それは甘い20題

 

05. 不意打ち

 

 

 

 

 

「・・・ひゃあっ!!」
落ちてくるバトンを取り損ねて、さくらの体はバランスを崩して傾いた。転びそうになったところを、隣で演技をしていた千春が慌てて支える。
土の上に転がったバトンを見下ろして、さくらは悲しそうに眉を下げた。
「どうしたの?木之本さん。いつものあなたなら、こんなミスはしないのに」
「ごめんなさい・・・」
「どこか集中出来ていないみたいね。そういう時は大抵、怪我をしてしまうの。少し休んでていいから、頭を切り替えてきてね」
先生は厳しくは叱らなかった。集中出来ていない、というのは、まさにその通りで。さくらは、自己嫌悪に涙ぐむ。千春に肩を叩かれ、さくらは力なく笑顔を返す。
木陰へと移動して、他の生徒達が手拍子に合わせて練習するのを、ぼんやりと見つめる。
風に揺らされた木々が、さわさわと音を立てる。今日は、少しだけ気温が高い。汗ばんだ額を、風が撫でるようにふいた。
さくらは膝を抱いて、そこに顔を埋めた。
集中できない理由。それは。
(小狼くんとうまく話せない。私が避けちゃってたの、わかったかな。はぅぅ、どうしよう・・・。どうすればいいんだろう)
昨日の早朝。小狼の教室で、二人は初めて、『キス』をした。
一瞬だけ、唇を掠めただけだったけれど。それでも、触れた事には変わらない。あれから意識してしまって、みんなと一緒にお昼ご飯を食べた時も、下校の時も、なんとなく小狼を避けてしまった。
顔を見たら、思い出してしまいそうで。思い出したら、冷静ではいられなくなる気がして。不自然なほどに、避けてしまった。そして今、それを後悔している。
さくらは浮かんだ涙を、膝に埋めた。―――嬉しかったのに。恥ずかしいけれど、幸せだったのに。このままじゃ、小狼に誤解されてしまう。
「どうしたらいいんだろう・・・」
ぽつりと呟いたさくらの声は、チアリーディング部の賑やかな声にかき消された。








「おつかれ、さくらちゃん!」
「おつかれさま、千春ちゃん。今日、ごめんね。ありがとう」
「ううん!気にしないで。そういう日もあるよ。明日、またね!」
ぼんやりと着替えていたら、部室には自分しかいなくなっていた。千春は気をつかって、「一緒に帰る?」と誘ってくれたけれど、さくらは笑顔でその申し出を断った。相談したい気持ちもあったけれど、自分の中で定まっていない事をどう説明すればいいかわからなかった。
千春は多くを聞かず、わかったよ、と言っていつもの笑顔を向けてくれた。さくらの心が、少しだけ軽くなる。
最後に部室を出て、戸締りをして鍵を返しに行く。人気のない昇降口で靴を履き替えながら、さくらは再び溜息を零した。
その時。
「さくら」
名前を呼ばれて、心臓が止まるかと思うくらいに驚いた。だって、この声は。間違える筈もない。
昨日から、避けてしまっていた人。だけど。その姿を見たら、無意識に走り出していた。逆光で暗くなっていた顔が、近づくとよく見えた。さくらは、暴れ出す心臓を抑え、小狼を見上げた。
「小狼くん。どうしたの?」
「そろそろ終わるころかなと思って、待ってた。さくらを」
小狼は直球にそう言った。向ける視線も、言葉も。偽りなく、さくらへと向かう。その事を嬉しいと思うのと同時に、居た堪れない気持ちになった。昨日からの自分の態度を、責められているようで。
(ち、違うよ。小狼くんは、そんな事しない。・・・でも。避けてた事、気付いてるよね)
罪悪感と不安が一気に押し寄せる。それに加えて、つい昨日、触れたばかりの唇に目が行ってしまって、さくらの顔が一気に赤く染まった。一瞬で頭が真っ白になって、わかりやすく顔を逸らす。
その瞬間。小狼が、むっ、と僅かに眉根を顰めた。しかしさくらは気づかない。
(あぁぁ~~~!私、またやっちゃったよぉ・・・!)
もう、小狼の方は怖くて見れなかった。さくらはギクシャクとした動きで、そのまま歩き出す。
「か、帰ろう!小狼くん。日が暮れちゃう!」
「・・・うん」
少しだけ沈んだ小狼の声に、気付かないわけじゃない。さくらはますます自己嫌悪になった。ただただ申し訳なくて、謝りたい。だけど、面と向かって話せる自信がないのだ。ドキドキして、自分を制御できない。
「今日は、少し遠回りしていかないか?送っていくから」
「ほ、ほぇ?えっと・・・」
「今日、何か用事あるか?食事当番?」
「ううん。今日はお父さんがいるから、大丈夫・・・。あまり遅くならなければ」
さくらの返答に、小狼は嬉しそうに笑って頷いた。その顔を見て、さくらの動悸が早くなる。
どこに行くのかは特に言わずに、小狼は歩き出した。さくらも戸惑いながら、その背中を追いかける。なんとなく、隣に並ぶのを躊躇って、少し後ろを歩いた。
いつもよりも、少しだけ遠い。
さくらは、前を歩く小狼を見つめた。ふわふわとした髪の毛が、夕陽に当たって金色に見えた。伸びた背筋や、耳。きっちりとした襟元、大きな掌。いくらでも、見ていられる気がした。
さくらの胸が、きゅん、と鳴る。
(近づきたい。・・・今なら、言えるかな)
ちゃんと、自分の気持ちを伝えたい。ぐるぐるして、答えが出ない事も含めて、小狼に知ってもらいたい。そう思うと、途端に緊張した。
小狼は目的もなく、いつもより遠回りをして歩いた。他愛ない話をしながら、時折さくらの方を振り返る。何かを言おうとして、口を閉じる。そしてまた、雑談を始める。その繰り返しだった。
もうすぐ、日が沈む。
小狼の足は、木之本家の方向へと歩き始めていた。家に着くまでに、話をしたい。少しだけ焦る気持ちが、歩調を速める。声をかけるタイミングを見計らっていたさくらだったが、その時、小狼の足が止まった。
「あれ、さくらが好きなやつじゃないか?」
「・・・え?」
「あそこの店の、店頭に並んでる。籠にいっぱい入ってる、あれ」
小狼の指さす方向には、小さなコーヒーショップがあった。その店頭には、コーヒー豆とセットになった、小さな可愛いテディベアがあった。店頭に積まれているそれを見て、さくらの顔が自然と笑顔になった。
小狼も笑って、二人の足はコーヒーショップへと向かった。
「可愛い!あっ、これ、見た事ないやつだ!新作かな?どうしよう、どれも可愛い」
「いっぱい種類があるな」
「うぅ、欲しいけど迷っちゃう・・・」
「さくら。これは?」
小狼が、手元にあるテディベアを指した。籠の奥の方に入っていたので、さくらは必然的に体を寄せる。「どれ?」と、無邪気に覗き込んだ、瞬間。


