それは甘い20題

 

10. ひざまくら

 

 

 

 

 

―――どうして、こんな事になったのか。
がちがちに緊張した手足。口から飛び出してしまいそうな程に暴れる心臓。どこに目線を合わせても、この動揺が治まる気がしない。彷徨う視線をとらえるみたいに、彼女がこちらを見て笑った。
いつもと違う状況が、あらぬ衝動を与えてしまいそうで。小狼は即座に起き上がろうとしたが、可愛らしい制止の声に阻まれる。
「・・・だめっ!まだ寝てなきゃ!」
「で、でも。さくら、重いだろ?」
「だいじょうぶ!私の膝じゃ寝心地悪いだろうけど・・・もう少し、こうしてて?ね、小狼くん」
木漏れ日を背負って優しく笑うから、まるで聖母か天使かのように見える。いつも以上に逆らえない。小狼は観念すると、さくらの膝の上に頭を置いて、照れくさそうに目を伏せた。
格好悪い。情けない。どうして、こんな事になったのか。
それは、少し前の時間に遡る。








この季節にしては、暑い日だった。天気予報のキャスターが伝えたとおり、昼前から気温がぐんぐんあがって、汗ばむほどの陽気になった。
小狼とさくらは、近くの公園に来ていた。さくらが持ってきたお弁当と、小狼が持ってきたデザートをレジャーシートの上に広げて、二人で食べた。大きな木の下で、時折ふく涼しい風に汗を冷やされながら、二人はピクニックを楽しんだ。
「これ、持ってきたんだ!あとでやろ?」
さくらが持ってきたのは、バドミントンだった。やけに荷物が多いな、と思っていたら。小狼が了承すると、さくらは少しだけ恥ずかしそうに言った。
「この間の球技大会で小狼くんと秋穂ちゃんが頑張っているのを見たから・・・私もやりたくなったの」
「ああ。詩之本と・・・結構手強い相手だったな。つい本気になってた」
基本的に、「女の子には優しくするように」と、実姉から口うるさく言われて育った。勝負事に手を抜く事はしないが、相手が女子だと無意識に手加減してしまう癖はついている。だが、先日の球技大会は相手も本気で向かって来たので、小狼も汗だくになって応戦していた。
「小狼くん!私にも、手加減しちゃだめだよっ」
さくらはラケットを手に、前のめりになってそう言った。その瞳には闘志の炎が見えて、小狼は若干気圧されながらも頷く。
(・・・まぁ、最初から。俺は、さくらには手加減一切なしだったしな)
在りし日の事を思い出して、小狼は複雑な笑みを浮かべる。
初めて会った時にはカードを集める『ライバル』で、絶対に負けるものかと思った。同じ魔力を持つ者としてはあまりに頼りなく、彼女一人に任せておけないという使命感でいっぱいだった。
その先入観と思い込みのせいで、相手の真をしっかりと見なかった。判断を見誤っていたと気づくのは、少し後の事。
(頼りないなんて、なんで思ったんだ。さくらは、誰よりも強くて優しい。いつの間にか、俺の方が助けられてた)
位置に着くと、小狼はラケットの上に羽根を転がす。離れたところでラケットを構えるさくらを見つめ、小狼は笑みを消した。宙に浮かせた羽根を、最初は軽く打ちこむ。
「はいっ」
さくらは難なくそれを拾い、且つ際どいところに打ち込んできた。体の向きから方向を予測していた小狼も、素早く動き羽根を拾う。そしてさくらがそれをまた打ち返し、羽根は青空に高く打ちあがった。小狼はぐっ、と地面を踏みしめて、高く飛ぶ。ラケットを振り上げ、高い位置から鋭い一撃を落とした。
「ほえぇ~」
さくらはその高速スマッシュにあと一歩追いつけず、悔しそうに声を漏らした。しかし闘志の炎は衰えるどころか、更に燃え上がる。小狼もまた、その熱を受けて笑う。額に浮かんだ汗を軽く拭うと、再び構えた。
―――二人の本気の打ち合いが続くこと、20分少々。小狼が羽根を落とし、さくらは嬉しそうに飛び上がった。
「わーい!小狼くんから三点取ったよぉ~!これで同点!」
「はぁ・・・。くそ、あともう少しだったのに」
本気で喜ぶさくらと、本気で悔しがる小狼。二人の熱い戦いに惹かれて、公園にやってきた家族連れやカップルが、拍手を送る。
他の人に見られているとは思っていなかった二人は、途端に我に返り、かぁぁ、と真っ赤になった。
「ちょ、ちょっと休憩しよう。水分補給だ」
「うん!そうしよう!」
二人がレジャーシートに戻ったことで、その場にとどまっていた観客達も散っていった。さくらはホッと息をついて、持ってきた水筒の中に入っているレモネードを、紙コップに注いで小狼に渡した。
「千春ちゃんに教えてもらって作ったんだ。どう?」
「・・・美味しい。さっぱりしてて、ちょうどいい甘さだ」
「ほんと?よかったぁ!」
さくらは笑って、自分も飲んだ。やはり喉が渇いていたのだろう。コップの中身はすぐに無くなって、更に注ぐ。
かなり激しい運動をしたので、今になって汗が噴き出す。小狼は鞄からタオルを取り出すと、流れる汗をぬぐった。隣にいるさくらも同じように汗を拭いて、ぱたぱたと手で顔を仰いだ。
「暑いね。今日、夏みたい」
「天気予報があたったな。しばらく、ここで涼もう」
「うん。・・・ごめん、小狼くん。私、脱いでもいいかな?」
「ああ。・・・・・えっ!?」
レモネードを飲みながら、深く考えずに返事をした。小狼は遅れてさくらの言葉に焦り、むせそうになる。寸でで堪えたが、隣で上着を脱ぎだしたさくらを見て、酷く動揺した。
白い薄手のカーディガンを脱いで、半そでのTシャツになる。さくらは気持ちよさそうに目を閉じて、はー、と息を吐いた。その隣で、小狼は顔を赤くする。
(ふ、不意打ちで・・・。落ち着け。夏になったら見慣れる)
そう。夏になれば制服も半そでになるし、もっと薄着になる事もある。だが、久しぶりに見る白い肌に、動揺は隠しきれない。なのに、その眩しい肌から目が離せないのだ。
どくん、どくん。激しく運動をした時よりも、ずっと速いリズムで鼓動が刻まれる。
「今日暑くなるって言ってたから、脱いでも大丈夫なように着てきたんだ。小狼くんは、暑くない?」
「だっ・・・、大丈夫だ。俺の事は、気にするな」
「でも、顔赤いよ!もしかして熱中症・・・」
さくらの顔が心配そうに歪んで、こちらへと手が伸ばされる。その際に、袖の隙間から無防備な腋が覗いて―――小狼の顔に更に熱が集まった。
「・・・あっ!」
「え?」
さくらの顔が青くなる。小狼は、最初自分に何が起こったのかわからなかった。
さくらはポケットからハンカチを取り出すと、小狼の鼻に当てた。もう片方の手で額に触れると、呆然とする小狼へと言った。
「大変!鼻血が・・・!」
「え・・・!?」
「待って、動いちゃダメっ!」
あまりの事に動揺して、固まる。その間にもさくらはテキパキと処置をしてくれて、気付いた時には―――彼女の膝の上に頭を乗せられ、レジャーシートの上で体を横たえていた。








