会いたいなって思う時、うまく言葉に出来ない。
一日の大半、ふとした時に顔が浮かんで、胸が苦しくなる。
大好きだって思う度に、我儘になっていく。
(・・・言えないよぉ)

きっと、あなたは知らない。

 

 

 

 

 

ゴウヨクガール










ごうよく
【強欲・強慾】
非常に欲が深いこと(さま)。あくどいほど欲が張っていること。

分厚い辞書を捲って、細かい字を目で追う。浮かない顔でそれらを心の中で読み上げてから、溜息をひとつ。どんな文献を探しても、いいことなんて書いてない。
さくらは本を閉じると、元あった場所に戻した。
その時。聞こえてきた声に、耳がぴくりと反応する。
「ねー、李先輩、本当にいたよぉ」
「すごくドキドキしたー!もうちょっと見たいけど、読書の邪魔になっちゃうし」
「上級生とか、何人か本を探すふりして、見てたよね。いいなぁ」
小さな囁き声だけど、十分に興奮している様子が伝わってくる。はしゃぐ女生徒たちの上履きの色を見る。一年生だ。
(別に、見るくらいいいもん。そんなに私、心狭く・・・ない、もん)
心の中でさえ、はっきりと言えない自分に更にモヤモヤする。本棚を見ているふりをして、こっそりと視線を送る。
初々しく可愛らしく、はしゃぐ彼女達の話題の中心は、さくらがよく知る男の子で。まるでアイドルか芸能人かに送るような賞賛や熱視線に、本人以上に戸惑っている自分がいた。
身体が重い。気持ちも重い。ぐらぐらと揺れて、実に不安定だ。さくらは本棚に体を預けるように寄りかかると、再び溜息をついた。




中学二年生の秋。
小狼の背は、春からぐんぐんと伸びて。成長した彼の視線は、いつの間にかさくらと頭一つ分も違っていた。
誰よりも近くにいたのに。いや、近くにい過ぎたせいだろうか。小狼の周囲が俄かに騒がしくなっていたことに、なかなか気づけなかった。
「李くん、香港のいい漢方薬でも飲んだのかい?背、僕もじきに追い越されそうだよ」
「そんな怪しい漢方があるか。・・・まったく。毎日、成長痛で辛いんだぞ」
山崎と小狼の軽口に笑っていた頃が懐かしい。あれはまだ、身長が数センチ伸びた頃だろうか。まさかそれから、10センチ近くも伸びるなるなんて、予想もしていなかった。
「ほえぇぇぇ!?」
「・・・そ、そんなに驚かなくても」
「だってだって。小狼くん、すごく変わったよ!・・・あっ、もしかして香港で何か怪しいもの食べた?変な術とかにかかったんじゃ・・・」
「なに、山崎みたいなこと言ってるんだ」
小狼はくすくすと笑って、さくらの頭をぽんぽんと撫でた。見上げる視線が、こんなに違うなんて。仄かに赤らんだ頬や優しい笑顔を見れば、間違いなく小狼だとわかるのに。さくらの胸は、落ち着かなくなった。
それが、夏休みが終わる一週間前の出来事。香港に長く帰っていた小狼は、長い休みの間に成長痛も終えていた。ひとしきり伸び切った身長と逞しくなった体で、友枝町―――さくらの元に帰ってきた。
春前からゆるやかに伸び始めていた身長。成長期。女の子とは違う、男の子の身体。並んで歩きながら、さくらは隣にいる小狼を盗み見していた。ちょうど、さくらの視線の先に小狼の喉仏がある。
(ぽこって、してる。喉仏・・・。そういえば、声も少し低くなった?)
ジッと見てたら、小狼が気づいてこちらを向いた。目が合った瞬間に、ぼっ、と顔から火が出るみたいなイメージで、一気に顔が熱くなった。
「あ、あ、暑いねっ!汗出ちゃう!小狼くん、大丈夫!?」
「ああ。俺は別に・・・」
「そっか!香港よりは涼しいよね!あはははは」
不自然に笑いながら、なんとか誤魔化す。うまく誤魔化せたかどうかは置いておいて。さくらは、ひたすらに戸惑っていた。成長した小狼に心を乱され、姿を見る度、声を聞く度に動揺した。直視するのは苦しいのに、もっと見ていたいとも思ってしまう。
心がいっぱいになって、溢れ出そうになる。そこまで大きくなった感情を、小狼本人にぶつける事はどうしても出来なかった。
「またね」と別れて、家に帰ってきた時。さくらは一目散に階段をかけあがり、自室のベッドにダイブした。やわらかな枕に顔を埋めて、バタバタと足を動かし、それからごろんごろんとベッドの端から端まで転がった。
「なんやなんや!?さくら、どないしたんや!!」
「はうぅ~~~。大事件だよぉ」
「なんやと!?新しいカードか!?それともまたおかしな魔導士に狙われたんか!?」
「違うけど、違うけど~~~!!」
半泣きで転がるさくらの様子に、ケルベロスは大層動揺して、心配していた。その勢いのまま、雪兎(ユエ)やイギリスにいるエリオルにまで連絡しようとしたので、さくらは慌てて止めた。
驚きの再会から時が流れ、夏休みは終わり二学期が始まった。休み前とは明らかに変化した小狼の容姿に、友人達は勿論、クラスメイトや教師、他の学年の生徒達も驚いていた。
その波紋は徐々に広がり、小狼の周りが騒がしくなっている事にさくらが気付いたのは、つい最近の事だ。休み時間や昼休み、放課後。日常が、少しだけ変化した。
「李―。さっき、三年女子が教室に来てお前の事探してたぞ」
「・・・?三年生?なんだろう」
昼ご飯を終えて教室に戻る途中、通りかかった小狼のクラスメイトがそう告げた。
小狼自身は覚えがないようだが、さくらはピンときた。元来、そう鋭い方ではない筈なのに。最近、この事柄に関してだけ、やたらと勘が働く。
もしかしたらと、想像しただけで心がモヤモヤとした。
「・・・さくら?どうした、顔色が悪いぞ」
そっと、頬に触れる指先。ハッとして見ると、無意識に小狼の右手の袖を掴んでいた。心配そうに覗き込む小狼の顔が、近い。
(小狼くんに、このモヤモヤを伝えたら―――・・・)
ふと浮かんだ考えを、さくらは慌てて打ち消した。笑顔を作って「なんでもないよ」と言う。小狼はまだ心配そうにしていたけれど、それ以上は聞かなかった。
そうしている間にも、小狼へと注がれる視線を感じる。たくさんの女の子が、自分の好きな人を見ている。その状況に、さくらは戸惑った。大きくなる気持ちを、小狼にも、他の誰にも言えなかった。
どうしていいのかわからないまま、それから更に一週間が過ぎた。









