首元のスカーフを整えて、袖口のボタンを留める。身だしなみを整えると、頃合いを見計らって出された紅茶を口にした。傍らで目を細める付き人の偉へと、小狼は尋ねた。
「・・・おかしなことを聞いてもいいか」
「わたくしに答えられる事であれば、お聞かせください」
「例えばの話、なんだが。力を持たない者が、危険を冒しても助けにくるとしたら・・・その相手は、どんな関係だと思う」
かなり抽象的な質問ではあったが、偉は真面目に聞いた。顎に手を当てて、数秒の沈黙の後、「一般論ですが」と切り出した。
「おそらく、家族。或いは恋人、友人。関係性としては様々なものが考えられます。どれにせよ、無茶の度合いが高い程、愛情が大きいのかもしれませんね」
「そうか。家族、恋人、友人・・・。恋人、もあり得るのか」
誰に向けるでもない小さな呟きに、偉は目を瞠る。長年仕えてきて、主人のこんな姿を見るのはおそらく初めての事だった。
小狼は思い悩んだ様子で黙り込んだかと思うと、ハッとして首を振り、気を取り直すかのように表情を引き締める。しかし再び、何事かを悩み始める。
偉は時計を確認し、小狼へと声をかけた。
「小狼様。午後の全体訓練の監督はどういたしますか」
「ああ。行ける。・・・そうか、もう時間か」
先程までの動揺ぶりは見る影もなく、一瞬で『騎士団団長』の顔になる。小狼は立ち上がり、颯爽とした足取りで修練場へと向かった。


 

 

 

 

 

Girl Meets Knight 【後編】

 

 

 

 

 

「おらぁっ!!」
繰り出された拳が、凄まじい風圧を生み出す。大振りで振り落とされる拳を寸でで避けると、さくらは大男の視界から逃れようと素早く走る。
体格差がありすぎて勝負にならない、と思っていた他の団員達は、意外な奮闘ぶりに驚いていた。
逆にその体格差を利用して、さくらはうまく逃げていた。もともと運動神経は悪い方ではない。単純な攻撃パターンが多い為、実戦経験のないさくらでも避ける事が出来た。しかし、徐々に体力がなくなっていく。
男は何度も空振りをくらい、ちょこまかと逃げられ、いきり立っていた。他の団員達の野次も飛んで、余計に苛立ちが増した。顔を真っ赤にした鬼のような形相で、さくらを追いつめる。
「はぁっ、はぁ・・・、っ」
「ちょこまかと!虫みたいに逃げやがって・・・。いい笑いものだ!」
真正面からさくらの体を捕まえようと伸ばされた手を、再び避ける。爪が頬を掠って、小さく痛みが走った。走りだそうとした足が、疲れのせいか縺れてしまい、そのまま地面へと倒れこんだ。
「いったた・・・」
「ふはっ!逃げるのもこれで終わりだ!たっぷり『教育』してやるからなぁ!!」
男は逃げようとしたさくらを捕まえて、仰向けにさせる。頭上に上げさせた細い両手首を、大男の大きな掌が片手で抑え込んだ。体重をかけられ、痛みと苦しさにさくらの顔が歪む。男は愉快そうに笑みを浮かべ、それを見下ろした。
ガタガタと、震えがくる。さくらは恐怖で涙を浮かべ、ふる、と首を振った。
「やめて・・・、やめて、ください」
「―――!?」
涙目で、息も絶え絶えに懇願され、男は目を剥いて固まった。―――おかしい。今は新人教育の真っ只中で、男ばかりの団員の中で小生意気なチビガリの子供を痛めつけ・・・もとい、人生の厳しさを教えてやる時間だった筈。なのにどうして、こんな気持ちになるのか。なぜ目の前のチビガリの少年から、目が離せなくなっているのか―――男はぐるぐると回る自分の思考に困惑し、動けなくなった。
その時。
衝撃に、男の大きな体が浮きあがった。スローモーションのように流れる景色に、男が驚愕の表情を浮かべた瞬間、腹に激痛が走った。そこで、男は気づく。自分が、思い切り蹴り飛ばされたということに。
「・・・!!」
男の体が数メートル飛んで、地面に叩きつけられるのと同時に。横たわっていたさくらの体が、ふわりと抱き上げられた。
「団長・・・」
現れた小狼は、さくらの方を見なかった。痛みと衝撃に驚いている大男を、凄まじい怒気を持って睨みつける。
―――かつて。鬼の子と恐れられるほどの強さと非情さをもって、最年少の若さで騎士団団長になった、李小狼の片鱗を見た気がした。
助けられたさくらも、周りにいた野次馬も。絶対零度の怒りを感じ取って、ぞわりと肌を粟立てた。
「・・・こいつは、俺の小間使いとして騎士団に入れた。今後は、一切の接触を禁じる。不用意に触る事は許さない。誰であっても、だ。いいな?」
しん、と静まり返ったその場に、小狼の声がよく通った。
地面に倒れた大男が素早く立ち上がり、姿勢を正して「イエッサ!」と叫ぶ。周りを囲んでいた団員達も全員揃って敬礼をし、団長である小狼へと頭を下げた。
さくらは、至近距離で小狼の顔を見つめる。こちらを見ない。今までにないくらい、怒っているのがわかる。だけど、自分の体を抱き上げる腕は、この上なく優しい。
今までも、何度も感じていた。小狼の前でだけ、うるさくなる心臓の音。耳元で、その音が鳴り響く。この感情の名前を、教えるように。
(だめ、なのに。こんな気持ち、持っちゃいけないのに。どうしよう・・・!)

