※パラレル設定のお話です。

 

 

 

 

 

 

 

初めて会った時、今までにない直感があった。どうしようもなく惹かれた。
無意識に、その腕をつかまえていた。
「・・・え?」
「・・・あ」
怪訝そうに歪んだ鷲色の瞳が、こちらを見つめた。突然に手をとって引き止めたのは私なのに、一番驚いているのも私で。時が止まったように動かない二人の間で、桜の花びらが雨のように降り注いだ。
「将棋部・・・?」
彼の声が、私が手に持っているプラカードの文字を読み上げた。そこには、手作り感満載で『将棋部!』と大きく書かれている。昨日、徹夜で作ったものだ。
今日の、新入生勧誘会の為に。
「・・・そう!将棋!興味、ある?経験は?」
「将棋、知らないです」
「大丈夫!私も知らないから!」
「はい?」
ますます眉を顰められて、うっ、と言葉に詰まる。怪しむ視線が痛い。
しかしここで負けてたまるかと、生来の負けず嫌いの血が騒ぐ。やや控えめな胸をはって、自分よりも二十センチは高いであろう新入生を見上げた。
「今年、設立しようと思っています!部員募集中です・・・!!よかったらどうですか!?」
「・・・あの。いろいろと突っ込みどころがありすぎるんですが。そもそも、どうして俺に?興味も経験もないんですけど」
振り絞った勇気はばっさりと切り捨てられ、撃沈。諦めようかと思ったけれど―――見つめる瞳の中に、確かに可能性を見た気がした。
この人なら、きっと。
「・・・女の勘ですっ!」
「いや、そういう非科学的な事じゃなくて」
「絶対!絶対君は上手になるし、強くなると思うの!だから・・・っ、私と一緒に、将棋をやってください!」
直角にお辞儀をして、彼へと手を差し出した。完全に『お願いします』のポーズだ。それまで騒がしかった周りの人が、何事かと目を向ける。注目されて、彼は少しだけ頬を赤らめた。
困ったように眉を下げて、溜息をつく。そして、一言。
「初心者ですよ。期待に応えられるとは思いません」
「・・・うんっ」
「飽きたらやめるのも可能ですか?」
「飽きさせないように頑張る!」
食い気味に答えると、彼はなんとも言えない顔で黙った。それでも、先程よりも表情がやわらかくなった気がして、嬉しくなる。
あともう一押し、と。調子に乗って体を乗り出した拍子に、躓いた。そうして、彼の胸の中へと倒れた。抱き着いたような形になって、慌てて体を離す。
「ご、ごめんなさい・・・っ!」
「い、いや。別に。大丈夫です」
抱き着いた拍子に感じた、腕の逞しさや熱さに、動悸が激しくなる。彼の方をチラと見ると、顔を真っ赤にして視線を逸らされた。
(お、落ち着いて!最初が肝心・・・!)
気持ちを切り替えるように、ひとつ咳ばらいをする。
「改めて、お願いします!将棋部に入ってくださいっ!」
差し出した右手を、彼はしばし逡巡したのちに、そっと取ってくれた。
勢いよく顔を上げて、満面の笑みで言った。
「ようこそ、将棋部へ!私は、木之本さくら。二年です」
「・・・李小狼です。よろしくお願いします」

春、桜が舞う季節に。彼と私の物語が始まった。









君とちっちゃな恋語 【前編】









 

