※捏造設定が多めです。


 

 

 


 

 


我に与えよ
強大な魔力を
永遠の命を
若く美しい身体を

我に与えよ



鈍く光を反射するその鏡が、次に映し出す者は―――。

 

 

 

 

名もなき世界 【前編】

 

 

 

 

「・・・まだ怒ってるぅ」
「あれはさくらが悪い」
「でも、相手は好意で言ってくれてたよ?」
「その好意がダメなんだっていい加減わかれ」
仏頂面で眉をひそめる小狼に、さくらも頬を膨らませる。
今日はテスト最終日で学校は昼で終わり、せっかくだから遊んでいこうという話になって、制服のまま寄り道をした。途中まではただ楽しくて、テストが終わった解放感と、久しぶりに小狼と二人で出掛けているという状況に、浮かれていた。しかし。
小狼の携帯電話に仕事の電話がかかってきて、仕方なくさくらは一人で時間をつぶしていた。
その時、一人の男の人に声をかけられた。
「だから、ね?あの人は、道を聞いてきただけなんだよ!」
「近くに交番があるのに?」
「それも知らなかっただけかもしれないでしょ?普通にいい人だったよ!」
「お前の『普通にいい人』の範囲は広すぎる。警戒心を持て。よく知らない奴に、名前も連絡先も教えるな」
「だって、お礼がしたいって言うから」
「お前も魔術を使う者なら、名前を明かす事のリスクくらい考えろ!」
「い、今、それ関係ある!?」
くどくどと説教されて、さくらは思わずそう言った。
小狼は眼光を鋭くして、ぎろりと睨む。およそ、恋人に対するものとは思えない冷たい視線だ。
「・・・さくら」
「わかったよぅ。ごめんなさい」
さくらは、渋々と謝った。
結局、名前と連絡先を教えてほしいと言う、自称『迷い人』の男は。小狼が声をかけると、引きつった笑みを浮かべて逃げるように去っていった。
それからが大変だった。誤解しているであろう小狼に、事の次第を説明したさくらだったが、ますます怒られる羽目になった。
さくらは小狼を『過保護』だと言い、小狼はさくらを『警戒心がない』と怒った。
一時、険悪になりそうな空気になったが、さくらは素直に謝った。小狼と喧嘩はしたくない。
(でも、そんなに怒らなくてもいいのにな)
小狼が怒るのには、ちゃんと理由がある。自分を心配してくれているのだとわかるけれど、あまり過保護にされると、少し悔しい。
もっと頼りにされたい。一人でなんでも出来て、自立していて。小狼に褒められるくらいに、しっかりした女の子になりたいのに。
へにょりと、表情も頭頂部の髪も元気がなくなったさくらを見て、小狼も眉を下げる。ごほん、と咳払いをして、言った。
「あ、・・・あー。さくら。どこか、寄っていくか?」
「ほぇ?」
「まだ夕飯までは時間があるだろ。こっちの方に来ること、あんまり無いし」
小狼の提案に、沈んでいたさくらの心も浮上する。うん!と笑って返事をすると、小狼も安堵の笑みを浮かべた。









