※パラレル設定のしゃおさくです。

※オリキャラが出ます。

 

 

 

 

 



―――聖クロウ学院。
私有地である広大な山林の奥深くに、その学院はあった。幼少期から少女達は学び、心を洗い、卒業後は修道女として神に仕える身となる。厳格な、女の園。
そこで、ある事件が起きた。

 


黒塗りの車が、学院の正門へと滑り込む。そこから出てきたのは、長身の少女だった。肩まで伸びた髪が、朝日に反射して眩しい。どこか鋭い瞳で、学院を見上げる。
そこへ、教員であるシスターがやってきて、ゆっくりとお辞儀をした。
「お待ちしていました。ミス・李。クロウ学院へ、ようこそ」

 

 

 

 

 

ルームメイト 【1】

 

 

 

 

 

「・・・ありがとうございます」
品のある佇まいで微笑んだ少女に、シスター達は笑顔を返した。
一番年上と思われるシスターは深い皺の奥にある目を光らせて、じっとこちらを見つめる。その隣にいる若いシスターは、少しおどおどとした態度で、何点かの確認をする。どうやら、彼女が担任教師となるらしい。
長い廊下を進み、教室へと向かう。古い木造建ての校舎は、一歩踏みしめる度にミシミシと音を立てた。少女はシスターの後ろを歩きながら、周囲の様子をうかがう。
時期外れの転入生。しかも、『あんなこと』があった後に―――。シスターも生徒達も、疑心暗鬼になっている。向けられる視線に、またも笑顔を返すと、みんな頬を染めて黙り込む。それほどに、この少女には特別な美しさがあった。
教室の扉を開くと、騒がしかった声がぴたりと止む。転入生の姿を見て、何人かが小さく声を上げた。担任のシスターが、笑顔で紹介する。
「今日から、み、みなさんと一緒に学びます。李佳楠(リ・ジェナン)さんです。ミス・李。みなさんに、挨拶を」
「はい」
返事をして教壇に上がると、感嘆の息が零れた。
教室の中にいる生徒は、およそ30名。全員が、この学院に幼い頃からいる者ばかり。外部からの新しい生徒は、彼女たちの好奇心を大いに刺激した。加えて、見惚れるほどに美しい外見と、品のある所作。そこにいる誰もが、目を奪われた。
少女は教室内を見回して、笑う。
(・・・空席は、二つ)
一つは、転入生である自分に用意された席。そしてもう一つは―――。
「李です。わからない事ばかりですが、この学院でみなさんと一緒に頑張りたいと思います。よろしくお願いします」
少しハスキーな声で綴られた、澱みのない言葉に、一斉に拍手が送られた。
その中で、睨むようにして拍手を送る生徒が一人。ひと際瞳を輝かせて拍手をする生徒が、一人。
頭の中に、データはすべて入っている。向けられる女性との顔一人一人と、事前に調べたデータを重ね合わせ、確認する。
にこりと笑顔を見せて、李という少女は、拍手に応えた。







