最初は、小さな小さな違和感だった。

 

 

 

 

 

Eyes to me !

 

 

 

 

 

「小狼くん、おはよう!」
「おはよう」
「今日、いいお天気だね。暑くなりそう」
「ああ、そうだな」
学校に行く途中に小狼の姿を見つけたさくらは、いつもどおり笑顔で駆け寄った。挨拶をすると、笑顔で挨拶を返してくれる。他愛ない話に、優しく笑って相槌をうってくれる。
小狼は、いつもどおり。
なのに、さくらは不思議な違和感を感じた。何かが、いつもと違う。少しの引っ掛かりが、さくらの心をざわざわさせた。
小狼はそう口数が多い方ではない。大抵は、さくらが話しかける事の方が多い。ちゃんと話を聞いてくれるし、楽しく会話してくれる。今日の天気だとか、授業の内容だとか、お互いのクラスの話とか。さくらが知りたい事や、聞きたい事も汲み取ってくれる。
いつもと、同じ。笑って、頷いて、会話して。学校までの道のりが、もっと長ければいいのにと思うくらい、楽しい。
だけど、やっぱり。違和感がぬぐえない。
(なんだろう。なんだろう・・・?小狼くん、いつもと違う。どこが・・・?)
隣を歩く小狼を、盗み見た。一度気になってしまうと、違和感の正体を突き止めたくなった。
前を向く瞳、しゃんと伸びた背筋や、自分よりも少し大きな歩幅も、いつもと変わらない。
さくらは、小狼を見つめる。
初夏の日差しの下、色濃くなった影を引きつれて歩く姿は、見惚れるほどに綺麗だった。
(いつもと変わらない、よね?・・・・・・はうぅ。どうしよう。小狼くんの事見てたら、ドキドキしてきちゃったよぅ)
さくらは、じっ、と見つめているうちに、小狼の横顔に見惚れてしまっていた。
―――もし今ここにケルベロスがいたら、「なんでやねん!」と勢いよく突っ込んでくれた事だろう。残念ながら、今頃は気持ちよく二度寝の最中である。
(やっぱり夏服、すごく似合ってる・・・)
先週衣替えしたばかりで、まだ新鮮に感じる。白くパリッとしたシャツとネクタイ、半袖から伸びる腕の逞しさに、さくらは鼓動を鳴らした。
見つめているうちに、小狼の横顔に些細な変化が訪れる。頬が、仄かに赤く染まった。
「・・・あの、さくら。何か、視線を感じるんだが」
「・・・え?ほぇっ!?ご、ごめんなさい!」
小狼は前を向いたまま、言いにくそうに口を開いた。
さくらは途端に恥ずかしくなって、ぱっ、と目を逸らす。顔から火が出るんじゃないかと思うくらいに、熱くなる。
「い、いや。別に謝らなくてもいい。嫌なわけじゃない、から」
「・・・!ほんと?」
ちら、と。小狼の顔を見て、さくらは問いかけた。小狼はこちらを見ないまま、こくりと頷く。頬の赤みは、自分と似たり寄ったりだろう。お互いに赤面して、そこからは無言で学校への道を歩いた。
「さくらちゃん!李くん!おはようございます」
「知世ちゃん、おはよう!」
道中、友人である大道寺知世が二人の姿を見つけて駆け寄ってきた。
小狼とさくらの間にあったギクシャクとした緊張感が、少しだけ解ける。さくらのほんのりとピンクに染まった頬に気付いて、知世は一層笑みを深くしたが、多くは聞かずに隣に並んで歩き出す。
さくらは、知世と話をしながら、ふと気づいた。
(あ・・・。小狼くんがいつもと違ったのって、もしかして)
その考えが浮かんだ瞬間、少しだけ寂しい気持ちがあった。でも、もしかしたら間違っているかもしれない。確かめようと、さくらは鞄を持つ手にぎゅっと力を込めた。
「今日は本当にいいお天気ですわね」
「うん、そうだね。・・・ねっ、小狼くん」
「ん?ああ、そうだな」
名前を呼ぶと、小狼はこちらを向いた。
だけど。小狼は、さくらの方を見ない。視線は、さくらの隣にいる知世の方に向いていた。
「日中は暑くなるみたいだ。体育の授業、汗かきそうだな」
「そうですわね。今日は・・・三時間目にグラウンドで体育の予定でした。李くんのクラスは何時間目ですか?」
「うちのクラスは、確か午後だったな」
交わされる会話に、不自然なところはない。さくらを間に挟んで、小狼と知世が話している。
知世は、小狼とさくら両方へと視線を投げながら、にこやかに会話を続ける。だけど小狼は、知世に視線は投げるものの、さくらの方は見ない。会話の途中に二人から視線を外すと、前方に見えてきた学校の方を見ながら相槌をうつ。
さくらが、一心に小狼を見つめていても。小狼は、さくらを見ない。
一瞬も、目が合わない。
(やっぱり・・・気のせいじゃない。私が感じてた違和感。・・・今日、小狼くんと目が合ってないんだ)
朝、会った時からずっと。二人で会話している時も、話に頷いてくれている時も。小狼の視線はさくらから逸らされていて、それは一見すると気付かない程の絶妙さだった。
さくらがその違和感に気付けたのは、何の事は無い、いつも小狼が自分を真っ直ぐに見てくれている事を知っていたからだ。
なんで。どうして。今日は、自分を見てくれないのだろう。
さくらは、ざわつく胸をぎゅっと掴んで、小狼を見つめた。
「あっ、木之本。おはよう」
考えに没頭していたさくらは、突然に話しかけられてハッとした。
顔を上げると、いつの間にか昇降口まで来ていた。声をかけてきたのは、同じクラスの男の子だった。さくらは慌てて挨拶を返す。
「今日、俺と木之本が教科係だったよね。五時間目が地理なんだけど、昼休みに地図運ぶの、木之本に頼んでもいい?俺、どうしても部活の集まりに行かなきゃいけなくて」
「うん!大丈夫だよ」
頼む、と顔の前で手を合わせるクラスメイトに、さくらは笑顔で了承した。
その時。不意に、強い視線を感じた。
(・・・あれ?この、視線って・・・)
さくらがゆっくりと後ろを振り向くと、少し離れたところに小狼がいた。
しかし。さくらが振り向いたタイミングで、ふ、と視線は外される。その時、小狼の方にもクラスメイトと思われる男子生徒が話しかけ、二人は談笑を始めた。何を話しているのかは、よく聞こえない。
「さくらちゃん?どうかしましたか?」
「・・・今ね、小狼くんが私の事・・・」
「李くんが、どうかしましたか?」
(小狼くんが、私の事、見てたの)
ふる、と首を横に振って、さくらは知世へと笑って言った。
「ううん。気のせいだったみたい。知世ちゃん、教室に行こ!」
「・・・?はい」
知世は不思議そうにしながらも、さくらの言葉に頷く。
こっそりと後ろを見ると、小狼はクラスメイトの男の子と話していた。視線もちゃんと合っているし、不自然には見えない。
(やっぱり・・・。小狼くん、私だけ見ないんだ)
募る不安が、さくらの表情を暗くした。
小狼にも、何か理由があるのかもしれない。そう思い直し、さくらは嫌な考えを頭から追い出した。
(気のせいかもしれない。でも、そうじゃないなら・・・。小狼くんに、直接聞いてみよう)