平日の午後だからか、街はいつもより人が少なかった。街を歩きながら、途中アイスクリームを買って食べたり、雑貨屋さんを梯子したりした。
店が立ち並んだ辺りから離れて、いい天気だから二人でおしゃべりをしながら歩いていた。
すると。静かな住宅街に入って、さらに歩いていくと、少し寂しい場所にでた。
建物はあるけれど、人の気配がない。ヨーロッパを思わせるおしゃれな建物だが、古く年季が入っていて、寂れた雰囲気だった。
「ここ、何かの施設だったのかな?」
「今は使われていないようだ。随分と古い建物だな・・・」
剥げたペンキでかかれた文字を、小狼は興味深そうに見つめた。さくらはなんだか怖くて、早く通りすぎてしまいたかった。日も傾きはじめて、辺りは途端に薄暗くなる。
その時。灯りがついている建物を見つけた。
「あれ?あそこにあるの、お店かな?」
「覗いてみるか」
小狼の言葉に、さくらは頷いた。
少し怖い気持ちもあったけれど、なんだかわくわくする気持ちもあった。知らない道を進んで、知らない店を見つけて、何があるのかと探る。まるで、冒険者のように。
さくらは自分の思考に少し照れながら、小狼の手をぎゅっと握った。
古い建物に看板はなく、しかし開け放ったガラス戸の向こうには、商品と思われるものがたくさん並んでいた。古い家具や本、怪しげな彫刻や壺。所狭しと並べられたそれらを見て、小狼が子供のように目を輝かせたのを、さくらは見た。
「骨董品屋みたいだな」
「少し、見ていこうか?」
「いいのか?さくら、あんまり興味ないだろ?」
「そんなことないよぉ」
さくらが笑って言うと、小狼は「じゃあ少しだけ」と言って、店の中に足を踏み入れた。
しん、と静まり返った店内に、ごめんくださいと声をかけても、誰も応答しなかった。
「誰もいないみたいだ」
「あ、でも。ご自由に見てくださいって。これ、書いてあるね」
入り口の棚に、筆で書かれた文面があった。元は白かっただろうその紙が、埃と劣化で黒ずんでいる。なんとも異様な雰囲気だった。
(な、なんかホラー・・・。だ、だめだめ!そんな事考えると、ますます怖くなっちゃう~!!)
さくらの心の中を読んだかのように、小狼は苦笑して言った。
「やっぱりやめとくか。日も暮れてきたし」
「・・・!へ、平気だよ!少しだけ!見よ!私も見たいし!」
怖がっていると思われるのがなんだか恥ずかしくて、さくらは小狼の手を引いて店の奥へと進んだ。
「随分と古いものが多い。中世ヨーロッパから、清の時代のものもある。まあ、レプリカが殆どみたいだが」
「そ、そうなんだ・・・?あ、変なお面・・・」
「それは古代エジプトのファラオに似てるな」
「ほえぇっ!蛇!」
「落ち着けさくら、本物じゃない」
しかし薄闇の中で見ると妙に迫力がある。こちらに牙を剥く蛇のリアルな顔に、さくらはふるりと体を震わせた。
その時。キラリと光るものを見つけて、さくらはおもむろに手を伸ばした。
磨りガラスから入り込んだ茜色の光。それを反射していたのは、古い手鏡だった。背面には繊細な彫刻がされていた。何かの魔方陣のように見えたが、それが何かはわからない。さくらが手にとった鏡を、小狼は訝しげに見つめた。
「なんだか、不思議な鏡だな」
「うん・・・」
古びた鏡の中には、寄り添う小狼とさくらの姿がある。
しかし、次の瞬間。
鏡の中のさくらの姿がゆらりと揺れて、輪郭が溶けるように崩れた。
「ほぇぇぇぇ―――!?」
「さくら!!鏡を離せ!!」
「小狼くんっ!ダメ、手から離れないの!!」
それどころか、体は自分の意思に反して鏡を強く握りしめる。怖くて目を逸らしたいのに、出来ない。
「見るな・・・っ!!」
小狼はさくらの背後から手を回し、両目を塞いだ。鏡に手をかけて、自分の方へと向ける。
光が強くなり、鏡に映る姿はさくらから小狼へと変わった。
「・・・っ!?くそ、なんだこの術は・・・!!」
「小狼くん!小狼くんっ!」
「さくら、逃げ、・・・」



――――――



床が軋む音が、小さく耳に聞こえた。
それを境に、さくらの視界を覆っていたものはなくなった。
薄暗い店内と、光を無くした鏡。
先程まですぐ傍にあった、息遣いや声、気配が無い。
―――小狼の姿が、どこにも無かった。
「え・・・?しゃおらん、くん・・・?どこ?」
さくらは顔面蒼白になって、呆然と呟いた。答える声はない。抱き締めてくれる手もない。笑う顔も、どこにもいない。
窓から差し込む夕日が完全に閉ざされて、さくらがいる場所は真っ暗になった。闇の中、さくらは鏡の中に映る自分の姿を見つめる。
なぜ小狼は消えたのか、どこに行ったのか。何もわからない。だけど、さくらには確信があった。
鏡をぎゅっと握りしめて、口を開いた。
「・・・かえして。小狼くんを、返して・・・!!」
両目から涙が溢れた。頬を伝って落ちたそれは、鏡の上で跳ねた。
「それが出来ないなら、私も連れていって!・・・小狼くんのところに、連れていって!!・・・おねがい」
震える手で鏡を持ち、さくらは祈るように目を閉じた。
その時。
声が、聞こえた。
―――我に、与えよ―――
「・・・っ!?」
鏡の中の自分が、ゆらりと揺れて。輪郭が溶ける。先程と同じだ。抗えない強い力が、さくらの全身を取り巻いた。
(小狼くん・・・っ!)


