※夫婦な二人です。少しだけアダルティな表現が含まれます。

 

 

 

 

 

 

 

どうして。
どうして、こんな事になってしまったのだろう。
さくらは、ボールの中で溶けていくチョコレートを見つめながら、小さく溜息をついた。
その背後から、じっと、見つめる視線。ちくちく刺さって、手元が緊張する。落ち着かない。集中できない。
ちら、と。その人の様子を窺う。
すぐ後ろのテーブルに座って、何をするでもなくこちらを見ている。頬杖をついて、無表情で。まるで、監視するように。
(うぅぅっ、や、やりにくいよぉぉ―――!!)









チョコレートよりも甘いもの









 

2月14日、バレンタインデー。
学校を卒業してから、少しだけ二人を取り巻く環境が変わった。
二人は高校卒業後すぐに結婚して、一緒に暮らし始めた。小狼は社会人、さくらは大学生。毎日の生活に追われながらも、甘く楽しい新婚生活を送っていた。
しかし。年が明けてから、年度末までの期間。小狼の仕事は恐ろしく忙しくなり、さくらもまた、進級前のレポートや課題に追われる日々となった。
2月に入ってから、小狼の帰ってくる時間が深夜に及ぶようになった。最近は泊まり込みで仕事だったり、地方に視察に行ったりと、家に帰れる日さえ少なくなった。
「14日の夜には必ず帰るから!」
数日前の電話。切迫した様子でそう言った小狼の頭に、『バレンタインデー』の事があったかどうかは定かではないが、さくらは嬉しかった。
その日は、二人で過ごせる。ご馳走を作って、手作りのチョコレートをプレゼントしよう。さくらは、そう心に決めた。
しかし。思った以上にレポート作りに時間がかかってしまい、気付いたら当日を迎えていた。
やや睡眠不足の体を起こして、さくらは目を擦る。チェストの上に置いてある時計、そこに刻まれている日にちを確認して、気合を入れるように頬を叩いた。
「・・・やっと、今日だ!」
今日、小狼に会える。そう思ったら、自然と笑みが浮かんだ。
早速ベッドから降りると、シーツを取って洗濯機に入れる。あたたかく降り注ぐ太陽の下に布団と枕を干して、ポンポンと叩いた。
それから、リビングを簡単に片づけて掃除機をかける。ご飯を食べている間も惜しくて、食パンを口に咥えながら準備を進めた。ふと鏡を見ると、起き抜けのまま髪には寝癖まで付いて、なんとも間抜けな姿だった。
(こんな格好、小狼くんには絶対に見せられないなぁ・・・)
そう思いながらも、進んでいく時間に、焦りと嬉しさを感じていた。
洗濯したシーツを干して、お風呂に入って丹念に体を洗う。
身支度を整えてから、キッチンに立った。数日前に買っておいたケーキの材料を並べて、エプロンを装着する。
この時点で、時間はお昼前。
(今から作り始めて、オーブンに入れて・・・焼きあがるのは3時頃かな。それから冷蔵庫で冷やせば、ちょうど夕ご飯の後に食べられる)
頭の中で計算をして、さくらは頷く。完璧だ。久しぶりに帰ってきた小狼を、十分におもてなし出来る。
―――『美味しい。俺の為に作ってくれたのか?・・・ありがとう、さくら』
「ほえぇぇぇ・・・っ!ど、どうしよう!想像だけで、既にとろけちゃいそうだよぉ」
にやけてしまう頬をおさえて、独り言を漏らす。さくらはハッと我に返って、頬を赤く染めた。
最近、一人でこの家にいる事が多かったからか、気付くと独り言が増えてしまっている。誰もいない時に、妄想の小狼に話しかけてみたり、心の声が言葉に出てしまったりして、非常に恥ずかしい。
さくらは気を取り直すように息を吐くと、腕まくりをして調理を開始した。
用意した板チョコを袋から出す。まな板の上で細かく刻んで、湯煎で溶かして。もう一方のボールで卵白を泡立ててメレンゲを作り、チョコレートと混ぜるのだ。甘いチョコレートの匂いに、『はにゃーん』となりながら、一生懸命かき混ぜる。
その時。
―――ガチャン
「・・・え!?」
玄関の方で音がして、さくらは驚いた。慣れ親しんだ気配と、足音が近づいてくる。
まさか、そんな。予想していたよりも、ずっと早い。
扉が開いた瞬間、さくらは咄嗟に、手に持っていたボールを背中に隠した。
「ただいま、さくら」
「小狼くん・・・!お、おかえりなさいっ!!」
部屋に入ってきたのは、この家の主でありさくらの旦那様でもある、小狼だった。
