winter love









冬はあまり好きじゃない。なぜなら、寒いのが得意じゃないからだ。
日本列島を大寒波が襲ってこの冬一番の冷え込みになるでしょう。朝のニュースで聞いた予報を思い出す。残念ながら、天気予報は外れそうにない。今にも雪を降らしそうな黒い雲を見上げて、小狼は溜息をついた。
白いもやもやが、空気中に溶ける。こんな日は、出来れば家から出たくない。暖房のきいた暖かな部屋で、一日中過ごしたい。
ぴゅう、と。風の音が耳に入り、小狼は口元までマフラーに埋めた。すぐ傍には、待ち合わせの目印に最適な大きな時計がある。かち、と針が動いて、待ち合わせ時間10分前になった。
「小狼くん!お待たせ―!」
「!」
飼い主に呼ばれた犬のように、小狼の耳はその声にぴくりと反応する。ポケットに入れていた手をパッと出して、駆け寄ってくるさくらを笑顔で迎えた。
「さくら。走ってこなくてもよかったのに」
「だって。今日すごく寒いから、小狼くん待たせたくなくて」
「・・・俺も」
(さくらを寒いところに待たせたくないから、早く来るんだ)
続く言葉を言うには、少しだけ照れくさくて。不思議そうに首を傾げるさくらに、小狼は「なんでもない」と首を横に振った。
「お買い物、付き合わせちゃってごめんね。本当に大丈夫だった?」
「ああ。気にするな」
「えへへ。小狼くん、ありがとう」
嬉しそうに笑うさくらの頬が、ほんのりと赤い。
小狼は、その時改めてさくらの全身を見た。
今日のさくらは、サイドの髪を三つ編みに結って後ろで留めている。ただでさえ短い髪なのに、マフラーをしていないから首元が随分と寒そうに見える。しかも、スカートが短い。一応タイツを履いているが、明らかに薄い。透けて見える足に、かあ、と頬を染めた。
思わず、まじまじと見つめていると、さくらが居心地悪そうに肩を竦めた。
「あ、あの。小狼くん・・・。何か、変?」
「えっ!あ、その。さ・・・」
(・・・寒くないか?そんな短いスカートで、首元も出して―――って、そんな事言ったら、さすがに口うるさいと思われるか?)
その先を口に出すのは憚られて、小狼はなんとも言えない顔で固まった。俯いた視線が、さくらの寒そうな足に向かう。ふわふわのスカートから伸びる薄っすらと透けた足が、小狼をドキドキさせた。
「小狼くん、どうしたの?」
覗き込まれて、小狼は思わず後ずさった。近い距離で見えたのは、鎖骨を滑る彼女の大切な魔法の鍵と、ゆるめのニットからチラと覗いた白いレース。よく見ると、唇までが魅惑的な色に潤っている。
小狼の顔が、一気に赤く染まった。
「・・・さくら、ごめん!」
「え?ほえぇ!?」
無断で触るのは良くない。困惑した小狼の頭は、なんとかそれだけを判断し、先に謝罪をした。
驚くさくらのコートに手を伸ばすと、前のボタンをきっちりと留めた。そうして、自分のマフラーを脱いでさくらの首元にぐるぐると巻く。足元もどうにかしたかったけれど、今のところ隠せるアイテムは持ち合わせていない。
それでもとりあえずは安心して、小狼はホッと息を吐いた。
呆然としていたさくらだったが、首元に巻かれたマフラーから小狼の体温と残り香を感じて、真っ赤な顔で狼狽えだした。
「だ、ダメだよっ!小狼くんが寒くなっちゃう!」
そう言ってせっかく巻いたマフラーを取ろうとしたので、小狼は慌ててさくらの手首を握った。
「俺は大丈夫だから!さくらがそのまましててくれ!」
「私も大丈夫だよ!だって、小狼くんの方が寒いの苦手でしょ!?スケートの時とかスキー教室の時も・・・!無理して平気なふりしてたの、知ってるよ?」
「そ、それは小学生の頃の話だろ!」
寒がりなんて格好悪いから態度には出さないようにしていたのに、いつの間に見られていたのだろう。
昔の恥ずかしい話を持ち出され、小狼もムキになる。
しかし、この時ばかりはさくらも強情だった。気付けば周りの人が何事かと目を向ける程に、白熱していた。
「いいから・・・っ、言う通りにしろ!!」
「!!」
びくっ、と肩を震わせたあと、さくらの目が大きく見開かれた。
思わず声を荒げてしまった自分に、小狼が一番驚いていた。
さくらは途端に大人しくなって、眉がへにゃりと下がって泣きそうな顔になる。ぎゅっ、とマフラーを握りしめて、「ごめんなさい」と小さな声で言った。
(・・・っ、ち、違う。こんな顔、させたかったわけじゃ)
こういう時、何を言えばいいのか。全く言葉が出てこない。何か言わなければと思えば思うほど、焦って。喉の奥が張り付いたみたいだ。
無言の時間は、ほんの数秒だった。さくらはパッと笑顔を作って、小狼へと言った。
「今日、寒いもんね。早く買い物済ませて、早く帰ろ!」
「・・・!」
その笑顔が無理して作ったものだというのは、見て明らかだった。くるりと背を向けて早足で歩き出したさくらを見て、小狼は顔を顰める。
どうして自分はうまく出来ないのか。さくらを悲しませてしまった自分が、情けなくて腹立たしくて、いっそ殴り飛ばしたい。
小狼は前髪をくしゃりとかきあげて、ぐっ、と奥歯を噛む。
(何か、言え!)
「さ、」
(さくらが悪いんじゃないんだ)
(本当に寒くないんだ)
(怒ったわけじゃないんだ)
―――どれが正解かなんて、もう考えない。
「さくら!」
先を行く背中を追いかけて、その手を掴んだ。振り向いたさくらは、驚きに目を瞬かせて小狼を見た。その目元が赤くなっているのを見て、心臓が痛む。
「俺は・・・っ、さくらが隣にいてくれるだけであったかいから!!」
「・・・ほぇ?」
「だから、安心しろ!!っ・・・て、いうのも変、か?」
半ば勢いで言ってしまった自分の言葉に首を傾げたあと、気まずい空気に沈黙する。
目の前にいるさくらの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていくのを見て、言葉を選び間違えたのだと悟る。
自己嫌悪と後悔の念に苛まれていると、掴んだままの手に、さくらの手がそっと重ねられた。
いつの間にか、汗ばむほどに熱くなった小狼の手を、ぎゅっと握って。さくらは、赤い顔で笑った。
「・・・じゃあ、こうやって手を繋いだら、小狼くん、もっとあったかい・・・?」
「―――!!!」
「えへへ。私も、あったかい」