カラン、と音が響いた。
古びた鏡は棚の上に落ちて、何事もなかったかのように沈黙した。











回転するタイヤの音と、ガタガタと揺れる音。体が痛いなと、さくらは思った。次の瞬間、大きな衝撃が伝わって、あまりの痛みに両目が開いた。
目を開けた筈なのに、何も見えない。そこは闇だった。
(え!?ここ、どこ!?せ、狭い!身動き取れない・・・!口も、塞がれて)
どうやら縛られているようだ。口も何かが巻かれていて開かない。声だけなら出せそうだが、思い止まる。状況がわからない今、不用意に動くのは危険だ。
(うぅ、腰が痛い。背中も・・・!あと、頭がぐるぐるしてる)
ガラガラガラガラ・・・
「・・・だ、あれは・・・・・・神官様に・・・」
タイヤの音に紛れて、人の声がした。少しずつだが目が慣れてきて、さくらは自分が箱のようなものに入れられているのだとわかった。音から予想するに、箱にはタイヤがついていて、どこかに運ばれている。
やがて、音は止まった。
ごくりと、喉が動く。さくらは緊張と恐怖で震えそうな己を心の中で叱咤する。
(小狼くん・・・!)
箱が揺れて、突然に眩しい光に照らされた。暗闇からの落差に痛みを感じて、さくらはぎゅっと目を閉じた。
四方八方から、歓声と拍手が聞こえる。
さくらは、自分の目の前に広がる光景に動揺する。
(この人達、誰?こんなにたくさん・・・!みんな、こっちを見てる)
ぐるりと周りを囲んだ柵の向こうには、たくさんの人がいた。老若男女様々だったが、みんな昔の中国のような装いをしている。
箱の四方が開いて、まるでまな板の上の魚のように、さくらの体が横たわっていた。手首と足首はそれぞれ縛られ、口許も布で縛られている。
さくらは明るいところで自分の体を見下ろした。制服は随分と汚れてしまっていたけれど、封印の鍵は首もとにかかっていた。
だけど。持っていた鞄が見当たらない。
(鞄には、カードが入ってたのに。どうしよう!カードがないと、魔法が使えない・・・!)
歓声と拍手で騒然としていたその場に、よく通る声が響いた。
「静粛に。静粛に願います。皆さん、準備はよろしいですか?今日は久しぶりに上玉の『贈り物』です」
現れた小男は、よく回る口を笑みの形に歪めて、さくらの傍へとやってきた。やはり中華風の服を着ている。
なのに、言葉がわかる。さくらは、違和感を感じた。
小男は怯えるさくらを嫌な笑みで見つめると、何を思ったのか、スカートをぺろりと捲った。
「んんん~~~っっ!!」
(やっ、やだ!スカート!パンツ見えちゃう!)
なんとか逃げようともがくが、奥から出てきたマスク姿の人間達に取り押さえられる。そのまま無理矢理に体を起こされる。
さくらがいる場所は小上がりのように高い場所になっていた。柵の向こうにいる人間は食事をしながら、楽しそうにこちらを見ている。
「よくご覧ください。このおかしな格好と髪の色。異世界からの贈り物である事は明確でしょう」
男の言葉に、拍手が送られる。「早く進めろ」という野次も飛んだ。
「では、開始します。3000から」
男が高らかに宣言した途端、柵の向こうにいる人間が次々に手をあげた。よく見ると、指の形がそれぞれ違う。人差し指と中指を絡ませていたり、親指を立てていたり。
それを見て、さくらの傍らにいる小男はどんどん新しい数字をコールしていく。
「6000、12000、13000・・・、20000!22000!」
(何・・・?こういうの、何かで見たことある)
あれは、映画だっただろうか。ステージ上に出されたのは、骨董品や絵画で。それを求める人達が、どんどん値をつり上げていく。
(・・・オークション?私、オークションにかけられているの?)
絶望に、さぁっ、と血が引く。
知らない場所で、知らない人達に囲まれて、値段をつけられている。
「・・・40000!?40000が出ました!!さぁ、これ以上は無いか!?」
最後に手をあげた男が、笑った。髭が伸びている割にてっぺんの髪は些か寂しい、小太りの中年男だった。男は髭を撫でながら、にやぁと嫌な笑顔でさくらを見つめる。
それを見て、ぞっ、と全身に鳥肌がたった。
手をあげる者はいない。男は勝ち誇った顔で、席をたった。
そうして、さくらへと近づいてくる。
(や・・・!嫌!)
「泣き顔がそそるねぇ・・・大丈夫、可愛がってあげるからねぇ」
(小狼くんっ!!)


