その日は早起きして、冷やしておいたチョコレートを冷蔵庫から出した。まずまずの出来栄えに、さくらはにっこりと笑って、可愛らしい箱とリボンで包装する。起きてきた兄に意地悪を言われないうちにと、素早く、丁寧に。
きゅ、とリボンを結んだ箱の中には、紛れもない『本命チョコ』が入っている。―――大好きな小狼に、心をこもって作ったチョコレート。
「えへへ。小狼くん、喜んでくれるといいな」

 

 

 

 

 

恋人はショコラティエ

 

 

 

 

 


昨夜、夕飯の片づけを終えてから、さくらはチョコレート作りを開始した。
小狼へのチョコレートの他にも、藤隆や桃矢、雪兎に送るチョコレート。そして、知世達と交換しようと約束したチョコレート。食い意地のはっている相棒、ケルベロスへのチョコレートも忘れずに。
イギリスにいるエリオル達には、バレンタイン仕様の可愛らしいレターセットで手紙を送った。多分、今日あたりに届くだろう。
「ありがとう、さくらさん。今年も上手に出来たね」
「本当?お父さん!」
「まぁ、怪獣にしてはマシに出来た方じゃねぇか?ゆきには俺から渡しておく。念のため胃薬も一緒にな」
「おにいちゃんっ!なんでいつも意地悪言うのー!!」
ぷんすかと怒るさくらに、桃矢はにやりと笑って、一口大のショコラを口に入れた。文句は言うくせに、残さず食べるのだ。これも、毎年の事。
「おぉー!美味しそうに出来たやないかぁ!さくら、食べてもええか!?」
「うん!・・・どう?おいしい?味、だいじょうぶ?」
「おいしく出来とるー!小僧も喜ぶで!絶対や!」
ケルベロスからの太鼓判ももらって、さくらはホッとしたように笑った。
すると。ケルベロスはさくらのチョコを食べながら、ゲームの横に放ってあった雑誌をぺらりと捲って言った。
「贅沢言うなら、こっちのチョコも食べたかったけどなぁ」
そこに写っていたのは、今年バレンタイン限定で発売された『魔法のショコラ』。豪華な見栄えで、一見するとチョコレートには見えない。発売前から話題騒然で、予約もすぐにいっぱいになってしまった。テレビを見ながらケルベロスと一緒に「食べたい食べたい」と言っていたのを思い出して、さくらは苦笑する。
「私だって食べてみたかったけど、仕方ないよ。ケロちゃんは私のチョコで我慢して?あと、今日は千春ちゃん達もチョコ作ってきてくれるから」
「夜はチョコパーティーやな!?」
「ふふっ。ケロちゃんってば、本当に食いしん坊なんだから」
ケルベロスはなぜか「おう!」と胸をはって、機嫌よくチョコレートを頬張った。
「行ってきまーす!」
学校鞄とは別に、チョコレートを入れた紙袋を用意して、準備万端。
ドキドキと、心臓がうるさくなる。緊張と、期待。小狼がどんな顔をするのか、楽しみで仕方なかった。
(いつ渡そう。お昼はみんなで食べるし、その後の方がいいかな。でも、早く渡したい)
逸る気持ちを抑え、さくらは学校へと向かった。
いつも以上に可愛らしい笑顔で登校するさくらに、周りの生徒もつられたように笑顔になる。ほわわ、と。冬の寒さを吹き飛ばすような空気は、まるで一足先に春がきたように感じた。


