それは甘い20題

 

14. 指切り

 

 

 

 

 

胸がドキドキして、頬が熱くなる回数が増えた。気付くと、あの人の事を考える時間も増えた。
今、何してるのかな。誰かと話しているのかな。難しい顔をして、何を考えているんだろう。
哀しい事や苦しい事はないかな。笑って、いるかな。
(小狼くん)
―――私がそう思っているように。小狼くんも、そう思ってくれているかな。








(どうしよう。雨、止んだけど・・・)
窓を叩いていた雨音が弱まって、微かだけど陽がさしてきていた。さくらは、小狼の肩越しにそれを見ながら、ドキドキと心臓を鳴らした。
突然の雨により、小狼の部屋で雨宿りをさせてもらった。お風呂を借りて、小狼の服を借り、髪も乾かしてもらって、至れり尽くせりの状況だ。
小狼は、風邪をひかないようにと、純粋な気持ちで世話をしてくれている。なのに、さくらはずっとドキドキしていた。久しぶりに訪れた小狼の部屋で、濡れた服を脱いでお風呂を借りて、彼の服を借りる事になるなんて。普段とは違うシャンプーも、家の中も、服も。全部、小狼の匂いだ。大好きなそれに包まれるようにして、さくらは目を閉じる。こんな状況で、落ち着けなんて到底無理な話だ。
濡れたのは自分だけではないのだから、小狼の為にも早くお風呂を譲らなければと、さくらは急いで支度を済ませた。
「・・・髪、乾いてないぞ」
なのに小狼は自分の事は後回しで、さくらの事ばかり心配する。
ドライヤーを取り出して髪を乾かし始めたのと同時に、有無を言わさずに作りたてのホットミルクを渡された。仄かに香る甘い蜂蜜に、さくらの表情がホッと緩む。
(って、ダメ!私じゃなくて、小狼くんの事も・・・!あたためなきゃ)
小狼の手が丁寧にさくらの髪を乾かしている間に、マグカップの中身は半分程なくなった。かちり、と。ドライヤーのスイッチが切られたのを確認すると、さくらは小狼の方を勢いよく向いた。
「小狼くんの事もあたためなきゃ」―――そう、思っているままに口にした。
すると、どうした事だろう。気付いたら、唇を塞がれていた。抱き寄せられ、小狼の膝の上に座るような格好のまま、キスをされる。
さくらは混乱した頭のまま、小狼からのキスを受け止める。少しだけ荒々しくて、不器用なキス。今までで一番、熱く感じた。
「すごく、あったかい。さくら、俺をあっためて・・・」
キスの合間に囁かれた、その声が。さくらを酷く動揺させた。鼓膜から心臓に、びりびりと直結する。雷に打たれたような衝撃で、呼吸さえ止まりそうになる。固まる思考を無理矢理に呼び起こすみたいに、キスは続いた。
どれくらい、そうしていただろう。
降り続いていた雨は止んで、日差しが戻ってきた。
抱きしめられて、キスをされて、幸せな吐息で包まれた部屋の中。さくらの恋心はオーバーフロウ状態だった。想いが溢れて、羞恥心や未知への迷いも一緒に浮かんで、どうしたらいいのかわからなくなる。
今この状況が嫌なんじゃない。むしろ、逆だ。
こんなにも幸せな空間に身を置いていて、いざ離れなきゃいけない時が来たら、どれだけ辛いのだろう。想像するだけで、胸が痛くなる。
ずっと、こうしていたい。小狼の腕の中で、甘やかされていたい。離れたくない。
そんな事、無理だとわかっているのに。
(小狼くん・・・。今、どんな顔してるの?)
さくらは目を閉じて、唇の感触を追う。
閉じた瞼の裏に、キスする寸前の小狼の顔が浮かんだ。少しだけ痛そうな顔。どうしたらいいかわからない、迷子みたいな瞳。時折、そんな顔を目にする。
自分にはわからない、小狼だけの世界がある。きっとそこには立ち入ってはいけない。知りたいけれど、聞けない。だから。せめて、一緒にいる時だけは忘れてほしい。痛い事も、苦しい事も忘れて。笑ってほしい。
さくらは、そう思っていた。
長いキスの合間に、唇が離れる。は・・・、と熱い吐息が零れた。さくらはゆっくりと瞼を開けて、涙で滲んだ視界の中で小狼を見つめた。
頬が赤い。眉根がきつく寄って、辛そうにも見える。潤んだ瞳の奥に、自分の姿が見えた。小狼のその顔が、ぞくぞくするくらい、綺麗だった。
さくらは、何かを言おうとして、すぐに忘れてしまった。そのかわりに、浮かんできた言葉は。
「さくらの事、すき・・・?」
「っ!」
