久しぶりに帰ってきた我が家の扉を開けると、甘い匂いがした。
玄関に自分や父のものではない、男物の靴が並んでいるのを見て、桃矢の機嫌は降下する。おそらく今、物凄くムスッとした顔になっているだろう。
物音に気付いて、リビングの扉が開く。驚いた顔をして、妹がこちらへと駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん・・・!どうして!今日は、夜に帰ってくるって言ってたのに!」
「ちょっと早まっただけだろう。自分の家に帰るのに、なんでいちいち断る必要があるんだ」
「そ、そうだけど!色々あるから・・・っ」
「俺が帰ってきたらマズい事でもあるのか?」
狼狽える妹―――さくらの肩越しに、その男を睨む。すると、あちらも顔を強張らせたまま、ぺこりと一応のお辞儀をした。
ぐんぐん伸びる身長。完全に見下ろせなくなってきている現状にも、腹が立つ。
今日は、父親も大学の講義で帰りが夜になると言っていた。家人がいない状況で、二人きりで一体何をしようとしていたのか。考えるほどに、桃矢の苛々が増していく。
帰ってくる事を報せない理由は、抜き打ちで取り締まる為に他ならない。自分がこの家を離れてから、さくらがどんな風に過ごしているのか。学生としての本分をおろそかにしていないか。
この憎たらしいガキ―――小狼と、健全な付き合いをしているのかどうか。
それを厳しく制限する事は、兄として当然だと、桃矢は思っていた。
部屋の中に充満している匂い。スポンジケーキ、生クリーム、チョコレート。そして、瑞々しい果実の香り。
その甘さと逆行するかのように、三人の間には艱難辛苦な風が吹き荒れるのだった。

 


 

 

 

PEACH !

 

 

 

 

 

