それは甘い20題

 

11. 微糖

 

 

 

 

 

「さくらちゃん!また来てくれたのね!嬉しいわー!」
扉が開くと、真っ先に駆けつけてきたその人に強く抱きしめられ、さくらは慌てる。隣にいる小狼が、少し驚いた顔をしていた。後ろから来た知世が、声をかける。
「お母さま。さくらちゃんがびっくりなさっていますわ」
「あら?ごめんなさい!つい、嬉しくて・・・!李くんも、二人で来てくれて嬉しいわ!美味しい物たーくさん用意したから、食べて行ってね」
眩しい笑顔でそう言ったのは、知世の母である園美だ。さくらと小狼は笑顔で頷くと、大道寺家の家へと足を踏み入れた。
何度訪れても、この広さには慣れない。一人だったらきっと迷子になってしまうだろう。知世の案内で屋敷内を歩いている間、さくらはそんな事を考えていた。
「ご馳走、ご馳走~!」
鞄の中から声が聞こえて、さくらは「メッ」と小さく言う。すると、鞄の蓋が小さく動いて、中からケルベロスが顔を覗かせた。
今日は、知世に呼ばれてやってきた。新しいコスチュームと改良した撮影機材を試したい・・・という、いつもの誘い文句で。日曜日、小狼と連れ立ってさくらはやってきた。知世の家に行くと言えば、食いしん坊な守護獣ケルベロスも黙ってはいない。今にも鞄から飛び出してきそうな勢いだ。
さくらはケルベロスを窘めながら、隣を歩く小狼を見た。五分袖のペールグリーンのシャツが、一足早い夏を告げるように、眩しく映る。横顔はどこか上機嫌に見えて、さくらの表情も緩んだ。
「・・・?なんだ?」
「う、ううん!なんでもない!」
視線を感じてこちらを向いた小狼に、さくらは顔を赤くした。えへへ、と笑みを零すと、小狼もつられて笑った。
ふと。別の視線を感じて、小狼とさくらは前を向いた。
「おかまいなく~」
そこには。器用に後ろ歩きをしながらカメラを手に撮影する知世がいた。
小狼とさくらは揃って真っ赤になると、ぎくしゃくした雰囲気で歩いた。それを鞄の中から見上げ、ケルベロスも「やれやれ」と言った風に首を振るのだった。








「はぅ~。お腹いっぱぁい・・・」
「わいも、もう食べられへん~!」
さくらとケルベロスはそう言って、大きくてやわらかなソファに身を沈めた。お腹をさする動作がシンクロして、知世は思わず笑った。
小狼は隣でコーヒーを飲みながら、くったりと体を横たえるさくらを見つめて、笑う。
さくらはハッとして、慌てて起き上がった。お腹いっぱいになって幸せだからって、小狼の前ではしたない姿を見せてしまった。頬を染めるさくらを見て、小狼は首を傾げた。
それから。少しお腹がこなれた頃に、知世が作った新コスチュームを試着した。
「どうですか?さくらちゃん」
「うん!すごく軽くて、動きやすいよ。ちょっと背中がスース―するけど・・・」
相変わらず、知世の作る服は機能性が高い。デザインは女の子らしくレースがふんだんに使われていて、背中が大胆に開いたものだった。その露出度に、さくらは少し恥ずかしくなる。
ぱちり、と。小狼と目が合う。「どうかな?」と、言外に尋ねると、小狼は仄かに頬を赤くして、頷いた。
その反応に気を良くして、さくらは『飛翔(フライト)』のカードを発動させ、ケルベロスと一緒に空へと舞い上がった。眩しい背中に、小狼の目は釘付けになる。
更に性能を上げた大道寺トイズの新製品カメラもお試しで作動し、これでもかとさくらを撮影出来て、知世はご満悦だった。
「衣装の機能性、実用性も確認出来ましたし、超絶可愛いさくらちゃんも撮れました!そろそろ、おやつにしましょう」
「おおっ!待っとったで―――!!」
さっき食べたばかりなのに、と呆れる。しかし午後の陽気も手伝って、さくらも少し喉が渇いていた。休憩には賛成だ。屋敷に戻る途中、さくらはハッとして、知世へと駆け寄る。そうして、こそっと耳元で聞いた。
「知世ちゃん。私、先にお手洗い借りてもいい?」
「はい、もちろんです。ここから一番近いのは、右に行ったところになりますわ。案内をつけますか?」
「ううん!一人で大丈夫!」
そう言って、さくらは知世達と別れ、一人手洗い場へと向かった。
これが、大きな間違いだった。








