それは甘い20題

 

07. はちみつ

 

 

 

 

 

「・・・?どうかした?さくらちゃん」
覗き込まれて、さくらはハッと我に返った。かぁ、と顔が赤く染まる。
対する千春は、不思議そうに首を傾げる。三つ編みの髪がそれに合わせて揺れた。
「ごめんね、千春ちゃん。つい、じっと見ちゃった」
「ううん。大丈夫だよ。何を見てたの?」
「えっと・・・」
ますます顔を赤くするさくらに、千春はピンとくる。この反応は、紛れもなく『恋バナ』の予感。さくらがこんな顔をして想う相手は、知る限り一人しかいない。
そして、こういう『おいしい』話題が始まると決まって―――。
「―――なになに?さくらちゃん、李くんと何かあった?」
「ほえっ!?な、奈緒子ちゃん・・・!」
「ほほほ。恋するさくらちゃんも、超絶可愛らしいですわ!」
「知世ちゃんも!いつのまに・・・」
「なんのお話ですか?」
「あっ、秋穂ちゃんまで!!ほえぇ・・・」
予想通りの展開に、千春は「あはは」と声を出して笑った。さくらは、いつもの友人達に囲まれて、わたわたと戸惑う。でもどこか、安堵しているようにも見えた。
「それで?さくらちゃんは、何をそんなに熱心に見てたの?」
「・・・うんと。千春ちゃんのくちびる、すごく綺麗だなって思って・・・」
さくらの言葉に、その場にいた全員の視線が千春に集まった。観察するように見つめられ、途端に照れる。今度は千春の顔が仄かに赤くなった。
「確かに。千春ちゃんの唇、全然荒れてなくて艶々で、綺麗な色してるね」
「何か、特別なお手入れをされているんですか?私も知りたいですっ」
奈緒子と秋穂に迫られ、千春は照れくさそうに笑った。その後ろでは、さくらが興味津々にこちらを見ていた。どうしても知りたいらしい。
ひとつ咳ばらいをして、千春は言った。
「実は、好きなんだ。美容法・・・って言ったら大袈裟だけど。雑誌に書いてある事とか試してみたり、新発売のリップも気になるのがあったら買ってみるし。今付けてるのはこの前発売されたばかりのリップだよ。結構いい感じなんだ」
さくらと秋穂が、熱心な表情で千春の話に頷く。奈緒子の眼鏡が興味深そうに光り、知世は黒いレンズ越しにそれらを見つめた。
「千春ちゃん。そのリップ、教えてもらってもいい?」
「うん。全然いいよ。それなら、放課後にみんなで買い物にいかない?今日、部活無い日でしょ?」
千春の提案に、秋穂の表情が変わる。頬が紅潮して、興奮した様子で一歩前に出た。
「放課後にお買い物・・・!私もご一緒してもよろしいのですか!?」
「もちろんだよ~。いいねいいね。女の子だけでたまにはゆっくりお話したいし~。ね、知世ちゃん」
「はい!楽しみですわ!」
急遽決定した、女の子だけのお出掛けに、さくらは嬉しそうに笑った。
その顔を横目に見て、千春が問いかける。
「でも、急にどうしたの?くちびるを気にするなんて・・・さくらちゃん、もしかして?」
「っ!!!」
「さくらさん?大丈夫ですか?顔が真っ赤です・・・!」
「そのあたりの話も聞かせてもらいたいね~。私、一度行ってみたかったカフェがあるんだ」
「では、そこでお茶しながらゆっくりじっくり・・・お話しましょう!」
「ほえぇぇぇ―――!」