常であれば、この上なく嬉しい瞬間だ。だけど、さくらの心の中は予想外の展開に焦るばかりで、表情も体も固まって動けなくなってしまった。
そんな挙動不審なさくらの様子を、小狼はジッと見つめた。無表情で、不機嫌そうにも見える。部屋に充満しているチョコの匂いに気付いている筈なのに、その事には全く言及しない。
小狼は、鞄を置いて早足でさくらの傍へと近づく。さくらはなぜか逃げ腰になって、キッチンの奥へと後退する。
じりじりと追いつめられ、小狼は壁に手を付いてさくらを見下ろした。
「ただいま」
「お、おかえり・・・!って、さっき、言ったよ?」
「うん。言った」
(しゃ、小狼くん・・・なんか、変?)
表情が読めない。行動も、いつもと違って強引で、何を考えているのかわからない。
さくらはドキドキと鼓動を鳴らしながら、手に持っているメレンゲ入りのボールを強く抱いた。
「あ、あの・・・。少し、休んで来たら?疲れてるでしょ?」
「疲れてる。けど、さくらと一緒にいたい」
「ほぇ・・・っ。わ、私も一緒にいたいけど、その。ちょっとやることが・・・」
「じゃあ、俺も一緒に作る」
小狼の一言に、さくらは目を真ん丸にして固まる。小狼は、さくらの手からボールを奪うと、慣れた手つきでかき混ぜ始めた。
呆然としていたさくらは、慌てて小狼の手からそれを奪い返す。
「だ、だめっ!!これは、私一人で作るの!」
「・・・・・」
「そんな、拗ねた顔してもダメっ」
子供みたいに不機嫌を露わにする小狼に、さくらは必死で言った。
だって、これは小狼にあげるもので、大切に想いを込めて作るチョコレートなのに。それを、本人に手伝わせるなんて。意味がわからない。ありえない。
ふるふると首を振るさくらを、小狼はしばらく見つめていた。無言の攻防が続く中、小狼がふ、と息を抜いて、「わかった」と頷いた。
ホッとしたさくらに、小狼はこう続けた。
「手は出さない。でも、離れる気はないから。ここで、ずっと見てる」
そう言って、近くにある椅子に座って頬杖をついた。何をするでもなく、じ・・・っ、と、小狼の瞳が真っ直ぐにさくらを見つめていた。
宣言通り。小狼は目を逸らすことなく、作業するさくらの行動、全てを見ていた。
その視線に戸惑いながらも、さくらはケーキ作りを進める。だけど、やっぱり慣れない。目が合うと動揺して手元が狂ってしまうから、不自然に背を向けていた。
しかし。
「・・・っ」
後ろから突然に抱きしめられて、ケーキの種を混ぜていた手が震える。ぴっ、と跳ねたチョコレート色の種が、さくらの頬に付いた。
小狼は後ろからすっぽりとさくらの体を抱きすくめ、首元を悪戯に食んだ。ちゅ、と音を立てて吸い付かれ、さくらは一瞬、甘い雰囲気に意識を持っていかれる。
久しぶりに、小狼の腕に抱かれている。そのやすらぎと大好きな匂いに、自然と体の力が抜けて身を任せたくなってしまう。
しかし。あと少しの所で我に返ったさくらは、ボールをぎゅっと手に持って、いやいやとするように首を振った。
その態度に、小狼はあからさまにムッとする。
「嫌なのか?」
「いっ、嫌じゃないけど・・・!だって私、ケーキ作ってるんだよ!?お願いだから、もう少し待ってて!」
精一杯厳しい口調で言うと、小狼は眉根を寄せて黙り込む。不満たっぷりの顔で、さくらの真似をするように、首を横に振った。
さくらは、困ってしまった。
小狼の為に作っているのに、小狼はそれをさせてくれない。部屋の中は甘いチョコレートの匂いで満ちているのに、気づいていないのだろうか。気付いているのに、意地悪をしているのだろうか。
さくらは悲しくなって、瞳を潤ませた。
「もう・・・。今日は、こうなる筈じゃなかったのに・・・」
ぽつりと、言葉が落ちた。
小狼の眉が、ぴくりと反応する。さくらが気付いた時には、小狼の不機嫌があからさまに表情に出ていた。
(や、やっちゃった・・・!思った事が口に出ちゃった・・・っ)
最近の独り言の癖が、こんなところで出てしまうとは。さくらは慌てて弁解しようと口を開くも、小狼の方が早い。
「こうされるの、やっぱり嫌なのか?」
「ち、違うっ」
「俺にくれるチョコレートを作ってるのに、どうして俺がここにいちゃダメなんだ?・・・もしかして、他の誰かにも分ける・・・」
「違う違う!」
話がややこしい方向へ行きそうになっている。さくらは、必死に否定をして軌道修正を図った。しかし、小狼の機嫌は下降の一途を辿る。
先程までの甘い空気はどこへやら。小狼はさくらの肩を掴み、懇々と言い聞かせる。