「ケーキ?なんでそんなものを作ってるんだ?」
「・・・い、いいでしょ?今日は、小狼くんと二人でケーキを作る約束なの。お兄ちゃんは邪魔しないでね!」
「ふん。怪獣の作るものだから、さぞかしデカいんだろうな。それを食べて、さらにまん丸になる気か?」
「なんですってぇっ!!」
さくらは顔を真っ赤にして怒ったあと、ハッと気づいて、後ろにいる小狼の方を向いて恥ずかしそうにする。
自分に見せる表情と、『恋人』に見せる表情は違うのだろう。桃矢のこめかみに、ぴき、と青筋が浮かぶ。
それは、小狼の方も同じだった。記憶の中にあるどの顔よりも、さくらに向ける笑顔は甘やかになっていた。もはや、『誰?』と問いたくなるくらい、別人に見える。
見つめあう二人の間に流れる、その甘ったるい空気に、桃矢はげんなりする。
「・・・なんでもいいから。作るなら早く作れ。失敗してもやり直す時間がなくなるぞ」
「もうっ!お兄ちゃんの意地悪・・・!」
さくらの怒った顔にニヤリと笑うと、桃矢は鞄から本を取り出す。ソファに深く腰掛けて、読みかけのページを開いた。読書をしながらも、耳は常に台所の様子を探る。意識しなくても、そうしてしまうのが癖になっていた。
ボールで卵白をかき混ぜる音。レンジがチン、と鳴る音。そうして―――。
「ほえぇぇぇ!!」
さくらの叫び声。
「どうした!?さくら」
「しゃ、小狼くん・・・」
さくらの悲鳴に思わず席を立とうとしたが、自分が行くよりも先に近くにいた小狼が駆け寄っていく。その光景を見て、眉を顰める。再び背をソファに預けて、本へと目を落とした。しかし、苛々が先立って内容が入ってこない。
その時。頬杖をついて表情を険しくする桃矢の前に、マグカップが置かれた。
「コーヒーです」
「・・・お前が淹れたのか」
「はい。口に合うかはわからないですけど」
小狼が、仏頂面でそう言った。桃矢の眉根が寄る。
おそらく自分も、同じような顔をして向き合っている。人というのは鏡だ。こちらが冷たくすれば、相手も同じように返す。こちらが対応を柔らかくすれば、あちらも空気を和らげるだろう。
しかし、どうしても。目の前の男に対しては、こういう態度しか取れない。それは多分、相手も同じだ。それが分かるから、余計に面白くない。
桃矢は無言でカップを手に取ると、一口飲んだ。スッキリとした味わい。酸味と苦みのバランス。悔しいが、好みの味だった。
小狼は桃矢の表情を見て、詰めていた息を吐いた。そうして、ぺこりとお辞儀をして、キッチンの方へと戻っていく。
その後ろ姿を見て、桃矢はなんとも言えない気持ちになる。リビングやキッチンに上がり込んでいるのに、違和感のない事に腹が立つ。当たり前のようにこの家のカップで、美味しいコーヒーを淹れる事に腹が立つ。
何よりも。幸せそうに笑うさくらの隣に並んで、一緒に笑って。それを悪くないと思ってしまう自分に、腹が立っていた。
(・・・分かっている。あとは、気持ちの片付け方だ)
桃矢は眉を顰めて、コーヒーを飲んだ。やはり、美味い。溜息をついて、読む気の無くなった本を横に置いた。
―――ちく、たく。ちく、たく。
秒針の音が、やけに大きく響いた。ふ、と意識が浮上する。桃矢はそこで、自分がうたたねをしていた事に気付いた。
(いつの間に・・・。いや、大した時間は経ってない)
リビングの時計は、15分ほど進んでいた。普段はうたたねなどしないのに、少し疲れていたのかもしれない。桃矢は、怠さを払うように頭を振った。
部屋の中は、甘い匂いと一緒に香ばしい匂いも加わった。おそらく、オーブンがケーキの生地を焼く為に熱せられ始めたのだろう。
その時。
「・・・―――、・・・や、だめっ」
聞こえてきた声。物陰に隠れて、声を潜めて。それはまるで、許されざる秘め事のような危険な匂い。それが、桃矢の第六感に引っかかった。耳がぴくりと動き、目がギロリと鋭くなる。
キッチンの方を見る。しかし、さくらや小狼の姿は、ここから見えない。
耳を澄ますと、微かな声が聞こえる。それは、紛れもなく妹のもので。
「・・・、シー!声が大きいよ・・・っ」
焦るような、咎めるような声。ひそひそ、こそこそ。隠されると、見つけたくなる。それが、大事な妹と、いけ好かない男の戯れであれば。
(俺がいる時に・・・、いい度胸だな、あのガキ・・・っ!!)
青筋を立てて、桃矢は立ち上がる。音もたてずに、ゆっくりとキッチンへと入る。すると、さくらの声がはっきりと聞こえてきた。
「・・・だめっ!言ったでしょ?もうちょっと、我慢してっ」
「―――・・・」
「だめだってば・・・!お兄ちゃんが起きちゃう・・・」
キッチンの流し台。そこに隠れるようにしゃがみこむ、さくらの丸まった背中が見えた。