翌日。
お昼休みが終わって、次は五時間目。移動教室だった。さくらは教科書類を手に持って、千春や知世と一緒に教室を出た。
その時、名前を呼ばれる。
「さくら」
「・・・!小狼くん」
「ごめん。次、移動なのか。じゃあ、あとででも」
隣のクラスである小狼が休み時間に会いに来るのは珍しい。さくらは、単純に喜んだ。気づかいを見せる小狼に、「ごめんね」と謝って、「じゃあ、また」と笑顔を交わす。しかし。その後方から、思いもよらぬ声がかかった。
「まだ時間あるから、大丈夫じゃないかな?教室、そんなに遠くないし」
「私達は先に行っていますから、お二人はごゆっくり」
まるでお見合いの仲人か何かのように、知世と千春は優しい笑顔で足早に去っていく。その際にこちらへと片目を瞑って見せた。さりげないエールに、さくらの顔が紅潮した。
「大丈夫だったのか?悪い、突然で」
「う、ううん・・・!あの、小狼くん。こっちで、お話しよ?」
顔を赤らめるさくらに、小狼も僅かに緊張を見せる。二人は、生徒が行きかう廊下から少し外れて、人気のない階段下へと移動した。人が滅多に来ないからか、少しだけ空気がひんやりとする。
さくらはドキドキと鳴る胸を抑え、唇をきゅ、と結んだ。緊張を悟られないよう、小狼へと笑顔で聞いた。
「えっと。小狼くん、なんのご用だったの?」
「ああ。後ででもよかったんだが・・・今日は、一緒に帰れなくなったんだ。急用が出来て」
「そう・・・、なんだ」
その瞬間、さくらの気持ちは急降下。声も表情もしょぼんと沈んで、誰が見ても明らかに落胆していた。
すぐに気を取り直して笑顔を作るけれど、小狼が気づかないわけがない。申し訳なさそうにする顔を見て、さくらは慌てて言った。
「大丈夫だよ!昨日は私の都合で一緒に帰れなかったし・・・。だから、気にしないで?」
ね?と、笑うさくらに、小狼は頷いた。
小狼はおもむろに、さくらの空いている右手に手を伸ばす。細い小指を控えめに握られ、さくらの胸の動悸がぶり返した。小狼の熱を感じた途端に、スイッチが入るみたいに。
しばし無言で、見つめあう。
さくらが自ら体を寄せた事で、二人の距離は一気に近づいた。
「昨日は、楽しかったか?」
「うん。みんなとお話するのが楽しくて、時間があっという間に過ぎちゃった。秋穂ちゃんも、すごく楽しそうだったんだよ。奈緒子ちゃんが教えてくれたカフェもすごく美味しくて、おしゃれで」
さくらが話す言葉に、小狼は頷く。さくらはドキドキと心臓を鳴らしながら、吐息も触れそうな距離で昨日の出来事を話した。小狼は優しく笑って、話に相槌をうつ。その間も、繋いだ指を絡ませたり、手の甲を撫でたりする。
緊張と、期待。甘やかな視線を見つめ返し、なんでもないふりをしながら、さくらは会話を続ける。
(気づいて、くれるかな・・・?)
その時。小狼の顔が、ぐっと近づいた。影がかかって、さくらの心臓が大きく跳ねる。
話は、不自然に止まる。さくらは唇を閉じて、視界を埋める小狼を見つめた。
「―――・・・」
重なった唇が、甘くてやわらかな感触を届ける。
小狼は一旦離れた後、さくらを見つめ、再び口づけた。階段の影に身を潜め、さくらの姿を隠すように小狼が覆いかぶさる。その唇の感触を味わうように、何度もキスが落ちた。
「・・・っ、小狼く、・・・っ?」
キスの合間に名前を呼んでみるも、それさえも口づけの中に消える。小狼に握られた右手が熱い。教科書を持つ左手が、震える。
(こんなにいっぱい・・・キス、されたの、初めてだよぅ・・・)
夢見心地に小狼からのキスを受け止めて、さくらはそんな事を思う。小狼の手がさくらの背中に回って、隙間なく抱きしめられる。その力強さに、さくらの胸が性懲りもなくキュンと音を立てた。
その時。
二人の逢瀬の終わりを告げる鐘の音が、無情にも響いた。午後の授業の予鈴だ。
途端に、二人の距離は離れる。
小狼は我に返ったのか、その顔には動揺と困惑が見えた。もちろん、顔は真っ赤だ。
「ごめん。なんか、暴走した」
「う、うん・・・」
「さくらの話を聞いていた筈なのに、その・・・、気になって、途中から話が入ってきてなかった。ごめん」
「・・・??気になったって、なにが?」
さくらが問いかけると、小狼は赤面したまま言い澱む。
(あ・・・!)
その時。さくらは、ある事に気付いた。
「今日、さくらの、く、唇が・・・、なんか艶々してて。甘い匂い・・・とか、して。動く度、気になった。引き寄せられるみたいに」
「・・・!」
「でも。だからって、話を中断させてする事じゃなかった。ごめん、さくら」
申し訳なさそうに謝る小狼に、さくらは呆然としたのち、慌てて首を横に振った。
そうして、小狼の顔を覗き込む。先程自分の唇をこれでもかと味わって離れていった、小狼の唇を見つめて、さくらの頬は緩んだ。
「えへへ・・・嬉しい」
「え?な、なにが?」
「小狼くんに気に入ってもらえて、嬉しいの!」
さくらは満面の笑顔で言った。その言葉の意図はわからなかったけれど、さくらの笑顔に小狼の頬がまた赤くなる。
「あっ、いけない!授業始まっちゃう・・・!小狼くん、また明日ね!」
「え?あ・・・っ」
さくらは驚くほどの速さで走って行ってしまった。






小狼はポツンと一人残されたあと、はぁ、と溜息をついた。
堪え性のない自分の理性に呆れかえるのと同時に、先程触れたばかりのさくらの感触を思い出して、頬が熱くなった。気を取り直し、教室に戻る。
教室に入った瞬間、本鈴が鳴り響いた。さくらは間に合っただろうか、と考えながら席に着く。
「李くん、ギリギリだったね。先生まだだけど。何してたの?」
「いや・・・、別に」
前の席に座っていた山崎が、こちらを振り返って言った。言えるわけがない。小狼は適当に誤魔化しながら、机の中から教科書を取り出す。
その時。山崎が、何かに気付いたように目を瞬かせた。
「・・・?あれ?李くん、何か食べた?コロッケとか」
「は?何も食べてないけど」
「唇が妙にツヤツヤしてるよ」
その言葉に、小狼は何気なく自分の唇に指で触れた。しっとりと濡れているような感触に、不可解そうに眉を顰めたあと、突然に思い当たる。その瞬間、ぼぼぼ、と顔が一気に紅潮した。
それを見て山崎は何かを察したのか、笑顔で頷いたあと、無言で前を向いた。多くを聞かない友人に密かに感謝しながら、小狼は暴れ出す心臓を抑えようと必死だった。
唇に移った、さくらの痕跡。あまくて、やわらかい。花の蜜に誘われた虫のように、虜になってしまう。
自分の唇をぺろりと舐めて、小狼は小さく溜息をついた。

―――それは、なんて甘い。はちみつの唇。


 

 


 

END

 


2018.4.7 了


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