それは甘い20題

 

03. 指先

 

 

 

 

 

もっと知りたい。もっと近づきたい。もっと―――触れたい。
日に日に成長していく感情は、誰かに言えるような軽いものではなくて。自分の中でなんとか抑えようと思っても、難しかった。
遠くからでも、姿を見つけられる。足が自然と動いて、彼女の元へと急ぐ。こちらに気付くと嬉しそうに笑った。その唇が『しゃ、お、ら、ん、く、ん』と、自分の名前の形に動くのが、たまらなく嬉しくて。
頬に触れると、白い肌が赤く染まって。他の誰も知らない表情を、自分だけに見せる。
(・・・なんでこんなに可愛いんだろう?)
日々募る想いと疑問。どの書物を調べても答えなんか出ないのは分かっている。―――そして、自分の中で変わりつつある気持ちも。
小狼は、こっそりと溜息をついた。しかし暗く落ち込んでいるわけではない事は、表情を見れば分かった。堪えきれない笑みを隠すように、口元を覆う。膝を立て、本を読んでいるふりをして、隣で必死に問題を解くさくらの顔を見つめた。
(また今度、は。いつになるんだろう・・・)








ここ一週間ほどで、二人の距離は急速に縮まっていた。
最初は、さくらの方から歩み寄って。『ぎゅー』という名のハグを、毎日のように繰り返すという、小狼にとっては信じがたい夢のような日常がやってきた。しかしそれは同時に、拷問とも言える、忍耐の日々でもあった。
さくらの匂いや体温、自分とは違うやわらかさをダイレクトに感じる。再会の時に抱き合った時は、そこまでの余裕はなかった。だけど、今は違う。さくらの体を抱きしめている間、ひたすらに煩悩と戦っている。
自分の腕の中に、大好きな女の子が自ら手を伸ばしてやってくるのだ。これほどの幸福はない。だけど我儘な心は、その先まで進みたいと願ってしまう。
抱きしめたさくらの体。お互いの背中に手を回して、隙間なくくっつく。鼻先をくすぐるやわらかな髪の毛から、甘いシャンプーの香りがした。
異性に抱き着かれるという経験は、従妹の苺鈴に子供の頃から慣らされていたと思ったけれど、全然だった。慣れてなんかいない。さくらの事に関しては、全てが初めてで驚くくらいに刺激的で、知らない自分の顔がいくつも見えた。
沸き上がる本能が、理性をぐらぐらと揺らす。さくらへと伸ばす手が、『もっと触れてみたい』と、まるで意思を持ったように動く。その度に可愛く反応するさくらに、心臓が激しく蠢いた。
―――そうして。おあずけにされたままの、約束。
小狼は、零れそうになった溜息を堪える。
あの日。自分から、次の一歩を踏み出した。目を閉じたさくらへと近づいて、まだ知らない場所―――やわらかそうな唇に、自分のそれを重ねる為に。
しかし直前で、邪魔が入ってしまった。
あの日から、さくらは『ぎゅー』のお願いをしなくなった。いつも通り一緒にいるけれど、意識しすぎてお互いに近づけなくなった。小狼は、自分の言動を後悔していた。
(なにが、『また今度』だ・・・。計画性もない。手順も考えていない。感情のままに口走って、さくらを困らせたかもしれない)
自己嫌悪に眉を顰める。小狼は、懸命に問題を解いているさくらの横顔を見て、心を落ち着ける。
少しだけ、急ぎすぎていたのかもしれない。初めての事に浮かれてしまった。距離が近付く事が嬉しくて、もっとと、欲張りになってしまったのかもしれない。
小狼は心の中で反省しつつ、横目でさくらを見つめた。それだけで、心がほわりとあたたかくなる。
求めるだけじゃなく、今ここにある幸福に感謝して、本来の恋を思い出そう。―――とりあえずは理性的に。煩悩を追い払って、自制しよう。―――小狼はそう心に決めた。
その時。問題に向かっていたさくらの目が、こちらを向いた。途端に、落ち着けた筈の心臓が面白いくらいに反応した。頬に、熱が集まる。
(だめだ、さくらの事ばかり考えてたから・・・っ)
わたわたと慌てて、手元の本をめくる。さくらは、そんな小狼の様子に首を傾げて、大きな瞳でじっと見つめた。
「小狼くん?どうしたの?」
「なんでもな、・・・っ!」
ぴり、と。痛みが走った。一瞬だけ歪められた小狼の表情に、さくらは気づいた。
「どうしたの!?」
「大丈夫だ。・・・少し、紙で切った」
迂闊だった。慌てた拍子に、いつもならしない失敗を、よりによってこのタイミングで。心配そうにするさくらに、「軽く切っただけだから」と、右手人差し指の先を見せた。
赤い一本線が、ぷくりと血の膨らみを作る。本当に、少しの傷。小狼は本を汚さないよう注意しながら、ポケットに入っているハンカチを取り出そうと動いた。
しかし、その時。突然に右手を取られた。驚いて隣に目を向けると、そこにあった光景に一瞬心臓が止まった。
自分の人差し指の先が、さくらの口の中に消えていた。躊躇いなく小狼の指先を口内に含み、先程負ったばかりの小さな傷を舌が辿る。
「・・・っ!?さくら、ま、待って」
「ん・・・っ」
ちゅう、と指を吸って、窄めた唇。伏せられた目と、長い睫毛。扇情的なさくらのその表情を見て、小狼は制御できないくらいに大きくなった己の本能を知る。こんなに、簡単に。崩される。
さくらは小狼の指先に、愛おしそうにキスをしてから、離れた。
真っ赤になって見つめる小狼に、さくらはハッと我に返る。
「ほええぇぇ―――!!!ごめんなさい・・・!!嫌だった?つい、いつもの癖で・・・っ」
動揺して赤面するさくらに、小狼は少しだけホッとする。
しかし、その言葉の中に聞き捨てならない部分があった。
「いつもの癖、って・・・!?さくらは、怪我した人の怪我した部分をいつもこうやって舐めてやるのか!?誰にでも!?」
「え?えっ!?なんで小狼くん怒ってるの?・・・やっぱり嫌だった?」
噛み合わない会話に、熱が入る。小狼は彷徨っていたさくらの手をぎゅっと握ると、顔を近づけて言った。
「怒ってないし、嫌じゃない!でも、俺以外にされるのは少し・・・嫌だ」
言っているうちに恥ずかしくなって、最後の方は声が小さくなる。さくらは遅れて意味を悟ったのか、今よりも更に頬を赤く染めて、小狼の手をぎゅっと握り返した。
「あ、あのね。うちの家族の癖なの。小さい時とかも、お兄ちゃんとかお父さんがこうやってくれて、だから私もうつっちゃったみたい」
「・・・そうなのか」
その言葉に安堵する小狼に、さくらは照れくさそうに笑って続けた。
「小狼くん以外の男の子に、こんな事しないよ。出来ないもん。・・・小狼くんだけ、だよ?」
「!!」
(~~~っ!その顔は、反則だ・・・っ)
大好きな女の子に、上目遣いで見つめられた上にそんな言葉を言われて、冷静でいられる男がいるだろうか。いや、あり得ない。少なくても、自分にとっては。
止まった血が、また溢れてしまいそうだ。全身の血が熱くなって、脳が沸騰する。小狼はもう片方の手でさくらの肩を掴み、熱っぽい瞳で見つめた。
「さくら・・・」
「小狼くん・・・」


