それは甘い20題

 

17. めまい

 

 

 

 

 

「な、奈緒子ちゃん。これって」
「あ。さくらちゃん、見つけちゃった?ふふ。ちょっと次の脚本の資料に貸してもらったんだけど」
「ほえぇ・・・」
「興味あるなら貸すよ~?」
奈緒子はいつもの笑顔でそう言った。さくらは心臓がばくばくと暴れて、まともに返事も出来なかった。手の中にある本に視線を向けるも、見てはいけない物を見ているような罪悪感にかられる。
興味がないと言ったら、嘘になる。けれど、少し怖い。複雑な想いを抱きながら、ページを捲った。


―――きっと、私が知らない事はいっぱいある。
これからたくさん知っていく『はじめて』は、ドキドキして緊張して、少し怖いけれど。それ以上に、もっと知りたいという気持ちが溢れる。
間違えていないかな。退屈していないかな。同じように、想ってくれているかな。―――期待と不安を行ったり来たりして、今日も心臓は忙しなく跳ねる。
(もっとたくさん、知りたい)








その日。午前中最後の授業が、担当教師の都合で自習になった。自主学習とは名ばかりで、生徒達はみんなお喋りに花を咲かせ、自由に過ごしていた。
知世や千春、秋穂と一緒に机を囲んでいたさくらだったが、ある事に思考を囚われ、友人達の話が全く頭に入ってこなかった。
このままの状態では、気になって何も出来ない。居ても立っても居られなくなって、さくらは席を立った。
「どうしたの?さくらちゃん」
「あ、あの。私、調べたい事があるの。図書室に行ってきてもいいかな?」
「それは大丈夫だと思いますが・・・何か急用ですか?」
「さくらさん。それなら私も手伝います。一緒に・・・」
「ううん!!個人的な事だから・・・!みんなはゆっくりしてて?じゃあ、行ってきます!」
3人の視線を振り切るようにして、さくらは教室を出た。他のクラスは授業中なので、音を立てないようにこっそりと廊下を進んだ。
(・・・調べたい事が『あんなコト』だなんて、秋穂ちゃん達には言えないよぅ)
さくらの顔に、熱が集まる。『その先』を考えて、自分に当てはめて想像すると、頭から湯気が出そうだ。脳みそが沸騰して、きっと溶けてしまう。それでも、考える事をやめられない。
図書室について扉を開けようとしたが、鍵が締まっていた。
「あちゃ・・・。そうだよね」
授業中の間は、図書室は施錠されている。司書も今は席を外しているようだ。
さくらは少し悩んだあと、小さく呪文を唱える。さくらカードの時の『錠』と同じ効力を持ったカードが、今のクリアカードにも存在した。
カチリ、と音が聞こえて、さくらは周囲を気にしながら入室した。
「どんな本を読めば、わかるんだろう・・・?」
さくらは、広い図書室の中を一人捜し歩いた。様々なジャンルに分けられた本棚の間を往復し、見つかりそうな場所を徹底的に探した。これはどうかな、これはどうだろう。一冊ずつ手に取って開いては、溜息と一緒に戻す。
どれくらいそうしていただろう。数冊目の本をぱらぱらと捲ったあと、さくらは深く溜息をついた。元あった場所に戻したあと、脱力する体を預けるように、本棚に寄りかかる。
「無い・・・。やっぱり、学校の図書室じゃわからないのかなぁ」
知りたい事があるのに、それを知る術を知らない。だからって、誰にも聞けない。
さくらは悩まし気に溜息をつくと、そろそろ戻らなければと足を向けた。
その時。
「何が知りたいんだ・・・?」
「ほぇ!?」
後方から声をかけられて、さくらは飛び上がった。声を聞いて、それが誰なのかすぐに分かる。今、一番見つかりたくない人―――。
「小狼くん!どうして?」
