※オリキャラが出ます。







それは甘い20題

 

19. 甘噛み

 

 

 

 

 

いつもと同じように授業を受けていたが、集中していない事は自分でもよく分かっていた。原因も分かっている。
小狼は四時間目の授業中、ぼんやりと外を見ていた。腹立たしいくらいに天気がいい。教師に注意されるまで、他の一切を遮断して考え込んでいた。
「あんな李くん初めて見た」と言った山崎の、少し間抜けな顔を思い出して、笑みが浮かぶ。
(・・・あとで、電話してみるか。いや、もし寝ていたら悪いな)
携帯電話を無意味に開いては、呼び出しボタンを押せずにしまう。それを今日、何度繰り返しただろう。小狼は溜息をついた。休み時間、彼女のクラスの教室の前を通りかかった時、空席を見ては寂しい気持ちになる。
いつもと同じ。平和な日常。雲一つない晴天、風も穏やかで気温も心地いい。
―――だけど、さくらがいない。








「李くん!何してるの?お昼ご飯も食べずに読書って、君は本当に本が好きだね」
「・・・先輩こそ」
話しかけてきたのは、同じ図書委員の女生徒だった。学年はひとつ上なので、小狼はその人を『先輩』と呼んでいた。最初は名字で読んでいたのだが、相手の強い要望によりその呼び方に切り替えた。
愛想のない小狼に、少々馴れ馴れしく声をかけてくる。同級生の友人以外ではこの人だけかもしれない。こうして、図書室で行き会う機会が多い。
小狼は「あ」と気づき、相手に向かって頭を下げた。
「昨日はすいません。お騒がせをしました」
「あっ。うん、あの子大丈夫だった?随分しんどそうだったけど」
「風邪でした。家まで送ってちゃんと寝かせたので、大丈夫だと思います」
「・・・家まで行って寝かせて・・・ふーん」
女生徒は複雑な笑みを浮かべながら、黒縁の眼鏡を指で直した。
小狼は相手の些細な機微に気づくどころか、話している最中でも頭の中はさくらの事でいっぱいになっていた。
昨夜は平熱まで下がったから大丈夫だと本人は言っていたが、今日になって休むという連絡が入ってきた。あれからまた悪化したのだろうか。
さくらの体に触れて直に感じた、あの熱さを思い出す。未だ熱に苦しんでいるかもしれないと、想像しただけで小狼の表情は険しくなった。
「―――なの?」
「・・・え?あ、すいません。話を聞いていませんでした」
上の空で聞いていた事を素直に謝ると、女生徒は明らかにムッとした顔をした。
小狼は、条件反射にぎくりとする。実家にいる四人の実姉の教育の賜物か、年上の、特に女性には気を配るよう教え込まれている。
慌てる小狼を見て、相手はにこりと笑った。そうして、再び問いかける。
「そんなに心配なの?」
「え」
「李くんは、あの女の子の事が好きなの?」
気付くと、距離が随分と近くなっていた。後ろにある本棚に手を置かれ、逃げ場を無くすように距離を詰められる。背丈は同じくらいの筈だが、妙な威圧感を感じた。眼鏡の奥の目が、一瞬ぎらりと光ったような気がする。
「片思い?それとも、もう付き合ってるの?どこまで進んだ?」
「は・・・?」
(なんだ・・・?何が起こってる?)
女心に滅法疎い事は自覚している。いつもなら事前に察知して避けるだろう面倒な事態に、不本意ながらも巻き込まれていた。気付いた時には遅い。
どこか切羽詰まった様子の相手を前にして、小狼はどうやってこの状況を切り抜けるべきかと、考えを巡らせた。
「本を読んでばっかりだから、わからないでしょ?私が、教えてあげても」
―――その時。
図書室の扉が開いて、誰かが入ってくる音が聞こえた。
小狼は、微かな気配を感じ取る。
瞬間、誰も見た事がないような優しい笑顔を浮かべた小狼に、目の前にいた女生徒は不意打ちで心臓を射抜かれる。
「ぐふ」と、小さく呻いた声も耳に入らず、小狼は女生徒の拘束からするりと抜け出した。
「さくら!」
「あ、小狼くんっ!」
図書室に入ってきたさくらは、こちらの姿を見止めると真っ直ぐに駆けてきた。そうして、その勢いのまま小狼へと強く抱き着いた。
小狼もまた、飛び込んでくるさくらを難なく受け止め、腕の中にある体温を愛おしそうに抱きしめた。
(さくらがここにいる―――)
ひとしきり抱擁を交わしたあと、至近距離で見つめあう。小狼はさくらの頬をそっと撫でて、優しく聞いた。