「李さん!どちらからいらしたの?どうしてこんな時期に?何か特別なご事情があるのかしら?」
「よかったら、校内を案内いたしますわ!」
「まぁ。厚かましい。席が近い私が、案内します」
一日の授業が終了すると、クラスメイト達がこぞって集まり、転入生を囲んだ。「私が」「いえ私が」と言い争いが始まり、転入生は引き攣った顔で笑う。
その時。よく通る声が、少女達を黙らせた。
「みなさん、どいてください。先生から頼まれているのは私です。・・・李さん、はじめまして。クラス委員で、この学園寮の寮長も務めております。直井です」
その少女は、先程睨むようにこちらを見ていた生徒だった。直井は群がる女生徒達を咎めると、黒縁眼鏡をくい、とあげて、言った。
「寮へ案内します。今日から、あなたもここの寮生になるのですから」
―――直井 文乃(なおい ふみの)。
学院一の成績優秀者で、シスターからの評価も高い。真面目を絵に描いたような人物だ。一方で規律や規則に厳しく、他の女生徒からの反感を買う事が少なくない。
件の生徒とも、一度言い争っているのを目撃されている。
「・・・はい。助かります。直井さん」
お礼を言うと、直井は素っ気なく顔を逸らし、早足で歩きだした。騒ぐクラスメイト達に一礼すると、その背中を追いかけた。
この学院に通う生徒は、全員、寮生活となる。
山を下りて街に行く手段は車しかなく、時間も二時間ほどかかる。故に、ここは陸の孤島と言われてもおかしくないくらい、閉じられた世界だった。
寮は、校舎から出て五分ほどの距離にある。こちらも、だいぶ年季が入った建物だ。
「こちらの第一寮の、一階の角部屋になります」
「ちょうど、空きがあってよかったです」
「・・・そうですね」
直井はこちらに背を向けたまま、無感情にそう言った。
―――ついでに、少し聞き出してみるか。そう思い、口を開く。
その時。
「あ―――!見つけた!!」
突然に第三者の声が飛び込んできて、驚いた。振り返った瞬間、思い切り抱き着かれる。ふに、と。やわらかな感触が胸に当たって、動揺する。
「泉さん!!何をやってるんですか!?」
直井の怒号が響き渡る。ばさばさ、と。近くにある木から小鳥が飛んで行った。
泉と呼ばれた女生徒は、色素の薄い猫っ毛を二つに結んでいて、猫のような大きな目でこちらを見つめた。小柄な癖に、体はやわらかく成熟していて、『年頃の男子』の心臓に悪い。
「あ、あの。何か、用ですか」
冷静を装って聞くと、泉はにこりと笑った。
「だって!もっとお話したかったのに、委員長が連れて行っちゃうから。唯奈ね、李さんみたいに格好いい女の人、すごく好みなんだ~!李さんは、唯奈の事どう思う?」
「・・・はい?」
「泉さんっ!!あなたって人はどうしてそう、言動がふしだらなんですか!?仮にも修道女を目指す者として、恥ずかしくないんですか!!」
くねくねと身を捩らせて、潤んだ瞳でおかしなことを言う泉に、直井は先程よりも声を荒げて怒る。間に挟まれて、困惑しながらも、二人の様子を観察する。
―――泉 唯奈。(いずみ ゆいな)
奔放な性格で授業もサボりがちな、劣等生。直井とは両極端で、二人はよくぶつかっている。基本的には誰とでも親し気に話しているが、特定の仲の良い友達はいない。
件の生徒に対しても、しつこく後をついて回っていたと、証言されている。
「委員長!なんで李さん、あの部屋なの!?前の時もそうだったじゃん!ずるいよー!唯奈だって、李さんみたいな格好いい人と同じ部屋がよかった!なんでいつもあの子なの!?明日香様の時だって・・・」
「黙りなさい!!」
その名前が出た途端、直井の様子が変わった。鬼気迫るような声と表情に、泉も笑顔を消して、黙り込む。
直井は、くい、と眼鏡を直し、静かなトーンで言った。
「これから、李さんを部屋に案内します。あなたも戻りなさい。泉さん」
「・・・別にいいけどぉ。唯奈に偉そうに指示しないでね?」
「・・・・・」
空気が嫌な感じに張り詰めている。見えない火花がバチバチと交差して、近くにいるだけで巻き込まれそうだ。
一歩退いて二人を観察していると、同時に目を逸らし、睨みあいは一時の休戦となった。
「じゃあ、唯奈帰るね!李さん、明日はいっぱいお話しようね?」
「李さん。こっちです。その人に構わなくていいですから」
笑顔で手を振る泉に会釈をして、棘のある言い方で手招きする直井の背中を追う。そうして、寮の中へと足を踏み入れた。中も、だいぶ造りが古い。
「李さんのルームメイト、もう部屋で待っていると思います。その方に、ここの規律や規則を確認して。学院も寮も、規律が全てです。あなたもここの生徒になったのだから、風紀を乱さないよう。よろしくお願いしますね」
「・・・規律、規則。ずいぶんと、厳しい場所なんですね」
ぽつりと漏らした言葉に、直井は振り向いた。
目が、真っ赤に充血している。怒りを抑えたような声で、静かに言った。
「厳しいと思うのは、修練が足りない証拠だと、私は思います。李さん。あなたは外部から来た人です。外部の余計な『膿』を、ここに持ち込まないよう。くれぐれも気をつけてください。・・・あんな面倒事はもう、ごめんです」
「面倒事って?」
聞き返すと、直井はハッと我に返り、口を噤んだ。またも眼鏡を指で直すと、ふる、と首を振った。
「いえ。なんでもありません。では、こちらがカギになります。よろしくお願いします」