―――日本列島を大寒波が襲ってこの冬一番の冷え込みになるでしょう―――。
残念ながら、今日の予報は大外れだ。
全身ぽかぽかになるくらいにあたたかい。さくらの笑顔に、小狼はやっぱり言葉が出なくて、こくこくと頷くので精一杯だった。









おまけ。



「今日のこのお洋服、この前知世ちゃん達とお買い物に行った時に買ったの。・・・いつもよりちょこっと、大人っぽいかなって。小狼くんと会う時、一番に着ていこうって思ってたんだ」
照れ笑いを浮かべて話すさくらに、小狼の心臓はまるで太鼓のように、激しく動悸を打ち鳴らした。
冬の寒風にも負けじと、彼女が着てきた可愛い服が、全部自分に見せたいからだったと知った時―――どんな言葉を言うのが、正解なんだろう。

「さくら・・・。す、すごく―――か、」
(・・・すごく可愛い。大好きだ)

 

 

2019.2.8 ブログにて掲載

 

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おつきあい









テスト期間最終日。さくらはご機嫌だった。試験の良し悪しはとりあえず置いといて、終わった、という解放感でいっぱいだった。
早めに学校も終わり、明日は土曜日。他の生徒も、どこか浮き足立っている。
「知世ちゃん、千春ちゃん!みんなでどこかに寄っていかない?」
笑顔で誘うと、二人は申し訳なさそうに顔を曇らせた。
「ごめんなさい。今日は母と約束があって」
「私も、山崎くんとお買い物に行くんだ」
ごめんね、と謝る二人に、さくらは笑顔で首を振った。
残念だけど仕方ない。まっすぐ家に帰って久しぶりにお菓子でも焼こうかな。ケルベロスが「おかしー!」と喜ぶだろう顔が浮かぶ。
そう思ってると、千春が人差し指をたてて言った。
「さくらちゃん、李くん誘ってみたら?用事がなければ、一緒に遊んでくれるんじゃない?」
「えっ……!」
「そうですわ。きっと、李くんも喜びます!」
突然の提案にさくらは驚き、その名前に反応して勝手に頬が熱くなった。隣のクラスもそろそろホームルームが終わり、たくさんの生徒が教室から出てくるだろう。
その中に、大好きな小狼もいる。
かあぁ、と、さくらの顔が赤くなった。
「で、でも。突然誘ったら迷惑じゃないかな?」
「迷惑なんかあるわけないよー!」
「用事があるかどうかだけでも確認して、それから誘ってみてはどうですか?」
躊躇するさくらの背を、二人の手がそっと後押しする。
その時。隣の教室が途端に騒がしくなった。ホームルームが終わったのだろう。その音に突き動かされるように、さくらは駆け出した。
千春と知世に向けてぶんぶんと手を振ったあと、帰りがけの小狼の姿を見つけて、名前を呼んだ。
「小狼くん!」
ゆっくりと振り返った小狼の、その唇が「さくら」と動いた。
忙しなく行き交う生徒達の中、二人は笑顔で向き合う。
花が飛ぶような甘い空気。知世と千春は影からこっそり見つめて、無言で笑みを交わすのだった。








(ほえぇぇぇ!まさか小狼くんと過ごせるなんて思ってなかったから、緊張しちゃうよぉ)
ダメもとで誘ってみたら、小狼は二つ返事で了承してくれた。忙しい彼の事だから、おそらく無理だろうと思っていた。だから、頷いてくれた瞬間、「やったぁ!」と叫びたいくらい、嬉しかった。
どこに行こうかと考えたけれど、突然の事でなにも浮かばず、それならばと家に誘った。
お菓子を作ろうかなと思って。さくらがそう言うと、小狼は当然のように「俺も手伝う」と言ってくれた。
うきうきと、足元が跳ねてしまいそうな、帰り道。隣に並んで歩いているだけで、顔が緩んでしまう。ここ数日テスト勉強を頑張っていた事や、クラスで話題のテレビドラマなど、さくらの話に小狼は笑顔で相槌をうっていた。
楽しくて、嬉しくて。
ーーー今の自分はきっと物凄く笑っているんだろうな。
ーーー小狼くんの目に、少しでも可愛く映っていればいいな。
さくらはそんな事を思いながら、家までの道を歩いた。