しかし。そこで、桃矢はおかしな事に気付く。さくらの姿は見えたけれど、もう一人、傍にいる筈の小狼の姿が見あたらなかった。
「おい。俺がなんだって?」
―――ガタガタ、ガタンッ!!
「!!!」
「お、おお、お兄ちゃんっ!!起きたの!?お、おはよっ」
さくらは勢いよく立ち上がって、後ろ手に流し台の引き出しを閉めた。大きな音と、それに紛れて微かな鳴き声が―――聞こえたような気のせいのような。
桃矢は、怪訝そうな顔でさくらを見つめる。さくらは青褪めて、だらだらと汗を流す。この顔は、なんだか見覚えがある。桃矢は、心の中で生まれた疑心と悪戯心に、小さく笑った。
「・・・さくら」
「な、なにっ!?」
「そこ、どいてくれ。そこの引き出しに用がある」
「―――!?!」
さくらが不自然なまでに隠そうとしている、引き出し。指でさした途端、さくらは面白いくらいに動揺した。
「コーヒーをかき混ぜるスプーンが欲しいんだ」
「すすす、スプーン!?えっと、えっと・・・、この引き出しには無いんじゃないかな?」
「見てみる」
桃矢は有無を言わさず、さくらの体をどけて、引き出しに手をかけた。
しかし。
引き出しは、鍵がかかっているかのように開かない。力を入れると少しだけ手応えがあったが、それでも押し戻そうとする力が働く。
(なんだ・・・!?この引き出し、おかしい・・・!)
がたんがたん、がたん。揺れる引き出し。青褪めるさくら。熱くなる桃矢。
最初の目的も忘れて、桃矢は不可思議な引き出しと格闘する。
―――その時。
「スプーンなら、ここにありますよ」
桃矢の目の前に、きらりと光る銀のスプーンが差し出された。ムッとして見ると、そこには笑顔の小狼がいた。その後ろには、青褪めた顔のさくらがいて、二人はぴたりと寄り添っている。
桃矢の眉間が、再び険しくなった。
「お前、どこに行ってたんだ?」
「外です。電話をしていました」
「じゃあ、さくらは誰と喋ってたんだ?」
「え?!えっと、わ、私も電話、電話してたの・・・!」
明らかな嘘だ。それはすぐにわかる。しかし、それ以上の追及は許さないとばかりに、小狼がさくらを庇うように立つ。
桃矢は顔を顰め、小狼の手からスプーンを乱暴に取った。キッチンから出て行くと、さくらはあからさまにホッとした顔をした。
「コーヒーのおかわり、入れますか」
「・・・・・」
「すぐに持っていきます」
無言の桃矢相手に、小狼は少々強引に話を進める。桃矢はギロリと一睨みをするだけで、それ以上は何も言わなかった。
再びソファに座り、小狼の淹れたコーヒーを飲む。
一体、さっきのアレはなんだったのか。気になって仕方ない。しかし、小狼が戻ってきてしまった今、理由をつけてキッチンに入る事も憚られる。
自分の家なのに、なぜ。こんな遠慮をしなければならないのかと、桃矢は苛立った。
(・・・くそ。苛々する)
二杯目のコーヒーを飲み干した頃。オーブンが、アラーム音を響かせた。どうやら、スポンジケーキが焼きあがったようだ。
スポンジを冷ましている間に、二人はデコレーション用の生クリームや果物を用意しているようだった。主に小狼が指示をして、さくらがそれに返事をして従う。傍から見ていても、実に息の合った動きだった。
それは、二人がこれまで辿ってきた軌跡があったからこそ。カードを集める為に協力したり、励まし合ったりして、一緒にやってきた日々があるからこそだ。
しかし。それを知らない桃矢にとっては、面白くない光景であった。まるで、長年一緒に連れ添った夫婦のように見えて、苛々と足を揺らす。
冷めたスポンジケーキを横に切ってから、生クリームとフルーツを挟む。それから、周りにも生クリームを塗っていく。さくらはやや緊張した面持ちで、丁寧にケーキを完成させていく。傍らでは、小狼が真剣な表情で見守る。
いつの間にか、桃矢もその光景を食い入るように見ていた。生クリームを絞って飾りをつけて、その上に香り立つフルーツを乗せる。
それは、瑞々しい桃だった。
店で売っているものに比べれば見劣りはすれど、立派なショートケーキが完成した。
さくらは、安心したように息を吐く。そうして、小狼の方を向いて、にこりと笑った。小狼も笑って、さくらの頭を撫でる。「うまく出来たな」と、褒める。
そんな二人を、桃矢は見つめた。先程のような苛々とした感情は、不思議と消えていた。
小狼がこちらを向いて、笑う。嫌味のない、素直な笑顔だった。
「コーヒー、おかわり入れます。少し、待っていてください」
「うん!ケーキ、一緒に食べよう。お兄ちゃん!」
さくらは笑って、そう言った。その笑顔に拍子抜けして、桃矢は意地悪も言わず、こくりと頷く。