(直井文乃。泉唯奈。・・・御門明日香に深く関係する人物を、徹底的に調べ上げる必要があるな)
思案しながら、寮の中を歩く。この時間は、部活動をしている生徒が多いという。寮の中は閑散としていて、自分の足音がやけに大きく響いた。
部屋は、一階の角部屋。到着し、鍵と部屋番号を確認する。中に、人がいる気配がした。
―――『李さんのルームメイト、もう部屋で待っていると思います』
なぜか、緊張した。この学院に来る時だって、もう少し落ち着いていたというのに。
(ここが、御門明日香が失踪するまで使っていた部屋。何かしらの痕跡が見つかるかもしれない)
小さく深呼吸をして、扉をノックした。
こん・・・、と一つ音を鳴らした瞬間、ぱたぱたと足音が近づいてきた。そうして、勢いよく扉が開く。
「・・・!」
その瞬間、キラキラとした笑顔が、目に飛び込んできた。驚いて固まっていると、躊躇いなく手を握られる。その熱と、向けられる笑顔に、心臓がおかしくなったみたいに震えた。
「待ってたよ、李さん!私、ルームメイトの木之本さくら!これから、よろしくね!」
どくどく、どくどく。
心臓の音が、耳元で大きく鳴り響く。自分の声も聞こえないくらいに。
(・・・なんだ、これ?)
「李、です。よろしく、木之本さん」