浮かれすぎて、すっかり頭から抜けていた。
家が見えてきたその時、ちょうど玄関の門から出てきたその人の姿を見て、さくらは顔を青くした。
「………あ?」
「………あっ」
「お、おにいちゃん………」
その場の空気が凍った。
そうだ、忘れていた。今朝見た、ホワイトボードに書いてあった兄の予定を思い出す。
午前中が大学。昼過ぎから夜までバイト。ちょうど今の時間に、家を出る頃なのだ。
鉢合わせてしまった小狼と兄・桃矢は、見るからに険悪な空気で睨み合っていた。
さくらの脳裏に、二人で水族館にお出掛けをした時の事が甦る。あの時と同じ状況に、思わず頭を抱えた。
「………」
「………」
(はうぅ、どうしよう!お兄ちゃん、小狼くんを家にいれてくれないかも……!)
バチバチと火花を散らす二人を交互に見て、さくらは狼狽える。
その時。
「…………こっ、こんにちは。お久しぶり、です」
小狼は強張った表情で、そう言った。
驚くさくらと、眉間の皺を深くする桃矢が、揃って小狼を見つめる。
「お久しぶりじゃねぇだろ。水族館で会った」
「あっ、あの時は……、ちゃんと挨拶出来なかったから」
「挨拶とかする気があったんだな」
「……っ!」
「うちに来ておいて、挨拶もなかったらぶっ飛ばしてるけどな」
物騒な物言いに、さくらは「おにいちゃん!」と声をあげる。
小狼はキッと眼光を鋭くして、桃矢の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「………さくらさんと、おつきあいをさせていただいてます」
その言葉を聞いた瞬間、桃矢の顔が物凄く嫌そうに歪んだ。
構わずに、小狼は続ける。
「今日は家にあがらせてもらいます」
「……へぇ。それで?」
「お菓子を作ります。さくらといっしょに」
「ーーー(ぴきぴきぴきっ)」
桃矢はこめかみに青筋をたてて、薄ら笑いを浮かべる。いい度胸だなと言わんばかりの重圧だったが、小狼は表情を変えず、依然として挑むように見つめる。
やがて。桃矢は目を閉じ、深くため息をついた。腕時計を見て、舌打ちをする。
「……いいか。菓子を作るだけだぞ。それ以上の事はまだ許さない」
「!!……わ、わかってる……、ます」
途端にしどろもどろになる小狼の真っ赤な顔を見て、桃矢はチッと再度舌打ちをし、急ぎ足で出ていった。途中振り向いて、睨みをきかす。
やっと姿が見えなくなり、小狼はホッと息をついた。
そして、隣にいるさくらを見て、絶句した。
「……!!」
さくらは耳まで真っ赤になって、半ばパニックに陥っていた。忙しなく手をバタバタさせて、涙目で小狼を見る。
「つ、つ、つき……??」
「っ!」
「い、今の……って」
「………おつきあいしてるって。そう言った事か?」
「!!!!!」
「さくら。とりあえずここじゃなんだから、家に入らないか?」
小狼の言葉に、さくらは「はいっ」と大仰に返事をして、震える手で扉を開けた。
小狼は律儀に「お邪魔します」と言った。
さくらはいつもの癖で「ただいま」と二階に呼び掛けるが、ケルベロスが階下に飛んでくる気配はない。お昼寝中だろうか。
今この状況で小狼とふたりきりなのは、心臓が持ちそうにない。さくらは、先程の小狼の言葉を思い出して酷く動揺する。真っ直ぐに、小狼の顔が見られなかった。
ふらふらとリビングに入って、ソファに座る。すると、すぐ隣に小狼が座った。
「さくら、その……驚かせてごめん。でも、言わなきゃって思ってたんだ。挨拶も」
「う、うん……っ!驚いた、けど。でも。………うれしかった」
最後の方の言葉は消えそうに小さくなった。さくらは口許に手をやって、深呼吸する。身体中が心臓になったみたいに、ドキドキとうるさい。
もしかしたら、それは小狼も同じなのかもしれない。なぜなら、向かい合う小狼の顔も真っ赤になっていたから。
「おつきあい……」
「……ああ」
「私と、小狼くん、つきあってるんだ………」
「うん」
「彼氏と、彼女?」
「………ん」
言うほどに、小狼は口ごもる。今更ながらに照れている横顔に、きゅんとした。
さくらはドキドキと鳴る心臓の音を聞きながら、上目使いで問いかける。
「おつきあいって、小狼くんは何がしたい?」
「え!?そ……っ、それは」
「あっ、変なこと聞いてごめんね。私あまりわからなくて。小狼くんの方が詳しいのかなって」
「そんなことない!!俺だって……!付き合うのも、だ、誰かをこんなに好きになるのも、さくらが初めてなんだから!」
「ほ、ほえぇ……」
どんどんドツボにはまっていっている気がする。小狼の答えに、さくらはぐるぐると目を回した。
長い沈黙のあと、さくらの手を、小狼がぎゅっと握った。
「俺は、さくらがしたいこと、全部したい」
「ほんと……?休みの日にお出掛けしたり、今日みたいに学校終わってからもいっしょにいられる……?」
「ああ。俺も、そうしたい」
繋いだ手。伝わる体温。いつの間にか距離は近づいて、二人は視線を絡ませる。
「あとは……?小狼くん、他にもしたいこと、ある?」
「!!」
「おつきあいって、どんな事するの?どんな事、したい?……小狼くん。さくらに教えて?」
小狼の視線が、さくらのやわらかそうな唇に注がれる。ごくりと、喉が鳴った。
「さくら……」
繋いだ手に、力がこもる。少しだけ、汗をかいてる。
小狼の緊張がさくらにも伝わって、急激に意識する。それと同時に、今までになかった気持ちが生まれた。
(もっともっと、知りたい。小狼くんと、もっと……仲良しに、なりたい)
ゆっくりと近づく。吐息が、触れる。さくらはそうする事が自然のように、目を閉じた。


