※ぬるめですがアダルティな表現があります。苦手な方は注意してください!














日が当たらなくて薄暗い。校舎の裏、真冬の外気でひんやり冷やされたコンクリートの壁を背にして、さくらは目の前の人を見つめた。
ぴりぴりと痺れるような空気が伝わる。
小狼が、物凄く怒っている。
さくらは困ったように眉を下げて、何か言おうと口を開いては、言葉が出ずに沈黙した。小狼と壁の間に挟まれ、逃げないようにと塞がれている。―――逃げたりなんてしないのに。
今、この状況になっている理由については、痛いくらいに理解していた。痛む胸をおさえて、さくらはここ数日の事を思い返した。

 

 

 

 

 

嫉 妬 チ ョ コ レ イ ト

 

 

 

 

 

ある日の下校時。小狼と一緒に校舎を出たさくらは、意外な人達に声をかけられた。ジャージ姿の上級生だったが、見覚えがなく、特段付き合いがある先輩ではない。妙に緊迫した空気に、隣にいた小狼も顔を強張らせた。
「木之本さんにお願いがあるんです。李くんも、よかったら一緒に聞いてほしいの」
「・・・ほえ?お願い・・・?」
小狼とさくらは互いに顔を見合わせ、首を傾げる。お願いします、と先輩に頭を下げられては、断るのも難しい。仕方ないと溜息をついて、小狼もそれに了承した。
他の生徒の邪魔にならないようにと、連れて行かれたのは体育館の裏だった。そこで小狼は漸く、声をかけてきた女生徒達が誰だったかを思い出す。生徒会の手伝いをしているので、各部活の責任者の顔は大体覚えているのだ。
「わかった。女子バレー部の部長と、副部長だ。他の人も、同じバレー部員だと思う」
「女子バレー部・・・・?なんだろう、大会の助っ人とかかなぁ」
小狼は、さくらの耳元で小声で囁いた。告げられた言葉に、さくらは「うーん」と悩んで、背伸びをして小狼の耳元でそう返した。
「本当に、仲が良いね。ごめんね、貴重な時間を邪魔して」
「・・・えっ!い、いえ。大丈夫です!」
人目を盗んで内緒話をしている二人の姿に、女子バレーの部員たちはくすくすと笑う。さくらは途端に恥ずかしくなって、小狼の後ろにそっと隠れた。見かねて、小狼が口を挟む。
「それで、さくらに頼みたい事って言うのはなんですか?」
「・・・うん。実はね」
代表して話し出したのは、おそらく女子バレー部の部長だろう。女性だというのに、小狼とそう変わらない高身長でさくらを見下ろして、こう言った。
「男子バレー部全員に、木之本さんからチョコレートをあげてほしいの。バレンタインの、チョコレート」
「・・・は?」
「ほぇ??」
部員達は顔を見合わせ、苦笑する。わけがわからずに目を瞬かせるさくらと、『バレンタイン』というキーワードに途端に眉根をきつく寄せた小狼が、話の続きを促した。
部長の話をまとめると、こうだ。男子バレー部はここ最近、怪我人や部内の揉め事、練習試合でのボロ負けなど、不幸な出来事が続いているらしい。すっかり覇気を無くしてしまった男子部員に、多少なりとも元気を出してほしいと、女子バレー部員達がバレンタインにチョコレートをあげる事を計画した。しかし、そもそもチョコレートをあげるのは毎年の恒例行事で、目新しさや感動は薄い。そこで、他の同級生男子に頼んで、男子バレー部員にそれとなく聞いてもらったらしいのだ。どんなチョコレートをもらえたら嬉しいか?と。そうしたら―――。
「およそ八割の男子が、『木之本さくらちゃんからの本命チョコ』って答えたんだって。それで、私達がこうして頼みに来たの。お願い、木之本さん。本命チョコは無理でも、義理チョコをあいつらに渡してあげてくれないかな?・・・この通りです。お願いします!」
揃って頭を下げられ、さくらは困ってしまった。お願い事の内容にも、目の前で頭を下げられている状況にも。そして何よりも、隣で機嫌を急速に降下させる恋人にも。
(うぅ、ど、どうしよう・・・)
さくらは悩んだ。バレンタインに、小狼以外の男の子にもチョコレートをあげる事はあるが、それは家族や友達といった親しい間柄だけだ。ほとんど接点のない男子にあげるのは、さすがに躊躇われる。しかし、こんな風に大人数で頭を下げられて、無下に断れる人なんているだろうか。
小狼はきっと嫌がる。間違いなく、怒る。それがわかっているから、さくらは簡単には頷けなかった。
無言のまま答えを迷っていると、副部長である女性が、頭を下げたまま口を開いた。
「・・・あいつらバカだけど、バレーだけはちゃんと頑張っているんだ。なのに、ここ最近本当についてなくて・・・。落ち込んで、やる気無くしてて。なんとかしてあげたいって思ったけど、私達じゃダメなんだ」
「そんな・・・」
「木之本さんじゃないと、ダメなんだ。だから・・・お願いします!」
その言葉を聞いて、さくらはもう一度小狼を見る。目が合うと、小狼は物凄く嫌な顔をした。そのあとに、諦めたように目を閉じて、溜息をついた。さくらの心が決まった事を、顔を見ただけで悟ったのだろう。
鞄の持ち手をぎゅっと握りしめて、さくらははっきりと言った。
「わかりました。私でよければ・・・協力します」