―――木之本 さくら。
明るく人当たりもいい為、友人が多い。成績は中の上。素行も悪くなく、礼拝堂への自主的な活動は他の生徒も見習ってほしいものだと、シスターは口を揃えて言った。
件の生徒―――御門明日香とはルームメイトで、傍目から見ても仲が良く、姉妹のようだったと多くの証言が上がっている。
「李さんが来るの、ずっと待ってたんだ!部屋は、窓から向かって左側が私で、右側が李さんね」
さくらの言葉に頷いて、右側の壁にある机に鞄を下ろした。
部屋はおよそ12畳の広さで、中央の窓を境に、右と左で机とベッドが分かれている。空っぽの机と、真新しいベッド。少し前までは、ここは御門明日香という生徒が使っていた。試しに机の引き出しを開けてみるけれど、当然、中は空だった。
殺風景な右側の景色と反対に、左側の領域は随分とカラフルだった。女の子らしい、花柄のベッドカバーと枕。マカロン型のクッションと、クマのぬいぐるみ。よく見ると、机の上にも小さなクマのぬいぐるみがあった。
「・・・・・」
「どうしたの?何か、気になる?」
「え?あ・・・、いや。クマが、多いから。似合うな・・・って思・・・、」
自分でも、どうでもいいことを口走っていると自覚した。世間話にしても、もっとマシな返しはなかったのか。初対面の『異性』に対して、舞い上がっているわけでもないのに。
顔に熱が集まる。何か言わなければ、と焦るうち、目の前にいる彼女が笑った。
「ふふっ。李さん、真っ赤になってる!」
「っ!」
つん、と。頬を指先で突かれて、動悸は更に速まる。
女子高というのは、初対面の相手に対してもこんなに距離が近いものなのだろうか。触るとか、抱き着くとか。相手に対しての境界線が、一般よりも緩いような気がする。
しかし。先程の泉唯奈にはもっと大胆に抱き着かれたというのに、その時以上に激しく動揺している。
(お、落ち着け。俺は、任務でここにいるんだ。冷静になれ)
心の中で自分に言い聞かせて、目の前の事に集中する。
「この部屋、ずっと木之本さん一人で使っていたんですか?」
「ううん。前はね、他のルームメイトの女の子がいたの。あ、お茶いれるね。ジャスミン茶とか、好き?」
頷くと、彼女は入口近くに設置されているポットを沸かし始めた。小さな食器棚からおそろいのカップを取り出すと、そこにあたたかなお茶を入れていく。ジャスミンの香りが、部屋中に広がった。
テーブルなくてごめんね、と言って、カーペットの上に座り込み、二人でお茶を飲んだ。
カップに口を付けながら、先程の話の続きを振る。慎重に。相手の様子を、観察しながら。
「どんな人でしたか?前の、ルームメイトの人って」
「んー。どんな人、かぁ。名前はね、明日香ちゃん。御門明日香ちゃんって言って、すごく人気者だったの。背は、李さんよりもちょっと低いくらいかな。スポーツも万能で、成績もよくて。みんなに優しくて、面倒見もよかった。私も、大好きだったんだ」
さくらは、すらすらと答えてくれた。予め用意されていた答えだったかもしれない。だけど、彼女の表情からは、嘘をついているようには感じなかった。
「じゃあ」
お茶を飲みながら、何でもないふりを装って、聞く。
「なんで、いなくなってしまったんですか?」
それを聞いた瞬間、さくらの様子が変わった。
先程の笑顔が嘘のように、表情に影が落ちる。その瞳には、みるみるうちに涙が浮かんで、それを見た途端、『冷静』という文字が頭の中でガラガラと崩れた。
飲んでいたカップを落としそうになって、慌てて持ち直す。
「・・・っ、う・・・、ごめ、・・・ごめん」
「ちょ、え!?き、木之本さん?なんで泣いて・・・!?」
「ごめん、なさい・・・っ、今、止めるから。ひく、う・・・」
さくらの涙が、ぽたぽたとお茶の中に落ちては、波紋を作る。
赤い顔で、悲しそうに涙を落とす彼女を見て、初めての感情が渦を巻いた。まるで嵐だ。突然に現れて、入念に準備していたものを荒らしていく。
思考を奪われて、体が勝手に動く。手の甲で、彼女の濡れた目元にそっと触れた。『女の子の涙を拭う』なんて事は、今まで経験がない。傍から見たら、さぞかし不格好だっただろう。
しかし。その不格好に震える手を、彼女は嬉しそうに受け入れた。頬に触れる手に、自分の手を重ねて。目を閉じて、笑う。
「ありがとう。李さん、優しいね」
「・・・・・!」
「手もおっきくて、なんだか、ドキドキする・・・」
一音一音、彼女の唇が動いて、音になって零れ落ちる。
気付いたら、吐息を感じられるくらいに近づいていて。動揺した、なんてものじゃなかった。パニックだ。これ以上ないくらい真っ赤になっている顔が、部屋の隅に置かれている鏡に映っていて、それを見て更にダメージを受けた。
(なんだ、これ・・・!なんだこれ!?こんなの、知らない!聞いてない・・・っ!!)
女子生徒と同じ部屋。調査の為とはいえ、色々と問題があると、ここに来る前から指摘された。しかしそれを、『全く心配ない』と突っ撥ねた。自分に限って、そんな問題が起きる筈はない。任務の為と割り切れば、その懸念は瑣末な事であり、万が一も起こらない。
―――そう、思っていたのに。
さくらの言葉に、体が硬直して動けない。
いつの間にか、彼女の涙は止まっていて。照れくさそうな笑顔がこぼれた。
(・・・くそ。可愛い)
女子に対してそんな事を思うのは、生まれて初めてだった。この感情はおかしいと思うのに、目を逸らせない。
さくらは、じっとこちらを見つめる。更に近づく距離に、思わず後ろに体が逸れる。しかしさくらはめげずに、それを追いかける。
「ちょ・・・、ちょっと、待って。倒れ・・・っ」
逃げられず、バランスを崩して後ろに倒れる。カップの中身が空でよかったと、どうでもいいことを思う。
カーペットに横たわった自分の上に覆いかぶさって、彼女は微笑んだ。
「教室で見た時と、なんか違うね。でも、今の李さんの方が、私は好き」
そう言った時、一瞬だけ瞳が揺らいだ。あれは、錯覚だったのだろうか。儚げに微笑んだ彼女は一瞬で消えて、無邪気に笑って名前を呼んだ。
「李さん。さくらと、仲良くしてね?」








