それは甘い20題

 

15. 痕跡

 

 

 

 

 

ホームルームが終わると、生徒は一斉に帰宅する。さくらは帰り支度を済ませると、友人達に別れを告げて教室を出た。
今日は部活も無いし、予定もない。早く帰らなければならない理由もない。だけど、そういう日に限ってみんなそれぞれに忙しく、予定が合わなかった。
携帯電話の画面を開くと、先程受信したばかりの小狼からのメールがあった。
『急な用事が出来た。今日は一緒に帰れない。ごめんな』
さくらは、沈んだ表情で携帯電話を鞄にしまった。
こういう事は稀に重なる。いつも誰かが傍にいるから、一人になると途端に寂しくなる。仕方ない、と自分に言い聞かせて、さくらは賑やかな人の輪を抜けて、一人帰宅の途についた。
家に帰れば、相棒であるケルベロスが待っている。しかし、さくらはそこで思い出した。昨夜、ケルベロスがイギリスにいる仲良しのスピネルと、対戦ゲームをやる約束をしていた事を。
(まだ、帰りたくないな・・・)
そう思ったら、足が自然と向いていた。さくらは、家がある方向と真逆の道を歩き出す。
季節は夏に近づいて、陽も伸びた。放課後になってもまだこんなに明るい。いつもと違う道を歩いていると新鮮な気持ちになって、寂しさを紛らわせるにはちょうどよかった。
(久しぶりに、寄り道しちゃおう!買い物とか、美味しいもの食べたりとか)
先程の沈んだ空気から一転して、花が飛び出しそうな上機嫌でさくらは歩いた。
最寄りの駅に着くと、街へ向かう電車に乗った。窓の外に高い建物が見えてくると、気持ちが浮かれる。
駅前の賑やかな大通りに出ると、たくさんの人が行き交っていた。一人制服な自分が場違いな気がして、少し不安になるけれど、さくらは開き直った。こうなったら、めいっぱい楽しもうと。
時計台は、四時を少し過ぎた頃を指していた。さくらは意気揚々と、人混みの中に飛び込んだ。






「・・・はぁ」
再び時計台の下に戻ってきたさくらの表情は、とてもご機嫌とは言えなかった。たくさんの店に立ち寄ってみても、いい匂いのするカフェの前を通っても、なぜか手が伸びなかった。可愛い雑貨やスイーツは魅力的なのに、食指が動かない。結局、見るだけで何も買わずに、元の場所に戻ってきてしまった。
空も夕焼けて、足元の影が伸び始める。通り過ぎる人達がみんな笑顔に見えて、きっと家に帰るのだろうと思った。それを見て、さくらの胸がちくりと痛む。
(小狼くん、ご用事終わったかな?もう、おうちに帰ったかな)
思い出して、ますます胸が切なくなる。頭に浮かぶ文字は、「あいたい」の四文字だ。
さくらは胸元をぎゅっと握りしめて、目を閉じる。瞼の裏に、小狼が映って。―――『さくら』―――想像の中で、甘くキスが落ちた。
(ほえぇ・・・っ!私、すごく恥ずかしい事想像しちゃ・・・)
一人真っ赤になって動揺するさくらの目に、突然に『それ』が飛び込んできた。
「ソフトクリーム・・・おいしそう」
今いる場所の、ちょうど向かいの道に。小さな露店があった。ぱたぱたと風に揺れるのぼりが「おいで」と誘っているように見えて。さくらは笑顔になって走り寄り、ひとつ購入した。
入道雲のような白に、夕陽の赤が反射して綺麗だ。さくらはうっとりとそれを見つめたあと、小さな舌を出して舐めた。冷たさと甘さに、頬っぺたが緩む。
(はにゃーん。おいしいよぉ)
小狼くんにも食べさせてあげたかったな。ここに小狼くんがいたらな。
―――ぽっかりと空いた隣を見て、さくらはそう思う。一人の時ほど、小狼の事を考えてしまう自分に照れるけれど、同時に嬉しくもあった。
(小狼くん。私、一人の時も、小狼くんの事でいっぱいなんだよ)
心の中で話しかけて、もう一口、バニラを口の中に入れた。
―――その時。
ふわりと風が凪いで、さくらの髪が揺れる。
微かに感じた気配に、さくらは顔色を変えた。周囲を忙しなく見回すけれど、さっきと何も変わっていない。
(小狼くんの、魔法の気配・・・?気のせい?・・・でも、確かに今)
さくらは自分の直感を信じた。目を閉じて、意識を集中させる。
ざわめきが空気中に溶けて静寂へと変わり、周りにいるたくさんの人を意識の外に追い出す。そうして、ただ一人を探した。
(・・・!)
微かに見つけた痕跡。その気配を辿って、さくらは走りだした。
こんな偶然、あるのだろうか。会いたいと思った矢先に現れるなんて。自分の願望が見せた幻だろうか。
さくらは走りながら、色々な事を考えた。気を緩めると、するりと手の中から逃げていく。そんな儚い小さな気配を、必死に追った。
ビルの隙間に夕日が落ちて、辺りが暗くなっていく。気付くと、喧騒から離れ人通りの少ない場所に来ていた。周りの建物には明りが無く、街灯の光もどこか薄暗い。
持っていたソフトクリームが溶けて、さくらの右手を伝って落ちる。
(あれ・・・?ここ、どこ?私、どうしてこんな寂しい場所、に・・・)
―――り・・・―――ン・・・
頭の中で、鈴の音が聞こえた。遠い遠い場所から、届く。こっちにおいでと、呼んでいる。
―――リン・・・
どろりと溶けたソフトクリームの冷たさが、さくらの手を汚していく。その甘い匂いに誘われて、蔓延る闇が音も無く近づく。


