それは甘い20題

 

16. うたた寝

 

 

 

 

 

(・・・寝てる)
放課後、誰もいない教室で。彼女はうたた寝をしていた。
席を外したのはほんの少しの時間だったが、さくらは机に突っ伏して寝息を立てていた。
小狼は音を立てないように気をつけながら、教室の扉を閉める。万が一にでも、他の生徒に見られたくない。―――自分の彼女の、こんな無防備な姿を。
小狼はさくらの机の前の席に腰を下ろすと、頬杖をついて見つめた。「くー、くー」と響く規則的な寝息。揺れる頭に、白い旋毛。
寝ていても可愛い、なんて。惚気るにも程があると自分でも思うけれど、どうしようもなく頬が緩んでしまう。
さくらの髪を一房取ると、指でくるくると弄る。
その瞬間、さくらの肩が僅かに震えた。起こしてしまったかと焦るが、さくらはそのままの姿勢で動かなかった。
小狼はそっとさくらの様子を窺おうとするけれど、顔は見えない。
「くー、くー」
(・・・よかった。寝てる)
「くー、くー、くー」
(・・・・・・寝てる、よな?)
さくらの寝息に、小狼は些か違和感を覚える。そういえば、なんともわざとらしい気がする。寝息も、肩の動きも。
そこから導き出されるひとつの推論に、小狼は溜息をついた。
―――さて、どうしてやろう。
「・・・さくら」
ぽつりと、名前を呼ぶ。すると、規則的な寝息が微かに乱れた。小狼は口元を笑みの形にして、囁くような小さな声で言った。
「つむじ、可愛い」
ぴくり。肩が揺れる。
「・・・寝顔見たいな」
くー、くー。
不自然に、寝息が大きくなった。
小狼は深く溜息をつくと、さくらの旋毛をツンと指で突いて、言った。
「・・・いい加減に起きないと、キスするからな」
「っっ!?!!」
―――ガタンッ
大きく机が揺れて、さくらは勢いよく顔を上げた。その顔は真っ赤で、髪も乱れて涙目で、酷く―――酷く可愛い。可愛すぎた。
小狼はだらしなく笑んだ口元を隠して、今度はさくらの額を軽く突いた。
「おはよう。たぬき寝入り」
「・・・っ!気づいてたのぉ?」
「気づくだろ」
あれで気づかない方がおかしい。さくらは演技や嘘が下手すぎる。自分も、人の事を言えたものではないが。あの寝息は、さすがに不自然すぎた。
小狼は、恥ずかしそうにするさくらを見つめて、聞いた。
「なんで寝たふりなんかしたんだ?」
「そ、それは・・・えっと」
さくらは目を泳がせながら、両手を動かす。手元にあるノートに、何か書いてある。それを手で隠し、こっそり鞄にしまおうとしている事に気付いて、小狼はすかさずそれを奪った。
「あぁっ!み、見ちゃだめ・・・っ」
さくらは手を伸ばし奪い返そうとするが、時すでに遅し。小狼の目は、じっ、とそれを凝視していた。さくらは半泣きの顔で、「はうぅ」と再び机に突っ伏す。
「これは・・・もしかして、俺・・・か?」
半信半疑に聞くと、さくらは無言で頷いた。
ノートには男の子の絵が書いてあった。友枝町の制服と思われるものを着ていて、凛々しい眉毛が特徴的だった。簡易的な落書きだったが、自分以外に思い当たる人物がいない。
小狼はその絵を真剣な表情で見ながら、言った。
「これ、欲しい」
「・・・え?」
「もらっていいか?」
「ほぇぇ!?だ、ダメ!恥ずかしいもん!うまく描けなかったし、小狼くんはもっと格好いいし!」
言ってから、さくらの顔が真っ赤に染まった。それにつられて、小狼の顔も赤くなる。
さくらの描いた「小狼」は優しく笑っていて、なるほどこう見えているのかと、小狼はどこか気恥ずかしい想いを抱く。それ以上に、愛おしい気持ちが溢れた。
「これを隠すために、寝たフリをしたんだ?」
「う・・・。だって、恥ずかしくて」
「・・・さくら。お前、本当に」
―――どこまで可愛いんだ。
続く言葉は、口から出てこなかった。恥じらうさくらが可愛くて、言葉よりも先に体が動いていた。
「・・・ん」
唇を重ねて、至近距離で見つめあう。さくらの頬が赤く色づくのを一番近くで見られる幸福に、心が震えた。唇のやわらかさと甘さをもっと知りたくて、何度もキスをする。
ぴったりと閉じられた唇を舌で軽く突くと、おずおずと開かれる。小狼は急いてしまわないように己を制しながら、そっと舌を差し入れた。
まだ覚えたての、不慣れなキス。さくらは戸惑いながらもそれを受け入れて、懸命に追いかけてくれる。それが嬉しくて、小狼もまた必死にリードしようとした。
これで合っているのか、間違っていないか。自問自答する日々だが、さくらがいてくれるから、迷いながらも進めた。
唇を離すと、さくらの蕩けた顔が目に入って、小狼はぐっと奥歯を噛んだ。―――これ以上進むのはまだ早計すぎる。
理性を総動員して耐えると、さくらの赤い頬を撫でた。すると、さくらはくすぐったそうに目を瞑ったあと、掌に頬ずりする。幸せそうに笑う顔が、心臓に容赦なく刺さった。
(―――!!か、わいすぎ、だろ・・・っ)
へなへなと力が抜けて、小狼は机に突っ伏した。顔に、急激に熱が集まる。
「ほえ?小狼くん?どうしたの・・・?」
さくらは頬にある小狼の手に自分の手を重ねて、心配そうに話しかける。
―――ああ。今なら分かる。恥ずかしくて、寝たフリをしたくなるさくらの気持ち。心臓がばくばくうるさくて、とても寝られる状況ではないけれど。
「小狼くん?」
「ん・・・」
「小狼くん。今度一緒に、うたた寝、する?」
「・・・無理」


『転寝(スヌーズ)』のカードでも、きっと今の自分を眠らせるのは困難だ。だって、こんなにドキドキして落ち着かない。
さくらの指が、つん、と小狼の旋毛を突いて。目線を合わせるように、同じように机に伏せる。
目が合って、笑って。
どちらからともなく唇を寄せて、触れるだけのキスをした。


 

 

 

END

 

 

 


2018.5.14 了


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