お昼ご飯の時間になって、さくら達はいつもどおり輪になって中庭でお弁当を広げた。
隣にいる小狼は、他の人とは目を見て話すのに、さくらが話しかけると微妙に視線を逸らす。というよりも、見ないのだ。
気のせいだと思いたかったけれど、ここまで来ると疑いようがない。何が理由かわからないけれど―――小狼と目が合わないのは、自分だけ。
直接、理由を聞いてみようと決意したけれど、本人を前にすると躊躇してしまう。
(どうしてだろう・・・?私、何かしちゃったのかな)
暗く沈み込む気持ちが、食欲も減退させる。お弁当を半分ほど食べたところで、箸が止まってしまった。
「さくら?大丈夫か?具合でも悪いのか?」
「・・・っ!」
小狼に話しかけてもらえた。それだけで、動悸が増した。
さくらが勢いよく顔を上げると、一瞬だけ、こちらを向く小狼と目があった。
その瞬間、さくらはなんだか、泣きそうになった。
「小狼くん、あの・・・」
「あっ、木之本―――!!」
話しかけようとしたさくらだったが、思わぬ方向から飛んできた声に邪魔される。がっくりと項垂れながら、さくらは声のした方を向いた。すると、離れたところにクラスメイトの男子がいた。
「教科係!地図!頼んだやつ!」
「あっ・・・!わ、忘れてた!今行くね!」
なんてタイミングが悪いのだろう。
さくらは食べかけのお弁当を片付けて、立ち上がった。知世や秋穂、他のみんなも気遣って「手伝うよ」と言ってくれたけれど、さくらは遠慮した。まだみんなお昼ご飯の途中だったので、笑顔で「大丈夫」と言って、その場を離れる。
(やっと、やっと・・・小狼くんと目が合ったのに)
後ろ髪をひかれる思いで、さくらは一人、教科準備室へと走った。