―――しかし。
小春日和のバレンタインは、突然の事態によって氷点下の冬へと逆戻りする。









(え?え・・・?ど、どういう事―――!?)
壁にへばりついて、へなへなと座り込む。さくらは息を潜めて、こっそりと隠れて様子を窺った。
角を曲がった、人通りのない廊下で。小狼と、下級生の女の子が話していた。小狼の姿を見つけたさくらは、笑顔で走り寄った。名前を呼ぼうとして、傍に見知らぬ女の子がいるのに気づいて、咄嗟に隠れてしまった。
話し声は微かに聞こえてくるけれど、内容まではわからない。さくらの心臓は、速まる鼓動で落ち着かない。朝の浮かれたものとは真逆の、不穏な気持ちでいっぱいになった。
不安そうな顔で、小狼と女の子のやり取りを見つめる。さくらの目に、信じられない光景が映った。
女生徒が半ば無理矢理に渡したそれを、小狼は受け取った。女生徒の顔は見えないけれど、小狼の表情は仄かに赤らんでいて。困ったように眉を下げているが、口元には笑みが浮かんでいた。
立ち去っていく女生徒が笑顔で手を振り、小狼はそれに小さくお辞儀をして返した。
さくらの頭に、「?」が幾数にも浮かんだ。状況把握が追い付かない。呆然とする頭の中で、今の光景が繰り返し流れる。
(小狼くん・・・他の女の子からも、チョコレートもらうんだ。そうだよね。私だけじゃ、ないよね。・・・どうしよう。泣きそう)
楽しみだったイベントが、急に暗く翳りを見せて。晴天だった空が、どんよりと曇って雨を降らすように、さくらの心を冷やしていった。
ロッカーの中で眠ったままのチョコレートは、結局放課後になっても、送り主の元に届くことはなかった。










「さくらちゃん。さくらちゃん」
「・・・ほぇ?」
肩を叩かれ、さくらは目を上げた。傍には、心配そうな顔の知世と千春がいた。ぱちり。不思議そうに瞬くさくらに、知世が言った。
「ホームルームが終わっても動かないので、具合が悪いのかと・・・。大丈夫ですか?」
「え・・・?あれ?授業は?」
「終わったよ。覚えてないの?もう、みんな帰っちゃったよ」
知世と千春の言葉に、さくらはサァッ、と血の気が引くように感じた。
鞄の横に置いてある紙袋には、まだ渡していないチョコレートがある。今、渡さないと。バレンタインデーが終わってしまう。
「私・・・!小狼くんのところ、行ってくる!ごめんね、知世ちゃん千春ちゃん!また明日・・・!」
「はい!さくらちゃん、お気をつけて」
「またね、さくらちゃん!」
教室を出て急いで駆けていくさくらを、知世と千春は応援の気持ちをこめて、大きな声で送り出した。
やがて昇降口から超特急の速さで駆けていくさくらの姿を、ベランダから見下ろし、二人は溜息をついた。
「さくらちゃん、やっぱり渡せてなかったんだ。お昼の時も、心ここにあらずだったもんね」
「私達へのチョコレートはくれましたけど、李くんには渡していなかったようですわね・・・」
「うんうん。李くんも、今日ずっとそわそわして落ち着かなかったからね~。木之本さんからのチョコレート、もらえないんじゃないかって大真面目に考え込んでるし。さては何かやらかしちゃったのかな?」
「そんなことは・・・って、山崎くん!いつからいたの!?」
「さくらちゃん、李くんに無事に会えるといいんですが・・・」
三者三様の想いを乗せた木枯らしが、ひゅるりと足元をすり抜けるのだった。










