小狼が待ち合わせ場所に到着したのは、約束した時間の三十分程前だった。まだ、さくらの姿は無い。バス停のベンチに腰かけて、持ってきた本を開いた。
今日はさくらとお出掛けの約束をした。誘ったのは自分だ。
これまでに二人で出かけた回数は、両手では足りなくなった。植物園や水族館、買い物やピクニック、色々な場所に出かけた。一緒に過ごす時間も、だんだんと長くなって。お別れの時、「また行こうね」と、泣きそうな顔で笑うさくらを見ると、離れがたい想いが増した。
次の約束が待ちどおしくて、気付けばさくらが好きそうな店や、楽しんでくれそうなレジャースポットを調べている自分がいた。
小狼は一人、苦笑いを零す。
(あと少ししたら、あの角を曲がってさくらが走ってくる)
自分の姿を見つけると、花が咲いたように笑う。あの顔が早く見たい。そわそわと落ち着かない気持ちを隠して、手元の本に目を向けた。

 

 

 

 

 

NGデート take2

 

 

 

 

 

「発車します」
バスが、車掌のアナウンスと共に走り出す。もう、何台見送っただろう。小狼はページを捲る手を止めて、腕時計を確認した。
待ち合わせ時間を、十五分ほど過ぎていた。携帯電話にも連絡が入っていない。さくらが来る筈の方向を見るも、人影はない。もう少し待ってみよう。何度目かの言葉を心で呟き、携帯電話を見つめた。
しかし。三十分を過ぎても連絡が無いので、さすがに心配になってきた。
さくらはいつも時間通りにやってくる。早く来てしまう自分に合わせて、最近では競うように早く来る。時折寝坊して遅刻しそうな時は、連絡をくれる。なのに今日は、それもない。
もしかして、何かあった―――?
胸をよぎる悪い予感を、ふる、と頭を振って追い出す。小狼は険しい表情で、携帯電話のコールボタンを押した。
「・・・・・出ない」
長く呼び出し音が鳴っているが、応答はない。小狼は居ても立っても居られない気持ちで、ベンチから立ち上がった。バスに乗車する為に並んでいた人が、その勢いに驚く。小狼は走りながら、すぐさま電話をかけ直す。だが、やはり応答はなかった。
嫌な予感が、ふつふつと大きくなる。全速力で、木之本家へと駆けた。