―――そして、冒頭に戻る。
放課後の図書室。小狼はいつもの定位置に座って、本を読んでいた。読書に没頭する小狼にとっては、囁かれる女子達の声も熱い視線も、さして気になるものではないのかもしれない。
だけど、さくらはそう思えない。本を読む為じゃなく、小狼をこっそり見つめる為に集まっただろう女生徒達の存在が、気になって仕方なかった。普段は興味のない棚の本をおもむろに手に取って、開く。溜息と一緒に本を閉じて、棚に戻す。そうしながら、少しずつ小狼の傍に近づいて行った。
(あの子も、あの人も、そうなのかな。あっ、あの先輩も。そうなのかも。・・・ううん。違う、みんな本を読みに来てるんだよ。きっと。うぅ・・・、でも、やっぱり小狼くんを見てるのかな。あぁ、もう!私、何やってるんだろ?)
確かめる事も出来ない。想像だけで、泣きそうになる。不安で、寂しくて、叫びたい気持ちになる。こんな気持ちは、初めてだった。
だんだんと、その場所に近づいていく。図書室の奥、難しくて厚い本がたくさん並んだ本棚の先。人気のないその場所の中でも、一番に日当たりのいい窓際。小狼は姿勢正しく座って、一冊の本を読んでいる。
(・・・っ)
本棚の隙間からその姿を確認して、さくらの心臓が大きく跳ねた。
真剣な横顔、本に添えられた手、ページを捲る長い指先。やわらかな陽が照らすその姿が、大人びて見えた。タイムスリップして未来に来たのだと、そう言われても今なら信じてしまうかもしれない。それ程に、現実感が無かった。
さくらは、小狼から目が離せなくなった。ゆっくりと足を踏み出して、近づく。敷かれた絨毯のおかげで足音は消えていたけれど、気配に気づいてか、小狼は顔を上げた。
「さくら。部活、お疲れさま」
「!!」
「さくら?」
「・・・う、うん。待っててくれてありがと、小狼くん」
言いながら、さくらは意識を周囲へと向けた。この場所に集まっていた視線が、自分が来た事によって徐々に減っていくような気がした。少し申し訳なくなる気持ちと、ホッと安堵する気持ちが混ざる。
小狼が本を閉じて立ち上がろうとしたので、さくらは思わず言った。
「あっ、慌てなくていいよ。まだ、その本読みたいでしょ?」
「え・・・。いいのか?」
「うん。キリが良くなるまで。私、待ってるよ」
そう言うと、小狼は嬉しそうに笑って「ありがとう」と言った。
その笑顔に、さくらの頬が熱くなる。きっと今、物凄く赤くなっているだろう。しかし、差し込む西日のおかげか、本に集中しているからか、小狼にそれを気付かれる事はなかった。
さくらは小狼の前の席に座って、頬杖をついた。そうして、読書を続ける小狼を遠慮なく見つめた。
(えへへ。・・・特等席だぁ)
この場所は、自分だけに許されている。こんなに近くにいられるのは、自分だけ。―――本当はきっと、そんな事ない。だけど、さくらはそう思い込みたかった。
(私だけの・・・小狼くん、だもん)
ページを捲る音が、静かに響く。差し込む西日があたたかくて、さくらの目がとろんと蕩けた。