「・・・っ、は、・・・」
さくらは、覆いかぶさる影に目を瞠った。視界を遮るように抱きしめられ、驚きのあまり声が出ない。その人の体温はいつもよりも熱くて。肩で息をしながら、その腕は強く抱きしめてきた。
不明瞭で微かな欠片に過ぎなかった痕跡を、やっと捕まえられた。
さくらは、嬉しそうに目を細める。
「小狼くん、あの」
「―――消えろ」
地面に小さく落ちたその声は、凍るほどに冷たい。さくらの心臓が、ドキリと鳴った。しかしその瞬間、耳元で断続的に聞こえていた鈴の音が途切れた。
不思議そうにするさくらだったが、ふと、目の前にいる人に見つめられている事に気付き、ぱっと顔を綻ばせる。
「小狼くん!」
「・・・さくら。なんで、こんなところにいるんだ」
会えた事が嬉しくて笑うさくらに、小狼は溜息まじりに言った。眉根がぎゅっと寄って、その表情には呆れや疲れと言った感情が見える。
途端に、浮かれていた自分が恥ずかしくなって、さくらの顔が赤く染まる。
「あ、あのね!ソフトクリームが美味しかったの!それで、小狼くんに食べてほしいなって思ってたら、小狼くんの魔法の気配がして、それで」
つい、追いかけてきてしまった―――と。言ってしまってから、さくらは後悔する。恥ずかしい。こんな理由、言い訳にもならない。
(ほえぇ、どうしよう。どうしよう。小狼くん怒ってる・・・!)
ぴりぴりと張り詰めた空気に、さくらは居た堪れなくなる。先程の、冷たい小狼の声を思い出して、鼻の奥がツンとした。
すると。突然に小狼の手に右手を取られ、さくらは目を瞬かせた。
「・・・ソフトクリームって、これか?」
溶けたアイスがさくらの手をべたべたに汚し、かろうじて残っていたコーンは地面に落ちていた。そこに『ソフトクリーム』の姿は無く、抜け殻のような残骸があるだけだった。
さくらはますます恥ずかしくなって、小狼に謝らなければと口を開いた。
しかし。
「―――!?!」
声にならない悲鳴が、空気と一緒に漏れて。さくらはその光景を呆然と見つめる。
小狼の舌が、さくらの右手を辿る。掌から指先まで丹念に舐めあげる姿は、どこか扇情的で。伏せられた瞳が、ゆっくりとこちらを向く。さくらはこれ以上ないくらいに真っ赤になって、小狼の視線を受け止めた。
「・・・っ」
かり、と。甘く指先に歯を立てられて、さくらはぎゅっと目を瞑る。
「・・・甘い。バニラの味だ」
「小狼くん・・・っ」
「さくら。俺から離れないで。・・・少しの間でいい。俺の事だけ、考えてて」
耳元でそう言うと、小狼はさくらに口づけた。甘く香るバニラが、思考を溶かしていく。
だんだんと深くなる口づけに、さくらの膝が落ちそうになる。小狼にしがみ付くようにして、キスに応え続けた。
(私は・・・ずっと、小狼くんの事ばっかり、考えてるよ)
長いキスが終わって、くたりと力が抜けたさくらを、小狼は抱きしめた。
煌々と輝く満月だけが、抱き合う二人を見下ろしていた。









それから。
小狼は、さくらを家まで送り届けてくれた。
あの場所で何をしていたのか、小狼の用事はなんだったのか。気になるけれど、聞いてはいけない気がして、さくらは口を閉ざした。その代わりに、軽々しく踏み込んでしまった事を謝った。
小狼は首を振って、「俺も悪かったんだ」と言った。その言葉の意味を聞く前に、小狼は「送るよ」と言って歩き出した。
隣を歩く小狼の横顔を盗み見て、さくらは頬を染める。視線に気づいた小狼がこちらを向いたタイミングで、さくらは思い切って、言った。
「あの、怒らないでね?小狼くんのご用事の邪魔しちゃったけど・・・会えて、嬉しかった。・・・あと、今日の小狼くん・・・なんだかいつもと違って・・・ドキドキ、しちゃった」
「・・・!」
「ごめんね。怒った?」
「・・・・・・怒ってない」
不愛想に逸らされた視線。その代わりに寄越された右手が嬉しくて、さくらは飛び込むようにして繋いだ。一気に、二人の距離が縮まる。
「・・・あの一瞬の小さな気配を辿るなんて、やっぱりお前はすごいな」
「ほぇ?」
「一瞬だけ、さくらの事を思い出したんだ」
小狼はそう言ってさくらの方を向くと、優しく笑った。そうして、不思議そうにするさくらへと、不意打ちのキスを落とした。
「・・・俺も、会いたいと思ってた。さくら」


その日。
最後に交わされた甘い言葉とキスは、しばらくの間は消えずに残り、さくらの恋心を揺らすのだった。

 

 

 

 

END

 

 

お仕事李くんとうっかり会っちゃったさくらちゃん。普段と違う小狼にドキドキしてたらいいなぁって・・・w

 


2018.5.11 了


気に入っていただけたら、ポチリとどうぞ!

 

戻る