「あのな。付き合いで義理っていうのはわかる。でも、手作りはダメだ。どんな勘違いされるかわかってるのか?少しは危機感を」
「違うってば!ゼミの先輩とかには、みんなで一緒に買ったチョコをあげる事になってるから、お金は渡したけど!それだけだよ!」
さくらがそう言うと、それはそれで面白くないのか、小狼の眉間の皺は更に深く刻まれる。
(どうしよう・・・)
正直に打ち明けないと、きっと納得してはくれない。
小狼に、今ここにいてほしくない理由。さくらの、複雑な胸の内。
作りかけのケーキの種を見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「・・・だって、嫌なの。小狼くんに見られてると、ドキドキして・・・集中できないの、嫌なの。ケーキ、ちゃんと作りたいのに」
小狼は表情を変えずに、ぽつぽつと話し出したさくらを見つめる。
「今日、バレンタインだから。小狼くんに美味しいケーキ作って、喜んでもらいたいのに。・・・小狼くんが傍にいると、ケーキ作りとかそういうの全部投げ出して、ただ甘えたくなっちゃうの・・・っ!!」
叫ぶように本音を口にしてから、さくらは恥ずかしくなった。ボールを持つ手が、震える。
帰ってきてくれて、嬉しい。素直に喜びたい。抱き着いて、甘えて、甘やかして。何もしないで、二人でただ、くっついていたい。
だけど、小狼に喜んでほしい。ケーキもご馳走も作りたい。バレンタインだから。特別な日だから。頑張りたかったのに。
「もう、ぐちゃぐちゃだよぅ・・・」
様々な本音が混ざり合って、ジレンマで苦しい。
俯いたさくらの手からボールを奪うと、小狼は黙ってその体を抱きしめた。
ぴったりと吸い付くように合わさる肌が、気持ちいい。伝わる体温が、動揺した心を安堵へと導く。
さくらは、自然と肩の力が抜けるのが分かった。気負っていた心が、小狼の熱で溶かされて、落ち着く。涙目を閉じて、息を吐いた。
さくらを抱きしめながら、小狼は静かに言った。
「・・・ちょっと待ってろ、とか。無理だから。・・・こっちは、深刻なさくら不足なんだ。全然足りない。今すぐにでも補充したい。・・・だから、さっきみたいな事言われると、正直凹む」
「う。ごめんなさい・・・」
さら、と。小狼の大きな手が、さくらの髪を撫でる。少し赤くなった目元にキスを落として、それから、頬に付いたチョコレートの欠片を、舌で掬った。「甘い」と笑った小狼の顔を見て、さくらの目に涙が浮かぶ。
小狼はさくらの額に自分のそれを合わせて、言った。
「バレンタインとか、チョコレートとか。さくらからもらえるものは、すごく嬉しい。・・・嬉しいけど。正直、今はそんなのより」
言葉も途中に、小狼はさくらの唇を塞いだ。優しく触れるだけで離れると、間近で視線を絡める。さくらは、自分から強請るように小狼の袖をぎゅっと掴んだ。
それを合図にして、激しく口づけられる。息継ぎさえままならないキス。さくらは小狼に強くしがみついて、自らも必死に応えた。
ほんの少し舐めたチョコの甘さが、伝染して体中に回るみたいに。甘く痺れるような刺激が、互いの体を動かす。
小狼はさくらの体を抱き上げると、そのままリビングへと移動して、ソファの上へと座らせた。後ろ手に、腰で結ばれたリボンを、しゅるりと解く。
「大体な・・・。チョコの匂いさせて、可愛いエプロンして・・・。そんなのを見て我慢しろって言うの、男にとっては苦行でしかないからな」
「そ、そうなの・・・?」
思ってもみなかった事実に、さくらは呆然と聞き返す。その反応に、小狼は苦笑を漏らした。
仕方ないな、と優しく笑ったあとに―――瞳をぎらつかせて、唇を舐める。
「誘惑して焦らして・・・今年のチョコは、さぞ甘くなってるんだろうな」
「え?ほぇ!?ち、違うよっ!今年のチョコはケーキで、私じゃな・・・っ、ん」
ソファは、さくらと小狼の重みで僅かに軋む。キスをしながら、小狼はまるで包装を解く様に、さくらの服を脱がしていく。
とろとろに蕩けた思考の中、さくらの耳に小狼の言葉が届いた。
「じゃあ、いただきます」
甘い指先とキスに、抗える筈もなく。
作りかけのケーキの事も忘れて、さくらは隅々まで綺麗に、小狼に食べられてしまった。
チョコレートよりも、ずっとずっと。甘くて美味しくて、離れ難くて。めいっぱいに幸せになってしまう、大好きなもの。
今年も、余すことなく食べてもらえて、幸せだ―――。