翼竜捜索の任を受けた騎士団が、旅立つ。その日が、近づいてきていた。








騎士団本部前は、賑やかだった。馬車が何台も止まり、団員達がそこに食糧や武器を積み込んでいる。城からの正式な決定が下り、騎士団から数十名が、行方不明になった翼竜と翼竜討伐隊の捜索へと旅立つことになった。
それを、団長室の窓から見下ろして、さくらは溜息をついた。
「何か、悩みごとですか?また、他の団員に酷い事をされたりはしていませんか?」
偉が、さくらを気遣って声をかけた。要らぬ心配をかけてしまったと、さくらは焦って否定する。
決して強がりではなく、小狼が団員達を厳しく窘めてくれたおかげで、さくらに嫌がらせをする輩はいなくなった。喧嘩をふっかけてきたあの男も、遠巻きに見る事はあれど、手を出してくるような気配はなかった。
今、さくらの頭を悩ませているのは、それとはまったく別の事だった。
「偉さん・・・。ちょっと変なこと、聞いてもいいですか?」
「はい。わたくしに答えられる事であれば。どうぞ、お聞かせください」
「あの、あの・・・。団長って、恋人とか好きな人とか・・・いるんでしょうか?」
おそるおそる、聞いてみると。偉は意外そうに目を見開いて、興味深そうにさくらの顔を覗き込んだ。途端に恥ずかしくなって、さくらは偉から目を逸らし、勝手に喋りだした。
「い、いますよね!あんなに素敵な人だし、格好いいし!ちょっと怖いけど優しいし、不愛想だけどたまに笑ってくれる時きゅうぅって胸が苦しくなるし、それに」
―――『一目見て気づいた。女の匂いは嫌というほど知っているからな』
初めて会った時に言われた言葉が、今になってさくらの胸に痛みを与える。
「この国には、可愛い子いっぱいいるし。女の子の匂いもたくさん知ってるって言ってた・・・。だからきっと、団長には大切な女の子がいるんですよね」
「ああ、それは多分・・・。・・・いえ。私の立場では何も言えません。ただ、小狼様に大切な人が出来たかもしれない、というのは、私も同じように感じていました」
「!!やっぱり・・・!そう、ですよね」
自分から言い出したことなのに。偉の言葉に、さくらの気持ちは沈んだ。目に見えて落ち込むさくらに、偉は苦笑する。そうして、慰めるように肩をポンポンと叩いた。
「しかし、それは私の推測です。本当の事は、ご本人しかわかりません。小狼様の気持ちは、あなたが直接、聞いてください」
「え・・・?」
さくらが聞き返そうとした時、扉が開く音がした。身支度を整えた小狼が、部屋に入ってきて怪訝そうな顔をする。偉は笑顔で素早くさくらから離れると、「失礼しました」と礼をして、隣室へと下がった。
小狼はさくらの横を通り過ぎ、自分の机に座った。
旅立つ直前まで、小狼は書類仕事に追われている。実戦による仕事は勿論だが、騎士団を取りまとめる団長としての役職故、面倒な事務仕事も多かった。派手な戦い事よりも、地味な書類仕事の方が多いのだと、中に入って初めて知った。小狼はそれを、文句も言わずにすべて完璧にこなしている。
(書類に向かってる時の、真剣な顔・・。どうしよう。格好いい・・・)
こんな調子で、気づくと一日に何回も小狼に見惚れている自分がいた。その度に顔を出す恋心に、『ダメだ』とブレーキをかけようとするのだけれど、日に日に強まっていく想いを感じていた。引き返せないほどに、惹かれている。
「・・・心配か?」
「えっ?」
突然に声をかけられ、さくらは肩を震わせた。小狼は書類から顔を上げて、いつもの仏頂面で言った。
「この書類が終わったら、出発する。何日かかるかは、正直わからない。だけど、絶対に見つける。連れて帰ってくる。だから、あまり心配するな」
「!」
最後の言葉を口にした時、いつもきつく寄せられている眉根の皺は解かれ、目元は優しく綻んだ。小狼の優しさに、さくらは泣きそうになった。
「・・・団長!」
「な、なんだ?」
いつにない剣幕で詰め寄ると、小狼はびくっと小さく震えた。さくらは涙を堪えて、赤い顔で言った。
「やっぱり私も、一緒に行きたいです!連れて行ってください!!」
「!?だから、それは・・・」
「足手まといにならないようにします!団長の邪魔はしません!お願いします・・・!」
―――信頼していないとか、心配だとか。そんなものじゃない。ただ、一緒にいたい。一瞬でも離れたくないという気持ちが、溢れた。
頭を下げたまま動かないさくらを見て、小狼は難しい顔で黙り込む。最初の頃であれば、『絶対にダメだ』と考える間もなく突っ撥ねただろう。今は、迷う。あの頃と、状況も心持ちもかなり変わっていた。
「・・・一人でここに置いておくより、傍に置いた方がいいか」
ぽつりと呟いた言葉。さくらは聞き取れず、不思議そうに首を傾げる。その仕草に多少動揺するも、気づかれないように、小狼は顔を逸らした。くるりと椅子を回し、さくらに背を向けたまま言った。
「俺の馬車に乗れ。・・・許可がない限り、離れる事は許さない。それが守れるなら、連れて行ってもいい」
「本当ですか!?ありがとうございます、団長!」
「・・・おう」
嬉しそうに笑ってお礼を言うさくらを、小狼は横目で見て、複雑そうに眉を顰めた。その口から吐かれた、重い溜息の意味に気付かないまま。さくらは、小狼達と一緒に旅立つこととなった。