ーーーがたーん!!


「「 !?!!?!!??? 」」


突然の物音に、二人は大きく肩を震わせた。閉じていた目を開けたら、視界いっぱいにお互いの顔があったので、驚いて離れる。
(は、はうぅ~~~!!ち、近かった……!今のって、今のって、やっぱり………?)
顔を両手で隠しつつも、指の隙間から小狼の顔を覗いた。
小狼は同じように顔を赤くして、気まずそうに目を逸らしている。
ゆっくりとこちらを向いたその視線は、今までで一番熱くて、さくらを一層ドキドキさせた。
「い、今の音ってなんだったんだろ……?あっ、おにいちゃんの鞄が落ちたみたい。びっくりしたぁ……」
椅子にかけていた鞄がたまたま落ちたのだろう。さくらがそれを戻す姿を、小狼は無言で見つめていた。なんだか顔色が悪い。
「小狼くん、どうしたの?」
「……いや。悪いことは出来ないな、と思って」
はぁ、とため息をつく小狼に、さくらは首を傾げた。
目があって、ハッと先程の事を思い出す。赤面するさくらにつられて、小狼も顔を赤くした。
「……はじめての事で、わからないことばかりだ。でも俺は、さくらを……さくらとのお付き合いを、大事にしたい」
「小狼くん……」
「失敗も多いかもしれないけど」
自信なさそうに笑う小狼に、さくらは身を乗り出した。
「私もだよ……!はじめて同士だもん。いっしょだよ。何もしなくても、いいの。小狼くんといっしょにいられるだけで」
「さくら……」
胸が震えて、心の中は小狼でいっぱいになる。あったかくて、少しだけ苦しい。大好きの気持ちが溢れる。
見つめあう二人の耳に、突如として騒がしい声が飛び込んできた。
「さくらぁぁー!!お腹すいたーーー!!!」
「けっ、ケロちゃ……」
「あ?!なんやなんや、小僧もおったんかい!さては、わいのおやつを盗み食いしに来たんやな!?」
「そんないやしいことするか!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す一人と一匹を見て、さくらは苦笑した。


それから。ケルベロスのつまみ食いを阻止しながら、二人はいっしょにシフォンケーキを作った。
いっしょにお茶をして、出来上がったケーキを食べながら楽しくおしゃべりをした。
あっという間に夜になって、小狼は帰っていった。さくらは名残惜しそうにしながら、玄関先まで見送った。
そのうちに桃矢がバイトから帰ってきた。じろりとさくらとケーキを睨んだあと、一口で頬張る。
「甘い」
「美味しいってこと?」
「さぁな」
ぶっきらぼうに言って、桃矢はさくらの頭をくしゃくしゃに混ぜた。
幸せな余韻に浸りながら、さくらは思う。

(また、誘ってみよう。だって私と小狼くんは………おつきあいしてるんだもん)

 

 

2019.2.17 ブログにて掲載

 

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構ってほしい

 

 

 



