それは甘い20題

 

18. 36℃

 

 

 

 

 

(ほぇ・・・?ここ、どこ・・・?)
ぼんやりと瞼を開けたさくらは、薄暗い天井を見つめた。
白いカーテンが仕切りになっていて、外の様子は見えない。体を動かそうとするも、すごく重くて気怠い。布団の中で、体が熱を上げていくのがわかった。
もぞ、と動いて顔を横にずらすと、微かに話し声が聞こえてきた。
「まだ熱が上がるかもしれないから、少し寝かせておきましょう。李くん、あなたは授業に戻って」
「はい。お願いします」
(小狼くん・・・)
仕切りを隔てたすぐ傍に、小狼がいるのに。喉が詰まって、声が出ない。扉が音を立てて閉まり、小狼の気配が部屋から去ると、さくらは急激な眠気を感じた。
心細くて、寂しい。目を閉じると、闇に包まれて何も見えなくなる。考えもうまくまとまらないままに、さくらの意識は夢の中へと落ちた。








ひやりと、冷たい手が額に触れた。
(気持ちいい・・・)
ゆっくりと瞼を開ける。すぐ傍にいる人の顔を見て、さくらの顔がやわらかく笑んだ。名前を呼ぼうとして、喉が詰まる。声の代わりに、小さな咳が出た。
目の前にいる小狼の表情が曇る。心配してくれているのがわかって、少し申し訳ない気持ちになるけれど、同時に嬉しくなった。
心細さからか、少しの間に見た夢はあまり良いものではなくて。目が覚めた事、そして傍に小狼がいる事に、ホッとしていた。
「辛いか・・・?さくら」
さくらは笑顔で、首を横に振った。小狼が傍にいるだけで、辛いのなんか忘れてしまった。精一杯に笑顔を作るけれど、依然として小狼の表情は険しい。
「ごめんな。俺がもう少し早く気付いていれば・・・。図書室にいる時から、調子が悪かったんじゃないか?」
問いかけられて、さくらは考える。自分でも不調には気付かなかった。
(小狼くんの事ばっかり、考えてたからかな・・・?)
そんな事を考えて、さくらは自分で照れた。かっ、と赤く染まった顔を見て、小狼はますます眉を顰める。
ああ、違うの。この熱は風邪の熱じゃなくて―――そう言おうとするけれど、やっぱりうまく声が出ない。
その時。後ろのカーテンが開いて、白衣を着た保険医が入ってきた。小狼は椅子から立ち上がり、ベッドから離れる。
「木之本さん、気分はどう?まだ顔が赤いかな。熱は・・・」
保険医の先生の掌が、さくらの額を検温する。ほぉ、と息を吐くと、先生は優しく言った。
「さっきよりは少し下がったね。でも、今日はもう家に帰った方がいいわ。担任の先生には私から届けを出しておきます。ご家族は迎えに来られそう?」
聞かれて、さくらは朝リビングで見たスケジュールボードを思い浮かべた。今日は、父も兄も遅くなる予定だった筈だ。ふるふる、と首を横に振ると、後ろにいた小狼が言った。
「俺が送っていきます。さくら、それでいいか?」
さくらは、こくこくと首を縦に振る。異議なしどころか、大歓迎だ。嬉しい気持ちが、顔に出る。
二人のやり取りを見て、保険医の先生は苦く笑った。
「うん。でも、李くんは授業に出ないと。あと一時間、木之本さん待っていられる?ここでちゃんと寝ていてね」
はい、と。掠れた声でさくらは答えた。
その時。保健室の扉が開いて、数名の女子生徒が雪崩れ込んできた。一気にその場が騒がしくなる。
「先生!負傷者!体育の片付けの時に、ばっくり!血がすごいの!!」
「えぇ!?わかった、すぐ行くから!」
ごめんね、すぐに戻るから、と言い置いて保険医は生徒と一緒に駆けて行った。
扉が閉まって、元の静寂に戻る。
さくらは布団から手を出すと、傍らに立つ小狼の左手の袖口をくい、と引っ張った。そうして、熱で潤んだ目で見上げる。
小狼はベッドの脇に腰を下ろすと、優しい瞳でさくらを見つめる。掌でそっと頬を撫でて、熱い額にキスを落とした。
「大丈夫だ。ちゃんと送っていくし、藤隆さんや兄貴が帰ってくるまで一緒にいる」
「・・・小狼く、ん」
「いい。無理してしゃべるな。言葉なんか無くても、さくらがしてほしい事は大体わかるから」
そう言われると、少し恥ずかしい。そんなに自分は顔に出ているのだろうか。
さくらは、少しだけ我儘を言いたくなった。風邪をひいている時は、なんだか甘えたくなる。そんな事を考えながらじっ、と見ていると、小狼が「ん?」と首を傾げた。
小狼は優しい。だけど今日は、風邪を引いたからだろうか。いつもよりももっと、優しい。
さくらは、熱で朦朧とする中、小狼の手を引いた。そうして、布団をまくりあげる。
「少しだけ、一緒に・・・」
「―――・・・!?」
小狼はしばし呆然としたのち、弾かれたように真っ赤になった。
布団を捲った事で外気が入りこんで、さくらは小さく震えた。それを見て、小狼は焦る。
しかし、同じベッドに入る事にはさすがに躊躇があった。耳まで真っ赤になって、さくらの顔とベッドを交互に見る。ベッドの中で少しだけ乱れた制服が、やけに扇情的に映る。
「・・・だめ?」
「っ!だめ、とかじゃ・・・、でも」
その時。授業の開始を告げる鐘の音が鳴り響いた。
それを聞いて、さくらの気持ちは沈んだ。一気に現実に引き戻されて、恥ずかしさと寂しさで泣きそうになる。
「え、えへへ。冗談・・・。ごめんね。授業、遅れちゃう」
さくらはなんとか笑顔を見せて、捲った布団を元に戻そうとした。
その手を強く掴まれ、驚いている間に小狼がベッドの中へと入り込んできた。呆然とするさくらの体を自分の腕の中に抱いて、布団をかける。
「小狼く・・・!?」
「少しだけだからな!」
仏頂面で言う癖に、抱きしめる手はどこまでも優しい。
自分で言いだした事なのに、さくらは今の状況に酷く動揺していた。
(同じベッドで一緒に寝るのって・・・こんなに、ドキドキするんだ)
「・・・さくらの体、熱い。俺がいたら余計に辛くないか?」
「そんな事、ないよ・・・?」
冷静を装う小狼だったが、その実、心臓の音はドコドコと太鼓のようにうるさく鳴り響いていた。しかし、さくらの方もそれに負けず劣らず動揺していたので、お互いに気付く余裕は無かった。
一人用のベッドの上で、二人は身を寄せ合う。熱の上がったさくらの体を、小狼の手が優しく抱きしめる。
最初は緊張していたさくらも、無駄な力が抜けて気持ちが落ち着き始めた。背中を撫でられ、気持ちよさそうに息を吐く。
「小狼くんの手、気持ちいい。・・・すごく、安心する」
「そ、そうか。それならよかった」
「ん・・・」
「・・・さくら?寝たのか?」
小狼の問いかけに答えたのは、静かな寝息だった。
幸せそうなさくらの寝顔に、小狼は笑んで。やわらかな唇に、自分のそれをそっと重ねて、言った。
「俺に、風邪うつしていいから。早く元気になって、さくら」
その声はまるで子守唄のように、さくらの心に優しく響いた。