さくらは、騎士団団長だけが乗ることを許されている一番大きな馬車に、同乗する事となった。その事実は、団員の中でもかなりの衝撃を与えたのだが、誰も文句を言わなかった。
馬車の移動は、二日に渡った。途中、水辺に立ち寄って休憩をしたり、食事をとったりしながら旅路を進んだ。
―――がたん、ごとん。
心地よく揺れる馬車の中で、さくらは目を開けた。寝惚けていて、一瞬自分がどこにいるのかわからず、ぼんやりと周りを見渡す。
右の方に目を向けると、驚くくらい近くに小狼がいた。
「―――!!だ、だんちょ・・・!?あれ!?わ、私・・・っ」
「気持ちよさそうに寝てたから、起こさなかった。よく眠れたか?」
「ごめんなさいっ!団長の馬車に乗せてもらっただけじゃなく、その肩を借りて眠るなんて、私はなんて失礼を・・・!」
あわわ、と取り乱して、さくらは小狼の横から飛び退いた。その瞬間、小狼はムッと眉根を寄せる。さくらは恥ずかしさと後悔で、小狼の前に跪いてぺこぺこと頭を下げた。
「やめろ。そこまで怒ってない。というか、全然怒ってない」
「嘘です!団長の顔すごく怒ってます・・・!私、変な寝言とか言ってませんでしたか?他にも失礼な事・・・、ほえぇ、どうしよう!」
さくらは、パニックになって目を回す。団長に―――好きな人相手に、間抜けな寝顔を見せてしまったかもしれない。加えて、寝言や涎なんて醜態を晒してていないかと、不安になる。
小狼は見るからに苛々していて、さくらは余計に委縮していた。ちゃんと謝らなければと、立ち上がった瞬間。ぐらりと、馬車が大きく揺れた。
「きゃ・・・っ」
「!」
バランスを崩して、さくらは倒れこんだ。倒れこんだ先、小狼が両手を伸ばして受け止める。力強い腕と、小狼の匂いを強く感じて、さくらは胸がいっぱいになった。
続く失態に、さくらは慌てて謝った。そうして、すぐに離れようと体を反らす。しかし。小狼の手が逆に、さくらを強く引き寄せた。
「・・・!?だ、だんちょ・・・」
「いいから。大人しくしてろ。・・・俺を怒らせたくないなら、このままくっついていればいい」
(ほえぇぇぇ―――!?)
さくらは、小狼の膝の上に座り込んだ形で、正面から抱きしめられていた。小狼はさくらの腰に手を回し、胸元に頭をもたれて目を閉じる。
その光景だけでも、さくらは息が止まりそうなほどの羞恥に見舞われた。
「・・・心臓の音、聞こえる」
「あ、当たり前ですっ!恥ずかしすぎます・・・!こんな、こんな態勢・・・!そ、それに、全然やわらかくないし気持ちよくないですよ!?」
「・・・?ああ、胸の事か?別に、俺はこれくらいでちょうどいい」
「っ!?ち、違います違います!!胸は一応サラシを巻いてて、本当はもうちょっとあります!!って、私何を言って・・・?」
「そうか。じゃあ、楽しみにしておく」
小狼は、さくらの胸元に顔を埋めて、くつくつと笑った。
いつもある眉間の皺が、今は綺麗に消えている。冗談めいた会話や戯れが、見た事のない顔を見せてくれる。恥ずかしさよりも、嬉しさのほうが勝った。
(私が傍にいる事で・・・団長・・・、小狼くんの心が、少しでも癒されるのかな。それなら、傍にいたい。たとえ、一番じゃなくても・・・)
本当は、わかっている。翼竜が見つかって、討伐隊がみんな帰ってきたら。このおかしな関係は、終わるということ。彼の傍には、いられなくなるという事。
(ちゃんと、わかってる・・・)