「―――こほんっ」


突如響いた咳払いに、二人の体は硬直する。ぐぎぎ、と。鈍い音がなりそうな動きで、同じ方向へと向いた。
「ここは図書室です。皆さんが静かにお勉強や読書をするところですから、イチャイチャしたいのなら他所へお行きなさい!」
「は、はいぃ!」
「すいません!」
司書である女性の厳しい叱りの言葉に、小狼とさくらは慌てて荷物をまとめ、逃げるように図書室を出た。
周囲の生徒達が少しだけ残念そうに唸ったのを聞いて、司書の女性は眼鏡を光らせる。その瞬間、素知らぬ顔で皆読書へと戻った。




「・・・図書室だって事を、忘れてた」
「私も。周りに人がいるのについ癖でやっちゃった。ごめんね、小狼くん」
「いや。さくらが謝る事は何もない。それに・・・。おかげで、血が止まった」
そう言って、小狼は指先を見せた。さくらは少々恥ずかしそうにしながらも、笑顔で頷いた。
鞄からあるものを取り出すと、それを小狼の指先に巻いた。
「ありがとう、さくら」
「どういたしまして!」
無邪気に笑うさくらの手を、優しく取る。そうして、並んで歩き出した。
指先に巻かれた、ハートマークの絆創膏。
家に帰ったあともなかなか剥がせなくて、ふとした時に見ては、頬を緩ませるのだった。


 

 


 

END

 


2018.3.22 了


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