『・・・それって、ひとめぼれって奴じゃないの!?ちょっとやだ、なんでこのタイミングで!?信じられない!』
耳元で叫ばれて、思わず電話を離す。眉間に皺を寄せると、溜息交じりに言った。
「そうとは限らない。この状況で、気が昂ってるせいかもしれないし。一時的だと思うから、別に心配ない」
『アンタって子はなんでそう意地っ張りなの・・・。可愛い弟の初恋は姉としてはすごく嬉しいけどね?そういう状況じゃない事は、わかってるわよね!?大丈夫なの!?ばれてない!?怪しまれてない!?』
次々と飛び出す質問は、おおむね予想通りではある。しかし予想外の項目に関しては、言及されると耳が痛い。この正体不明の感情を、姉に相談した事がそもそもの間違いだった。
コホン、と咳ばらいをして、努めて冷静に話した。
「今のところ、怪しまれている様子はない。事情を知らないシスター達も、歓迎してくれている。さすが、姉上達の変装術だ」
ほどほどに持ち上げると、相手はわかりやすく声のトーンを変える。
『それならよかった。それで?どうなの、学院内の様子は』
「まだなんとも言えないが、御門明日香と問題を起こしていたという情報があった二人・・・直井と泉とは話した。何か知っている素振りを見せていたから、明日もう少し調査を進める」
『そう。くれぐれも気を付けてね。もちろん、あなたのルームメイトにも。彼女も一応、標的(ターゲット)に近しい人物の一人なんだから』
その時。先程のさくらの泣き顔が、フラッシュバックした。
感情を押し殺すように奥歯を噛み、電話を強く握る。最後に頷いた時、声が少し掠れた。
通話を切って、重いため息が零れた。
「あー、いけないんだー!学院内は、携帯電話禁止ー!」
びくっ、と。肩を震わせて、おそるおそる後ろを振り向いた。そして、そこにあった光景に目を見開く。
ルームメイトであるさくらがお風呂に入っている間に、報告という名目で電話をしていたのだ。予想以上に早く風呂から上がってきた彼女は、キャミソールにホットパンツという薄着で、濡れた髪からポタポタと滴を落としていた。
先程、『一時的なものですぐに治る』と思っていたこの正体不明の動悸は、そんな楽観的思考を嘲笑うかのように、激しさを増す。
その動揺を、彼女は別の意味に捕らえたのか。傍にしゃがみこんで、こっそりと内緒話をするように、耳元で囁いた。
「内緒に、してあげるね?」
「・・・っ!?!」
息がかかって、心臓が止まるかと思った。彼女の吐息が触れた耳をバッと抑え、わたわたと後退する。
「でも、よく持ち込めたね。学院に入る前に、持ち物チェックとかされたでしょ?ここは、携帯電話もゲームも、本もダメ。持ち込めるのは、ほんの少しの私物だけなの」
「あ、それは・・・どうにか、して」
本当は。事情を知っているシスターの許しを得ている。シスターの中でも、潜入調査員だという事は、一部の者しか知らない。
さくらは、興味津々といった感じで、こちらの顔を覗き込む。またも、距離が近い。非常に困る。
逃げるようにして、立ち上がった。
「内緒にしてくれると、助かる。おれ・・・、わ、私、も、風呂、入ってくる」
「うん!シャンプーとかリンスとか、置いてあるの使っていいからね。着替えとタオルは、自分のを持っていってね」
さくらの言葉に頷くと、鞄ごと持ってバスルームに入った。部屋の一角に、小さなバスルームと洗面所があるのだ。一応鍵を閉めて、何度目かの溜息をついた。
(思った以上に大変だな・・・)
髪に指を差し入れて、留めていたピンを外す。そうして、肩までの髪―――ウィッグを外し、本来の自分に戻る。鏡の中の、己のスカート姿にげんなりして、服を脱ぎ始めた。