その時。
入り口の扉が音をたてて開いた。突然に現れたその男の顔は、逆光で見えない。だけど、さくらの心臓が反応した。
もしかして、と。思ったら、涙も止まった。
男は声もなく、右手をあげる。
「・・・!?60000!!新しいお客さん、60000です!!」
「―――っ!なんだと!?」
怒りを露にしたのが、先程勝ちを確信した中年男だった。コールされた数字にぐっと奥歯を噛んで、握りしめた右手をわずかに動かすが、その手があげられる事はなかった。
「『異世界からの贈り物』、落札!!落札者は・・・」
近づいてくるその人を見て、さくらは笑顔になった。見つめる瞳に、涙が滲む。
「しゃおら・・・、」
「落札者は、佳楠(ジェナン)様。60000で落札です」
呼ばれた名前に、さくらの笑顔が固まる。柵の前へと進み出た、佳楠と呼ばれた男。冷たい目でさくらを見下ろして、ぽつりと言った。
「異世界の贈り物、か・・・」
その顔は、さくらがよく知る小狼に他ならない。格好はこの世界のもので、中華風の着物を着ている。肩ほどまで伸びた髪を、後ろでひとつにまとめている。そんな姿を見るのは初めてだ。
だけど。どんなに姿格好が変わっても、小狼だとわかる。
わかる自信が、さくらにはあった。
(小狼くん・・・だよね・・・?)
向けられる冷たい視線に、その自信も揺らぎそうになる。
―――ぞくっ。
その時。別の強い視線を感じて、さくらは肩を震わせた。
一瞬だけの感覚であったが、恐怖に似た余韻が残った。さくらは、おそるおそる周囲を見回す。
(今、私を見てたのは・・・、誰・・・?)