―――絶対に言えない。秘密。
「さくら」
―――欲深くて、我儘で。あさましくて、あくどくて。
「・・・さくら」
―――消したいのに、消えない。
溢れた涙が、頬を伝って落ちた。
「・・・小狼くんは・・・、さくらの、だもん・・・」
その時。包み込むような優しい気配が、急激に張りつめたのを感じた。
浅い眠りから浮上したさくらは、最初はその異変に気づかなかった。
なぜ、小狼が驚いた顔で見ているのか。目覚める瞬間に聞いた自分の声。零れ落ちた本当の気持ち。濡れた頬を小狼の手が拭った瞬間に、さくらは自分の失態に気付いた。
血の気が引いていく音がする。さくらは口元を手で覆って、小狼から距離を取るように体を反らした。しかし、小狼はそれを追いかけるように、身を乗り出す。「逃げるな」と言わんばかりに、強く手を掴まれる。
「さくら。なんで泣いてるんだ?」
「えっと、えっと。こ、怖い夢、見てて」
「何度も、俺の名前呼んでた。ずっとうなされてて・・・。『小狼くんはさくらのもの』って・・・」
「ほえぇぇぇぇ!!」
思わずさくらが叫んだ瞬間、小狼は「あっ」と焦った表情になって、慌てて口を塞いだ。間もなく、人が近づいてくる気配がする。
やってきたのは、司書の女性だった。
「今、何か悲鳴がありましたけど!何かありましたか!?」
「すいません、彼女寝惚けてて・・・。すぐに出る準備をしますので」
ここは大声を出すところでも昼寝をするところでもありませんよ、と。くどくどと言われる小言に小狼はさくらの代わりに謝ってくれた。さくらも謝ろうとしたけれど、小狼の手に唇を塞がれていたから何も言えず、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
司書の女性がその場から立ち去って、ホッと息をつく。それから、小狼は慌てて手を離した。
「ごめん、さくら!苦しかったか?」
「う、ううん・・・」
解放されて、さくらは「ぷは」と息を吐き出す。
その赤らんだ顔と涙目に、小狼は頬を染める。さくらもまた、自分を引き寄せた力強い腕や、唇に触れた大きな掌に、ドキドキと心臓を鳴らしていた。
無言の時間が続いて。静寂を打ち切ったのは、小狼だった。
「さっきの・・・話の続き、聞いてもいいか」
「・・・!!」
「さくらが言いたくないなら、無理には聞かない。でも・・・お前が泣いてるのに、何も出来ないのは嫌だ。さくら。俺に、言って」
真摯な小狼の言葉に、さくらの胸がいっぱいになった。零れ落ちそうな程の涙が、両目にたまる。
さくらの泣き顔に、小狼は動揺して固まる。ともすれば、衝動的に抱きしめたくなるのを、ぐっと堪えた。そうして、さくらが話し出すのを待つ。
「私・・・強欲なの」
「え・・・?」
「欲が深くて、あくどいくらいに欲張りで、我儘で・・・っ。小狼くんの事、独り占めにしたくて。嫌な女の子になっちゃったの」
話し出したら止まらなくなった。涙もボロボロと零れて、視界が滲む。きっと小狼は困っているだろう。呆れているかもしれない。そう思うと、悲しくて情けなくて、ますます涙が止まらなくなった。
「ちょ、ちょっと待って。さくらが強欲って・・・。なんの話だ?」
「・・・っ、小狼くんが、背が伸びて、ひく、格好良く・・・、っ、なったから。ほ、ほかの女の子、たくさん、好きになっちゃう。さ、さくらの、一番好きな人なのに」
「!?」
「小狼くんの事が大好きで。もっともっと大好きになったら、私、すごくすごく欲張りになっちゃっ・・・」
言葉の途中で、さくらは強く抱きしめられた。驚いて、思わず涙が止まる。
身長差が開いてから、こんな風に小狼に抱きしめられたのは初めてだった。これ以上ないくらいに近づいて、ぎゅうぎゅうに抱きしめられる。この夏で大きく逞しくなった―――『男の人』になった。小狼の変化を、一番に感じられた。
それと同時に。
(心臓、ドキドキしてるの伝わる。私と、一緒・・・)
