それは甘い20題

 

13. 吐息

 

 

 

 

 

時々。物凄く、馬鹿な事を考える。
冷静に考えればあり得ない。我儘で、傲慢で、自分勝手だ。一笑して追い出すけれど、すぐに同じような思考に囚われる。
―――さくらが可愛く笑うたびに、思う。
(いっそのこと―――・・・しまいたい)
晴れ渡った晴天に浮かんだ、黒い雲。ゆっくりと流れていくのを見ながら、小狼は自嘲するように笑った。








夏が近づく。衣替えも間近と迫ったある日、小狼はジャケットを脱いで袖をまくり上げ、ふう、と一息ついた。隣を歩くさくらも、ぱたぱたと手で風を送っている。
「蒸し蒸しするねぇ」
「ああ。湿度が高いな」
「早く夏服にならないかな」
ぼやくさくらを横目で見つめて、小狼は静かに大きくなる動悸を感じ、ぱっと目を逸らす。汗ばんださくらの項。頭から、離れない。
学校の帰りに、さくらを送っていく途中の事だった。
突然に空が黒い雲で覆われて、ぽつ、ぽつ・・・と、雨が降り出した。天気予報では、今夜遅くに降りだすといっていたのに。傘を持ってこなかった自分を悔やむ。
小狼は、咄嗟にさくらの手を取って走り出した。
予想通り雨足はすぐに強まり、二人はあっという間に濡れネズミになった。こういう時に限って、雨宿り出来そうな場所が見当たらない。
辺りは激しい雨で煙り、視界さえままならない。繋いださくらの手が冷えていくのを感じ、小狼は眉根を顰めた。
不意に思いついた提案に、素直にゴーサインを出せない理由は、ただひとつ。だけど、もう構ってはいられない。
「さくら。一旦、俺のマンションに行く。そっちの方が近い」
「え・・・っ」
「このままじゃ風邪ひくから」
言葉少なに言うと、有無を言わさずにマンションの方向へと走った。さくらは、小狼に手を引かれるままに付いていく。
水飛沫が跳ねる音と地面をたたく雨の音が、二人を急かすように鳴り続いた。
そうして、マンションへと辿り着いた。屋根のあるところに入って、やっと呼吸が出来る思いだった。
ぽたぽたと垂れる水滴に眉を顰めていると、自分よりも先に鞄からハンカチを出したさくらが、小狼の顔を拭いた。ぱちり、と目が合って、お互いに照れる。
「お、俺の事はいいから。さくらは自分の方を拭いて」
「うん。でも、ハンカチじゃ間に合わないね・・・」
さくらはそう言って、重くなったスカートを両手で絞った。ぽたぽたと落ちる水滴と、濡れた太ももが目に入る。
(う・・・っ。目の、やり場が)
頬に熱が集まる。多分、すごく赤くなっているだろう。口元を隠し、「落ち着け」と言い聞かせる。
濡れた髪や、ぴったりと張り付いた制服、薄っすらと透ける色。これは、まずい。思春期男子には刺激が強すぎる。―――だが。そうは言っていられない。ここに連れてくると決めた時から、覚悟をしていたことだ。
(・・・さくらに、風邪を引かせるわけにはいかない)
「すぐに風呂の用意するから」
「うん・・・?・・・えっ!?お、お風呂!?いいよ、そんな・・・!」
「ダメだ!気候があったかくなっても、体を冷やしたままじゃ風邪ひく!」
小狼の剣幕に押され、さくらは困った顔で黙り込む。頬が赤く染まって、瞳が潤んでいる。その表情を見て小狼の中でも迷いが生じるが、振り払うようにエレベーターのボタンを押した。さくらは躊躇う素振りを見せながらも、小狼を追いかけてエレベーターに乗った。
部屋に入る時もなかなか靴を脱がなかったが、小狼に促されて「お邪魔します」と小さく言って上がった。床を汚したくないという気遣いからか、さくらは濡れた靴下もその場で脱ぐ。しかし裸足が恥ずかしいのか、もじもじと足を擦り合わせ、落ち着きなく部屋内を見渡した。
(・・・あ―――――。やばい。なんで、こんなに可愛いんだ?)
背中を向けていても、さくらの気配だけで心臓を撃たれる気分だ。相当にやられている。小狼は自分の鼓動が大きくなっていくのを感じながら、努めて冷静に話した。
風呂のお湯をすぐに溜めて、遠慮するさくらにタオルを渡し洗面所に押し込んだ。その時に、自分の部屋着も渡す。
さくらがシャワーを使い出したのを確認すると、ホッと息をついて、濡れた制服を脱いだ。タオルで体と髪を軽くふいて、自分も着替える。こういう時ほど思考の一部は冷静になるもので、とりあえずさくらを温める為に必要な事を、小狼はテキパキとこなした。
ミルクポットの中が沸々といい感じに煮だって来た頃、浴室の扉が開いて中からさくらが顔を出した。
「あの・・・小狼くん、ありがとう。すごくあったまったよ」