それが、二日前の事。
バレー部の頼み事を引き受けたさくらは、そのまま上級生達に引きずられるようにして連れて行かれた。翌日も作戦会議やら打ち合わせやらで、昼休みに呼び出しを受けた。
「さくらちゃん、女子バレー部に勧誘されてるの?なんか、最近すごいね」
「バレンタイン当日までの事だと、さくらちゃんは仰っていましたが・・・」
「李くん、いいの?助けなくて」
山崎の言葉に、小狼は眉を顰めて「いい」と冷たく言い放った。氷点下まで落ち込んだ小狼の機嫌に、友人達は「くわばらくわばら」と囁き合って、口出しせずにそっと見守る事にした。
小狼は明らかに冷たい態度になって、さくらに対して不機嫌を露わにする日々が続いた。
「小狼くん」
「あのね。小狼くん」
「小狼くん!一緒に帰ろ!」
さくらが笑顔で話しかけても、ぎろりと睨まれ、態度も素っ気ない。かといって突き放すわけではなく、一緒にいる事を拒否する事もない。明らかに態度は『怒っている』が、変わらず隣を歩いている。さくらが一方的に喋って、小狼が素っ気なく相槌をうつ。そんな冷ややかな下校も、バレンタインデーまでの辛抱だと思い、さくらは耐えた。
(はうぅ。早く、バレンタインにならないかなぁ)
不機嫌な横顔を、ちらりと盗み見て。さくらは頬を赤くして、翌日に迫ったバレンタインに想いを馳せた。




甘い甘いチョコレート。溶かして混ぜて、想いを込めて。冷やして飾り付けて、リボンを付けて。
あなたが好きなもの、全部あつめて。
私の大好きを、全部あげたい。








―――そして。話は、冒頭に戻る。
バレンタイン当日の昼休み。さくらは女子バレー部の先輩に呼ばれて、みんなの輪から離れた。冷たく刺さるような小狼の視線を背中に感じながらも、自ら決めた務めを果たすべく、その視線を振り切った。
五時限目の授業ギリギリに教室に戻ってきたさくらに、小狼のクラスメイトである西や賀村、山崎が一斉に詰め寄った。
「さくらちゃん!今日は李から逃げた方がいいぞ!アイツ、マジでこえぇ!!」
「俺も、西の意見に賛成だ。李の気持ちが落ち着くまで、放っておいた方がいいかもしれない」
「う~ん。でも、今日木之本さんのチョコ貰えなかったら、李くん更に荒れそう・・・」
白熱した話し合いは、残念ながら始業のチャイムに遮られ、中断を余儀なくされた。席に戻ったさくらは、疲れた溜息をついた。教科書を机の上に出していると、後ろの席の知世がさくらの肩をぽんぽんと叩いた。
「さくらちゃん、李くんへのチョコレート、用意しているんでしょう?」
「うん。知世ちゃん達には、次の休み時間に渡すね。小狼くんには・・・放課後に、渡そうと思うんだ。西くん達は心配してくれたけど。ちゃんと話せば、分かってくれるよね」
さくらの言葉に、知世は笑って頷いた。さくらへとエールを送るように、もう一度優しく肩を叩く。ふわりと伝わる暖かい温度に励まされた。
今日は、一年に一度のバレンタイン。チョコレートに想いを込めて、大切な人に伝える日―――。