触れる熱さも、心臓の音も。大好きな匂いも。少しだけ不器用な抱きしめ方も。
(変わってない。小狼くんだ・・・)
さくらは目を閉じて、全身で今の小狼をめいっぱいに感じた。
―――本当は。こうやって、抱きしめてほしかっただけなのかもしれない。
さくらは、心の中にあったモヤモヤや小さな燻りが、綺麗に消えていくのを感じた。
「・・・強欲って。なんだ、それ」
「!!・・・ごめんね、小狼くん。やっぱり嫌だよね」
さくらが再び涙声になった途端、小狼の手が肩を掴んで、引き剥がされる。そのかわりに、顔が近づいて。あっ、と思った瞬間に、唇が塞がれた。
ちゅ、と小さく響いたリップ音に、二人は照れて真っ赤になる。突然のキスに驚くさくらに、小狼は少し怒ったような顔で言った。
「なんだそれ・・・!可愛すぎるだろ!?」
「・・・ほぇ!?か、可愛くないよぅ!!辞書にも書いてあったもん、あくどくて欲が深くて、えっと、・・・ん!?」
思い出しながら話すさくらだったが、次の瞬間、またキスで遮られる。小狼は真っ赤な顔でさくらの言葉を封じたあと、勢いよく言った。
「あのな・・・!さくらの我儘も欲も、俺にとっては全部大事だ!全部さくらで、全部可愛くて、全部大好きなんだ!だから、隠すな!」
「・・・!」
「大体、強欲って言ったら俺の方がよっぽど・・・。さくらが知らないだけで、さくらを好きになる男子はいっぱいいるんだからな!そういう奴らに、俺がどれだけ苦労してるか」
「ほえぇぇ?で、でも・・・私、」
「さくら。・・・まだおかしなこと言うなら、口塞ぐからな」
ぽそりと言った小狼の言葉が、耳元で響いて。さくらは、それ以上の言葉が出せなかった。
大好きな人が近くにいる。吐息が触れる程の距離で、同じ心臓のリズムで、同じ熱さで。今きっと、同じ事を思っている。
(どうしよう。小狼くんが好き。・・・小狼くんに、いっぱい・・・してほしい)
「私・・・やっぱり、強欲で我儘、だよ?」
「・・・俺にだけなら、いい」
他の奴にはするなよ、と。小さく言った声が届くか届かないかのうちに、三度目のキスが落ちた。
一番長くて、息が苦しくなるけれど。もっともっと、と。強請るように、小狼の制服を掴んだ。
息を吸うために解放された唇は、また塞がれて。ちゅ、ちゅ、と啄むように触れたあと、角度を変えて深く口づける。永遠に続くような幸せな時間。目を開けて、至近距離で見つめあう。小狼の掌がさくらの熱い頬を撫でて、耳をくすぐるように弄った。
「ひゃぅっ・・・」
思わず漏れた声に、二人はハッとして目を見開く。反射的に周囲を見回して、誰も来ない気配にホッと息を吐いて。それから、目を合わせて笑った。
「・・・また、怒られちゃうね」
「そうだな。・・・じゃあ、このあと―――」
声変わりで低くなった小狼の声が、耳元で響いた。さくらはふるりと震えて、困ったように眉を下げて小狼を見つめる。イエス以外の答えが、ある筈ない。わかってて聞く小狼は、少し意地悪で優しくて。もしかしたら、自分よりも『ゴウヨク』なのかもしれない。
頷いたさくらの手を小狼が引き寄せて、二人は逃げるように図書館から出た。周りの視線も囁きも、もう何も気にならない。
(私と小狼くん、いっしょなんだ。・・・強欲なままで、いいんだ)




 


―――その翌日から。
『大好き』を我慢しなくなったさくらと、それを甘やかす小狼の、花が飛びそうな仲睦まじさに。恋の芽を摘まれた多数の男女が、人知れず泣くことになったとさ。

 

 



END


 

 

強欲をテーマに書きました♪急にモテはじめて不安になって独占欲が芽生えるっていいよねぇ~ ・・・って、何回同じような話書いた?汗

 

 

2019.9.28 了

 

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