さくらはエプロンを脱ぐと、手を洗ってくるね、と言って洗面所のほうに向かった。小狼は、新しいコーヒーの用意を始める。
桃矢はソファに座り、息を吐いた。
(・・・おかしな気分だ)
だんだんと、変わり始めている。この家の空気。さくらの笑顔。自分の気持ち。思ってもみなかった方向へと、進んでいく。そんな気がした。
「ほえぇぇぇ―――!?!」
「!?」
「どうした、さくら!?」
またも突然に、悲鳴が上がった。
キッチンに戻ってきたさくらは、信じられないというように首を振って、口元を手で覆った。見ると、その目には涙まで浮かんでいる。
小狼が傍に駆け寄り、さくらと同じ位置で『それ』を見た。今度は、小狼の顔までもが悲痛に歪む。
桃矢は何が何やら分からず、苛立った様子で二人に声をかけた。
「おい!何があったんだ!?」
「・・・おにいちゃん。ごめんなさい」
さくらは、へにゃりと悲しそうに眉を下げて、謝った。その顔が、幼少期の、泣き虫のさくらを思い出させて、桃矢の胸が郷愁の想いに染まる。
さくらは、先程完成させたばかりのケーキを持って、こちらへと歩いてきた。そうして。呆然とする桃矢へと、反対側を向けて見せた。
「―――!」
ケーキには、チョコレートで出来たプレートが乗せられていた。そこには、少しだけ不器用な字で『おにいちゃん、誕生日おめでとう』と書いてあった。
その時になって。桃矢は、今日が何の日だったのかを思い出す。忙しい毎日に追われて、自分の誕生日の事を失念していた。
さくらと小狼は、この為にケーキを作っていたのだ。その事に、桃矢の胸がジンとする。
しかし。ケーキは、おかしな状態になっていた。形よく焼きあがったスポンジ。さくらが一生懸命に塗った生クリーム。少し不格好だけれど、完璧に仕上げられていた筈なのに。
なぜか一か所だけ、えぐり取られていた。えぐり取られたというよりも、誰かが齧り付いた痕のように見える。それが、無残にも形を壊してしまっていた。
さくらの目からは、堪えていた涙が零れ落ちた。
「・・・っ、ごめんね。おにいちゃん。せっかくの、誕生日ケーキがこんな・・・っ。小狼くんと一緒に、作ったのに・・・!」
しゃくりあげるさくらの涙を、隣にいる小狼の手が優しく拭う。泣いているさくらを痛そうな顔で見つめて、小狼は桃矢の方へと向いた。
「すいません。俺のせいです」
「小狼くん・・・!?」
「俺が、ちゃんと見ていなかったから。油断していました。さくらのケーキを、守れなかった・・・っ」
小狼は悔しそうに顔を歪めて、拳を握りしめる。それを見て、さくらはますます涙を零した。
小狼は、こう続けた。
「ケーキはこんな形になったけど、さくらは一生懸命に想いをこめて、ケーキを作ったんです。それだけは、分かってやってください」
「おにいちゃん・・・っ!お誕生日、おめでとう!」
最愛の妹に泣きながら祝われて、いけ好かない妹の恋人に必死に謝罪されているこの状況。三人の間には、可愛らしい桃のショートケーキ。少しだけ崩れてしまっているけれど、そんな事は問題じゃない。
桃矢は溜息をついて、手を伸ばす。『誕生日おめでとう』と書かれたチョコレートプレートを摘まんで、齧った。カリ、という音と一緒に、甘さが口の中でとろける。
無表情で食べる桃矢を、さくらと小狼は見つめた。
「・・・早く、コーヒー入れろ。一緒にケーキ、食べるんだろ?」
「お兄ちゃん・・・」
「よく出来てる。怪獣にしては、上出来だな」
笑顔で告げられた桃矢の言葉に、さくらは嬉しそうに笑って、こくこくと頷いた。小狼はさくらの頭を撫でて、コーヒーの用意をする。
齧られた部分は避けて、ケーキを綺麗に切り分ける。あとで帰ってくる藤隆の分は残して、冷蔵庫にしまう。
そうして。小狼の淹れたコーヒーと一緒に、ケーキを食べた。
美味しい?と何度も聞くさくらに、時々意地悪を言ったりして。だけど、きっと顔に出てしまっているだろう。この時ばかりは、どれだけ意地悪を言っても、さくらは嬉しそうに笑っていた。
さくらの唇についたクリームを、小狼の指がさらう。恥ずかしそうに頬を染めるさくらに、小狼は笑う。
二人の空気はひたすらに甘く、優しい。手元のコーヒーのいい香りと相まって、なんだか穏やかな気持ちになった。桃矢は、苦笑する。
(コイツが・・・小狼がこの家にいる事に、俺も違和感がなくなってきているのかもな・・・)
悔しい。腹が立つ。
少しだけ―――こういうのも悪くないと思う。
いや、でも。やっぱり、腹が立つ。
(多分、ずっと変わらない。コイツらが、一緒にいる限り。一生、な)
甘い甘い、バースデーケーキ。複雑な想いと一緒に、ブラックコーヒーで流し込んだ。
そんな、2月最後の日曜日。