(・・・そう思って、勇気出して来たけど。うぅ。小狼くん、まだ怒ってるよぉ)
さくらは泣きそうになりながらも、自分を睨む小狼の目を見つめ返した。
小狼が怒る理由もわかるし、怒られても仕方ないと思う。自分が逆の立場だったら―――。小狼が他の女の子にチョコレートを貰う事を想像したら、悲しくて寂しくて泣いてしまいそうになる。同じ思いを小狼にさせてしまったのだと思うと、さくらの心も痛んだ。
だけど、あの時決めたから。
さくらは、キッ、と眉を吊り上げて、挑むように小狼を見つめた。物言わぬ迫力に、小狼は一瞬気圧されるも、負けじと睨み返す。もしもここに知世がいたら、「ライバル時代のお二人を思い出しますわ」と言って、嬉々としてカメラを回していたのかもしれない。
さくらは持っていた鞄から小さな箱を取り出すと、リボンを解いて蓋を開けた。ふわりと香る、チョコレートの甘い匂い。小狼もぴくりと反応して、さくらの手元にあるそれを見つめた。
「小狼くん。さくらのチョコレート、貰ってくれる・・・?」
「・・・・・」
赤いハートを、一粒。摘まんで、小狼の口元へと運んだ。小狼は相変わらず眉間の皺を寄せた不機嫌な表情だったが、無言のまま唇を開き、差し出されたハートを口に入れた。
かり、と固い表面に歯を立てると、中からとろりと溶ける。口いっぱいに広がる甘いチョコレートに、小狼の眉間の皺がふっと解けた。
(うわ、うわぁ。小狼くん、食べてくれた。嬉しい・・・っ)
それだけで、さくらは泣きそうなくらいに嬉しかった。
しかし、チョコを食べ終えるとまた不機嫌な空気に戻ってしまったので、さくらは慌てて二つ目のショコラを小狼へと差し出した。
放課後。日が落ちる前の、薄暗い校舎裏。人気もなく、寒風がひゅうひゅう吹く寂しい場所で、壁に追い詰められた状態で恋人にチョコを食べさせている。傍から見たら、異様な光景だろう。
(・・・怒った獣を手懐けるって、こんな感じなのかなぁ・・・?)
小狼に狼の耳と牙が生えているのを想像して、さくらはこっそり笑った。
三つ目のショコラを口に運んだ時、さくらの指まで一緒に食べられる。
「ひゃ・・・っ!小狼くん、それ、私の指・・・っ、ん」
口内で甘く溶かしたチョコレートを人差し指ごと吸われて、さくらはぎゅっと目を瞑る。思わず零れてしまった甘い声に、羞恥で体が熱くなる。しかし、小狼は離してくれない。怖いくらいに真っ直ぐな瞳でさくらを睨んだまま、ガジガジと指に歯を立てる。
本当に獣みたいだ。小狼の表情にドキドキしながら、さくらは頬を赤らめた。
「・・・バレー部の奴らにあげたチョコの、残り?」
「ち、違うよ!小狼くんだけに作った、特別なチョコだよ・・・!」
「他の男にも、本命チョコとして渡したんだろ?」
「それも、ちが、う・・・。んっ。小狼くん、話、聞いて?」
一際強く、指が咬まれた。痛みと共に訪れる歯痒い疼きに、さくらは涙を浮かべた。
「・・・頭が変になりそうだ」
小狼はさくらの指から唇を離すと、切なげな表情でそう呟いて、深く口づけた。チョコレートの甘さが、小狼からさくらへと移る。さくらの両手首を壁に縫い付けるようにして、小狼の手が強く握った。頭の芯が痺れるような激しいキスに力が抜けて、壁を背に預けたままずるずると座り込む。
冷たいコンクリートの壁と、熱い小狼の体温に挟まれて。おかしいと思うのに―――幸せだった。さくらは自らも舌を絡め、「もっと」と欲しがった。
「小狼くん・・・、しゃおらんく、ん・・・っ」
「・・・さくら。お前な、少しは嫌がるとかしろ・・・っ!俺は怒ってるんだ、ぞ。・・・ん」
「ん、ちゅ・・・。ごめんね。・・・嬉しいの。小狼くん、ん、好き。大好き・・・♡」
そう言って手を伸ばし、自分からキスをする。
吐息交じりの告白に、小狼は盛大に顔を顰める。ギリと強く歯噛みして、絞り出すように言った。
「・・・!ああ、もう。・・・いっそここで・・・××したい」
耳元で響いた獣の言葉に、さくらの全身がきゅんきゅんと痺れる。「いいよ?」と、真っ赤な顔で返すと、小狼は絶句した。
乱暴な口づけが嬉しくて仕方ない。制服の中に潜り込んできた小狼の手が、熱い。
冷たい風も、固いコンクリートも、全然へっちゃらだった。小狼の熱い腕に抱かれて、身体の一番奥まで貪られて、揺らされて。一番の『想い』を、注がれる。
小狼の嫉妬は、チョコレートみたいだ。喉が焼けるほどに甘くて、時々苦い。固いかと思ったらほろりと崩れる。
やがて嫉妬は劣情に変わって、とろとろに溶けて混ざり合って。丸裸になった心は、ただ一心にさくらを求めて、全身で好きだと告げる。
こんなに幸せな事、他に知らない。
「小狼くん・・・っ、小狼くん、だいすき・・・っ」
最後の瞬間。さくらは、小狼にひと際強く抱きしめられた。一番奥に放たれた熱を、ひとつも零さないようにと、さくらも小狼に強くしがみ付く。
肩で大きく息をしながら、二人は余韻に浸る。
その時。ぽつりと耳元で、小狼が告げた言葉。さくらの『だいすき』の想いに―――あの日と変わらぬ答えを、くれた。
(・・・小狼くんはやっぱり、チョコレートだぁ・・・♡)








