それは甘い20題

 

12. 奪いたい

 

 

 

 

 

「ワンエン、ツーエン、スリーエン」
コーチの声と手拍子に合わせ、さくらと千春は揃って動く。覚えたての新しい振り付け。頭の中でおさらいしながら、足を払い手を振り上げ、くるりと回転する。
指先までピンと伸ばした、その先をふと見ると、意外な人物を見つけた。さくらは、途端に動揺する。
「あ・・・っ!ご、ごめんなさい。ずれちゃった」
慌てて追いかけようとしたけれど、コーチは手拍子を止めて、笑顔で言った。
「大丈夫。最初にしては、二人ともよく覚えてきてる。今回から少し難しくなってるから、ひとつずつコツを覚えて行きましょう」
「「 はい! 」」
返事まで息ピッタリなさくらと千春に、他の部員達も笑う。新入部員である二人だけれど、経験者という事もあり、部内でも期待されていた。上級生に混ざって新しい振り付けを教えてもらったり、コーチ自ら教えてくれたりする。さくらも、その期待に応えようと一生懸命に練習していた。
放課後の練習は授業が終わってから二時間ほどあって、ちょうど半分を過ぎた頃だ。グラウンドでは他の部活の部員達もそれぞれ練習していて、その周りには見物する生徒達もぽつぽついた。
さくらの視線の先にいた意外な人物とは、小狼だった。
今日は、一緒に帰る約束をしていた。帰宅部の小狼は、さくらが部活の時は決まって図書室にいる。そして、終わる頃に迎えに来てくれる。
なのに、なぜか今日に限って早い時間にグラウンドに来て、しかも真剣な顔でこちらを見ている。
さくらは気になって仕方なかった。誰に見られても平気なのに、小狼に見られていると思うと物凄く意識してしまって、思うように動けなかった。
「さくらちゃん、大丈夫?なんか今日、調子悪そう」
「う、うん。ごめんね千春ちゃん。次は、ちゃんと合わせるから」
心配する千春や他の部員達の優しさを、申し訳なく感じる。さくらは頬をぺちぺちと叩くと、曲の頭からやり直した。カウントを取るコーチの声と手拍子に集中する。
(小狼くんが見てる・・・。失敗、したくない!)
「―――はい!すごくよかったわ。木之本さん、今の忘れないようにね。じゃあ、もう一度頭から。みんなで合わせてみましょう」
「はい!」
最後までなんとかやり遂げて、さくらはホッと安堵の息を零した。ちら、と。小狼のいる方を見る。相変わらず無表情のまま、真っ直ぐにさくらを見ていた。
やっぱり、恥ずかしい。
さくらは視線を戻すと、再び始まった曲に合わせて体を動かした。
(小狼くん、どうして見に来たんだろう・・・?)





「おつかれー。さくらちゃん、今日帰りに何か食べて行かない?」
「ごめんね、千春ちゃん!私、約束が・・・!」
言いながら、慌てて着替える。ユニフォームとスパッツを脱いで、制服のスカートのジッパーを上げる。その様子を見て、千春は笑った。
「李くんと約束してたんだ。もしかして、練習中に上の空だったのもそのせい?」
「うっ・・・ごめんね?」
「ううん。楽しみなのわかるもん。最後はちゃんと出来てたし、大丈夫!ほら、早く行かないと。李くん待ちくたびれちゃうよ」
千春に背を押され、「頑張れ」のウィンクまで送られて、さくらは照れながらも部室を出た。








