「小僧ぉぉぉ!!来るのが遅い!!遅すぎるで!!!」
「……なんでこんな事になってるんだ……?」
「しゃおらんくんのばかぁ!ばかばかばかぁ!!」

半分ほどになったお酒の瓶を抱きしめて、さくらは床に寝転がっている。その傍らには、半泣きのケルベロス。小狼は手に持っていた大きめのボストンバッグをどさりと落とした。
恋人であるさくらの言動に、小狼は困惑する。今しがた日本に帰ってきたばかりで、昨日の夜にさくらとは電話で話した。その時は、特におかしな事はなかった筈なのに。
この短い間に、一体何があったのか。
泥酔状態のさくらの肩を揺さぶってみるが、不明瞭な呻き声をあげて、すやぁと寝に入ってしまった。「しゃおらんくんのばか……」という言葉だけはしっかりと耳に届いて、思わず眉を顰める。
「まずいで!兄ちゃんがあと少しで帰ってくるんや!さくらのこんな状態見たら……」
「間違いなく怒る。あと、心配するだろうな。とりあえず、オレの家に連れていく。連絡しておくから、ケルベロスは部屋を片付けろ。さすがに酒臭い」
「お、おう!任せとき!」
桃矢からはきっと厳しい叱りの声を受けるだろう。ハタチ過ぎて何をやっているんだ、と。
仕方ない。甘んじて受けよう。
酒の強くないさくらが、こんな無茶な飲み方をしたのは、きっと自分が原因に違いないから。
小狼は最低限の荷物だけを持って、さくらを危なげなく背負う。ボストンバッグはあとで取りに来ればいい。
ケルベロスに「さくらの事頼むで!」と再三言われつつ、小狼は木之本家をあとにした。
夏は日が長くなった。とはいえ、十九時を過ぎると大分薄暗い。浮かんだ月は細い三日月だった。頬を撫でる風は、昼間よりも少し涼しいが、コンクリートに残った暑さが夏の夜の気温を上げている。汗ばんだ額をそのままに、小狼はマンションへと進んだ。背中で眠っているさくらが起きないように、ゆっくりと。









最高のプレゼント

 

 

 

昨夜は、日付が変わる頃に電話をした。
七月十三日になった瞬間、お祝いしたいとさくらが言ったからだ。毎年のお決まりになりつつあるので、小狼も自分の誕生日の前日はそわそわして、その瞬間を楽しみにしていた。どんなに仕事が忙しくても、さくらと話す為にその時間は空けていた。
今年も、一番にお祝いの言葉をくれたさくらに、愛おしさが溢れた。香港と日本、こういう時ほど距離を遠く感じる。
イヤホンから聞こえるさくらの声は、いつもと変わらなかったように思える。明るく笑って、最近の出来事を話したり聞いたりして、一時間程の通話は終わった。
もしかしたら今日、日本に帰れるかもしれない。
そう言った時、さくらは小さく息を飲んだ。そうして、「うれしい!待ってるね!」と一際、明るい声で言った。
少しの違和感を感じなかったと言えば、嘘になる。
(予定より、来るのが遅くなったからか?それとも連絡をいれればよかったか。……失敗した)
空港についてすぐ、連絡する時間も惜しくて、急いで木之本家へと向かった。
早く会いたかった。帰って来た自分を見て、さくらは少し驚いたあとに、きっと満面の笑顔で喜んでくれる。
その瞬間を、小狼は楽しみにしていた。
だからあえて、連絡しなかったのもある。
もしも、自分の小さな下心が、さくらを寂しくさせていたとしたら。そこまで考えて、小狼は顔を強ばらせた。