「さくらの事・・・欲しいって、思ってくれてるの?」
どうしてそんな事を聞いてしまったのか、わからない。だけど、目の前で苦しむ小狼の顔を見た時、改めて思った。
せめて、一緒にいる時は苦しい事も辛い事も忘れてほしい。小狼が欲しいと思うのなら、全部あげたい。そうして、もっと近づきたい。もっと―――好きになってほしい。
さくらの問いかけに、小狼は明らかに動揺した。かぁ、と顔を真っ赤にして、困ったように目線を漂わせる。
さくらは両手を伸ばし、小狼の首へと回した。そうして、自ら唇を重ねる。間近で、小狼の瞳が驚きの色に変わった。
ドキドキと心臓を鳴らしながら、恥ずかしさを堪えて、更に体を密着させた。小狼の服一枚という無防備な恰好で、こんな風にするのは、とてもはしたないと思う。いけない事だとも、心のどこかで分かっていた。
だけど。小狼が好きだと思う気持ちが、体を動かした。
「さくら・・・」
「小狼くん、小狼くん」
「さくら。好きだ・・・」
小狼は夢見心地にそう囁くと、さくらの唇の隙間からそっと舌を入れた。さくらは、驚いて目を見開く。
無意識に退こうとした体を力強く引き寄せられ、やわらかな髪に小狼の指が差し入れられる。その感触に、ぞくりと震えて。戸惑うさくらの舌は、小狼のそれに絡めとられる。
「・・・っ」
はじめてのキスだった。
さくらは小狼の首にぎゅっと抱き着いて、わけもわからないままに自らも舌を差し出した。
苦しくて、胸が痛くて、なのに嫌じゃない。いつものキスよりも、もっと求められているような気がして、さくらの小さな胸はときめいていた。
同時に、不安な気持ちも膨らむ。
(あとどれくらい、こうしていられる?ここにいてもいい?・・・帰りたく、ないよぅ)
さくらがそう思った瞬間、小狼の肩が僅かに震えた。
ゆっくりと唇が離れ、小狼の掌がさくらの頬を撫でる。至近距離で視線が絡まる。小狼を見つめるさくらの瞳から、はらり、と涙が零れた。
「小狼くん、好き・・・」
「俺も、さくらが好きだ」
「ずっと一緒にいたい。さくらとずっと、一緒にいてくれる?もう、離れたりしない・・・?」
「・・・!」
涙と一緒に、不安が一気に溢れた。
小狼が好きだと思うたびに、その気持ちが大きくなっていくほどに、離れてしまう寂しさがさくらを襲った。また、すぐ会える。また明日、会えるから。自分にそう言い聞かせていた。
『さよなら』をしたあの瞬間の、喪失感。手を伸ばせば届く距離にいたのに。どうしようもない寂しさを抱えて過ごした夜を、小狼は知らない。
「ああ・・・。もう、離れない。さくらの傍に、ずっといる。ずっと、一緒だ」
「うん」
「・・・もう、あんな夜はごめんだから」
ぽつりと落ちた小狼の言葉に、さくらは瞬いた。
―――だけど、さくらも知らない。小狼も、同じだった事。同じ夜を、越えてきた事を。
「約束する。もう絶対に、離れない」
「うん・・・。じゃあ、指切りしよ?」
まださくらの瞳には涙が残っていて、小狼は不安そうに眉を顰める。差し出された小指に、すぐさま自分の小指を絡める。
真剣な顔で見つめる小狼に、さくらは笑った。
(どうしよう。こんなに大好きで・・・私、大丈夫かなぁ)
際限なく訪れる不安に、「大丈夫だ」というように絡まる小指。清廉で真正直な小狼の瞳が、さくらの少しの不安を吹き飛ばす。
(大丈夫。小狼くんを好きで、いいんだ)
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本・・・・・針千本は大変かなぁ。んーと、じゃあ・・・」
「さくら?」
「嘘ついたら・・・―――――」
耳元で囁いたさくらの言葉に、小狼はあからさまに動揺した。
「えっ!?」
「ゆーび切った!」
笑顔でとんでもない事を言ったさくらと、驚きやら色々な衝撃で真っ赤になる小狼。
二人の小指は離れて、『指切り』の約束は成立する。
嬉しそうに笑うさくらに、不意に影がかかって。近づく吐息に目を閉じると、そっと唇が触れた。
―――まるで、いつかの予行練習のように。誓いを込めた口づけに、二人は照れくさそうに笑うのだった。

 

 

 

 

END

 

 

 


2018.5.2 了


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