「失踪事件?」
「そう。一人の生徒が、学院から姿を消したの。もう、ひと月になるそうよ。依頼は、クロウ学院の学院長から。内密に、生徒達に気付かれないよう、いなくなった生徒の所在を見つけること」
「・・・そうなると、潜入捜査になるな」
自宅の書斎で、四人の姉達に呼ばれ、今回の任務の事を聞いた。
潜入捜査は、そう珍しい事はない。こういう事件では、割とよくある。他の人間に気付かれないように、真相を究明する。
幼少時からの全寮制学院で、しかも人里離れた山奥にある。生徒達の中には身寄りのない者も多く、卒業後はシスターとなるのが、この学院での決まりだった。
いなくなった女生徒の名は、御門明日香(みかど あすか)。ある朝、隣で寝ていたルームメイトが、最初に気付いた。夜は一緒に眠りについたのに、朝、ベッドの中は空になっていた。学院内のどこにも、彼女の姿は無かった。
「普通の全寮制の高校とかなら、逃げ出したとか脱走したとかあり得るけど、ここの立地的に難しいのよね」
「・・・交通手段はなく、車を使ったとしても、山を下りて街までいくのに二時間。確かに、高校生が一人で逃げ出すには難易度が高い」
「おまけに、警備システムも完璧で。高い塀に囲われていて、カメラも数十台と完備されているから、もし塀を乗り越えていったとしても見つかる。だけど、カメラにはそんな痕跡は残されていないの」
確かに、不思議な事件だ。
外に出ていないのなら、この生徒はまだ学院内にいる。それならばなぜ、姿を見せないのか。見せられない事情があるのか。もしくは、そう出来ない状況にあるのか―――。
「大体の事情は把握した。それで。今回は、誰が潜入するんだ?教師・・・シスターになるんだろう。姉上達の仕事の空き状況は・・・」
その時。顔を上げて、驚いた。四人の姉が一斉に、こちらへと人差し指を向けていたのだ。
嫌な予感がして、顔が強張る。
「まさか・・・」
「そのまさかよ。あなたが潜入するの。この一件は、生徒じゃないと探れないわ。それに、彼女がいた部屋も調べなきゃ」
「!!だって、女子高なんだぞ!?無理だろ!!気づかれる・・・っ」
そこまで言って、口を噤む。いつの間にか、囲まれている。見ると、その手には化粧道具、女物の下着、制服、スカート。青褪める弟に、姉達は笑顔で言った。
「大丈夫!お姉ちゃん達が、完璧な女子高生にしてあげるから!」