「ほえぇ・・・。ここ、どこー?」
同じ場所をぐるぐると回っているような気がする。広すぎる屋敷の中で、さくらは完全に迷子になってしまった。
魔法を使っても大丈夫なようにと、離れの場所を使っていたからか、このあたりには使用人もいない。何度か周りに声をかけてみたけれど、しん、と静まり返るだけで答える声はなかった。
携帯電話も鞄の中に入れたままだし、カードも先ほどケルベロスに預けてしまった。身一つの状態で、さくらは不安そうに涙ぐむ。
「小狼くん・・・知世ちゃん、ケロちゃん・・・みんな、どこぉ?」
とぼとぼと歩きながら、名前を呼ぶ。
すると、その時。
「さくら!」
「!!」
その声に、さくらは勢いよく顔を上げた。こちらへと走ってくる小狼の姿に、堪えていた涙がぶわ、と溢れる。小狼は焦りの為か少し険しい顔をしていたけれど、さくらの泣き顔を見て表情を和らげる。
広げられた両腕の中に、さくらは飛び込んだ。
「ふえぇ~~~、どこに行っちゃったかと思ったよぉ~~~!」
「・・・それはこっちのセリフだ・・・。よかった、見つかって」
ホッと、安堵の息がかかって、さくらは心配させてしまった事を後悔した。小狼はさくらを抱きしめたまま、片手で携帯電話をかけると、「見つけた」と言った。おそらく、相手は知世だろう。
「ごめんなさい。心配かけて」
「いや。大丈夫だ。大道寺も、自分がついていかなかった事を反省してたから。さくらが笑顔で戻れば、大道寺も安心する」
「うん!」
さくらは涙を拭くと、笑顔で頷いた。
小狼はさくらの頭をぽんぽんと撫でて、もう一度、強く抱きしめた。その力強い腕に、さくらの胸がきゅんと鳴る。不安から掬い上げてくれたこの腕が、愛しくて堪らない。
「戻ろう」
抱きしめる腕を緩めると、小狼は代わりにさくらの手を握って、歩き出した。だんだんと見慣れた屋敷内に戻ってきて、さくらは安堵する。引っ張ってくれる手が心強い。
先程、御馳走を食べた部屋に戻ってくると、そこには誰もいなかった。テーブルの上には、ケーキやマカロン、クッキーなど、ケルベロスが見たら泣いて喜びそうなスイーツが並べられていた。
「知世ちゃんとケロちゃん、どこにいったんだろう?私を探してるのかな?」
「いや。二人は多分、近くにいる筈だ。すぐに戻ってくるだろうから、待っていよう。さくらも、歩き回って疲れただろ?」
ソファへと誘われ、さくらは素直に従った。小狼の隣に座ると、深く息を吐いた。沈み込んでいく体が、休息を欲していた。
「はぅ・・・。疲れたよぅ」
「お疲れ様」
小狼は苦笑して、さくらの頭をぽん、と撫でた。すぐに離れていったその手が恋しくて、さくらは小狼をじっ、と見つめる。胸のドキドキが、心地いい。
(もっと、触ってほしい・・・けど、知世ちゃんとケロちゃんも戻ってくるし、我慢しなきゃ)
さくらは膝の上で拳を作り、うん、と頷く。しばしの『二人きり』を意識しすぎないように努めながら、テーブルに並べられた眩いスイーツ達を眺める。
その時。さくらは、今物凄く喉が渇いている事を思い出した。
水でも、なんでもいい。何か、喉が潤う飲み物はないか、と。部屋の中を探す。すると、先程飲んでいたカップと同じものが、テーブルの端っこに置いてあった。
「これ、さっき飲んでたやつの飲みかけかな?」
「ああ、多分」
「喉が渇いて・・・、少しだけ」
「え?・・・あっ、さくら」
―――それは苦いぞ、と。小狼が言った時にはもう、喉を通過していた。さくらの顔が歪んで、先程とは違った意味の涙が浮かぶ。
「にがい~~~」
「・・・ブラックコーヒーだからな。しかも、時間が経ってるから尚更。何か、口直しに食べるか?」