「・・・いいか。俺がいいというまで、お前は絶対に馬車から出るな。何があっても、絶対だ」
「はい。わかりました」
馬車は、目的地に到着した。聳え立つ山脈の間にある、深い谷。滅多に人が立ち入る事のない、自然が多く残った場所だった。クロウ国に立ち寄った旅人が、この場所で翼竜を見かけたと証言をした。それが、約一月前の事。もしかしたら、もうここにはいないのかもしれない。僅かな希望を胸に、捜索を開始する。
小狼はこのあたりの地図を見ながら、団員達に捜索範囲を指示する。
(翼竜は、数はそう多くはない。百余年に一度、子を産む為に人里へ降りてくる。鉱山に現れたのは、おそらくその為だ。だが、滅多に場所を移す事はない。そうせざるを得ない理由があったのか・・・)
―――ギャアアアア!!
響き渡った鳴き声に、小狼は走り出した。
さくらは、馬車の幕を少しだけ開けて、外の様子を窺う。そうして、驚愕に言葉を無くした。小狼達がいる、その頭上に。巨大な翼竜が翼をはためかせ、威嚇するように牙をむいた。
「下がれ!!」
小狼の声に、一番近くにいた団員達が足を後退させる。あまりの迫力に、全員がその場に硬直していた。小狼は迷いなく最前線に出ると、鞘から剣を抜いた。きらりと光る剣先に、さくらの心臓が嫌な音を立てる。
「団長!」
「団長っ!!」
団員から、声が上がる。勇敢に立ち向かう背中に突き動かされるように、全員が剣を構えた。
翼竜は荒ぶり、羽ばたきの風圧で団員達の視界を奪い、鋭い鉤爪で攻撃する。小狼はそれを全て弾きながら、叫んだ。
「クロウ騎士団団長、李小狼だ!!近くにいるのなら姿を現せ!!」
小狼の声と翼竜の鳴き声は、谷底に反響する。
その時。遠くから、たくさんの足音が近づいてきた。その姿を確認して、小狼の表情が変わる。団員達が、わっ、と声を上げた。
走ってくる集団の、一番前にいる長身の男が、小狼へと言った。
「団長!翼竜は子供を守ろうとしているだけなんです!!敵でないという意思を見せれば、危険はありません!!」
「・・・!やっぱり、そうか」
しかし。一度気が立った翼竜は、今更話しが通じる相手ではない。耳を劈くような鳴き声を上げて、小狼へと牙を剥く。防戦一方の状態で、小狼は顔を顰める。傷つけずに鎮める方法を模索していた、その時。
「小狼くん・・・っ!!」
馬車から飛び出したさくらが、泣きながら名前を呼んだ。こちらへと走り寄る姿を見て、小狼の目の色が変わる。カッと、頭が熱くなって、無意識に体が動いていた。
翼竜の牙を強い力で振り払うと、岩を伝って高く宙を舞い、翼竜の背後へと飛んだ。羽ばたきに吹き飛ばされる前に、小狼は素早く剣を振り下ろす。
「許せ・・・!!」
翼竜の首の後ろへと、容赦ない一撃が落ちた。翼竜は悲鳴のような鳴き声を上げて、力を無くしたように地面へと倒れこんだ。激しい地響きが起きて、谷底は揺れた。
「団長・・・!!ご無事ですか!?」
「翼竜は死んだのですか!?」
団員達は、小狼と倒れた翼竜へと駆け寄る。小狼は剣を一振りして、鞘へと納めた。
「いや。峰打ちで気絶させた。翼竜の首の後ろ・・・そのあたりに、体を麻痺させるツボがあるんだ。本で見ただけで試したことはなかったが、効果はあったな。出来れば、痛めつけずに治めたかったが・・・」
はぁ、と溜息をついて、歩き出す。呆然と立ち尽くしたまま動けずにいる、さくらの元へと。
しかし。小狼が声をかけるよりも先に、ある男が早足でさくらへと駆け寄った。
途端、さくらの顔がくしゃりと泣きそうに歪む。すぐに、彼女が探していた人物なのだとわかって、小狼は足を止めた。
―――ぽかっ
あまりに間抜けな音が、その場に響いた。駆け寄った男に頭を叩かれ、さくらは涙目のまま眉を吊り上げる。呆然とする小狼の耳に、聞こえてきたのは。
「殴らなくてもいいじゃない!だって全然帰ってこないから!心配してここまで来たんだよ!?おにいちゃんのバカっ!!」
「バカはお前だ!いくら怪獣みたいにガサツだからってな!こんなところまで来ていいわけないだろ!?無茶するのもいい加減にしろ!!」
ぽかぽかと殴り合う二人は、傍から見ても恋人同士とは程遠い。『おにいちゃん』という言葉が耳の奥で繰り返され、小狼は頭を抱えた。