(―――いた)
ある日の放課後。
小狼は生徒会の仕事を頼まれて居残りをしていた。思ったよりも早く作業が終わったので、校内のどこかで待っているだろうさくらに電話をかけた。
しかし、何度電話をしても出ない。小狼は、応答しない電話に眉根を寄せた。
昼休みにした会話を頭の中で反芻しながら、人気のない校舎の中を捜し歩いた。
『え?小狼くん、今日居残りなの?・・・そっかぁ。今日は私も部活ないから、待っててもいい?』
『それは構わないけど。退屈じゃないか?』
『ううん!・・・やりたい事もあるから、だいじょぶ!』
やりたい事ってなんだ?―――何気なく聞いたら、さくらはなぜか顔を赤くして、しどろもどろに「内緒」と言った。あの時の反応も、よく考えたらおかしかった。ちょうどその時にチャイムが鳴ってしまい、話は中断された。うやむやになったままの事が、今になって気になる。
気付いたら、走っていた。校内のあらゆる場所を探した。さくらがいそうな場所。チアリーディング部の部室や、体育館、中庭や校庭、教室。どこにも、さくらの姿はなかった。
(もしかして・・・)
最後に訪れたのは、図書館だった。どちらかというと、さくらよりも自分が頻繁に出入りする場所で。さくらが一人の時に立ち寄る場所としては、あまり想像がつかなかった。
しかし。そこで、小狼はやっとさくらの姿を見つけられた。
ホッと、安堵の息が零れる。
図書館内はいつも通り静かで、今日は来館者の人数も少ないように思える。小狼は顔なじみの司書に頭を下げてから、こちらに背を向けて座っているさくらの傍に、そっと近づいた。
館内の一番奥の、窓際の席。
(いつも俺が座ってる場所・・・)
こちらに背を向けているから、さくらはきっと気づいていない。手元にある本を読みながら、ノートに何かを書き込んでいるようだ。小狼は、なんとなく声をかけられず、その場で逡巡した。
さくらの纏っている空気が、いつもと違う気がした。ピンと張り詰めていて、心地いい緊張感。真剣な横顔が、綺麗で。こっそりと盗み見して、小狼は頬を赤らめた。
さくらは、小狼が近くにいる事に気付かなかった。
音を立てないように、気配を消して、正面に回り込む。下はふわふわの絨毯だから、都合よく足音や椅子を引く音を消してくれる。小狼はさくらの正面の席に座って、頬杖をついた。
(そんな真剣な顔で、何をやっているんだろう)
可愛らしいペンケースや分厚い本に阻まれて、さくらの手元は見えない。見えるのは、伏せた瞳にかかる長い睫毛と、忙しなく動くシャープペンシルだけ。
テスト勉強の時だって、こんなに集中しているさくらを見る事はない。小狼は、密かに感心していた。そして。普段は見せないさくらの凛々しい表情に、見惚れていた。
(いつもはふんわりで呑気に笑ってるのに、何かに真剣に向き合う時は全然違う顔をするんだよな。・・・さくらは、昔からそうだ)
恋した日を思い出しながら、小狼は笑みを浮かべた。
邪魔をするのは忍びないので、そのまま声をかけずに、鞄から読みかけの本を出した。さくらのしている事が何かは分からないけれど、それが終わるまでは待っていよう。小狼はそう思って、手元の本を開いた。
いつもなら、読書に没頭すれば時間はあっという間に過ぎる。
しかし。この日は、違った。
(・・・気づかないな)
小狼は数ページ読み進めては、ちらりと目をあげて、さくらを見た。しかし先程から風景は変わらない。さくらは、手元の本に視線を移しては、ノートにシャープペンシルを走らせる。時折、何かを考えるように難しい顔になって、手を止める。真剣な顔で本に没頭し、こちらに気付く素振りは見せない。
小狼は自分でも無意識に、さくらを見ていた。本の内容も、先程から頭に入ってこない。ページが行ったり来たりして、一向に進まない。小狼は観念して、閉じた本を鞄にしまった。
再び頬杖をついて、じっ、とさくらを見つめた。
彼女をこんなにも真剣にさせるものは、一体なんなんだろう。そんなに夢中になる本があるのか。それとも、何か興味を惹かれる事があったのか。
『内緒・・・』
そう言った時の、ほんのりと赤らんだ顔を思い出して、小狼の眉間に皺が寄る。
(・・・いやいや。何を考えているんだ。本の著者が誰かとか、関係ないだろ。違う。俺はそこまで嫉妬深くない。・・・ない、多分)
様々な想像が小狼の頭の中を巡るけれど、どれもしっくり来ない。さくらを夢中にさせるものはなんだろう。なぜ、自分には内緒なのか。どうしてあんなに可愛い顔で、恥じらって見せたのか。
むかむかむかむか。正体不明の苛々が、小狼の機嫌を降下させた。
―――それと、もうひとつ。
(そろそろ気付かないか?・・・こんなに近くで、見てるのに)
傍にいるのに、さくらが自分の事を見ない。その事が、思った以上に小狼の心を動揺させた。同じ場所にいるのに、あちらには見えていないような。自分がまるで、幽霊にでもなったような気持ちになる。
焦れったくて、歯痒くて。つまらなくて、寂しい。
(・・・ああ、そうか。さくらはいつも、こんな気持ちで。俺を、待っていたのかな)
いつもは待たせる側だったと、小狼は不意に思い出す。本に没頭すると、周りが見えなくなることが多い。さくらの優しさに甘えて、さくらを寂しくさせる事もあった。
小狼はずるずると机に突っ伏して、溜息をついた。自己嫌悪で、胸がちくちくと痛い。
突っ伏した姿勢のまま、目だけをさくらに向けた。依然として、こちらには気づかないままだ。
「・・・さくら」
そっと、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、名前を呼んだ。ノートを滑るシャープペンシルの音。ぱらり、と。本を捲る音。さくらの静かな息遣い。
その時。小狼の口から、零れ落ちたのは。
「・・・・・・さくら。構って」
無意識の。本心、だった。