マンションの部屋に入ると、ひと月留守にしていたとは思えないくらいに綺麗だった。埃っぽさもない。おそらく、合鍵を持っているさくらがこまめに掃除してくれているのだろう。
小狼はさくらをソファに寝かせて、食器棚から取り出したグラスに水をいれた。
「さくら。水飲んで。ほら、起きれるか?」
「んん……お水、いらなぁい」
「そんなこと言うな。飲まないとあとで辛くなるぞ?」
背中を支えて起こしてやると、顔が近くなる。アルコールのせいで赤らんだ頬と潤んだ瞳に、ドキッと小狼の心臓が跳ねた。こんなに近くで顔を見るのは、ひと月ぶりなのだ。
さくらは目元を綻ばせると、舌っ足らずに言った。
「しゃおらんくん、のませて?」
「……っ!」
「しゃおらんくんがのませてくれるなら、お水のむー」
子供か、と。冷静な頭ではそう思うけれど、心臓はドクドクとうるさくて理性は切れる寸前だった。
『今のさくらは酔っ払っているから、普通の状態じゃない』。そう言い聞かせて、かろうじて理性を繋ぎ止める。
んんっ、と咳払いをして、持ってきたグラスの水を自ら煽る。ふにゃふにゃ状態で笑っているさくらの頬をそっと撫でて、唇を重ねた。
水をゆっくり送り込むと、さくらは「んっ」と小さく声を漏らして、こくりと喉を鳴らした。
(よし、飲んだな)
あと少し飲ませておいた方がいい。小狼は唇を離し、もう一度水を口に含んだ。そうして、口移しでさくらへと飲ませる。
口の端から零れた水を指で掬うと、さくらが熱っぽく小狼を見つめていた。その綺麗な碧に、小狼の理性がまたもぐらぐら揺れる。
(……もしかして、さくらのアルコールが移って、オレも酔っ払ってるのか?)
理性理性、と自分に言い聞かせてると、さくらは「ふふっ」と笑い声をあげた。何がおかしいのか、口元を手で隠してくすくすと笑っている。
酔っぱらいの情緒に半ば呆れながらも、さくらの笑顔が見れた事で小狼は少し安心していた。
「どうした?」と優しく聞くと、さくらはとろけそうな笑顔で、言った。
「いい夢だなーって。しゃおらんくんが、帰ってきてる!」
「……ばか。夢じゃないぞ?ほら、触ってみろ」
そう言って、さくらをぎゅっと抱きしめた。
「ほぇ?……すぅ、はぁ。……ほんとだ。しゃおらんくんの匂いだぁ」
「汗臭いからあんまり嗅ぐなよ」
「ふふっ。やっぱり、いい夢ー!」
言動がおかしいのは、酔っ払っているせいだろう。
そういえば、さくらがこんな風にお酒に酔っているのを見るのは初めてだ。二十歳の誕生日を迎えて、甘めのお酒を少し飲んだだけで頬を赤く染めていた。
いつも以上に”ふんわり”になるのが可愛くて危ういから、自分と一緒の時以外は飲むなと注意したのをよく覚えている。
なのに。どうして、こんなに泥酔するまで飲んだのだろう。
考え込むうち、小狼の顔が険しくなる。さくらはそれを覗き込んで、不安そうに眉を下げた。ハッとして、小狼は慌てて眉間の皺を解いた。
「夢じゃないぞ、さくら。昨日電話で話しただろ?遅くなったけど、帰ってきたから」
「……うん。お電話、した。しゃおらんくんとお話すると、好きだなーって胸がきゅうってするの。それでね、今すぐに会いたくなっちゃう。ぎゅーーーって、抱きしめてほしくなっちゃうの」
「……っ」
ーーーなんだこの可愛さは!
思わず天を仰ぎそうになった。顔が熱い。多分真っ赤になっている。
何年付き合っても、さくらのこういう不意打ちの”好き”に、心臓をやられる。
しかし。
さくらの笑顔がだんだんと萎んで、へにゃりと泣きそうに歪んだ。
慌てる小狼の耳に、さくらの小さな声が聞こえた。
「……寂しくて、涙が出るの。もう大人なのになぁ。寂しいのにも、慣れちゃいたい。ぎゅーってしてほしいのに、しゃおらんくん、いないの。寂しい……」
「さくら……」
さくらの目には涙が浮かんでいて、小狼は胸が痛くなった。
寂しい想いをさせているのは、わかっていた。高校を卒業して、小狼は香港に戻らなければならなくなった。さくらは家から通える距離の大学に通い、小狼とはまた遠距離恋愛に戻った。
小狼はマンションを解約せずに、月に一、二度は帰ってくる。日本に帰ってこれる頻度が、最近では少なくなったが、それには理由があった。
小狼は、さくらを強く抱きしめて言った。
「……本当は、ちゃんとした場所で、さくらが酔っ払ってない時に言おうと思ってたけど」
「ほぇ……?」
「今お前が不安で泣いてるなら、ちゃんと言わないとな」
小狼は立ち上がり、書斎部屋に向かった。仕事用のデスクの、一番下の引き出し。大事にしまっていた小さな箱を、取り出した。
そうしてリビングに戻ると、小ぶりの箱をさくらの手の上に乗せる。さくらは不思議そうに目を瞬かせる。小狼の無言の視線に戸惑いながら、箱をあけた。
中にはペアのプラチナリングが入っていた。