「・・・っ、じゃ、なくて・・・!違うの!ケーキ!ケーキ作るの・・・っ」
とろけた思考から目を覚まし、さくらは勢いよく起き上がった。
しかし。しっかりと体に巻きついた腕が、ソファへと引き戻す。さくらは抗議を込めて見つめるも、相手はちっとも効いた様子がなく、ご機嫌に笑ってキスをする。
啄むようなキスが、だんだんと熱を持って深く合わさる。
またも流されそうになったさくらは、小狼の唇を掌で塞いで抵抗する。
「もうちょっとなの!もうちょっとで出来るから!あとは型に流し込んで焼くだけで・・・っ、きゃんっ、だめ、だってばぁ」
「さくらの『もうちょっと待って』は、聞かない」
「うぅぅ、意地悪・・・。いっぱい食べたのに、まだ足りないの?」
呆れたように言うと、小狼はムッと眉根を寄せて、さくらの唇に咬みつく様にキスをした。
視界の端に映る、小狼の情欲に染まった瞳や急いた表情に、いちいち心臓が跳ねる。熱が移ったように、体が熱くなる。
さくらは観念して、小狼の背中に腕を回し、キスに応えた。
「今日くらいは、甘いの強請ってもいいだろ。バレンタインなんだから」
「・・・もう。しょうがないなぁ」




作りかけのケーキも、用意した夕飯の材料も。全部明日へと持ち越して。
今日は、ただくっついて、イチャイチャして。甘い甘い、バレンタインの日を過ごそう。


HappyValentine!!




 



END

 


ダダをこねる小狼が書きたかった(笑)翌日にはケーキもご馳走も美味しく食べましたとさ♪

 


2017.2.14 了

 

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