ある約束を胸に立ち上げた、将棋部。部員は私と、もう一人の後輩、李くんだけ。
入部希望者は後を絶たないけれど、李くんがことごとく入部を却下するから、いつまで経っても二人きり。部には昇格できないけれど、先生の情けで場所を借りて、放課後に一時間だけ練習をしていた。
李くんのファンと思わしき女の子達が攻めてきたりして、大変な時もあったけれど。今は少しだけ落ち着いて、周囲も静かで平和だ。
それに反して、私の心の中はどんどん落ち着かなくなる。
二人きりの時間の中で、何度となく胸が切なく震える。締め付けられるみたいに苦しくなって、泣きそうになるから、困る。
友達や家族、他のクラスメイトでも、こんな風になることはないのに。一つ年下の、生意気な後輩にだけ反応する。
(李くんに、だけ・・・。私、どうして?)
答えが出ないまま、数日が経った。
―――私は、思わぬところで選択を迫られることとなる。









君とちっちゃな恋語 【後編】









 

放課後の将棋部(仮)の活動拠点である科学準備室に、一人の来客があった。
私が扉を開けた時。そこには、不機嫌そうにする李くんと、一人の男の人が立っていた。その人は私の姿を見ると、口の端を上げて笑う。すたすたと歩いて、いきなり握手を求めてきた。
「はじめまして。木之本部長」
「あ、はい・・・。はじめまして」
李くんよりもさらに長身だ。向き合うと、物凄い威圧感を感じて、笑顔が引き攣る。
握手に応じようと、右手を差し出した瞬間。私の手は、あとからやってきた李くんに握られ、次いで相手の差し出した手をぞんざいに払った。
その失礼な行動に、私が驚いている間に。相手の男の人は、やれやれ、と言った風に笑って、嘲るように言った。
「何もしないよ。君は一年のくせに、本当に礼儀を知らないね」
「・・・・・」
一触即発の雰囲気に、私は焦る。李くんの怒りゲージがどんどん上がっている気がする。二人の間に無理矢理入るようにして、笑顔で聞いた。
「あ、あの。どちら様ですか?」
「これは失礼。僕は、二年の酒井と言います。生徒会役員もしているから、名前くらいは知っていると思うけど」
「あ・・・っ。はい。えっと、存じてます・・・。けど、生徒会の方が、なんの御用でしょう?」
不遜な態度で笑う彼を、李くんは眼光鋭く睨んだ。まるで番犬のように、警戒をあらわにする。
生徒会が、ここに訪れる理由。教師の言葉に甘えて、科学準備室を部室代わりにしている事を咎められるのだろうか。不安に思っていると、酒井くんは私を見下ろして、言った。
「入部希望だよ。初心者二人だけでお困りのようだから。臨時でよければ入ってやろうと思ったんだ。言っておくけど、僕は大会でもそこそこの結果を出してる。そこの一年より、断然役に立つと思うよ?」
挑発するような言葉に、李くんがゆらりと動いて一歩前に出た。私は慌てて李くんの腕を掴んで止めると、言葉を返す。
「え!は、入ってくれるんですか?でも、生徒会で忙しいんじゃ・・・」
「もちろん、生徒会の方を優先させてもらうけどね?それ以外の空いた時間は、コーチとして教えに来てもいい。・・・木之本さんが困っているだろうと思って、来たんだ」
熱っぽい視線を向けられて、僅かにたじろぐ。
経験者に教えてもらえるのは、有り難いと思う。
だけど、今ここで生じている不穏な空気。彼らの諍いは、この先もきっと避けられないだろう。李くんは確実に怒っているし、今にもこの部屋を飛び出して行ってしまいそうだ。
(この人が入部することになったら・・・李くんは、辞めてしまうかも)
その可能性を考えた途端、血の気が引いた。胸が張り裂けそうに痛んで、じわりと汗が滲む。「嫌だ」と、素直に思った。
彼が、この場所からいなくなってしまう。想像だけで、泣きそうになる。
「断る理由なんてないだろう?今のこの状況だって、かなり優遇されてる。本当なら正式な部活動になっていない団体が、こうやって個人的に場所を使うなんて許されていない。わかってる?生徒会も、目を瞑ってあげてるんだ」
「・・・!」