「ふぅ。地図、重い~・・・」
布製で円柱に巻かれている地図は、自分の身長の半分を超す大きさだ。当然、重みもある。さくらは両手に地図を抱えて、よろよろとしながら教室までの道を歩き始めた。
数メートル程進んだ、その時。
不意に伸ばされた手が、さくらの持っていた地図を攫っていった。驚いて隣を見ると、小狼がいた。軽々と片手で地図を抱えると、「教室まで運ぶのか?」と聞いた。
「う、うん!ありがとう・・・!」
「もっと頼っていい。大体、こういう力仕事は男がやるべきだろ」
その言葉の端々には、僅かな怒りの感情が窺えた。小狼の険しい表情を見て、さくらはハッとする。
「違うんだよ。部活の集まりで、どうしても来られないからって。だから、仕方ないの」
「・・・そうだとしても、さくら一人にやらせる仕事じゃない」
気のせいだろうか。さくらが同じ係の男子を庇った瞬間、小狼の眉間の皺が更に深くなった気がする。さくらは、小狼の怒りの理由が今一つ分からなかった。
だけど。手伝いに来てくれたというだけで、嬉しくなった。少し前までは、避けられているかもしれないと落ち込んでいたのに。
小狼の一挙一動、言葉ひとつで、心は天地を行ったり来たりする。
隣を歩く小狼を見て、さくらは聞いた。
「重くない?」
「全然」
「ほんと?私、半分持つ?」
「大丈夫だ」
小狼は前を向いたまま、短く言葉を返す。
またも目が合わない事に、さくらは少しだけ寂しくなった。どうして自分の方を見てくれないのか、今日ずっと目が合わないのか。その理由は、まだ判明していない。
さくらの心の中には、悲しい、寂しいという感情とは別のものが生まれた。端的に言えば、『なんだか面白くない』―――という、幼い感情。
(こっちを向かせたい)
「小狼くん」
「ん?」
「小狼くん、小狼くん」
名前を呼んで、さくらは歩みを止めた。
前を向いて澱みなく歩いていた小狼も、様子がおかしい事に気付いて足を止める。一歩追い越してしまったさくらを、振り返った。
さくらは両手を背中で組んで、小狼へと笑顔を向けた。
「小狼くん」
呼ぶ名前に、想いを込めた。
しゃおらんくん。
いつも呼んでいる名前。その音は、いつもよりも甘く響いて。
(だいすきだよ)
言葉にしない想いが、どうか伝わりますように。
その想いが、あなたの視線をこっちに向かせられますように。
さくらは、ドキドキしながら、小狼を見つめた。
今、目は合っている。大丈夫。小狼の目は、自分を見ている。それだけで、さくらの心は歓喜に震えた。
―――ごとっ
地図が床に落ちて、重い音を立てる。
さくらは、その音に驚いたあと。小狼の様子が変わった事に気付いて、更に驚いた。
「・・・!?小狼くん・・・?どうしたの?」
「―――!」
「顔、真っ赤だよ?」
小狼は困ったように眉を下げて、顔を林檎のように真っ赤に染め上げた。盛大な赤面ぶりが、さくらにも伝染する。
小狼は倒れそうになった地図を慌てて抱え直すと、ぱっ、と顔を逸らした。
さくらは一瞬迷ったけれど、おそるおそる小狼へと近づいた。そうして、下から顔を覗き込む。
目が合うと、小狼はやっぱり困った顔をした。だけど今度は、目を逸らさない。口元を手で隠しながら、観念したように息を吐いた。
「・・・そんなに、赤いか?」
「う、うん」
「ごめん・・・」
「謝らなくてもいいよ!・・・でも、なんで?小狼くん。今日ずっと、私の事避けてた・・・よね?・・・どうして?」
思い切って聞いてみた。
小狼は一瞬呆けた顔をした後、今度は必死の形相になった。
「ご、ごめん・・・っ!そんなつもりなかったんだ。さくらを避けてたんじゃなくて・・・!俺が、勝手に気まずくて」
「ほぇ・・・?どうして?」
しばし逡巡したあと、小狼はぽつぽつと話しだした。
「実は・・・昨日、俺の夢に・・・さくらが、出てきたんだ」
「え?私・・・?そうなんだ。どんな夢だったの?」
「そ、それは・・・!言え、ない」
小狼は真っ赤な顔で、すまないと謝罪した。
さくらは、なんだか拍子抜けをしていた。夢に出てきたから―――?そんなに避けたくなるくらい、酷い夢だったのだろうか?それでも、夢は夢なのに。
(夢は魔力が関係あったり、何かの意味を持つ可能性もあるもんね。小狼くんの夢に出てきた私は、何をしたんだろう?)
知りたいけれど、小狼の様子を見るに、教えてくれなさそうだ。
さくらがそんな事を考えていると、小狼は不意に、何かを決心したように眼光を強くした。
深く息を吐いたあと、さくらの手を握る。
「不安にさせて、ごめん。さくら」
小狼の瞳は、怖いくらいに真っ直ぐにさくらを見つめていた。
呼吸が止まりそうになる。さくらは、頬に熱が集まるのを感じながら、小狼の瞳を見つめ返した。
「でも、これだけは覚えていてほしい。俺は、どんな時でもさくらを見てる。さくらの傍にいる。それだけは、絶対に違えない」
「・・・うん」
「不安にさせた俺が何を言うんだって思うだろうけど・・・」
「ううん・・・そんな事、ない」
さくらが絞り出すようにそう言うと、小狼は目を瞠った。
「さくら?泣いてるのか?」
心配そうに翳った小狼の顔を見つめ、首を横に振る。浮かんだ涙を拭って、さくらは笑った。
「嬉しいの。だって今、小狼くんと目が合ってる!」
「さくら・・・」
「えへへ。よかったぁ」
涙目で笑うさくらを見て、小狼はぐっ、と奥歯を噛んだ。
体温が上がる。繋いだ手に、力がこもる。
さくらを見つめる瞳が、少しだけ色を変えた。さくらも吸い込まれるように一歩踏み出して、潤んだ瞳で小狼を見つめた。
二人の距離が、近づく。吐息が触れる程に。お互いの瞳の中に、自分の姿を見つけられる程に。
「小狼くん・・・」
「さくら・・・」