「・・・ほぇ?」
「―――――!?!」

がたんっ、と。大きな音を立てて、机が揺れた。
驚きのあまりに仰け反って、小狼は口元を手で覆った。みるみるうちにその顔が赤く染まっていくのを、さくらの瞳が見つめていた。
聞こえるかもわからない、小さな小さな声だった筈なのに。先程まで、少しも気づく素振りがなかったのに。
さくらは、うっかり漏らしてしまった小狼の心の声を受け取って、今。目の前で酷く動揺している恋人を、真っ直ぐに見つめていた。
「ち、ちが・・・っ、今のは!・・・・・・き、聞こえた、か?」
さくらは、こくりと頷いた。
小狼は声にならない声をあげて、顔を背ける。自分の口から出た言葉が、信じられなかった。無意識下の思考が恐ろしい。それをさくらに知られてしまった事が、ひたすらに恥ずかしい。
さくらは立ち上がると、ぐるりと机の周りをまわって、小狼の方へと駆け寄ってきた。俯いた小狼の顔を覗き込むように、その場に座り込む。
「小狼くん、あの・・・。ごめんね、気付かなくて」
「・・・いい」
「待たせて、ごめんね?」
「・・・・・大丈夫、だから」
さくらの目が見られなくて、くぐもった声でそう答えるのが精一杯だった。すると、次の瞬間。さくらのやわらかな手が、小狼の頬に触れた。
その体温に誘われるように、自然と視線が向く。小狼は、目を瞠った。
視界いっぱいに、さくらの顔があった。赤い頬が、潤んだ唇が、近づく。伏せられた睫毛が揺れるのを見た、そのあとに。やわらかな唇が、自分にそれに触れた。
一瞬だけ触れて、離れたあと。呆然とする小狼の顔を見つめて、さくらは笑顔になった。顔が真っ赤なのは、きっと自分も同じだ。
さくらは照れ隠しなのか、赤い舌をぺろりと出して言った。
「えへへ。・・・これで、許して?」
「・・・・・」
「小狼くん?」
「・・・もう、お前。ほんと・・・。可愛すぎるの、いい加減にしろ・・・」
顔を覆って、悔しまぎれにそう言うのが精一杯だった。
可愛くて、予想がつかなくて、天然ふんわりで。こんなに自分の心を乱す人は他にいないと、小狼は改めて実感した。
「もう、知らないからな」
「ほぇ?小狼く、・・・んんっ」
人の目につかないように、そっと死角に入る。
膝の上にさくらを乗せた小狼は、閉館のアナウンスが流れるまでの時間、思う存分『構って』もらう事に決めたのだった。








「はうぅ。真っ暗になっちゃった。今日、食事当番じゃなくてよかったぁ」
閉館時間になって、小狼とさくらは赤い顔を隠すようにして、そそくさと図書館を出た。外に出ると、日は沈んで三日月が浮かんでいた。小狼が送っていく、と言うと、さくらは嬉しそうに笑った。
それから。少し恥ずかしそうに目元を染めて、小狼を上目遣いで見つめる。
「あ、あのね。小狼くん。今日、私・・・」
「・・・ああ、うん。わかってる。さっき、見えたから」
「―――!み、見えたの?・・・内緒にして、びっくりさせようと思ったのに」
さくらは照れくさそうに笑って、そう言った。小狼はそれを見て、抱きしめたい衝動に駆られる。
近付く車輪の音。正面から自転車が走ってきたので、さくらの手を引いて自分の方に引き寄せた。距離が、一瞬で近くなる。小狼はさくらの旋毛を見下ろして、ぽつりと言った。
「・・・香港の言語を勉強してくれてたんだな」
さくらの手元にあったのは、基本の広東語と常用会話の本だった。ノートには、びっしりと広東語の用語が書かれてあった。
「うん。でも、まだ全然なの。会話とかは、苺鈴ちゃんに時々お電話で教わってて。あとは、自分で調べた方が覚えるかなって、今日図書館で頑張ってみたんだ」
「それであんなに・・・」
周りの事も目に入らないくらいに集中して、勉強していたのか。
さくらは小狼の胸にぽすんと頭を預けて、言った。
「覚えたいんだもん。・・・小狼くんの国の言葉だから」
優しく響くさくらの声を聞きながら、小狼はたまらない気持ちになった。
抱きしめる以上に、この気持ちを伝える術はないものか。至極真剣に考えるけれど、思い浮かびそうにない。
「―――・・・」
小狼はさくらを抱き寄せて、耳元で囁いた。
それは、国の言葉だったけれど。ぼんっ、と爆発したように真っ赤になったさくらの反応を見たら、言葉は通じたのだと分かる。
赤く染まった耳を見て、小狼はくしゃりと笑った。

「・・・恋人の国の言葉を知るには、本人に教えてもらうのが一番の近道だって、知ってるか?」


 

 

2019.3.21 ブログにて掲載



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CHERRY

 

※オリキャラが登場します

 

 

 