翼竜討伐のリーダーを務めたのは、さくらの兄である桃矢だった。小狼の攻撃で気絶した翼竜は、一時間後に目を覚まし、自ら巣へと戻っていった。そこには、生まれたばかりの子供の竜が二匹、母の帰りを待っていた。
人里離れた山岳地帯の、深い谷底。そこで翼竜は子を育て、やがて自分の国へと帰っていく。
「最初に翼竜が降り立った場所、クロウ国の鉱山。あの場所は、翼竜にとって非常に良くない場所だった。人間には害はないが、竜には毒になる成分が土の中に含まれていたんです。翼竜の体は酷い麻痺で動けなくなっていて、それでも腹にいる子供を守ろうと、俺達を攻撃し続けていました」
そうして、桃矢は決断した。翼竜を追い払うのではなく、生かす方法を。鉱山地帯から翼竜を運び、この山岳への移動を開始した。その頃には、翼竜にはもう抵抗する力も残っておらず、瀕死の状態だったという。鉱山から離し、移動を続けることで回復した。この場所に辿り着いた翼竜は、無事に子を産んだ。
「なぜ、騎士団本部へ連絡しなかったんだ」
「・・・俺達の任務は、翼竜討伐。独断で動いた時点で、任務を放棄したも同然です。騎士団には戻らない覚悟でした。申し訳ありません、団長」
悲痛な表情で頭を下げる桃矢に倣って、他の団員達も深く頭を下げた。小狼はそれを見下ろし、眉根を顰める。
「謝罪すべきは、俺じゃない。お前や他の団員を心配し、この二か月心をすり減らして待っていた家族だ。お前らは騎士としての矜持を重視するあまり、周りの人間の気持ちを軽んじた。どちらも騎士としてあるまじき行為だ。・・・討伐隊に参加した団員には謹慎処分を言い渡す。心身ともに、鍛錬し直せ」
小狼の下した処分に、団員達は言葉を詰まらせる。騎士団除籍も免れないと覚悟してきた団員達にとって、慈悲深い処分だった。揃って頭を垂れ、小狼へと敬愛と忠誠の意を送る。
その中で。桃矢だけが、複雑な表情をしていた。その場が解散となり、団員達は部屋を出ていく。桃矢は一人残り、小狼へと申し出た。
「妹が、かなりの無茶をしたようで、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。団長が目をかけてくれたと、聞いております」
「表情と言葉が合っていないぞ、木之本小隊長。何が言いたい?」
「・・・では、言わせていただきます。さくらを追い出さず、傍に置いたのはなぜですか?それと、今後も引き続きこの騎士団で働かせるという決定に、私は賛同しかねます。一体、何を考えておられるのですか」
桃矢は怒りと戸惑いを隠そうともせず、小狼へと問いかける。
対する小狼は、傍らに立つ偉が出した紅茶を一口飲んで、意味深に笑った。