―――キーンコーンカーンコーン


「・・・!予鈴!なっちゃった!」
「あっ、そ、そうだ。急がないと!」
ぱっ、と手を離すと、小狼は両手で地図を抱えて走った。さくらもそれを追いかける。
二人の全身には冷めきらない熱が燻っていたが、顔が赤いのは走ってきたせいだと言い張った。「じゃあ」と気恥ずかしそうに手を振って、それぞれの教室へと戻る。
間近で見つめた小狼の瞳の色が、何度もちらついて、午後の授業は全く頭に入ってこなかった。さくらは熱くなる頬を両手で覆って、悩ましい溜息をついた。

―――今日、一緒に帰ろうと誘ってみよう。寄り道をしたいと、ちょっと我儘を言ってみよう。
きっと、小狼は頷いてくれる。
視線を合わせて、優しく笑ってくれる。

 



(そういえば・・・夢の中の私、小狼くんが私の事見られなくなるくらい、酷い事したのかなぁ・・・。帰りに、聞いてみようかな)
(・・・絶対に、言えない。さくらには、絶対に言わない!)


 

 

 

 

END


 

 

 

 

Twitterで出たアンケートにあった『目が合わない』というテーマで書いてみました。久しぶりのすれ違いしゃおさ、楽しかったです♪

このお話の小狼の夢は魔術云々じゃなく、間違いなく思春期特有のあれこれですね(^^)


 

2018.12.7 了

 

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