「―――ん。・・・?」

さくらは、目を見開いたまま固まった。
視界が、小狼の顔で埋まる。吐息は、唇の中に閉じ込められて。やわらかな感触は、数秒間続いたあと、静かに離れた。
今度は、一瞬じゃなかった。完全なる不意打ちだ。さくらは、籠の中を覗き込んだ態勢のまま、硬直した。顔は林檎のように真っ赤で、視線は目の前にいる小狼に固定されたまま動かない。
小狼は、どこか拗ねた顔で言った。
「・・・引っ掛かった」
「しゃ、しゃお、しゃおらん、くん・・・?あれ?え??」
「さくらが避けるから。俺から、逃げるから。・・・くまで、釣った。ごめん」
「―――!?!」
小狼の発言に、さくらはやっと、今の状況を把握する。ここがどこなのかも。小狼が、何をしたのかも。今、自分達が―――二度目のキスをしたことも。
「こんな場所で、その、するつもりはなかったんだ。でも、喜んでるさくらが可愛くて・・・体が勝手に動いてた。言い訳になるけど。ごめん」
小狼も今更になって自分の行動を省みたらしく、その顔はさくらに負けず劣らずの真っ赤に染まっていた。夕陽のせいだと誤魔化すことは出来ない。既に太陽は西の空に沈んで、星が瞬き始めていたから。
さくらは、真っ赤な顔で謝る小狼を見つめた。先程まであんなに欲しがっていたテディベアも、今は目に入らない。心臓は相変わらずうるさかったけれど、頭の中を巡っていた迷いは消えていた。
(どうしよう。私・・・)
こんなにも幸せな鼓動があるだろうか。触れた感触が、まだ残っている。『好き』だという気持ちが、伝わった気がした。
言葉よりももっと饒舌に、小狼の熱が教えてくれる。
(小狼くんが好き。大好き・・・。もっとたくさん、知りたい。・・・小狼くんと一緒に、知りたい)




「日が暮れちゃったな。今日はもう、帰ろう。さくら」
「・・・うん」
「お詫びに、今度これ、テディベアいくらでもプレゼントするから」
「ふふっ。大丈夫。怒ってないよ?」
「本当か?」
「うん・・・。怒って、ないよ?小狼くん」
にっこり笑うさくらに、小狼はホッとした表情を見せた。
新たに生まれたこの気持ちを、どうやって伝えよう。新たな悩みを抱えながらも、さくらの気持ちは浮かれていた。
このまま、夜空へと飛んでいけそうなくらいに。幸せな夜だった。


 

 


 

END

 


2018.3.27 了


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