「結婚しよう、さくら」
「……。……、えっ!?」

そこでやっと、とろんとしていたさくらの目が、ぱちっと開いた。そうして、アルコールとは別の要因で真っ赤になって、あわあわと落ち着かなく目を泳がせる。
「夢……?」
「じゃない」
「あ、あれ?私、さっき変なこと言っちゃ……、っ、ご、ごめんなさい」
「謝るな。さくらが泣いたからこれをあげるんじゃない。最初から、申し込むつもりだったんだ」
さすがに少し照れる。小狼はさくらの様子を窺いながら、手元のリングを見つめた。
少し前に、用意したものだった。これをさくらに渡すベストなタイミングを、計っていた。
さくらと結婚する為に、必要な条件を満たす。その為に、ここ数ヶ月は身を粉にして働いた。
主に仕事のノルマと、李家当主としての役割を果たすこと。それをやっと終えて、現当主からの許しを得た。
木之本家の方はーーーまだこれからだが。それは、さくらと一緒に頑張ればいい。
さくらの視線は、小狼と手の中のリングを行ったり来たりしていた。困惑の表情のまま、言った。
「な、なんで今言うのぉ!?私、酔っ払ってて……!お化粧もしてないし服は部屋着なのに……っ」
「……今、言いたくなったから。さくら、嬉しくない……のか?」
「嬉しいよ!でも、でも!今日は小狼くんの誕生日なのに!さくらが、こんなに嬉しいもの貰っちゃったら、逆だよぉ!」
照れ隠しなのか、本気で怒っているのかわからないが、さくらは涙目で訴えた。
小狼は参ったといった顔で、ため息をつく。照れくさそうに頬をかいて、さくらへと言った。
「……さくらがその指輪受け取って、笑顔で頷いてくれたら、それ以上のプレゼントは無いんだけど」
「っ!!」
「まあ、タイミング間違えたんなら、仕方ないな。一度戻して後日やり直すか?」
そう言って、さくらの手にあるリングの箱に手を伸ばす。が、すぐに隠されてしまった。
さくらは必死な顔で、ふるふると首を振る。
「だめぇ!やり直ししなくていいから……っ!」
「……じゃあ、いいのか?」
さくらは真っ赤になって、小狼の目を見つめ、こくりと頷いた。
いまだに信じられないと言った様子で、戸惑って照れて。指輪を見つめ、だんだんと実感が伴って、堪えきれない笑顔が溢れた。
はにゃーん、というのがぴったりの、しあわせな笑顔。
さくらのその笑顔を見て、小狼も自然と笑んでいた。

(……あー。本当に、最高のプレゼントだ)


互いに指輪を薬指に嵌めて、その手をギュッと繋いだ。
誓いのキスなんて、大層なものではないけれど。
決意と想いをこめて、小狼はさくらへとキスをした。
「小狼くん。お誕生日おめでとう。大好きだよ」

ほんのりと香ったお酒の匂いを、多分一生忘れないだろう。
小狼はこっそり笑った。

 


Happybirthday!!!

 



おわり





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