(・・・っ!!)
充分な覚悟をしていたつもりだが、現実はその上の上を行く。貸した長袖Tシャツは肩の位置がストンと落ちて、さくらの手を半分まで隠していた。緩めのスウェットは、裾を二回ほどまくり上げている。
湯上りのせいで頬が赤く染まり、乾ききっていない髪がなんだか頼りなく見えて―――そんなさくらが自分の部屋にいるという事実に、冷静だった思考は一瞬で砕けた。
「・・・・・」
「・・・?小狼くん?」
小狼はさくらを見つめたまま、唐突に自分の横っ面を思い切り叩いた。
「ほぇっ!?ど、どうしたの?なんで、自分の頬っぺた殴るの!?あぁ、赤くなっちゃったよぉ」
突然の行動に驚いて、さくらは小狼へと近づき、赤くなった頬を撫でた。
近くなった距離に眩暈がする。自分が使っているシャンプーの香りだとか、湯上りの熱い体温が伝わって、たまらない気持ちになった。
「小狼くん、だいじょ・・・、っ!!」
無防備に腕の中にやってきたさくらを、小狼は抱きしめた。突然の抱擁に、さくらが動揺しているのが分かる。
だめだ、と思うのに。衝動を止められない。
(・・・このまま―――・・・、してしまい、たい)
ゆらりと、瞳の奥が揺れる。掌でさくらの背中を撫で上げると、ぴくん、と小さく震えた。その反応さえも、小狼を煽って。ゆっくりと手を動かし、自分が貸したTシャツの裾から忍び込む―――。
しかし。鼻先がさくらの濡れた髪に触れた時、ハッ、と我に返った。肩を掴んで、勢いよく体を離す。
「髪・・・っ、乾いてないぞ」
「あ、ご、ごめんなさい。慌てていたから・・・」
「ちょっと待ってて」
小狼はさくらを座らせて、煩悩を振り払うように忙しなく動いた。ミルクポットで温めたホットミルクにはちみつを垂らすと、マグカップに入れてさくらに渡す。そうして洗面所からドライヤーを持ってくると、さくらの後ろにどっかりと座った。
「ほぇ?小狼くん、私、自分で」
「いいから。あったかいうちに、飲んで」
緊張の為か、少しだけ早口になる。
戸惑いながらも前を向いたさくらの髪を手に取って、ゆっくりとドライヤーで乾かした。
さくらが一口、二口、とマグカップを傾けて、ほ、と息を吐いているのを後ろから見て、小狼は嬉しそうに目を細めた。
(・・・こんなものか。さくらの髪、やわらかいな)
小さな事に感動しつつ、ドライヤーのスイッチを切った。すると、さくらが勢いよく後ろを振り返る。不意打ちに心臓を鳴らしていると、さくらは真剣な顔で言った。
「さくらの事ばっかり・・・!小狼くんも、あったまらなきゃ!」
「え?」
「私は、すごくあったまったよ?ぽかぽかしてるよ?はちみつ入りのホットミルクもすごく美味しかった!」
「あ、ありがとう。よかった」
「うん!・・・って、そうじゃなくて!私ばっかりじゃなくて、小狼くんも!だって、風邪ひっちゃうよ」
―――多分、さくらは気づいていない。焦るあまりに、物凄く危険な態勢になっている事。四つん這いの恰好で、小狼の上に圧し掛かるようにして、顔を近づける。
「だから、小狼くん・・・」
さくらの唇が、自分の名前の形に動いた時。冷静になろうとする思考も、理性と本能の必死の攻防も、一瞬で飛んだ。
気付いたら、さくらの体を抱き寄せていた。胡坐をかいた自分の上に乗せて、その唇を塞いでいた。
「・・・っ、ん・・・」
鼻にかかるその声に、心臓が跳ねる。さくらの腰に手を回して、閉じ込めるようにして口づけた。
呼吸が苦しくなると、小さな拳が弱めに胸を叩く。それを合図にして唇を離すと、さくらは目を閉じたまま酸素を吸い込んだ。その顔を至近距離で見つめながら、またもキスで塞ぐ。驚きに見開かれる薄碧の瞳が、とろんと蕩けるのを見ながら、小狼はさくらに何度もキスをした。
零れる呼吸が、熱い。さくらを抱きしめて、キスをして。その熱が自分の温度になっていくのを、感じた。
「小狼くん・・・?」
「・・・すごく、あったかい。さくら、俺をあっためて・・・」
「・・・っ」


このまま、ずっと。
自分の傍に置いて、閉じ込めておきたい。四六時中抱きしめて、キスしていたい。
―――そんな、馬鹿な事を考える。




窓の外はまだ、雨が降り続いている。洗面所に干したさくらの制服から、ぽたり、ぽたりと水滴が垂れる。
二人の吐息は部屋の中に溶けて、あたたかく満ちていった。

 

 

 

 

END

 

 

 


2018.4.29 了


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