好意の裏に見え隠れする凶器。ここで断る以外の選択は許されないのだと、喉元に切っ先を向けられている。ふらつきそうになる足に力を入れて、拳を握りこむ。
「僕が入れば、適当な連中に声をかけて部員として呼び込む事も出来る。部昇格も出来て、優秀なコーチや部員も揃う。君が望んだことだろう?」
選択を、迫られる。
この人を受け入れれば、李くんがいなくなる。だけど、断れば将棋部自体の存続が危うくなってしまう。天秤にかけられない。どちらも大事で、どちらも失いたくない。
―――ガンッ
突然に鳴り響いた音に、酷く驚いた。
顔を上げたその時、頭を優しく撫でられる。隣にいた李くんが、一瞬だけ私に笑いかけた。「心配するな」―――そう言っているように見えて。
強張った心が優しく包まれる。涙腺がゆるみそうになって、ぐっと奥歯を噛んだ。
李くんは近くにあった椅子を蹴り飛ばし、その椅子がちょうど酒井さんの前に滑りこむ。そこに座れ、と言わんばかりに、相手を睨み上げる。
酒井さんはというと、李くんの突然の行動にかなり驚いたようで、変な態勢のまま固まっていた。ふと我に返ると、激昂して詰め寄る。
「お前!暴力にものを言わせる気か!?一年の癖に!!少しくらい成績がいいからって・・・っ」
「酒井先輩。俺に、将棋を教えてくれませんか」
「あぁ!?」
激怒する相手に臆することなく近づくと、李くんは別人のように笑って言った。
ハラハラする私を他所に、二人は額を突き合わせて対峙する。李くんは相手の耳元で、何事かを囁いた。それを聞いた途端、酒井さんは不敵に笑う。
「はっ。初心者は、自分のレベルもわからず不憫だな。遊びでいいなら、相手してやる」
そう言うと、先程蹴られた椅子に腰を下ろした。
こちらに戻ってきた李くんは、くるりと私の体を回転させて背中を押した。ぐいぐいと、部屋の外へと追いやる。
「先輩は、外にいてください。絶対に中に入らないでくださいね」
「え!?だ、だめだよっ!喧嘩は・・・!」
「喧嘩じゃありません。ちゃんと話し合いで治めますから。信じて、待っててください」
―――ずるい。
(そんな顔して、そんな事言われたら・・・嫌だなんて、言えないよ)
閉められた扉を見つめる。鳴りやまない胸を、ぎゅっと握りしめた。
助けられてばかりで、何もできない自分が悔しい。だけどそれ以上に、彼への想いが大きくて。大きく、なりすぎて。
胸が苦しい。どうしていいのかわからない。
(私に出来るのは、李くんを信じて待つことだけ)
今すぐにでも飛び出して、傍に行きたい。その気持ちを抑えて、ひたすらに扉があくのを待った。






一時間ほど経った頃、ゆっくりと扉が開いた。
部屋から出てきたのは酒井さんだった。先程の強気な態度はどこへやら、青ざめた顔で、やけに疲れた様子だった。駆け寄った私を見て、びくりと肩を震わせる。
「あ、あの。酒井さん」
「!!ずるい人だね、君は・・・!おかげで恥をかかされた!」
「え?どういうことですか?」
問いかけると、強張った顔で笑みを浮かべる。人差し指を私の眼前に向けて、低い声で言った。
「一週間だけ、猶予をあげよう。その間に部に昇格できなければ、この場所を使う権利を剥奪する。いいな!」
そう言い捨てて、足早に去っていった。
気になる事はたくさんあったけれど、今は何よりも、彼の方が大事だった。勢いよく部屋に入ると、李くんがゆっくりとこちらを見た。その前には、ひとつの対局を終えた将棋盤があった。
「ごめん。説得、失敗しました」
「李くん。これ、酒井さんと対局したの?」
「はい。・・・こんなレベルが低いとは思わなかったって、怒ってました。コーチする必要もないくらい弱いって」
なんでもない事のように笑って、李くんは言った。
私は、その言葉を聞きながら、盤上へと視線を注ぐ。まだ、ルールを覚えるのに必死な私でも、接戦だった事が分かった。一手一手に注がれた想いが、まだそこに残っている気がして。
じわりと、視界が滲んだ。
「・・・嘘。勝ったのは、李くんでしょ?」
「え?」
「私、わかるもん!なんとなくだけど、わかる。李くんがさしているのを、ずっと見てたんだよ?わかるよ・・・」
滅茶苦茶な論理だ。「なんとなく」だなんて、理由にならない。けれど、直感的にそう確信していた。