次に目を覚ました時に見たのは、見慣れた自室の天井だった。薄暗い部屋の中で、ケルベロスがさくらの顔を覗き込む。
「だいじょうぶかー?さくら。しんどいか?」
「ううん。なんか、楽になった・・・。熱、下がったのかも」
起き上がろうとすると、傍らから手が伸びて背中を支えた。まだ目が慣れないからぼんやりとしか見えないけれど、気配ですぐにわかる。
「小狼くん・・・」
「無理するな、さくら」
(まだ、一緒にいてくれたんだ・・・)
途切れ途切れの記憶しかないけれど、小狼の背中に背負われて帰ってきた気がする。
自分よりも大きな掌が、額に触れる。その体温に安心して、ふ、と息が零れた。小狼の纏う空気が、一瞬だけ優しく綻ぶ。
「もう、大丈夫そうだな」
―――平熱、36度。
だけど、恋心はまだ熱を下げないまま。
さくらは無性に、小狼の体温が恋しくなった。今すぐに抱き着きたい。薄闇の中で小狼を見つめ、さくらは手を伸ばした。
「おっ。にいちゃん、帰ってきたみたいやで!」
「「 !! 」」
二人は慌てて離れた。小狼は「挨拶してくる」と言って部屋を出て行く。しばらくすると、階下から兄の怒鳴り声が聞こえてきた。
さくらとケルベロスは、顔を見合わせて苦笑する。ケルベロスは、「まだ寝とき」と言って、布団をかけてくれた。
目を閉じて、さくらは思う。
風邪を引いたおかげで、小狼とまた近づけた気がする。
熱も下がったし、きっと、もう大丈夫。明日また、学校で会える。
(・・・小狼くんに風邪、うつってないといいな)
そう願いながら、さくらは眠りにつくのだった。

 

 

 

 

END

 

 

 


2018.5.23 了


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