「どうしてって・・・。もう授業が終わって昼休みになってるぞ。大道寺達に聞いて呼びに来たんだ。何か、調べたい事があるって」
「う、うん。大丈夫、用事は済んだの!」
「何を調べてたんだ?」
「そんな、大した事じゃないよ!えへへ!」
無理矢理に作った笑顔を、小狼は真顔でじっと見つめる。これは、完全に嘘がばれている。さくらは心の中で大量の汗を流しながら、引き攣った笑顔を向けた。
「・・・・・」
小狼は無言のまま、さくらを本棚に押し付けるようにして、距離を詰める。さくらの心臓は面白いくらいに激しく動悸を打ち始めた。影がかかって、さくらは焦った。
(き、キス・・・?キスするの?)
ここが学校だとか、昼休みだから他の生徒が来るかもしれないとか。色々な考えが巡るけれど、冷静には考えられなかった。それよりも、今からされるかもしれない行為に、さくらの頭の中は占領された。
(ちゅって、するだけのキス?それとも・・・、大人の、キス・・・?)
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
ぐるぐると考えた末に、さくらは目を閉じた。
ぎ、と。小さく音がする。体重をかけられて、本棚が軋む。
至近距離に顔を寄せたその時、小狼の唇が動いた。
「魔法を使ってまで調べたい事が、大した事ないわけないだろ。それとも、俺には言えない事なのか?」
「・・・・・え?」
「さくら」
真剣な声で名前を呼ばれ、さくらは閉じていた瞼を開けた。
目の前には、渋い顔をした小狼がいて。その目は、疑いの色で染まっていた。―――とてもじゃないが、キスをするような雰囲気ではなかった。
(か、勘違い・・・っ、しちゃった)
その事に気付いた瞬間、さくらはとてつもない羞恥に襲われた。恥ずかしくて、居た堪れなくて、ここから消えてしまいたいとさえ思った。
しかし。小狼の力強い手に肩を掴まれ、さくらはハッとする。
「さくら?大丈夫か・・・!?何があった?」
きつく寄せられた眉根と、真っ直ぐに見つめてくる綺麗な瞳に、心臓が揺らされる。さくらは涙目を瞬かせたあと、きゅ、と唇を結んだ。
「さく、」
「―――・・・」
小狼の腕の中に飛び込んで、さくらは少しだけ背伸びをした。驚きに見開かれる小狼の瞳を見つめながら、そっと目を伏せる。
―――かつんっ
「・・・った」
「いたぁ・・・」
唇が重なるよりも先に歯が当たってしまった。痛みと、失敗してしまった恥ずかしさで、さくらは涙ぐんだ。
(恥ずかしい。失敗しちゃった、私、やっぱりダメだぁ)
自己嫌悪で凹むさくらの腰を、小狼が強く抱き寄せた。至近距離で見つめられ、唇に熱い吐息がかかる。
「さくら」
「小狼くん・・・?」
―――その時。
近づいてくる足音が聞こえた。
「李くん、どこいったの?急を要する大事な用事、終わった?・・・って、あれ?いない」
現れたのは、ひとつ上の学年の女子生徒だった。先程まで声がしていたから、このあたりにいると思っていたのに。そうボヤキながら、誰もいない空間から目を逸らす。女子生徒は怪訝そうに眉を顰めて、別の場所を探し始めた。
名前を呼ぶ声が遠ざかっていく。さくらは小狼に抱きしめられながら、それを聞いていた。
自分から仕掛けたキスは、いつの間にか小狼へと主導権が移って。小狼の手がさくらの細い腰を抱き寄せて、更に体が密着する。
二人は夢中でキスをしていた。―――『透過(ルシッド)』の魔法で閉ざされた、誰にも見えない空間で。触れるだけの甘い触れ合いが続いたあと、さくらは恥じらうように目を潤ませて、キスの合間に囁いた。
「小狼くん・・・あのね。教えて、ほしいの」
「え・・・?」
「大人のキス・・・。して?さくらに、もっと教えて・・・?」