ぴんぽーん
ぴんぽーん、ぴんぽーん
ぴんぽんぴんぽん、ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん!
「・・・・・・やぁかましいわっ!!そない鳴らさんでもすぐ出るわ!!」
勢いよく扉が開いて、一番に顔を出したのは彼女の相棒であり守護獣である、ケルベロスだった。自分じゃなかったらどうするつもりだ、と。反射的に小言が浮かぶが、今はそれどころじゃない。
「さくらは!?」
「なんやなんや!朝早う来ていきなり!まだ寝とるわ!!わいもぐっすり寝とったんやけどな、誰かさんのせいで」
「上がるぞ!」
欠伸をしながら文句を言うケルベロスを押しのけて、小狼は木之本家へと上がり込んだ。
さくらの部屋が二階にある事は知っている。ケルベロスが出たという事は、家人は留守なのだろう。無遠慮に、どかどかと階段を上っていく。
扉の前で、止まる。一応ノックをするが、応答する声は無い。静まり返った部屋を前に、小狼の顔が青褪める。
迷いながらも、ドアノブを回した。
「さくら・・・っ」
切羽詰まった声で名前を呼ぶ。小狼の視線は、正面のベッドに向かった。
こちらに向けられた足が、僅かに動いて。「うーん」という小さな声が、聞こえた。
小狼は早足でベッドへと駆け寄る。
そして。
「―――!!」
「・・・むにゃ・・・、んん・・・」
枕を抱きしめた姿勢で、気持ちよさそうに眠るさくらの姿を、驚きの表情で凝視する。
小狼はそれを見つめながら、音もなく床に膝をついた。どくどくと、鳴り出した心臓の音。緊張が解かれ、安堵の気持ちが大きくなった。
はぁぁ、と。深く息を吐いて、もう一度確かめるように体を乗り出す。間近で、さくらの寝顔を覗き込んだ。
(何かあったとかじゃなくて・・・よかった)
心配が杞憂だった事が分かって、それだけで気持ちが軽くなった。無事を確かめるまで、生きた心地がしなかった。自分でも過保護だと思うけれど。
(寝坊・・・?それとも、予定を忘れてた?いや、さくらに限ってそれは無いか。・・・でも。もし約束を忘れてたとしても)
さらりと、さくらの頬を撫でる。くすぐったそうに身を捩って、また寝息をたてる。
その顔を見れただけで、幸せな気持ちになった。
(さくらがここにいるだけで、それだけでいい)
掌から伝わる体温や、微かな寝息。幸せそうに眠る顔を、ずっと見ていられる気がした。小狼はさくらの枕元で頬杖をつき、甘やかな視線でそれを見つめた。
「・・・なんだこれ。可愛すぎないか・・・?」
思わず、ぽつりと本音が零れる。
瞬間、ハッと我に返った。
「小僧。お前、何しにきたんや・・・?」
「―――!」
部屋の入口付近でふよふよと飛びながら、ケルベロスが呆れた口調で言った。小狼は、かぁ、と頬を赤く染める。無意識の行動ほど、恥ずかしいものはない。
しかし、今更さくらから離れるのも嫌だった。さくらの頬を撫でながら、ケルベロスへと平静を装って問いかけた。
「よく寝てるな。昨日、夜更かししたのか?」
「そうやで。深夜までわいとゲーム対戦してたんや!9割はわいの勝ちやったけどなー!」
えっへん!と得意気に笑うケルベロスに、小狼は呆れた溜息を返した。ゲームで夜更かし、はケルベロスならわかるけれど、さくらも一緒にとは珍しい。
ふに、と。頬を悪戯につまむと、さくらの眉間に僅かに皺が寄る。ぷ、と噴き出して、小狼はやわらかな頬を弄った。
「まぁ、わいに勝ったらっていう交換条件で始めた勝負だったさかい、勝つまでやめられんかったんやろ。さくらの粘り勝ちやな~」
「・・・条件?」
「おっと。これは小僧には内緒やった」
ケルベロスは「まずい」という顔で、両の手で口を塞いだ。そうして、わざとらしい笑みを零しながら、部屋を出て行く。
「おい、待て。今の話・・・!」