所狭しと並べられた、色とりどりの雑貨。食器や文房具、アクセサリーや小物、贈り物に相応しい豪華なものから、多種類のお菓子まである。
雑多に揃えられたそれらは、いかにも女の子が好きそうな可愛らしいデザインだ。その証拠に、店内にはたくさんの女子達がひしめきあっていた。
その中で、明らかに浮いている男子の集団があった。
行き交う女子達は、くすくすと笑いながら視線を四人の男子に送る。それに気づいて居た堪れない気持ちになっているのは、おそらく自分だけではない筈だ。
小狼は、はぁ、と溜息をついて、店内にいるだろうさくら達の姿を探す。しかし、人混みに紛れて、どこにいるのかは分からない。女子達の群れに飛び込んで探しに行く勇気もない。
だから、こうして店内の入り口付近で、さして興味もない雑貨を見ていた。
「なあなあ。女子ってなんでこういう雑貨店好きなんだろうな?」
「それはやっぱり、可愛いものが好きだからじゃない?千春ちゃんはお菓子作りも好きだから、お菓子屋さんも大好きだけどね~」
「詩織ちゃんもそうなんだよ!毎回寄りたいって言うのに、別に何か買うわけでもないんだよな。可愛い~可愛い~って言いながらただ見て回るだけで。ほんと意味わかんねぇ」
「そんなに嫌なら外で待ってればいいだろ。もしくは、お前だけ別の店にいくか」
「そんなの寂しいだろっ!デートしてるんだから一緒にいたいと思うのが普通だろ!!なのに、俺がちょっとCD見たいって言ったら嫌そうな顔するんだぜ!?横暴じゃね!?」
「・・・西。声がでかい」
小狼は押し殺した声で言うと、ジトッと西を睨んだ。
見ると、周りにいる女子が一層こちらに注目している。西は自分の口を手で塞ぎ、背の高い賀村の影に隠れるように身を小さくした。
「さくらちゃん達、まだかなぁ。はぁ・・・。なんで女子の買い物ってこんなに長いんだ」
「その話、さっきからループしてるぞ」
「外で待つにも、今日は寒いしねぇ。僕らは邪魔にならないように端っこにいさせてもらおう」
山崎の言葉に、男子三人は無言で頷いた。
今日はテスト最終日で、学校が早めに終わった。
テスト勉強から解放されたのもあって、みんなテンションが高かった。特に西とさくらがはしゃいで、放課後にみんなで遊びに行こうという話で盛り上がり、今の状況に至る。
街に出て、大した目的もなくぶらぶらと歩いた。その途中、女子達が雑貨屋を見つけて、少し寄っていこうと笑顔で誘ったのだ。
店に入ってから、およそ三十分。さくら達はまだ帰ってこない。
見事に、店内は女の子ばかりだった。他の学校も同じようにテスト最終日だったのだろうか。星條高校ではない制服の女子も多く見かける。
店内の隅でこっそりと佇んでいる男子四人をチラチラと見ては、何やら内緒話をしている。好奇心の視線に晒されて、背中が痛い。
「・・・見られてるのは男だけだからってわけでもなさそうだけどね~。誰かさんは目立つからなぁ」
「なんだよ、その目は。俺のせいか?」
「いや、俺のせいかも!・・・ってぇ!何すんだよ賀村!」
のほほん呑気に話す山崎と、怪訝そうにする小狼と、呆れた表情の賀村に蹴られてご立腹の西と。間違いなく、四人はこの店で目立っていた。
その時。不意に目に入ってきたそれ。気になって、手を伸ばした。
小さなチューブ状の小物はピンク色で、可愛らしい花の絵が描いてある。その花は、小狼にとっても思い入れの深いものだった。
小狼の手の中にあるものを、西達は後ろから覗き込んだ。
「おお。さくらちゃんの香り・・・!?」
西の発言に、またもや賀村の蹴りが入る。先程よりも容赦ない。
「ハンドクリームかぁ。へぇ。いろんな香りがあるんだね。これサンプルだから試せるよ」
「山崎・・・なんか慣れてるな」
「僕は西くんと違って、千春ちゃんと一緒に雑貨を見るのも好きだからね。はい、これ。桜の香りだよ」
山崎はそう言って、小狼が手に取ったものと同じ桜のハンドクリームを少量、全員の手に付けた。小狼は眉根を寄せた表情で、手に塗って馴染ませる。
ふわりと、香る。その瞬間、小狼の眉間の皺が解かれた。
「なるほどな。これがさくらちゃんの香りかぁ!いい匂いだなぁ~」
「あはは。西くんは犬みたいだねぇ」
「というか・・・。男子高校生が揃ってこんなフローラルな匂いをさせてるって・・・どうなんだ?」
賀村の言葉に、四人はハッと我に返る。お揃いの桜の匂いが、ふわふわと漂っている。居た堪れないどころの話じゃない。
「やっぱり外に出てるか」
「そうだね、そうしよう」
「うぅ。腹減った・・・」
ひゅるるる、と甲高い風の音が外から聞こえて、男子達は揃って溜息をついた。
その時。
「ごめんね~!遅くなっちゃった!レジが混んでて」
千春が手を合わせて、山崎の傍に駆け寄った。後ろからは、奈緒子や知世、秋穂も一緒に来ている。みんな、手に可愛らしいショッピングバッグを持っている。
「お詫びに可愛いお菓子見つけたんだ。あとで食べよ!」
「皆さんの分も一緒に買いましたから。お待たせしてしまってごめんなさい」
千春達の優しさに触れて、やるせない待ち時間の事など、すっかり頭から消えた。西は『お菓子』という言葉に素直に喜んでいて、賀村も山崎も嬉しそうに笑った。
「あれ?さくらちゃんは?」
「さくらちゃんは、他にも買いたいものがあるって、レジに並んでましたわ。もう来ると思うんですが・・・」
「そう言えば、李もいないな」
先程よりも更に人が増えて、レジにも行列が出来ている。
二人が一緒なら心配ないですわ。と、笑顔で言った知世の言葉に、反論する者は誰もいなかった。一行は頷いて、一足先に店の外に出るのだった。