放課後が待ちどおしい。最近は、ずっとそうだ。
ホームルームが終わるとすぐに、教室を飛び出していく。友達のあたたかい視線に見送られ、下校で賑わう廊下を走り抜けて、その場所へと急ぐ。
『科学準備室』の扉を開くと、既に彼はそこにいて、将棋盤と向き合っていた。
「李くん!お待たせ!」
「・・・先輩。廊下は走らないほうがいいですよ」
ゆっくりと視線を上げて、彼―――李小狼くんはそう言った。
一年後輩の彼に、こんな風に注意されるのには、もう慣れた。というよりも、最初の頃から嫌悪感のようなものは感じない。
初めてできた後輩に、少し浮かれているせいもあるかもしれない。生意気な言葉も、尊敬とは程遠い扱いも、根底には彼の優しさがある気がして。不思議と、心地いい。
盤を挟んで、反対側に着席する。将棋の本を片手に棋譜を並べる、真剣な顔に、胸がドキと音を立てた。
私も鞄から本を取り出して、盤と本を繰り返し見つめる。まだ始めたばかりの将棋は、なかなかに難しくて奥が深い。ルールを理解するのに必死な段階だ。
(李くんの、駒を指す手、様になってて格好いいなぁ・・・。・・・はっ!ち、違う違う!ちゃんと、真面目に勉強しなきゃ!)
頬に集まる熱と煩悩を追い出すように、ふるふると首を振る。私の奇行に気付いてか、李くんはチラとこちらを見て、小さく笑った。
「先輩って、面白いですよね」
「え・・・?そ、そうかなぁ。あんまり言われたことないけど」
「じゃあ、そういう部分を見た人が他にいないって事なんでしょうね」
俺以外に、と。
小さく付けたされて、妙な動悸が胸を打った。
最近は、ずっとそう。李くんといると、正体不明の動悸が生まれる。日に日に激しくなって、何かの病気じゃないかと疑ってしまうくらいだ。
(どうしてこんなに、ドキドキするんだろう・・・?)
きゅう、と苦しくなる胸を抑えて、気持ちを切り替えるべく深呼吸をした。
放課後の、ほんの短い時間しか許されない今だから、無駄には出来ない。鞄から数枚の紙を取り出すと、李くんへと意気込んで言った。
「入部希望の人、こんなにいっぱい来たよ!何人かと会ってみようかと思うんだ」
「・・・・・見せてください」
途端に、不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、李くんは私の手から入部届を奪った。数枚の用紙に素早く目を通すと、溜息交じりに言った。
「見事に全部男ですね」
「・・・?将棋だし、女の子は少ないかなって」
「経験は?」
「みんな、ルールくらいは知ってるって。興味があるから、ぜひ入ってみたいって!」
たくさんの人が興味を持ってくれるのは嬉しい。その気持ちが、頬を緩ませた。だけど、私が笑顔になるのと反比例して、李くんの顔は不機嫌の一途を辿る。
「じゃあ、俺が全員と個別に面接しますから。先輩は何もしなくていいです」
「え・・・っ。えー!でもでも、この前もそんな事言って、李くん一人も入部許可しなかったよ!?」
抗議を口にすると、ぎろりと睨まれる。思わず肩を震わせると、李くんはまた溜息をついた。なんだか、これ見よがしにわざとらしい。
「だって、早く部員集めなきゃ・・・。このまま、二人だけの将棋同好会になっちゃうよ」
今現在、私達『将棋部(予定)』に用意された部屋は、化学準備室の小さなスペース。
部に昇格されない限り、部室なんて立派なものは与えられない。不憫に思った担任の先生が、放課後の一時間だけ、という条件で鍵を預けてくれた。
今は、将棋部を目指す同好会という形に収まっている。なんせ、部員は二人だけ。予算も出ないし、人が集まらなければ大会にも出られない。将棋は駒と盤があればどこでも出来るけれど、初心者二人だけじゃ上達も見込めないだろう。
それを言うと、李くんは涼しい顔で棋譜ならべを続ける。
「大会なんて出られるレベルになってないし。二人でここで練習してるだけでも十分じゃないですか?」
「でも、一時間しか出来ないし」
「・・・確かにそれは短いけど」
「でしょ?」
「でも、それとこれとは別です」
先程の入部届を、李くんは自分の鞄の中にぞんざいに押し込んだ。それを横目で見て、彼は眉間の皺を深くする。
「将棋目当てじゃないのは明白だろ・・・」
「ほぇ?何が?」
盤上に注がれる李くんの視界に入ろうと、体を乗り出す。すると、彼の頬にわずかに赤みがさした。
「・・・無防備すぎ」
「え?」
「胸、見えますよ」
「―――っ!!」
冷静な口調で言われ、かぁぁっ、と、全身が熱くなった。胸元を抑えて勢いよくさがると、椅子がガタガタとやかましく揺れる。恥ずかしさから言葉を無くす私に、李くんは呆れた顔で言った。
「先輩の場合、隙間から奥々まで全部見えちゃいますよ。男は、そういうところに目が行く生き物なんですから。嫌なら、自衛してください」
「・・・・・ち、小さいって事!?そりゃっ、谷間とかは無い、けど・・・っ」
「夢の夢ですね」
「い、意地悪意地悪!!李くんの意地悪―――っ」
半泣きで叫ぶと、李くんの仏頂面が突然に崩れた。小さく噴き出して、くしゃっと笑う顔。少し幼い笑顔に、先ほど言われた暴言も忘れてしまった。
「すいません」と、まったくすまなくなさそうな顔で、憎らしく笑う。
この生意気な後輩の一挙一動に、振り回されている。喜んだり、怒ったりして。いつの間にか、笑ってる。
最近は、二人きりの放課後の時間が、楽しみで仕方なくなっていた。彼の言葉に流されるように、このまま部員二人のままでもいいんじゃないかと、思ってしまう瞬間がある。
(・・・もう。だめだなぁ、私。こんなことで、約束、果たせるのかな・・・)
―――ぱち、ぱち。
李くんの指先から生まれる、心地いい音に。在りし日の記憶が蘇る。心が、じんわりとあたたかくなった。
うららかな陽気の中で、今日も私と李くんの部活動の時間は、静かに過ぎていくのだった。