「うぅ。でも、先に食べちゃうのは申し訳ないよ」
テーブルの上に並べられたたくさんの甘い物。口の中の苦みを相殺してくれそうだけれど、先に食べるのは忍びない。
涙目で格闘するさくらを見つめ、小狼が動いた。
影がかかって、さくらが驚いて目を見開く。一瞬後に、その唇が塞がれた。
「・・・!」
ソファの背もたれに、深く沈む。小狼の手がさくらの頬に添えられて、ちゅ、ちゅ、と何度も唇が重なった。
どうして、キスをされているのだろう。さくらの頭に浮かんだ疑問は、深くなった口づけに溶かされる。やわらかな唇の感触に、さくらの目がとろんと蕩けた。
小狼の手が、さくらの背中に回って。露わになっている肌を、人差し指が悪戯にくすぐった。
「っ、ん・・・!」
その感触に大きく肩が震えて、さくらは閉じていた目を開けた。すると、至近距離で小狼と目が合って、心臓が止まるかと思うくらいの衝撃を受けた。
ちゅ、と。リップ音を立てて離れた唇。小狼はさくらの額に自分のそれを当てて、熱くなった頬を撫でて言った。
「・・・口直し」
「!」
「苦いの、少しは治まったか?」
小狼の言葉に、さくらは何も返せず、口を開けたまま固まった。
その時。
不意に感じた気配に、小狼とさくらは揃って同じ方向を向いた。
「あっ・・・。おかまいなくー!」
「「 ・・・!?! 」」
知世が入口からこっそりと、こちらを見ていた。いつから、どこから、どこまで見られていたのか。小狼とさくらは火が噴きそうなくらいに真っ赤になって、ぎくしゃくとしながら離れた。
「さくらと小僧、帰ってきとるかー!?もう待ちくたびれたでー!!・・・ん?なんか、二人とも顔が赤いで?」
「な、ななな、なんでもない・・・っ!!」
明らかに何でもなくない顔で、さくらは必死にそう言った。
知世は「ほほほ」とご満悦そうに笑い、小狼はノーコメントで頭を抱え、ケルベロスは「?」を浮かべる。しかしすぐに、並べられた沢山のスイーツへと関心が向き、おやつタイムへと突入した。
「さくらちゃん、お飲み物は何にしますか?・・・甘いもののほうがよろしいですよね?」
「ほぇ・・・っ!・・・う、うん。お願いします」
消えそうな声で答えたさくらに、知世は満面の笑顔で頷いた。小狼は勢いよく食べるケルベロスに呆れた視線を送りながら、淹れたてのコーヒーを飲んでいた。
目があって、互いに真っ赤になって、ふいと逸らす。
(・・・苦くなくなったどころじゃないよ。キスで、甘くなっちゃった)


心を熱くするのは、小狼がくれたビタースイート。
コーヒーとスイーツで彩られた休日の午後に、さくらは悩まし気な溜息をつくのだった。


 

 





おまけ

その日の帰り道。さくらとケルベロスを家まで送っていった小狼は、一人になって溜息をついた。今日の事を思い出して、軽く自己嫌悪になる。
おなかいっぱい、と。幸せそうな顔でソファに寝転んだ時。
知世が作った衣装を着て、恥ずかしそうにしながらもこっちの反応を気にしている時。
姿を見つけて、泣きながら駆け寄ってきた時。
―――ずっと、キスしたくて仕方なかった。
(人の家だし、我慢しないとって思ってたのに。最後の最後で・・・っ!しかも、口直しってなんだよ!?意味がわからない・・・!)
己の堪え性の無さと自制心の弱さを猛省しつつも、「今日のさくらも可愛かったな」―――なんて、惚気に近い事を思いながら、小狼は一人帰路につくのだった。


 

 

END

 

 

 


2018.4.23 了


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