言いながら、涙が零れ落ちた。どうして泣いているのかわからなかったけれど、気持ちが溢れて止まらなくなった。
「李くん、将棋すごく強くなったんだ。私なんかより、ずっと上手になったのに・・・なのに、どうして下手なふりをするの?」
「・・・それは」
「他の部員を受け入れないのは、どうして?」
―――違う。聞きたいのは、そんな事じゃなくて。
心の中にいくつも押し寄せる感情の中で、私は見つけた。胸を震わせてやまない、感情。彼にだけ向かう、大切なこの気持ちの正体。
「どうして・・・私の傍にいてくれるの?」
涙が、頬を伝って落ちる。
その瞬間、腕を取られ、引き寄せられた。
驚いている間に、私は彼の腕の中で。呼吸も許されないくらい、強く抱きしめられた。
「李、く・・・」
「あなたの、役に立ちたかったから。頑張って、将棋を覚えた。棋譜だっていくつも並べて。強くなろうと思ったんだ」
くぐもった声が、耳に届く。隙間なく合わさった体から、互いの鼓動が響いて、同じリズムを刻む。
「でも、欲が出た。・・・それだけじゃ、満足できなくなった。他の奴に近づいてほしくない。俺以外、見ないでほしい。・・・独り占め、したい」
どくん、と。大きく心臓が動いた。
渡される言葉のどれもが、夢のように現実感がない。だけど、自分の体を包み込んで離さない彼の腕が、体温が、現実だと知らしめる。止まりそうになる思考を、無理矢理に引き戻される。
李くんは腕の力を緩めると、俯く私の頬を撫でて、自分の方を向かせた。切なげに揺れる瞳に、囚われる。もう彼しか見えない。
「・・・いい加減に、俺を見て。先輩。盤越しじゃ、もう嫌だ」
「っ!」
「俺を全部あげるから。・・・俺にも、先輩の全部をください」
頬を濡らす涙が、彼の指に優しく撫でられて、あたたかい。こんな時なのに、私はぼんやりと思っていた。
(李くんのこんな顔、初めて見た・・・)
―――『じゃあ、そういう部分を見た人が他にいないって事なんでしょうね』
(そっか。だから、嬉しかったんだ・・・。『私』にだけ、見せてくれたから)
無言の時間が続いて、李くんが少しだけ焦れたように、距離を詰める。
唇が触れるくらいに近づいて、それでもじっと答えを待っている。不安そうに揺れる瞳が、なんだか可愛い。突然に笑顔になった私を、怪訝そうに見つめる李くんの顔は、初めて会った時の事を思い出させた。
(そうだ。あの時、直感的に思ったの。なぜだかわからないけど、最初に会った時から・・・)
背伸びをして、近づく。ごつん、と。軽く額と額をぶつけると、李くんは驚きに目を瞠った。至近距離でその表情を見つめて、笑う。
「もう。李くん、いつもわかりにくいの!もっとちゃんと、言って?」
「・・・っ!せんぱ、」
「そしたら、私も言うから。・・・多分、李くんと同じ、だけど」
そこまで言って、恥ずかしくなって目を伏せた。耳が、彼の声に集中する。吐息までもが、心臓を震わせて。数秒の時間が、とても長く感じた。
李くんの指が、私の唇を優しくなぞる。ふに、と摘まんで、失礼にも噴き出した。笑う彼につられたように、私も笑う。
軽やかに、甘く。彼の笑う声が、その言葉を届けた。
「さくら先輩が、好きです」


心の中で大きく育った、君への想いを伝えたら、今度はどんな顔を見せてくれるだろう。
唇に優しく触れた熱が、これは夢じゃないぞって。照れた顔で、君が教えてくれたような気がした。








―――それから、どうなったかと言うと。
「李くん!真面目に聞いてっ」
「んー・・・。真面目に聞いてるつもりですけど」
「うそっ!ねぇ、どうしていつもみんな断っちゃうの!?あと少しで、この場所使えなくなるんだよっ!」
「んー」
私の文句なんて右から左だ。
聞いているのかいないのかわからない態度で、私の髪に鼻を埋めたり、首筋に吸い付いたりするから、絶対真面目に聞いてない。
李くんの膝の上に座って、後ろから抱きしめられている態勢で文句を言っても、説得力はないのだけれど。
(ち、違うもん!遊んでるんじゃなくて、将棋を教えてもらってるんだから!違うよ!?)