「サク!これも頼んでいいか!?悪いな、いつも」
「はぁい!」
「サクー!あんまり無理すんなよ!団長の方の仕事大丈夫か?何か手伝えることがあったら遠慮なく言えよ!」
「大丈夫だよ。ありがとう!」
本日も、山のような洗濯物が入ったかごを抱えて、さくらは駆けまわっていた。途中、たくさんの団員達に声をかけられ、その度に笑顔を返す。団員達は少々だらしなく頬を緩めて、パタパタと駆けまわるさくらを見守っていた。
「・・・わっ!ご、ごめんなさい」
前が見えなかったせいで、誰かにぶつかってしまった。赤くなった鼻をおさえて、さくらは謝った。洗濯かごの脇から顔を覗かせた瞬間、表情が強張る。
「おう?相変わらず忙しそうにしてるなぁ」
「あ、あなたは・・・!」
さくらを門前払いしようとした上に、教育と銘打って痛めつけようとした大男。小狼に粛清されてからは大人しくしていたと思ったのに、久しぶりに正面からやってきた。
分かりやすく警戒するさくらを見下ろし、男は「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「お前みたいな奴がこの騎士団にいるのは不愉快だ。団長に媚びをうったか知らんが、俺はお前を騎士だとは認めないぞ!そんなチビガリで、いつもヘラヘラ笑いやがって!俺はそんなのに癒されもしないし、夜に考えて眠れなくなったりしていないからな!?」
「ほぇ・・・?」
「男だぞ・・・!この俺が、男相手に可愛いなんて思うわけがないんだ!!おかしい!!お前の存在はおかしい!!」
―――いや、おかしいのはお前だ。周囲にいた団員達はみんな、冷めた目で大男を見ていた。
さくらは困惑して、ひたすらに「?」を浮かべながら、じりじりと後退する。そのうちに、何かにぶつかって足を止めた。謝ろうと振り向いた瞬間、そこにいた人物に驚く。
他の団員達も気づいて、皆その場に起立し、敬礼した。大男も反射的に姿勢を正し、青褪めた顔で明後日の方を向いた。
現れた小狼は、さくらの後ろに立ち、その肩を掴んで自分の方に引き寄せた。
「『これ』を可愛いと思うのは無理もない。言うほど、おかしくないと思うぞ。いたって正常だ」
「だ、だんちょ・・・?」
驚きに瞬くさくらへと笑いかけると、その赤い頬にちゅっとキスをした。
その場がシン、と静まり返った。そのあとに盛大などよめきが広がり、一気に騒がしくなる。
「俺は前に言ったな。誰一人として、コイツに手を出すことは許さない。俺と殺り合う覚悟があれば別だが」
「めっ、滅相もありません!!失礼しましたぁ!!」
大男は恐怖で小狼と視線を合わせる事も出来ないまま、脱兎のごとく走り去っていった。戸惑いに溢れる場内を抜け出し、小狼はさくらの手を引いて自室へと戻った。
扉を閉めた瞬間、壁に体を押し付けられ、唇を塞がれる。
「ん・・・っ」
壁に縫い付けたさくらの手に自分の手を絡ませて、小狼は強引に口づける。少々荒々しい口づけに、息も絶え絶えに応えながら、さくらは小狼の手を握り返した。
長いキスに思考も蕩けて、足から力が抜ける。ずり落ちそうになったさくらの体を、小狼が抱きしめた。