(・・・鍛錬が足りない証拠だ)
この暑い気候のせいなのか、それとも思わぬ眩しい肌にやられたからか。理由はどうであれ、情けない事には変わりない。さくらの前で醜態を晒し、心配までかけてしまった。
しかも、今の状態がまた良くない。さくらはショートパンツにニーハイソックスという動きやすい恰好で、ちょうど小狼が頭を置いている辺りが、やわらかな太ももなのだ。心臓に悪すぎる。意識すると、また血が逆流しそうで。
小狼は必死で、意識を別の方に向けた。
色々と耐えているせいで、表情が苦悶に歪む。それを見たさくらが、苦しいのかと勘違いして、濡れたハンカチで鼻の頭を冷やしてくれる。ますます情けない。
「さくら、ごめん。せっかく、楽しみにしてたのに」
「どうして謝るの?お弁当一緒に食べられて嬉しかったし、バドミントンも楽しかったよ?」
「でも・・・ハンカチも汚したし、今だって」
「ハンカチは洗えば綺麗になるし、今だって全然嫌じゃないよ!それより、小狼くんの血がすぐに止まってよかった」
それが心からの言葉だと分かるから、小狼の胸中はますます複雑になる。自己嫌悪に陥りそうになると、さくらの掌が小狼の前髪を払って、額を優しく撫でた。
風が、木々を揺らし、二人の髪も揺らす。こちらを見て微笑むさくらの顔を、小狼は見つめた。
「えへへ。小狼くんが私のお膝で甘えてくれるなんて、きっと滅多にない事だから・・・すごく、嬉しいの。いつも、私が甘えてばかりだから」
「っ!」
「たまにでいいから、さくらにも甘えてね」
小狼は、思わず自分の鼻を抑えた。幸いにも鼻血は出ていないようだけど、どうしようもないくらいに照れる。
恥ずかしくて、情けなくて、最高に格好悪いのに。―――それが嬉しいと、さくらは笑う。
(・・・敵うわけ、ない)




「あっ、でも。寝心地悪いとか、態勢が辛かったら言ってね?」
「・・・全然。世界一、贅沢な枕だと思う」
「!?!ほえぇ・・・!?」
少しだけ素直になって、正直な気持ちを言ったら、さくらの顔も真っ赤になった。小狼はそれを見て笑うと、下から手を伸ばし、さくらの頬を撫でた。
「もう少しだけ、こうしてていい?」
問いかけると、さくらの表情が綻んで、花開くように笑う。
幸福感で満たされた二人だけのピクニックは、日が沈むまでのんびりと続くのだった。

 

 

 

END

 

 

 


2018.4.15 了


気に入っていただけたら、ポチリとどうぞ!

 

戻る