我に返った時、小狼は顔を青くして、さくらに謝った。
「ごめん、さくら。俺、どうかしてた・・・。さくらが他の男にチョコをあげるって事、ずっとモヤモヤが消えなくて。仕方ないって納得させても、ダメなんだ。・・・変な態度とって、ごめん。あと・・・・・色々、ごめん」
小狼はコンクリートの上で正座をして、真っ赤な顔で謝った。ここ数日の不機嫌はどこへやら。眉間の皺はなくなって、獣のような獰猛さも消えた。さくらは、不思議そうにそれを見ていた。
(甘いチョコレートが効いたのかなぁ?それとも・・・?)
さくらは小さく笑って、「あのね」と、今日の事を話し出した。
「小狼くん、誤解してる。私、小狼くん以外の人には、チョコレート作ってないよ。あっ、お父さんとかお兄ちゃんとか、お友達は別ね。でもバレー部の人には、先輩が用意したチョコレートを渡しただけ」
「・・・そうか」
それでも納得しないのか、小狼はムッとした顔になった。どういう事情があっても、さくら自身が用意したチョコレートじゃ無くても、それを受け取った男がいるというだけで面白くないのだろう。
さくらはそっと胸に手を当てて、言った。
「本当はね、私が用意したっていう設定で渡してって頼まれてたの。でも、約束やぶっちゃった」
「え?」
「女子バレーの先輩達の気持ちの方が、絶対に意味があるもん。私は、橋渡しの役をしたいなって思ったんだ。だから・・・」


―――『ごめんなさい。私は、嘘はつけません。大好きな人以外に、『本命チョコ』をあげる事もできません。・・・先輩達にあげるこのチョコレートは、別な人達の想いがたくさんこもってます。みんな、元気になってほしい。頑張ってほしいって。心から思ってます』―――


「打ち合わせと違う!って、怒られちゃった。でもね、あのあと男子バレーの先輩達が女子バレーの先輩達に、ちゃんとお礼を言ったんだって」
「・・・・・」
「みんなの想い、ちゃんと伝わったかな」
願うように呟いたさくらの言葉に、小狼は笑った。
立ち上がり、手を差し出す。冷たいコンクリートから離れたさくらの体を、ぎゅっと抱きしめて。小狼は言った。
「大丈夫だ。・・・俺にも、ちゃんと伝わったから」
「ほんと・・・?よかったぁ」
さくらは小狼の背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめ返す。冬の寒さなんて目じゃないくらい、ぽかぽかとあったかい。
この時間がずっと続けばいいのに。同じ願いを胸に、二人は抱きしめ合った。







おまけ。

「・・・・・・・え?」
「あ、あのね。今回、小狼くんをすごく悲しませちゃったと思って・・・その分、たくさん幸せをあげるって決めたの。だから、頑張ってお兄ちゃんを説得したんだ!・・・門限、今日だけは遅れてもいいって。だから、あの、その・・・。小狼くんのマンションに、行ってもいい?」
「・・・!」
「えっと・・・。もう、満足しちゃった?お腹いっぱい?」
「!?!そ、そんな事、あるわけないだろっ!!!・・・す、すごく嬉しい」
ぱぁっ、と笑顔になったさくらに、小狼は真っ赤な顔で固まった。
バレンタインの甘いチョコレートは、もらう人もあげる人も幸せにする。いままでも、これからも、変わらずに。


「小狼くんが不機嫌になった時は、さくらとチョコレートが効くんだね!」
無邪気に言われたさくらの言葉に、小狼は無言で眉を顰めるのだった。


Happy Valentine!

 

 


END


 

 

 

嫉妬小狼とバレンタインを合わせたらピリピリ甘々チョコレートな感じに仕上がりました。いつもだね!

最初のタイトル候補は殺伐バレンタイン(笑)

 

 


2019.2.14 了

 

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