体が重くなる。
数日間。ラダの村で過ごした間に起こった出来事は、さくらが思い描いていた騎士団の『任務』とは全く違っていた。
長い年月の中で弱まった封印。化け蛙は、魔力を蓄える為にリンの体を乗っ取った。巧妙に姿を隠しているつもりだったが、小狼は最初の段階で取り憑かれている可能性を疑っていたという。偉の調査でそれを確信した小狼は、わざと騙されているふりをして、必要な破魔札を用意し、機をうかがっていた。
蛙に体を乗っ取られたリンは、目覚めるとその記憶をまるっと無くしていた。その事実にさくらは他人事ながらホッとした。
大雨の被害で損壊した村は、今も騎士団員達が懸命に復興作業を進めている。団長である小狼と一部の騎士団員は他の任務もある為、化け蛙討伐の任を遂行したあとは、一足先に城へと帰る事となった。
「大雨で河が氾濫したのは、蛙の仕業だったんですか?」
「いや。あれにはそこまでの力はないし、封印のせいで魔力はほとんどなかった。ただの偶然か、それとも・・・」
―――もしかしたら。危機が迫る村に騎士団を呼び寄せる為に。化け蛙に囚われた村と一人の娘を助ける為に―――?
「あそこには、本当に神がいたのかもしれないな」
「・・・?」
小狼の言葉に、さくらは不思議そうに瞬いた。
その顔を見ていると疲労感も和らぐ。小狼はこっそりと笑うと、さくらの手を取った。
「でも、結局全部団長の計画通りだったんですね・・・。はぁ。なんか、くやしい」
「・・・そうだな。思い通りにならなかったのは、お前だけだ。蛙に嫉妬して、せっかく立てた計画も乱して、団員達も無用に惑わせて・・・」
「ほぇ?・・・え!?」
ぐい、と引き寄せられて。さくらは、小狼の膝の上に乗せられた。一気に近づいた距離に動揺するも、小狼は離してくれなかった。片方の手で腰を抱き、もう片方の手で後頭部を固定すると、口づける。
「ん・・・っ、ぁ、・・・だんちょ・・・」
さくらはうまく息継ぎが出来ずに、苦しそうに名前を呼んだ。それでも小狼は許してくれず、何度も何度もキスを繰り返す。小狼のスカーフが皺になるくらいに、ぎゅっと握りしめた。
さくらの赤い頬に触れて、切なげに目を細める。
「ちっとも思い通りになんかならない。自信なんてあると思うか?離れてる間に、お前の気持ちが他の男にいかないか、俺がどれだけ心配してるか・・・わからないだろう」
「・・・っ」
「お前の仕事は、俺の傍にいる事だ。俺の為にお茶を淹れて、俺だけに笑っていればいい。・・・他の誰にも、出来ないんだからな」
そう言った小狼の顔は、いつもより幼く見えた。拗ねた表情で、頬を赤らめて。「わかっているのか」と聞く。
さくらは呆気にとられたあと、我慢できずに声を出して笑った。そうして、小狼へと強く抱き着いた。
「だんちょ。だんちょー。・・・小狼くん。馬車が揺れるから・・・着くまで、ぎゅってしててもいいですか?」
「・・・ああ」
このままずっと、着かなければいいのに。
そう思いながら、さくらは小狼に抱かれて、幸せそうに目を閉じた。










「まさか、水神様の正体が蛙の化け物だったとはな。村の人達もさぞショックだっただろう」
「でも、村人が一人も死なずに済んだのはやはり水神のおかげだって、むしろ前よりも信仰心が増してたぜ。新しい祠も作ったしな」
「信じる神がいるのはいいことだろ。なぁ、サク」
突然に話をふられ、さくらは芋を剥く手を止めて顔をあげる。話を聞いていなかった、と呆けた顔で言うさくらの頭に、ぱこん、と軽い衝撃が降った。
「サク!お前、いつもそんなボーッとしてて李団長の秘書としての自覚あるのか!?いいか、あの時はお前の根性を少し認めてやったけどな!まだまだ軟弱者だ!!そんなんじゃあの人の役になんて・・・っ」
「杜都くん・・・。あんまり僕に構わない方がいいよ・・・。じゃないと、遠くの支部に飛ばされちゃうかも」
「あぁ!?何言ってんだ、お前!」
ヒートアップする杜都に対して、さくらの方は妙に達観した落ち着きで。周りの人間は、珍しそうにそれを見ていた。
その時。厨房の扉が開いて、外から声がかかった。
「サク!団長がお呼びだ!すぐに来いと!」
「はぁい!ダッシュで行きますっ!!」
元気よく立ち上がると、「あとはよろしくね!」とウィンク付き笑顔で、さくらは扉をくぐった。その場にいた男達は頬を染めて固まり、そして同時に頭を振った。相手は男だ、と。ぶつぶつ呟く。
「サクの奴!帰ってきたら説教してやるっ!!」
雑に芋の皮を剥きながら吠える杜都に、団員達は溜息をついて。それぞれ、自分達の作業を再開するのだった。








―――コンコン。
「失礼します。サクが来ました」
「入れ」
扉を開けると、正面の机に座って書類仕事をしている。
こちらを向いて、優しく笑って。近くに来い、と。手招きする。上司であり恋人であり、この騎士団の団長である小狼へと。さくらは、一番の笑顔を見せた。
「はい、団長!」





 

END


 



 

騎士団パラレルの続編、書いちゃいました!団長小狼と騎士見習いのさくらちゃん、基本ラブラブバカップルですw楽しかった!

団長は職権乱用しまくってますねw団長小狼は攻め攻めで独占欲が強いキャラなので、書くのが楽しいです♪また別のお話が浮かんだら、書きたいなーと思ってます。今回にいちゃん書けなかったので、次は雪兎さんとセットで出したりとか・・・色々楽しそうです。



続編はこちら → 「Girl Meets Knight 2nd」





2017.11.17 了

 

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