「だんちょう・・・苦しいです・・・」
「・・・こら。二人きりの時は?」
「はっ。・・・小狼、くん」
「よし」
未だ慣れない名前呼びに、さくらは初々しく照れる。その顔を見つめて、小狼は何かに耐えるようにぐっと奥歯を噛んで、再び強く抱きしめた。
「あの。いいんですか?さっきの・・・みんなの前で、き、キスして・・・。私、ここでは男の子なのに。団長・・・小狼くんが、変だって思われちゃいます」
「別に構わない。それに、言わないだけで気づいてる奴もいるだろうしな」
小狼が言う通り、団員の中には『サク』が女の子だと気づいている者もいた。しかし大半の人間は、可愛らしい少年と疑わず、『どうやらうちの団長には男色の気があるらしい・・・』という噂が広がりつつあることも、小狼は知っていた。
「自分がどう思われようと気にしない。・・・お前が、傍にいてくれるなら」
「はい・・・。私も、小狼くんの傍にいたいです」
笑顔で頷くと、小狼も優しく笑う。こんな風に笑いかけてくれる日が来るなんて―――と。さくらは、内心で感動していた。
そのせいだろうか。うっかり、口が滑った。
「小狼くんの周りに、たくさんの可愛い女の子がいてもいい。その中の一人でも・・・」
「・・・は?なんの話だ」
その時。小狼の声色が変わった事に、さくらは気づいた。
ゴゴゴ・・・、と地鳴りのような音まで聞こえる。至近距離で睨まれ、その眼光の鋭さにうっかり鼓動を鳴らしてしまう。しかし、恋心に浸っている場合ではないと気づく。
「え、えっと。小狼くん、女の子に不自由してないって言ってたし」
「言ってない。覚えがない。誰から聞いた?」
「さ、最初に会った時に言ってたよ!私の事、すぐに気づいたのは、女の子の匂いを知ってるからって・・・!」
必死に弁解するさくらに、小狼は一瞬驚きに目を瞠って、そのあとに溜息をついた。仏頂面のまま、さくらの体を抱き上げる。やわらかなソファの上に下ろすと、その上に圧し掛かり、キッチリと留められたスカーフをしゅるりと解く。
さくらは、思った。―――『食べられてしまう』と―――。
「ここまで、嫌というほど示しているのに、まさか疑われていたとはな。心外だ。飲み込みの悪い新人には、ちゃんと教えてやらないとな」
「な、なにを・・・ですか?」
さくらの瞳には、恐れと不安。それ以上に、期待と恋心が見えた。小狼は口元を歪ませて笑うと、何も言わずに口づけた。
―――それから。
いかに愛情を注がれているか、過保護な程に心配されているか。そして、唯一無二の存在であるかを。心と体に、嫌というほど教え込まれた。
自分が誤解をしていたこと。彼の周りにいる『女』が、実の姉達であることを教えられたけれど、その頃にはさくらの頭の中は小狼でいっぱいになってしまって、その情報が残ったかは定かではない。
幸せの余韻に浸りながら、さくらは小狼の腕の中で目を閉じる。
「団長。李団長。・・・だんちょー。小狼、くん。小狼くん」
「ん・・・?なんだ、さくら」
「えへへ。大好き、です!」