 










「ふんぬ―――っ!!・・・って、だめや全然びくともせん―――!!さくらぁ!小僧!!いい加減に出してくれてもええやろ―――!?」
真っ暗で狭い場所で、ケルベロスは助けを呼んだ。しかし、万が一にも他の家族に気付かれてはマズイので、小声ではあったが。根気強く叫んでも暴れても、扉が開けられる気配はない。
「なんでワイがこんな目に・・・!小僧、覚えとれよっ!!それもこれも、兄ちゃんが早く帰ってくるから悪いんや!」
―――今日は、さくらの兄の誕生日。夜に帰ってくるのに合わせて、小狼と一緒にケーキを作るのだと、数日前から張り切って準備をしていた。
ケルベロスも張り切った。なんといっても、手作りのケーキだ。それは、あまりに甘美な響き。
(店で買うのとはわけが違う・・・っ!!なんていっても、手作りや!!出来立てのほっくほくを食べられるんやー!!)
ケルベロスの浮かれっぷりを、さくらが察知していないわけではなかった。桃矢用の大きなスポンジケーキと一緒に、ケルベロスにあげる用の小さいケーキも一緒に作る予定だった。
しかし。その予定は、ある人物の突然の来訪によって阻まれる。
「えぇぇ―――!?わいの分は今度って、それどういうこっちゃ!?さくら!!」
「シー!声が大きいよっ!お兄ちゃんが起きちゃう・・・。だから、お兄ちゃんの目があるし、ケロちゃんの分はあとで作るから!だから、今日は我慢して?ね?」
「我慢!?嫌や嫌や!!ケーキ食べるんや!!」
「ダメだってば・・・!言ったでしょ?我慢して?ね?」
その時。怪しく思った桃矢がキッチンに入ってきて、ケルベロスは慌ててキッチンの引き出しに身を潜めた。
さくらが思い切り引き出しを閉めた時、そこにはまだ可愛らしい尻尾が―――。
「~~~っ!?!!?!!」
ガタン、と閉められた引き出しに挟まれ、ケルベロスは凄まじい衝撃と痛みに耐えた。悲鳴を最小限に抑えたのは、我ながら素晴らしい。自画自賛である。
しかし、問題はそのあとだった。
引き出しが、再び開けられようとしていた。ケルベロスはそれを察知し、手足と尻尾を目いっぱいに伸ばして、引き出しを開けられまいと抵抗した。
「・・・っ!?」
(ふぬぬぬぬ―――!!)
桃矢とケルベロス。二人の見えない攻防戦は、小狼の助けによりひとまずの休戦となった。
ケルベロスはホッとして、人の気配が無くなったのを見計らって、引き出しを開けてこっそり外に出た。キッチンには誰もいなくなっていた。
ケルベロスは不思議に思いながら、ふわりと飛ぶ。
その時。目の前に、夢のような光景が飛び込んできた。
(ケーキや・・・)
キラキラと光を放つ桃。雪原のように真っ白なクリーム。誘うような甘い香り。『食べて。私を食べて―――』そう言っているように、聞こえた。
ぷつん、と。
ケルベロスの中で、何かが切れた。
「ほえぇぇぇ―――!?!」
さくらの悲鳴で、ハッと我に返る。驚くケルベロスの目に映ったのは、悲しそうな顔をして震えるさくらの姿だった。何かあったのかと心配するケルベロスの前に、小狼も現れた。
小狼の目がスッと細められ、こちらを蔑むかのような冷たさで睨まれる。その眼光に、思わず慄くケルベロス。そして次なる展開に、声も出せない程に驚いた。
小狼は乱暴にケルベロスの体を掴むと、流し台の下に思い切り叩きこんだ。
超剛速球を投げるピッチャーのように振りかぶった、小狼のその姿は、さくらの涙で滲んだ視界にスローモーションで映ったという―――。
「―――おぉぉぉぉ!?!」
ケルベロスの悲鳴ごと、暗い流し台の下に閉じ込めた。小狼は更に魔力をこめて、中からは決して開けられないよう錠をかけた。
微かに聞こえる話し声。なんだか、和やかに笑っている。扉越しにその声を聞きながら、ケルベロスは思った。
(なんや!みんなして、ケーキ食ってるんやな!?わいをのけ者にして・・・っ!!くっそぉ!!小僧、許さへんで!!)
怒りに燃えるケルベロスだったが、肝心な事を忘れている。
抜け落ちた記憶の中で、美味しいケーキを口いっぱいに食べた事。さくらが一生懸命作ったケーキの一口目を欲望のままに頬張り、誕生祝いを台無しにしかけた事。
そして。この扉が開いた時。
怒りに震えるさくらと小狼に、思い切り説教される運命にある事を―――。
「さくらぁ・・・。ケーキ、ケーキ・・・。ワイの分も、ぜったいに残しておくんやで―。絶対やで―――・・・」
このあとに起こる悪夢など知る由もなく。夢の中で、ケルベロスは幸せそうにケーキを頬張る。
―――そんな、2月最後の日曜日。


 

 


 


end

 




リク企画第12弾!
ふじさんリクエスト「第三者目線の小狼くんとさくらちゃん」、リリイさんリクエスト「二人で美味しいケーキを作るお話」
という、ふたつのリクエストを合体させてみました♪楽しんでもらえたら嬉しいです!

ふじさんリクエストの第三者が、藤隆さんか桃矢か雪兎・・・ということだったので、ここは桃矢にーちゃんにしました!誕生日の時期は季節外れだけど気にしない!桃のショートケーキ、管理人は食べた事ないんですが、検索したらめちゃ美味しそうでした・・・じゅるり。

ちょっとコメディちっくな感じを目指してみたのですが、難しいですね。またトライしたい!今回はケロちゃんにお笑い担当になってもらいました。なんかごめんね・・・笑


 



2017.7.1 了

 

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