グラウンドを囲むフェンスの横を通り、さくらは先程小狼がいた場所まで走った。
すぐ傍では、野球部が練習後のグラウンドの整備を行っていた。太陽は西の空に沈みかけて、辺りはすっかりオレンジ色に染まっている。長く伸びた影を引き連れて、さくらは走った。
誰かを待っているのか、それとも野球部を見ているのか。グラウンドの周りには、まだ数人の生徒がいた。その中に小狼の姿を見つけて、さくらは笑顔になる。
「小狼くん!お待たせっ」
嬉しくて、右手を大きく振った。
その時。突然に強い風が吹いて、さくらの髪とスカートを舞い上がらせる。
「ほえぇっ!?!」
「―――!!!」
ふわっ、と。太ももに涼しい風が入り込んで、さくらは一瞬、何が起こったのか分からなかった。
目の前で固まる小狼の顔を見て、やっと事態に気付き、慌ててスカートを抑えた。
あとから酷い羞恥心に見舞われ、声も出なかった。真っ赤になった顔を上げられず、さくらの目に涙が浮かぶ。
(う、うそ・・・っ!小狼くんの目の前で、私、小狼くんに、ぱ・・・っ、ぱん・・・、見られ・・・)
恥ずかしくて小狼の顔が見られない。そのまま俯いていると、突然に右手を取られた。驚くさくらに構わず、小狼は早足で歩いていく。
何も言わない背中が、他人のように見えて、さくらは不安になる。だけど、なんて声をかけたらいいのか分からず、無言のまま付いて行った。
下校時間を過ぎて人も少なくなった校舎に戻ると、中には入らずに裏に回った。建物の影に入ると、小狼の足が止まる。
ぱっ、と。繋いでいた手が離され、さくらは少しだけ寂しくなる。
気まずい空気に戸惑っていると、小狼がこちらを向いた。眉間には深い皺が刻まれ、怒っているように見える。
「あ、あの。小狼く・・・」
言いかけたさくらの言葉は、吐息と共に塞がれる。さくらは目を見開き、硬直した。
さくらの背後は壁になっていて、コンクリートの冷たさを感じた。小狼の手がさくらの肩を掴み、逃げ場を塞ぐ。荒々しい口づけに、ただただ戸惑っていた。
唇を塞ぐやわらかな感触が離れ、また角度を変えて触れる。いつもよりも深くて、熱い。
長く続く口づけに、さくらの動悸が早くなる。呼吸が苦しくなって、思わず小狼の胸元を握った。
「・・・はっ、待って、小狼く・・・、苦しい、よぉ」
涙目になって息をするさくらに、小狼はますます眉を顰めた。どうしてそんな顔をするんだろう。さくらの不安は涙になって、頬を伝う。
「・・・っ!ごめん、さくら。泣かせるつもりじゃ・・・」
我に返ったのか、小狼は顔を赤くした。その目に後悔の色が見えて、さくらはハッとする。
(違うの。嫌なわけじゃ、ないの・・・!)
肩を掴んでいた手が離れ、小狼は一歩下がる。距離を取ろうとする気配に、さくらの体が動いた。
今度は自分から小狼に抱き着くと、少しだけ背伸びをして、自ら唇を重ねた。驚きに見開かれる鷲色の瞳に、さくらの頬が赤く染まる。
至近距離で目を合わせて、言った。
「違うの。やめてほしいんじゃなくて・・・。えっと。もっと、ゆっくり・・・して?」
「っ!!」
小狼は衝撃に言葉を失ったあと、そっと腕をさくらの腰に回して、再びキスを落とした。先程の強引なものではなく、いつもの優しいキスだった。
唇が離れたあと、途端に照れくさくなって、二人は無言で俯いた。小狼はさくらを抱きしめたまま、冷たい壁に背を預け、はぁ、と息を吐いた。
さくらは小狼の腕の中で、ドキドキしながら聞いた。
「あの。小狼くん。聞いてもいい?」
「・・・うん」
ごくり。喉が鳴る。聞くのは怖いけれど、このままじゃ気になって仕方ない。さくらは覚悟を決めて、小狼へと聞いた。
「怒ったから、私にキス、したの・・・?小狼くんを怒らせることって、私・・・さっきのしか思い当たらなくて。・・・わ、私のパンツ、そんなに嫌だった・・・!?」
「ちが・・・っ!確かに・・・い、嫌だったけど。それは、さくらのせいじゃない」
要領を得ない小狼の言葉に、さくらはまたも泣きそうになる。その気配を察知してか、小狼は焦った顔でさくらの両腕を掴み、視線を合わせる。
「俺が嫌だったのは・・・!あそこにいた、俺以外の奴にも見られた事だ!!さくらの・・・っ、・・・・・誰にも見られたくなかった、のに」
「!」
茹で蛸のように真っ赤になった小狼の、真剣な告白。さくらは呆然とする。瞬間、熱が移ったようにさくらの顔も真っ赤に染まった。
あの場にいた他の人の事なんて、頭から抜けていた。最初から、小狼しか目に入っていなかった。さくらは恥ずかしさから目をぎゅっと閉じて、スカートを握りしめる。
「わ、私は・・・!他の誰に見られても、小狼くんには見られたくなかったよぉ!」
「な・・・っ!」
「だって・・・だって!今日に限って、子供っぽい・・・うさぎさんのパンツだったんだもん!」
―――ふわり。スカートがまくり上がった先にあったのは、白い布地に可愛いうさぎがプリントされたもの。それが、小狼の目に晒されたのだと思うと。
「ふぇぇ・・・、恥ずかしくて死んじゃうよぉ・・・!」
「さ、さくら。落ち着け・・・!その・・・見てないから」
「・・・ほぇ?」
「うさぎまでは、見えてない。一瞬まくれあがって、白い・・・のは、わかった、けど。見てない、から」
だから大丈夫だ―――と。真剣な顔でフォローする小狼に、羞恥は限界を迎えた。
太陽が沈んで星が輝き始めた空に、さくらの悲鳴が響き渡った。