人もまばらな正門前。ほとんどの生徒が帰路についた時間、さくらは小狼の家へと急いで向かった。
「さくら!」
その時。後ろから声をかけられ、さくらは振り向く。
「小狼くん・・・!待っててくれたの?」
驚きと、会えた嬉しさで気持ちが昂る。
小狼は寒そうに縮こまっていた体を解いて、さくらへと駆け寄る。二人の吐く息が、白く舞い上がった。自然と笑顔になるさくらだったが、ふと日中に見た光景を思い出して、その表情が曇った。
紙袋を持つ手に、ぎゅっと力が入る。
さくらの様子が変わったことに気づいた小狼も、眉を顰めた。二人の間に、気まずい空気が流れる。
「さくら、あの・・・」
この重い空気をどうにかしようと、小狼が意を決して話しかけた。
その時。ちりん、と。遠くから音がして、小狼は表情を険しくした。さくらの手を取ると、自分の方に引き寄せる。
二人のすぐ傍を、自転車が通り過ぎていった。密着した格好で歩道の脇に寄った二人は、ホッと息を吐いたあと、お互いの顔を見合って赤面した。―――距離が、近い。
顔に熱が集まる。潤んだ瞳で、さくらはすぐ近くにいる小狼を見つめた。引き寄せてくれた手を、強く握り返す。
「小狼くん・・・手、冷たくなってる。ずっと外で待っててくれたの?」
「気にしなくていい。俺が、好きで待ってたんだ。それに、いつもこれくらい冷たいぞ」
「嘘・・・っ!小狼くんの手、あったかくて大きくて、いつもあっためてくれるの。知ってるもん・・・」
さくらは、なぜか泣きたい気持ちになった。
小狼が、他の女の子にチョコレートをもらっていた。あの光景を見たときの悲しい気持ちとは違う。あの時よりも、もっと胸がいっぱいになって、苦しくなった。
俯いたさくらの頬に、そっと触れる。冷えたその指先に導かれるようにして、さくらは小狼を見た。
小狼の顔も、なんだか泣きそうに見えた。少しだけ困ったように笑って、優しい声音で「さくら」と呼ぶ。
「甘い匂い、する」
「・・・!」
「さくらが、チョコレートになったみたいだ」
くん、と。首元に鼻を寄せて、悪戯っぽく囁く。さくらは小さく肩を震わせて、目を閉じた。
小狼の熱い吐息と、冷たい指先。チョコレートの甘い匂いが、二人を繋ぐ。さくらはゆっくりと目を開けて、小狼を見た。
「バレンタインのチョコ・・・です」
紙袋から取り出した、リボン付きの箱を差し出した。
すると、いつもにない反応で、ぱっ、と小狼の顔色が変わる。子供みたいに無邪気に笑う顔を見て、心から喜んでくれている事がわかった。
「ありがとう。食べていいか?」
「え?こ、ここで?」
人気が無いとはいえ、ここは学校の正門前。いつ、知り合いが来るかもわからない場所だ。
さくらの言葉に、小狼は頷いて「そうだな、場所を変えよう」と言って歩き出した。鼻歌が飛び出しそうなくらいに上機嫌な足取りで、さくらの手を引く。辿り着いたのは、ペンギン公園だった。
寒さをしのぐため、ペンギン大王のお腹の中で二人は身を寄せ合った。小狼はキラキラと目を輝かせて、さくらの手作りチョコレートに手を伸ばした。
さくらはドキドキしながら、咀嚼する小狼の横顔を見つめる。
「・・・うまい!」
その言葉と笑顔に、さくらの胸につかえていたモヤモヤが消えていった。
二つ目のチョコレートもぱくりと食べて、「うまい」と言った。嬉しそうに笑ってそれを見ていると、「さくらの作るものはなんでもうまいな」と、いつもは言わない事まで言うから、さくらの顔は林檎のように真っ赤になった。
6つのチョコレートを半分平らげたところで、小狼は箱を閉めた。
「すぐに食べきるのはもったいないから、残しておく。ありがとう。美味しかった」
「・・・うん!」
「ところで、さくら」
「うん?」
笑顔で聞き返したさくらへと、ずい、と小狼は距離を詰める。先程までの笑顔から一転して、至極真剣な顔だった。
「どうして、泣きそうな顔してたんだ?」
「・・・!」
「何か理由があるんだろ?俺が何かした?なんでもない、とか嘘言うなよ。お前の事で、誤魔化されるわけにはいかないんだからな」
小狼は一息で言うと、こつん、と額と額を当てた。至近距離で、真剣な瞳が真っ直ぐに問いかける。その顔を見つめて、さくらは頬を紅潮させた。こんな状況なのに、見惚れてしまったなんて言えない。
(言わなきゃ)
もう、隠せない。さくらは、スカートをぎゅっと握って、小さく言った。
「小狼くんが・・・」
「俺が?」
「他の女の子に・・・チョコ、もらってたの。偶然、見ちゃったの」
その瞬間、小狼の目が大きく開いて、ひとつ瞬いた。さくらは焦って、堰を切ったように話し出す。