「・・・・・んー・・・。もう、朝ぁ・・・?」
もぞ、と動いた気配に、小狼は目を向ける。
ベッドの上、気持ちよさそうに眠っていたさくらの目が、ぼんやりと開いた。まだ寝惚けているのか、その目はすぐにでも閉じてしまいそうだ。
しかし。目の前にいる小狼の姿を捕らえると、ふわりと笑った。
その笑顔に、小狼の心臓がぎゅっと掴まれる。
「小狼くんだぁ・・・。わぁ、いい夢~」
どうやら、まだ夢の中にいると思っているらしい。小狼は苦笑すると、眠るさくらと目線を合わせるように、ベッドに頭を乗せた。
「夢じゃない」
「ほぇ・・・?」
「おはよう、さくら」
言いながら、さくらの口元にかかった髪を指で払う。
呆然と開かれた瞳に、はっきりとした光が灯る。みるみるうちに、さくらの顔は真っ赤に染まっていった。その表情の変化を、小狼は興味深そうに見つめる。
「ほえぇぇぇ―――!?しゃ、しゃおら、小狼くん・・・っ!?なんで、どうしているの!?!」
がばっ、と。勢いよく体を起こし、さくらは壁際へと逃げた。
きん、と耳に響いた声にも、笑いがこみあげてくる。小狼は想像通りのさくらの言動を愛おしく思いながら、言った。
「さくらの許可なく部屋に入って、すまない。一応ノックはしたんだ」
「~~~っ、ぜ、全然気づかなかったよぅ・・・。こんな、寝起きで髪もぼさぼさで、顔も・・・っ、み、見ちゃだめ!」
さくらは真っ赤になって、引き寄せた布団を頭から被ってしまった。
小狼は焦って、申し訳なさそうに言う。
「ごめん、さくら。俺、さくらの事が心配で・・・何かあったんじゃないかって不安になって。強引な事した」
「・・・・・?何か、って?」
布団の塊が動いて、さくらは顔だけ出して小狼を見つめた。その恰好もなんだか可愛らしくて、小狼は緩む頬を隠すように口元に手をやった。
「待ち合わせ場所で待ってても、来る様子がなかったから」
「え・・・?」
「途中で何かあったんじゃないかとか、来られない急用が出来た・・・とか、色々考えた。でも、そうじゃなかったから安心した」
戸惑うさくらの目を真っ直ぐに見つめて、小狼は言った。
すると、さくらは突然に動いた。布団から抜け出して、忙しなく机の引き出しを開ける。
寝ている時にはわからなかった、ルームウェアの丈の短さ。そこから伸びるさくらの白い脚に鼓動を揺らされていると、「やっぱり!」という声が耳に入ってきた。
驚く小狼に、さくらは手に持っていた紙を見せた。
「小狼くん!お出掛け、今日じゃないよ。来週だよ!」
「え・・・?」
「ほら。小狼くんにもらった、劇のチケット。日付、来週だよね?」
さくらにそう言われて、今度は小狼の方が呆然とする。すぐに、自分の鞄に入っているチケットを確認した。そこに印字されている日付を見て、愕然とする。
「そうだ・・・。来週だ・・・。嘘、だろ。間違えた」
「だよね?ほえぇ、よかったー」
さくらも、安心して笑った。
小狼は恥ずかしさと申し訳なさで、何も言えなかった。全部自分の間違いで、勘違いで。勝手に心配して空回りして、早朝に部屋に押しかけてしまった。
「俺、何やってるんだ・・・?」
自己嫌悪に襲われ、ベッドに突っ伏した。顔が上げられない。今自分がどんな顔をしてるか分からないけれど、情けなくてとても見せられない。
「小狼くん、ずっと待っててくれたの?」
「・・・・・」
「今日だと思って、楽しみにしてくれてたの?」
「・・・・・うん」
なんとかそれだけを返すと、頭上で笑う声がした。心地いいその笑い声に誘われるように、自然と顔が上を向く。
さくらが、笑っていた。嬉しそうに目元を綻ばせて、あげたチケットで口元を隠すようにして。幸せそうに、笑っていたのだ。
(・・・ああ、もう。間違えたのは俺なのに)
―――それだけで、また幸せになってしまった。