「さくら・・・大丈夫か?」
帰り道。小狼は、何度目かの優しい言葉をかける。その言葉に、少々疲れた笑顔で頷いた。
さくらの心がやっと落ち着いて帰路に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。送っていく、という小狼の言葉に、さくらは素直に頷いた。
「ごめんなさい。小狼くん。私、動揺して・・・」
(うぅ。どうしてあんな事言っちゃったんだろう。恥ずかしい・・・)
「い、いや。俺も・・・動揺して。乱暴な事して、ごめん」
反省する小狼に、さくらは慌てて隣を向いて、言った。
「ううん!びっくりしたけど・・・嫌とかじゃ、なかったよ?」
「!!・・・本当か?」
「うん。ちょっと苦しくて、焦っちゃったけど。小狼くんいつもよりも強引で・・・ドキドキ、しちゃった」
言いながら、さくらの顔に熱が集まる。
俯くさくらを見つめ、小狼は切なげに眉を顰める。伸ばしそうになった手をぐっ、と握りしめた。頬を赤らめ、さくらに分からないように溜息をつく。
そんな小狼に気付かぬまま、さくらは「そういえば」と問いかけた。
「小狼くん、今日はどうして練習を見に来たの?」
「・・・え?」
「いつもは図書室で待っててくれるのに。今日は、どうしてかなって」
無邪気に問いかけるさくらに、小狼は眉を顰めて黙り込んだ。その脳裏に、偶然聞いた会話が蘇る。
―――『チアリーディング部の、木之本さくらちゃん。すごく可愛いんだよな』
―――『俺も練習見にいこうかな』
何気ない男子生徒の会話の中に、その名前が出てきた時。小狼は考える間もなく、グラウンドに向かった。
ざわざわと波打つ心。その感情の名を覚える前に、小狼は身をもって知る事となった。
「・・・内緒」
ぽつりと落ちた小狼の言葉に、さくらは瞬いた。


まだ知らない。だけど、確実に大きさを増していく。想う気持ちは二人の距離を近づけて、離れがたくさせる。
(もっと)
(もっと・・・)
―――もっと、あなたを知りたい。

 

 

 

 

END

 

 

 


2018.4.27 了


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