余談であるが。李小狼が、歴代の騎士団団長の中で最も名誉ある勲章を国から授与するのは、数年後のこと。
その時期に、最愛の恋人を伴侶に迎える事になるのだが。それまで、騎士団内部では激しい攻防戦が繰り広げられたという。
「俺は絶対に認めない。お前が団長だろうが国王だろうが、俺が認めた相手でなければ妹はやらない!」
「望むところだ。絶対にお前の弟になってやるからな」
「もう・・・!団長も小隊長も、やめてくださいっ!修練中ですよ!?」
バチバチと、火花を散らす二人の男。それを咎める可愛らしい声に、周りの団員たちは「いつものこと」と微笑ましく見ていた。
鬼のように強くて、クールに見えるけれど本当は優しい、その騎士団団長の傍には。今日も、最愛の少女の笑顔がある。

クロウ国の遥か上空では、二匹の翼竜が華麗に旋回し、平和を祝福するかのように鳴き声を上げるのだった。





 

END


 

 

もとさんからのリクエスト「パラレルファンタジーで、騎士の中さくらちゃんは男装で入ってるんですが、小狼だけ気づいて助けたりし、最後は結ばれる的なものを。。。」ということで!!
今回のリクエスト企画で不思議と多かった、男装or女装、潜入!!というネタ。前に書いたルームメイトの逆バージョンですね!騎士団の中に潜入する男装さくらちゃん・・・一応サラシを巻いて胸をぺったんこにしてます(必要ない、とか言わないそこ!)でも多分、ほとんどまんまさくらちゃんです。
小狼への「だんちょー」呼びが可愛くて、書いてる本人なのにホエホエしておりましたww
とても楽しく書けました!読んだ方にも楽しんでもらえたら嬉しいです♪


→ 続編はこちら 「Girl Meets Knight ~乙女の祈り~」



2017.8.28 了

 

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