そんな日々が、一週間ほど過ぎた頃の事。
ホームルームが終わって、私はいつもどおり、科学準備室へと向かっていた。
その途中で、彼女達に出会った。
「将棋部部長の、木之本先輩ですよね?」
自分よりも背の高い女子生徒に、にっこりと微笑まれて。見覚えがない顔だったから、焦って思い出そうとしているうちに、囲まれていることに気付いた。ぐるりと見渡すと、全員女の子。上履きの色を見て、一年生だという事はわかった。
(う・・・。みんな、おっきい・・・)
最近の若い子は発育がいいと、テレビでも聞いた。残念ながら自分には当てはまらなかったのだけれど。それを証明するかのように、今ここにいる十人程の女子達は、年下でありながらみんな背が高かった。
必然的に見下ろされているので、感じる重圧感が凄い。
正面に立つ女の子の、たわわに育った部分を見つめ、己の寂しい胸元をそっと手で抑えた。
「はい。木之本は私ですけど・・・何かご用ですか?」
さすがに、こんなに大勢の後輩と接点を持った覚えはない。不審に思って問いかけると、最初に声をかけてきた女子が、一歩こちらへと近づいた。立派な胸を張って、大仰に見下ろす。
「私達、将棋に興味があって。入部届を提出したんです」
「えっ・・・!本当ですか!?」
「はい。でも、全て却下されたと聞きました。その理由を聞きにきたんです」
笑顔が、怖い。
彼女達は怒っているのだ。抗議をするために、ここに来たのだと。鈍い私でも気づいた。
だけど、その子の言葉に一番驚いていたのは、私だった。だって、知らなかった。こんなに入部希望者がいたなんて。しかも、知らない間に入部を却下した人物がいるなんて。
―――思い当たる人物は、一人しかいない。
生意気に笑う、ただ一人の後輩。ついでに、昨日の暴言まで思い出してしまって、顔に熱が集まる。
(私、なんにも聞いてない・・・!!それにっ!李くんってば、昨日私の小さい胸を笑ってたのに、こんなおっきい胸の子を断るってどういう事なの!?)
少々論点がずれている気がしたけれど、とにかく怒っていた。知らないうちに話が進んでいて、何も聞かされていない挙句、複数の女子に責められている状況にある。
李くんと話をしなければ。そのためには、この場をなんとか誤魔化して離脱しなければならない。
(お、落ち着いて!私の方が先輩だし、話せばきっとわかってくれるはず・・・っ)
小さく深呼吸をして、相手を刺激させないよう、笑顔を作った。
「あ、あの。ごめんなさい。私は何も知らないの。入部届は、李くんが持ってるのかな?それなら李くんに・・・」
そう言った途端に、周りを囲んでいた女子達が一斉に詰め寄ってきた。
「知らないなんて嘘ですよね!」
「自分が李くんを独り占めしたいから、私達の入部を却下したんでしょ!?」
「えぇっ!?ち、違います!!ちょ、ちょっと待って!落ち着いて・・・っ」
騒ぎ出す女の子達に、既に冷静ではいられなくなっていた。この事態をどう収拾つければいいのかと、ぐるぐる回る頭で考えるも、打開策は全く生まれない。
逃げ出してしまおうかと思ったけれど、完全に包囲されている。ただでさえ、身長が頭一つ分遅れを取っているのだ。狼狽える私に、一人の子が笑顔で話し始めた。
「李くんは、笑顔で私達の入部届を受け取ってくれた。王子様みたいに笑って「検討します」って言ってくれたの。なのに・・・っ!次の日、同じ笑顔で『却下です』って!理由を聞いても笑うだけで答えてくれないし・・・!!」