「わかってるの。小狼くんにチョコをあげたい女の子は、私だけじゃないって!でも・・・っ、嫌だって思っちゃったの。悔しくて、悲しくて。私の方が・・・!私の方が、いっぱい好きなのにって!」
「―――!」
「わがままで、ごめんなさい。・・・可愛くなくて、ごめんね」
そこまで言うと、強く抱きしめられた。驚くさくらの耳に、唸るような小狼の声が聞こえた。
「・・・なんだそれ。可愛くないとか・・・逆だ。可愛すぎるだろ・・・」
「え?えっと・・・、あれ?」
戸惑うさくらを、ぎゅう、と強めに抱きしめたあと、小狼は腕を緩めた。そうして自分の学生鞄を引き寄せると、ある物を取り出した。
小狼の手にあるもの、そのパッケージと見覚えのあるゴロを見て、さくらは思わず声を上げた。
「それ!魔法のショコラ!」
「さくらとケルベロスが食べたいって言ってた、人気のチョコ、だろ。俺も覚えてた」
小狼から渡されたのは、売切続出と評判の有名チョコレートだった。話が全然見えない。困惑するさくらに、小狼は苦笑して言った。
「これを持ってきた一年生の女の子、なんて言ったと思う?『木之本先輩と一緒に食べてください。二人を応援してます』って」
「え・・・!?お、応援って・・・」
「俺も、受け取るつもりはなかったんだ。けど、さくらが食べたがってたチョコだし、二人にくれたものならって・・・。悩んでるうちに渡されて、結局そのまま貰った。それがさくらを不安にさせたんだな。ごめん」
謝る小狼に、さくらは未だ混乱したまま、ふるふると首を振った。思っていたものとは違っていた。だけど、小狼がチョコレートを受け取ったのは事実で。複雑な気持ちだった。
せっかくだから食べてみるか。小狼はそう言って、女子生徒にもらった箱を開けた。宝石のように色鮮やかなショコラに、さくらの表情はわかりやすく高揚する。躊躇して手が伸ばせないでいると、小狼の手が一粒拾い上げて、さくらの口に放った。
「~~~♡」
果実の甘みと、上質なカカオの香り。その美味しさに、さくらの顔が幸せそうにとろけた。それを、隣でじっ、と見つめる小狼に気付いて、さくらは恥ずかしくなった。
「小狼くんも!はい、食べて・・・!」
照れ隠しに差し出したものの、さくらの胸がちくりと痛んだ。
どういう経緯であったとしても、どんな目的であっても、他の女の子からもらったチョコレートは食べてほしくない。はっきりと、そう思った。
(ばか。気付くの、遅い・・・)
小狼の手が、また一粒、チョコレートを摘まんだ。
しかし。それは小狼の口に、ではなく。さくらの口元へと、また運ばれた。条件反射に開いた唇に、甘いチョコレートが放られて。
その、すぐあとに。
追いかけるように、唇が重ねられた。
「・・・っ」
かり。割れたチョコレートから、とろける果実。
さくらの口内に広がった甘さを、小狼の舌が舐めあげる。熱も甘さも、好きの気持ちも、共有して半分こにして。チョコレートが溶けてなくなってもずっと、その甘さに酔いしれていた。
一度唇を離したあと、二人は熱っぽく見つめあった。吐息が混ざって、どちらからともなく近づいて、ちゅ、と再び唇を合わせる。啄むようにキスをしながら、小狼は聞いた。
「もうひとつ、『一緒に』食べるか?」
真っ赤になって、何か言おうとしたさくらの唇をまたも塞いで、イエス以外の答えを封じる。
(ずるい・・・)
―――こんなの。もっともっと、好きになってしまうのに。
口の中のチョコレートを溶かしながら、触れる唇を待つ。さくらは小狼の首に腕を回して、目を閉じた。
この甘さが、永遠に続きますように。








「これ!魔法のショコラやないかぁ!!どうしたんや、さくら!!」
「小狼くんが・・・俺はもう十分だから、残りは全部あげるって。私もいいや・・・。ケロちゃん、食べていいよ」
「なんでや!?小僧と二人で食べたん、たったの三粒やろ!?美味しくなかったんか!?」
「美味しかったよ・・・でも」
ほう・・・、と熱っぽく溜息をついて、さくらは言った。
「もう、一年分くらいの甘さと幸せを味わった気分なんだもん」
―――有名ショコラティエも魔法のショコラも、きっと敵うまい。
ケルベロスは間抜けな顔で呆けたあと、「さよけ」と一言返し、残りのチョコレートを一人で満喫するのだった。


Happy Valentine!

 

 


 

END


 

 

 

今年もバレンタインもめいっぱいに甘ーくしました!胸やけするくらい甘いのがちょうどいい♡

 

 


2018.2.14 了

 

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