「なんやなんや!朝から安眠妨害しおってー!全部、小僧の勘違いやって!?あっはっはっ」
「・・・悪かったな」
ぶす、とした顔で、一応ケルベロスにも謝罪する。さくらに笑われるのは嬉しいのに、この差はどうしたことだろう。
リビングで出されたお茶を飲んでいると、パタパタと駆けてくる足音が近づく。
「おまたせ、小狼くん!」
「・・・ああ」
「ほぇ?どうかした?」
不思議そうにするさくらに、なんでもない、と言ってお茶を飲む。
(・・・言えない)
服を着替え、髪を整えて。身支度を済ませてきたさくらは、いつもどおり可愛い。
だけど、さっきの無防備な寝姿も悪くなかった。悪くないどころか、すごく―――。
心の中で膨らんだ想いを吐息と一緒に追い出すと、隣に座ったさくらを見た。同じようにお茶を飲んでいたさくらは、小狼の視線に気づいて「なぁに?」と笑う。
「・・・頬っぺた、触ってもいいか?」
「・・・えっ。え?・・・い、いいよ?」
戸惑いながらも了承してくれたさくらの、左の頬に手をやった。指先で撫でたあと、ふに、と摘まむ。だんだんと熱くなっていく体温と、潤む瞳を見つめながら、小狼は言った。
「こっちは、起きてる時のほうがいいな」
「・・・!ね、寝てる時にも、したの?」
「どっちもやわらかくて気持ちいい・・・けど。起きてる時の方が、さくらの反応が楽しい」
正直に感想を述べると、さくらは盛大に顔を赤くした。寝ている時の事を言うのはデリカシーがなかったか、と。小狼は胸中で反省する。
一旦触ってしまうと、離れ難い程の気持ちよさだった。小狼が撫でていると、さくらも自ら頬を擦り寄せる。少しだけ困った顔で見つめられると、どうしていいのかわからなくなる。それくらいに、可愛い。
思考がおかしな方向にいきそうだったので、小さく咳ばらいをして軌道修正する。何か話題、と。考えた時、先程の事を思い出した。
「そういえば、さっきケルベロスが言ってたんだ。昨日、深夜までゲームしたのは何かの交換条件だったって・・・。俺には内緒だって。それって、何か関係あるのか?」
そう聞いた途端、さくらは顔を怒りの色に染めて、菓子を食べていたケルベロスを睨んだ。
「もう、ケロちゃん・・・!!内緒だって言ったのに!」
「わはは。つい口が滑ってもうた。堪忍やでさくら~」
この口ぶりからして、自分が関係しているのは間違いない。そう確信して、小狼は無言でさくらの顔を覗き込んだ。
さくらは、観念するように溜息をついて、言った。
「来週のお出掛けのあと・・・、ケーキをね、小狼くんと食べようと思ってたの。この前、千春ちゃんに新しいレシピを聞いたから頑張って作ろうと思って。それで」
「わいが居たら邪魔やって言うんやで!酷いやろ!!ケーキも小僧とひとりじめなんて許さへん!!」
「邪魔じゃないよぅ!でも・・・っ!その日はお父さんもお兄ちゃんもいないし、小狼くんに気兼ねしないでゆっくりしてもらいたいなって、そう思ったんだもん・・・」
「そんでわいが、ゆきうさぎのところに行くか行かないかの勝負をしてたってわけや。一勝でも出来たら考えてやってもええで。って、言ったんや」
ぽんぽんと行き交う二人の会話を追いかけながら、小狼は心があたたかくなるのを感じた。
さくらは「内緒にして驚かそうと思ってたの」と、照れながら笑う。
(・・・ああ、もう)
間違いと勘違い。寝顔とサプライズ。散々になる筈だった休日が、さくらのおかげでご褒美になってしまった。
小狼の沈黙に、さくらとケルベロスは言い合いをやめて、顔を見合わせる。心配そうに覗き込んださくらの手を握って、小狼は言った。
「今日は・・・、予定、空いてるか?」
「ほぇ?う、うん・・・!暇!すごく暇だよ!」
身を乗り出して笑顔で繰り返すさくらに、小狼も笑った。


空は晴れていて、気温も良好。予定外のお出掛けは、きっと格別に楽しいものになるだろう。
ご機嫌に笑って、手と手を繋いで。仲良く出かけて行った二人を見送って、ケルベロスはやれやれと欠伸を漏らすのだった。


 

 

 

 

END


 

 

 

 

お出かけで失敗しちゃうエピソードパート2です。今度は小狼が失敗~。でも二人なら失敗もいい思い出になるんだな~と思いながら書きました。

クリアカード編の起き抜けさくらちゃんを想像してもらえたらと思います♪


 

2018.11.28 了

 

気に入っていただけたら、ポチリとどうぞ!

 

戻る