それまでは笑っていたリーダー格の女の子の話が、つらつらと恨み言のように変わった。呆然とそれを聞きながら、直球で突っ込みを入れる。
「えっと・・・。その話だと、李くん自身が却下したってことだよね?それなら私じゃなくて、李くんに直接聞いた方がいいんじゃないの、かな・・・?」
しかし。それが踏んではいけない地雷だった。それまで穏やかだった笑顔が一転して、鬼の形相へと変わった。
「っ!それが出来ればこんなところにいないよっ!!何よ、こんなちんちくりんで・・・っ!確かに顔は可愛いけど!?スタイルは私の方がいいのにっ!!どんな弱みで、李くんを独占してるの!?」
「ほえぇ!!し、知らないもんっ!!」
激昂するその子に胸元を掴まれ、周りからも罵倒されて。やるせなさとパニックで、泣きそうになった。
(誰か・・・っ!李くん―――!)
心の中で、無意識に名前を呼んだ。
その瞬間。ふわりと体が浮いて、息苦しさから解放された。
あんなに騒がしかったのに、しん、と静まり返る。遥かに上回った視界。先程までとは真逆に、取り囲む女の子たちを見下ろしている。
涙で滲んだ視界の中で、自分を抱えている人を見つめた。
「李くん・・・」
彼が物凄く怒っていることは、眉間に深く刻まれた皺と、ぴりぴりとした空気ですぐにわかった。
李くんは私を子供のように軽々と抱えて、じ、と見つめた。怒っているんじゃなく、呆れているんじゃなく。純粋に、心配してくれている。
「怪我、無い?酷い事、されてないですか?」
「う、うん・・・。大丈夫だよ」
頬に、優しく添えられる掌。それに酷く安心して、自然と表情が綻ぶ。
抱き着きたい衝動にかられて、ハッと我に返った。真っ赤になって口ごもる私を見て、李くんは何を勘違いしたのか、表情を険しくして女子達へと言った。
「お前ら・・・。この人はいろいろ小さいけど、頼りなくてそうは思えないだろうけどな。一応、先輩なんだからな!」
「っ!?!」
李くんの口から飛び出した言葉に、私は先程とは違う意味で真っ赤になった。
「~~~っ!!また小さいって言った!一応って何!?酷い!李くんのばかっ!!ばかぁっ!!」
抱えられたまま、彼の頭をぽかぽかと殴る。それを、まるで虫が飛んでるかのように面倒くさそうに払って、李くんはもう一度彼女達に言った。
「今後、文句があるなら俺に言え。この人を虐めたら、容赦しないからな」
特攻してきた女子達はみんな青い顔で俯いて、「ごめんなさい」と小さく謝った。
彼の本気の怒りを感じたからだろう。こんな風に怒ることもあるのだと、正直驚いていた。最初に会った時は、何にも感情を示さないような、そんな印象だったのに。
だけど。一番驚いているのは、そんな彼の新しい一面を見るたびに、喜んでいる自分だった。
(一緒にいるようになって、李くんが笑ったり怒ったり・・・いろんな顔が見れて、嬉しい・・・なんて)
どうして、こんな風に思うんだろう。胸を鳴らしてやまない、この気持ちはなんだろう。くすぐったくて、恥ずかしくて。時々、嬉しくて仕方なくなる。
確かに育っていく気持ちに、私はただ、戸惑っていた。


 

 

 

後編へ続く



 


2017.4.6 了

 

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