「―――!」
眩暈がする。
はじめてを知る度、新しい扉が開く。小狼の手が優しく、時に強引に引っ張って、まだ見ぬ世界へと連れて行ってくれる。
(小狼くん、好き。大好き)
キスをする度に、想いは募っていく。軽く触れる甘いキスも、深く交わってとろとろになるキスも。抱きしめる腕も、触れる指先も。見つめる瞳の奥に灯る炎も、時折覗く、『男の子』の眼差しも。全部が、さくらの恋心を揺らして、加速させる。
もっと、知りたい。知りたい事がいっぱいある。はじめてが、まだたくさん待ってる。
この先に訪れるだろう、まだ知らない『なにか』も。
小狼がくれるものなら、小狼と一緒に知っていくものなら。心ごと全部、あげたい。
「・・・っ、さくら・・・」
「小狼くん、小狼くん」
「待って・・・、ダメだ、こんな・・・ごめん、」
止まらなくなる、と。
小狼は切羽詰まった表情で言うと、さくらを強く抱きしめた。耳元に熱い吐息を感じて、さくらの胸がキュンとする。
その頃には『透過(ルシッド)』の魔法は解けていたけれど、構わなかった。誰に見られても、怒られてもいい。今、こうして触れあっていたい。さくらは、そんな風に思っていた。
(私、イケナイ子になっちゃったのかも・・・)
ふわふわ、宙に浮いているみたいだ。知りたい気持ちに焦れて、恥ずかしくても求めて。イケナイことをしているのに、今こんなに幸せで仕方ない。
小狼は少し落ち着いたのか、さくらを抱きしめたまま深く息を吐いた。
そうして、さくらのこめかみにチュ、と音を立ててキスをする。くすぐったそうに笑うさくらを、じっと見て。小狼は、聞いた。
「・・・さくらの知りたかった事って、これか?」
改めて聞かれると、さすがに恥ずかしい。無言で顔を赤くするさくらを見れば、それが何よりの答えだった。小狼は、呆れるでも怒るでもなく、真剣な顔で考え込んだ。
さくらは、慌てて弁解する。
「あのね。奈緒子ちゃんに、雑誌を見せてもらったの。そこに、その・・・恋人との、アレとかコレとか、そういうのが書いてあって。ドキドキしてちゃんと読めなかったんだけど、あとから凄く気になって」
「・・・それを、図書室で調べようとしたのか?」
「うん。小狼くんと・・・キスとか、たくさんするようになったでしょ?でも、私は知らない事ばかりで。小狼くんがくれるばかりで。甘えてるかなって・・・。もしも失敗して、小狼くんをがっかりさせたくなくて・・・」
言いながら、さくらの顔が真っ赤に染まる。見ると、小狼の顔も赤くなっていた。しばしの無言のあと、小狼は少々歯切れ悪く、さくらに言った。
「―――・・・」
その言葉に。さくらの熱が、ぐんと上がった。




「あ!李くん、いた。用事終わったの?」
珍しく動揺を見せる小狼に、現れた上級生は首を傾げる。
「・・・ん?その子・・・?大丈夫?顔が随分赤いけど」
「いや、その。これは」
「熱があるんじゃない?」
「―――え?」
小狼は、自分の腕の中でくったりとしているさくらの額に、手を当てた。
「本当だ、熱い・・・!さくら、熱があったのか?保健室・・・っ」
動揺する小狼の声を、意識の隅で聞きながら。さくらは目を閉じて、先程聞いた言葉を繰り返し反芻していた。
―――『俺も、知らない事ばかりだ。・・・でも、さくらと一緒なら。大丈夫だって思うんだ。だから・・・知りたい事は俺に聞いて。なんでも、聞いてくれ』

(ふわふわする。小狼くんの匂い、幸せ・・・)
幸せな眩暈に心は揺れて、さくらはそのまま深い眠りへと落ちて行った。

 

 

 

END

 

 

 


2018.5.18 了


気に入っていただけたら、ポチリとどうぞ!

 

戻る