「随分高値がついたねぇ。『贈り物』の中でも、60000は初めて見るよ」
「顔、可愛いもんねぇ」
マスクをつけた二人の人間が、そんな軽口を叩きながらさくらの拘束を解いた。
手首と足首には縄の痕がついて、ひりひりと痛い。自由になった手で口許の布もほどいた。はふ、と息をする。
すると。目の前にいた二人が、マスクをはずした。
その顔を見て、さくらは声も出ないくらいに驚いた。
「・・・っ!??え、えっ!?」
「??なに?どうしたの?」
さくらの様子が変わったのを見て、二人は訝しげに顔を見合わせた。その仕草も、よく知っている人とそっくりだった。
「山崎くん、奈緒子ちゃん・・・!?どうして、二人がここにいるの!?」
そう。背の高い男の人と、メガネをかけた女の人。さくらの小学校からのお友達である二人に、そっくりだった。
「何言ってるんだろうね、この子?異世界からくる人間って、どこか変だよねぇ」
「やっぱりこことはかなり違うんじゃない?だって、あの格好。ヘンテコだもの」
ひそひそと囁きながら、さくらの頭のてっぺんから爪先まで観察するように見られる。居心地の悪さに、さくらは逃げ出したくなった。
不安でいっぱいのこの世界で、知り合いを見つけた気になって、嬉しくなったのに。反動で、ひどく落ち込む。
「でも私、興味あるんだよねぇ。異世界からの贈り物に。いつか、研究の書を作りたいと思ってて。ねぇ、あなたの話聞かせてくれない?」
「ほぇ・・・?」
この世界のそっくりさんも、研究熱心なところは同じなのだろうか。キラリと光るメガネの奥の瞳に、妙な懐かしさを感じる。
「だめだめ。この子は上流貴族に買い取られたんだ。僕達役人が到底出せないような値段でね」
(そうだ。私、買い取られたんだ・・・。上流貴族って、小狼くんの事?)
「でもさぁ。あの佳楠って人、確か・・・」
その時。コンコンと扉が叩かれた。山崎に似た男が「はいはい」と小走りでドアを開ける。
「あ・・・!」
そこには、仏頂面の小狼がいた。さくらの顔を見て、眉根が更にきつく寄せられる。
「金は渡した。引き取らせてもらうぞ」
「はい!どうぞどうぞ」
「佳楠様、こちらにサインをお願いします!」
へらへらと愛想笑いを浮かべる二人を、小狼は機嫌悪そうに睨んで、手早く書類にサインをした。
それを済ませると、呆然と見ているさくらの手を取った。部屋の外へと連れ出される。
「あっ、あの・・・!あなたは、あなたの名前は」
「・・・佳楠だ。お前は俺が買い取った。つまり、今日から俺がお前の主だ」
冷たい声に、さくらは肩を震わせた。
建物を出ると、町の繁華街と思われる賑やかな場所に出た。そこはまるで、古い映画のセットのようだ。
中華風の建物。中華風の服。舞い上がる土煙。こちらを見る、好奇の目。
ずっと遠くに、高い塔が見えた。
早足で歩く小狼は、後ろを振り向かない。
どうしてこちらを見ないのだろう。抱き締めてはくれないのだろうか。小狼だったらきっと、優しく笑って、名前を呼んでくれる。
(もしかして・・・この人も、さっきの山崎くんと奈緒子ちゃんのそっくりさんみたいに、ただ似てるだけの別人・・・?)
そこまで考えて、さくらは青ざめた。
その時。ぴたりと、足が止まる。いつの間にか、人気のない裏路地にいた。
さくらは考え事をしていたせいで、前を歩いていた小狼の背中にぶつかってしまった。
「ほえっ、ご、ごめんなさい・・・!」
謝った瞬間、視界が塞がれる。抱き締められているのだと、遅れて気づいた。
息も出来ない程の、強い抱擁。
独特の、香の匂い。それは、よく知る小狼のものとは、少し違っていた。だけど、さくらの心は酷く落ち着いて、緊張で強ばっていた体が楽になった。
(あったかい・・・。やっぱり、小狼くんなの・・・?)
その時。
数人の足音が近づいてきて、その瞬間、勢いよく体を離された。驚くさくらと向かい合った、小狼によく似た男は。意地悪な笑みを浮かべて、言った。
「・・・抱き心地は悪くないな」
「ほぇ・・・!?」
「60000出した甲斐はあった。・・・なあ、女将」
小狼―――もとい、佳楠は、後方にいる女性へと話しかけた。優雅な所作で近づいたその人の顔を見て、さくらは再び大口を開けたまま固まった。
「はい。佳楠様。とても可愛らしい方ですわね」
「と・・・っ、知世ちゃん・・・!?」
長い黒髪が、ふわりと揺れる。穏やかな笑みでこちらを窺う、その瞳も。幼い頃からずっと一緒だった、知世と全く同じだった。
「人違いですわ。私とあなたは、初めて会ったのですから。・・・でも。今日からは、無関係ではありません」
「え?そ、それは、どういう事ですか?」
動揺を隠せないまま、問いかける。知世によく似た女性は、にっこりと笑って、裏路地を進む。
その後を付いていくと、隠れ家のように扉があった。ゆっくりと開かれた扉の向こうには、さくらの知らない世界があった。
「私は、この妓館の女将。あなたは、今日からここで働くのです」
「ぎ、かん・・・?」
「お客様をもてなし、癒すお仕事ですわ」
不安そうに、隣にいる小狼を見上げた。すると、小狼は優しく笑って、さくらの頬をそっと撫でた。
感極まって、抱きついてしまいそうになった、その時。
「しっかり稼いで、恩返しするんだぞ」
「え・・・!?」
「あとは頼んだぞ、女将」
「はい。お任せください」
にこやかに挨拶をすると、男は去っていった。

(あの人は、小狼くんじゃないの?それなら、小狼くんはどこに行っちゃったの?私は・・・!これからどうなっちゃうの―――!?)


 

 

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2020.5.17 了

 

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