「確かに、完璧な女子高生だ。誰も疑わない・・・」
しかし、鏡の中の自分は、何度見ても不気味だ。ウィッグを外し、スカートや下着を外すと、すっきりとした。これはもう、潜入捜査以前の問題だ。凄まじい疲労感に、溜息が絶えない。
しかし、これも任務なのだから仕方ない。自分に言い聞かせて、シャワーのコックをひねった。
その時。
「・・・きゃぁっ」
「っ!?!」
突如聞こえてきた悲鳴は、さくらのものだった。それを感じ取った瞬間、体が動く。濡れた体のまま、タオルを手早く腰に巻いて、バスルームを飛び出す。
「どうした!?」
声をかけると、窓際で腰を抜かしていた彼女が、涙目でこちらを向いた。その顔を見て、心臓が跳ねる。非常事態に何を考えてる、と。思っている間に、さくらはこちらへと駆け寄り、ぎゅっと抱き着いた。
「っ!!ばか、濡れる・・・っ」
「李さん、ゆゆ、ゆうれ・・・、幽霊が・・・っ!!」
「・・・幽霊?」
呆然と、言葉を繰り返す。
さくらは、微かに震えながらこくこくと頷いた。引き離すのも躊躇われて、そのままの態勢で、窓の外を窺がう。暗くて、何も見えない。しかし、人の気配は感じられなかった。
「生徒の誰かが通ったんじゃないのか?」
「でも、この先は立ち入り禁止だし、普通の生徒は点呼後に外に行っちゃいけない決まりだし・・・それに、ジッとこっちを見てたの!よく見えなかったけど、そんな気がしたの!!」
「お、落ち着け。わかったから。大丈夫だから」
迷った末に、彼女の体を抱きしめ返した。顔にこそ出していないものの、心臓は爆発寸前かと思うくらいに激しく鳴っている。
だって、さくらは薄着なのだ。くっついていると、彼女の熱とか肌のやわらかさをダイレクトに感じるし、見下ろすと押し付けられた胸の形とかが視界に飛び込んできて、とてもマズい。五感が彼女に支配されてしまう感覚。
(本当に、大丈夫か?俺・・・)
ほんの少し、くじけそうになる。
ぐっ、と気合を入れて、さくらの肩に手を置く。そうして、不自然じゃないように体を離した。
「大丈夫だ。幽霊なんていない」
「でも・・・。・・・・・?」
「きっと、見間違いだ。・・・・・どうした?」
さくらの表情から恐怖の色が消えて、きょとん、とした顔でこちらを見つめた。その視線を受けて、ふと、自分の姿を見下ろす。
裸に、タオル一枚。
(――――――っ!!!)
声にならない悲鳴を上げた。
「あれ・・・?李さん、だよね?髪・・・?」
「あ、ああ。実は、ウィッグだったんだ。き、切りすぎてしまったから」
「えっと・・・。私、人の事言えないけど・・・、胸、すごく小さい・・・っていうか、逞しいっていうか・・・?」
「う、生まれつき!遺伝なんだ!悪い、シャワー途中だったから」
ここまでは、なんとか誤魔化せる。大丈夫。相手は、人一倍ほえほえしてるし、鈍そうだし、『こういう体質』で誤魔化せばなんとでもなる。―――そう結論付けて、足早にバスルームに戻ろうとした。
しかし。
無情にも、タオルの結び目が解ける。
ひらり、と。スローモーションのように、タオルが落ちた。それを目で追って、さくらは固まった。露わになったその部分を凝視すること、数秒。
「ほえぇぇぇ―――!?!」
「うわぁぁぁ―――!!!」
同時に上がった悲鳴は、見事に重なった。
素早くタオルを拾って腰に巻き付ける。これはもう誤魔化せるレベルじゃない。混乱する頭で、どうにかしなくてはと必死に考える。
しかし、更に追い込まれる事態へと発展した。
「木之本さん!?李さん!?今の悲鳴はなんですか!?」
(げ・・・っ!この声は、直井・・・!?)
どんどん、と激しくノックする音と声。先程の悲鳴を聞きつけて、寮長である直井が飛んできたようだ。
念のため鍵をかけておいて助かった。しかし、ここでルームメイトであるさくらに突き出されてしまえば、終わりだ。正体がばれたら、調査は続けられない。
険しい顔で歯噛みしていると、背中を押された。覚悟して振り返ると、必死な顔のさくらが言った。
「早く!バスルームに隠れて・・・!見つかっちゃう!」
「え?」
「きゃあっ!こ、こっち向いちゃダメ!・・・私が、適当に誤魔化すから!」
林檎みたいに顔を真っ赤に染めて、彼女はぐいぐいと背中を押した。
―――がちゃ。
扉の向こうには、怒った顔の直井。騒ぎを聞きつけてやってきた、泉唯奈や、その他にも何人かの生徒がいた。さくらは、少々引き攣った笑顔で、言った。
「ごめんなさい・・・!あの、む、虫が出て・・・びっくりしてしまって」
「虫!?・・・本当に?」
「うん!本当!び、びっくりして、叫んじゃうくらい大きかったの!」
必死に嘘をつくさくらに、直井は怪訝そうな目を向ける。
泉は、隙間からひょっこりと部屋の中を覗き込む。ざぁざぁと、シャワーの音が微かに聞こえてきた。
「李さんは、お風呂?」
「う、うんっ!」
「さっき、二人分の悲鳴が聞こえたけど?」
「っ!わ、私の悲鳴にびっくりしちゃった、みたい。お騒がせしてごめんなさい・・・!」
頭を下げて謝ると、集まっていた生徒達は笑って許してくれた。「虫が怖いなんてさくらちゃんらしいね」と、笑う生徒達の中で、直井と泉は未だ、納得していないように感じた。
「じゃあ、おやすみなさい!」
さくらは強引にその場を誤魔化して、扉を閉めた。
扉に耳を当てて、廊下の様子を窺う。話し声や足音がだんだんと遠ざかって、無音になった頃。そっと扉を開けて、誰もいなくなったことを確認する。
再び扉を閉めて、鍵をかける。詰めていた息を吐いて、さくらはその場に座り込んだ。
「・・・大丈夫か?」
後ろから声をかけると、その華奢な肩が震える。
振り返った先には、寝間着に着替えたルームメイトの姿が。念のためにとウィッグを被って、さくらへと心配そうに言った。
「李さん・・・男の子、だったの?」
「・・・・・うん。騙してごめん。あと、ありがとう。ここでバレるわけにはいかないから、助かった」
ウィッグを取って、短い髪をがしがしと掻く。その姿をジッと見つめて、さくらは言った。
「本当の、名前は・・・?どうして、女の子の恰好をしてるの?」
その瞬間、男の目の色が変わったのを、さくらは見た。
怖いくらいに真剣な瞳。先程までの雰囲気とは違う、張り詰めた空気。低い声が、その名を紡ぐ。

「俺の本当の名前は、李小狼。・・・失踪した御門明日香の事を調べる為に、この学院に来たんだ」

 

 


 


2 へ

 





2017.5.28 了

 

気に入っていただけたら、ポチリとどうぞ!

 

戻る