「お次の方、どうぞー」
レジの店員に呼ばれ、小狼は前に出た。すると同時に隣のレジも空いて、新たに呼ばれた客が隣に来た。
「・・・あ」
「・・・あっ!」
小狼とさくらは隣同士で、互いに顔を見合わせて固まった。
その間にも、目の前で会計が進む。にこやかな店員に、ぎこちない笑顔を返しながら、小狼は商品を受け取った。隣を見ると、さくらも会計を終えて小さな包みを受け取っていた。
「行くぞ、さくら」
「うん!」
混雑ではぐれないようにと、手を繋いだ。ぎゅうぎゅうに押されながら、店を抜け出す。暖房で暑いくらいだった店内との気温差に、二人は思わず肩を震わせた。
その時。ちょうど、二人の携帯電話が同時に通知音を響かせた。届いたメールは、知世からのものだった。
「みんな、近くの喫茶店に入ったって。私達も行こう?」
「・・・ああ。いや、ちょ、ちょっと待って。さくら」
「ほぇ?」
小狼はさくらを呼び止めた。その顔が、仄かに赤く染まっている事に、さくらは気付く。
不思議そうに首を傾げるさくらに、小狼は小さく息を吐いた。こういう瞬間は、いつも緊張してしまう。
先程購入した包みを開けて、中から取り出したものをさくらへと渡した。さくらは大きな目を瞬かせて、それを受け取る。
「ハンドクリーム?わぁ、可愛い!」
「・・・嫌いじゃなかったら、もらってくれ。『桜』の、匂いなんだって。書いてあった」
「もらっていいの?え?本当に?小狼くんが買ったんじゃないの?」
さくらは驚いていて、戸惑い気味に質問する。そうなるのも無理はない。小狼自身も、なぜそうしたのか、よくわかっていないのだ。
恥ずかしさから、手で口元を隠す。すると、先程塗ったハンドクリームの、桜の香りがした。
「さくらと同じ名前だったから。・・・ただ、それだけで。意味はないんだ」
「・・・!!」
「よく考えたら、俺がそんな可愛いのを持ってたらおかしいだろ?だから、もらってくれるとありがたい」
ふしゅー、と。頭から湯気が出てるんじゃないかと思うくらい、顔が熱い。小狼はさくらの顔を見るのも恥ずかしくて、マフラーに口元まで埋めて、視線を落とした。
しかし、さくらが何も言わないので、不安になって目を上げた。そうして、驚いた。
「いい匂い。桜の香りって、こんな感じなんだね」
さくらは小狼にもらったハンドクリームを開けて、さっそく両手に塗っていた。先程自分達がそうしていたように、くんくんと匂いを嗅いで、はにゃんと表情を和らげる。
気恥ずかしい気持ちになっていると、さくらが一歩近づいて、笑顔で言った。
「小狼くん、両手出して?」
「え?」
「ハンドクリーム、塗りすぎちゃった。だから、もらって?」
無邪気にそう言われ、小狼は戸惑いながら素直に手を出した。すると、さくらがその手を包むようにして、撫でた。ハンドクリームが、優しい体温と一緒に馴染んでいく。
さくらは頬を赤くして、小狼へと言った。
「えへへ。桜のおすそわけ。いい匂い?」
「・・・ああ」
先程、同じものを塗ったから大丈夫だ、とは。言えなかった。
さくらの、少し照れている笑顔が可愛くて。触れられている両手があたたかくて、何も言えない。
「小狼くん、ありがとう。私、この匂い大好き!」
「・・・俺も。俺も、好きだ」
「!!・・・じゃあ、これから私がクリーム塗った時には、小狼くんにもおすそわけしてあげるね?」
互いに真っ赤になって、見つめ合う。小狼がこくりと頷くと、さくらは嬉しそうに破顔した。小狼からもらったハンドクリームを、さくらは大切そうに鞄にしまう。
(なんだか、すごく幸せだ)
外は寒いけれど、心はあったかい。小狼は緩んでしまう口元を、マフラーに埋めて隠した。
同じ香りになった手を繋いで、みんなが待っている喫茶店へと向かう。
その途中、小狼は「そういえば」と思い出し、さくらへと聞いた。
「さっき、さくらは何を買っていたんだ?」
「あ・・・っ。えっと。・・・これ、なの」
さくらはなぜか緊張した面持ちで、先程購入したものを小狼に見せた。それは二センチ程の大きさの、人形だった。動物の形で、磁石になっている。
小狼はそれを手に取って、マジマジと観察した。なかなかリアルに出来ている。可愛いものが好きなさくらが買うものにしては、珍しい。
そう思っている事が顔に出ていたのだろうか。さくらはじっと小狼の顔を見つめて、小さな声で問いかけた。
「それ、なんだと思う?」
「え?・・・えっと、犬?違うか。狼?」
「そう。狼さん。小さな、狼さん・・・」
「・・・??さくら、顔が赤いぞ?」
きょとんとして聞く小狼に、さくらはますます顔を赤くして、黙り込んだ。
小狼は不思議に思いながら、さくらの手に狼の人形を返す。
「―――!」
刹那。
さくらが身を乗り出して、小狼の頬にキスをした。
ちゅっ、と。リップ音が響いたあと。至近距離、耳元で囁かれた言葉は。


「・・・・・小狼くんの、にぶちん」


熱くなる体温、香る桜。
小狼はしばし固まったまま、さくらの手をぎゅっと握り返すのだった。





~2019.4.7 web拍手掲載
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