「元気になったか?熱は?」
「大丈夫、治ったよ!午前中は念の為に病院に行ってきたの。先生も、もう学校に行っていいって!お兄ちゃんは今日一日寝てろって言ってたけど、私、小狼くんに会いたかったんだもん!」
「・・・うん。俺も、会いたかった。でも無理はだめだぞ」
「はぁい」
頬を撫でる小狼の手に自分の手を重ねて、さくらはくすぐったそうに笑う。―――いつもの、さくらの体温だ。その事を肌に実感して、小狼は嬉しさを堪えきれずに笑った。
もしもここに友人達がいたら、「李くん笑顔の大売り出し!!」と騒ぎたて、大道寺は嬉々として撮影を始めるだろう。そんな想像にも心をあたためられる程に、小狼は幸福感に満ちていた。
「・・・あっ」
「え?」
「小狼くん、あの・・・人が、見てる」
「あっ・・・」
―――すっかり忘れていた。
小狼とさくらは抱き合ったまま、傍らでフリーズしている女生徒を見つめた。今更外野に気付いて、同じように頬を染めて盛大に照れる。その反応さえ、充てられて胸焼けしそうだ。女生徒はかなりのダメージを負ったようで、よろよろとしながら二人へと精一杯の笑顔を向ける。
「な、仲がよろしいようで、結構だと思うけど・・・!ここは学校なんだから、節度ある行動をしなさい!ね!」
「はい、すいません。先輩」
「・・・別に、私には関係ないからいいけどね!」
最後の負け惜しみはかろうじて二人の耳に届いていたけれど、意味がわかっていないのか呑気な顔で首を傾げる。相手にするのも馬鹿馬鹿しいと悟ったのか、女生徒はさっさと図書室を出て行った。
「・・・今の女の人って、昨日もいた・・・?」
「ああ。図書委員で一緒の人なんだ。昨日も、さくらの不調に気づいたのもあの人で」
「・・・・・ふぅん」
顰められた眉に、小狼は「ん?」と目を瞬かせた。先程の笑顔はどこへやら、さくらは急に不機嫌そうだ。
(な、なんだ?今の、何がダメだった?)
女心は本当にわからない。小狼は懸命に考えて答えを探すけれど、もともと不得手な上にさくらの事に関しては未知数だった。昨日は「言葉なんて無くても分かる」なんて言ってみたけれど、こういう時は本当に分からない。
その上、顰められた眉もむくれた頬も拗ねた目も、「可愛い」なんて思ってしまったから、もう駄目だ。考える事も放棄して、甘やかしたくなってしまう。
さくらの膨れた頬を撫でると、もっと膨らんだ。思わず笑いそうになると、むぅ、とした目に睨まれる。
「さくら?」
「・・・やだ」
―――がぶ。
「!?」
「やら・・・」
頬を撫でていた小狼の人差し指を、さくらは噛んだ。
突然の行動に驚いて声も出ない。さくらは小狼の指に歯を立てながら、恨めし気に睨んだ。
(や、ばい・・・っ、これは)
色々な部分が刺激されて、平静を装えない。指先を甘く噛むさくらの歯や、やわらかな唇。上目遣いに見つめる涙目が、全力で誘惑してくるようだ。
ここは学校なのだから、節度ある行動を。さっき、そう言われたばかりなのに。瞬殺で破ってしまいそうになる。
「私以外の女の子と、二人きりは・・・や」
「さくら、それって・・・!」
「なんか、胸がちくちくする。なんでだろう?私、まだ熱があるのかな・・・。・・・ごめんね、小狼くん。痛かったよね?」
先程噛んだ指先を癒すように、赤い舌で舐める。その熱さに、思考能力はがくんと落ちた。
小狼はさくらを抱き寄せて、本棚の間に隠すように覆いかぶさった。
熱く重なる口づけに、さくらは「もっと」と言うように、首に腕を回した。舌を絡めて、吐息ごと奪う。伝わる心臓の音が、二人の熱を更に煽った。

 

(・・・ああ。もう、ダメだ)
―――留まり続けるのも、そろそろ限界が近いと悟る。
最初に触れた時から予感していた。
抱き合う事を覚えて、キスを知って。距離が近づく程に、気持ちは大きくなっていく。際限なく、欲しくなる。もっと知りたい。知らない事も全部埋めていきたい。
近いうちにきっと訪れる。執行猶予は長くない。どこかで、覚悟していた。


その日は、もうすぐ。

 

 

 

 

END

 

 

 


2018.5.25 了


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