心の中で、誰にでもなく言い訳をしながら、目の前の盤面に集中しようとする。―――だけど。肝心の『後輩』が、それをさせてくれない。
「ん・・・っ、李くん!だめっ!今、部活の事をちゃんとするのー!」
「・・・わかってますよ。でも、それならちゃんと教えてください。先輩が、将棋部にこだわる理由」
急に真面目な顔になって、李くんが聞いた。真っ直ぐに向けられた瞳に、怒っていたことも忘れて見惚れる。「先輩?」と呼ばれて、我に返る。
何を勘違いしたのか、李くんはわかりやすく拗ねて、こんな事を言い出した。
「言わないなら、今度から将棋部活動は俺の部屋になりますから」
「え?え・・・っ!?」
「俺は最初から、あなたと一緒にいられるならどこでもいいんだ。将棋は、盤と駒があればどこででも出来るし?」
「だ・・・っ、だめだめ!李くんの部屋なんて、絶対だめだよぉ・・・」
そんなの、将棋どころじゃなくなるに決まっている。二人きりの部活動なんて、成り立たなくなる。真っ赤な顔でふるふると首を振ると、李くんは呆れたようにため息をついた。
「笑わない・・・?」
「笑いません」
「う・・・。わかった。私が将棋部を作ろうとしたのは・・・ひいおじいちゃんとの、約束なの」
記憶に残っているのは、毎年夏になると遊びに行った、曾祖父の家。穏やかに笑うおじいちゃんが、いつも将棋盤に向かって、ぱち、ぱち、と、音を立てていた。
時折響く風鈴の音と、将棋をさす音が、大好きだった。
「子供のころ、いつか私と将棋をさしたいって言ってたの。でも、大人になるうちに忘れてた。・・・おじいちゃんが体を壊して、やっと思い出したの。約束を叶えたい。将棋を、打てるようになりたい。・・・でも、一人きりで始めるのは寂しくて。だから、一緒に出来る人が見つかればいいなぁって」
「・・・・・」
「あっ、呆れてる?それだけの理由だけど、安直だって思うかもしれないけど、これしか浮かばなかったんだもん!それに、せっかくやるなら強くなって大会にも出たいし、おじいちゃんをびっくりさせたいな・・・って」
言えば言うほど、子供じみた理由な気がして、恥ずかしくなった。だんだんと小さくなっていく声。俯く頬を、優しく摘ままれて。こわごわと目をあげると、優しく笑う李くんがいた。
「・・・呆れてない。先輩らしいなって思った。小さいくせに、負けず嫌いだもんな」
「っ!ち、小さいは余計です!」
必死に怒って見せるけれど、顔が笑ってしまいそうだった。李くんに、そんな風に笑いかけられるのが、嬉しくてたまらない。猫を宥めるみたいに、首筋をくすぐられて、まんまと機嫌は直ってしまう。
「ね、李くん。どうして、下手なふりしてたの?将棋・・・酒井さんに勝つくらい、強くなってたのに」
そう聞くと、突然に鼻を摘ままれた。不機嫌に顰められた眉を見て、瞬く。何か悪い事を聞いたかと考える私に、「アイツの名前なんか出すな」と、李くんは子供みたいに拗ねて言った。
「下手なフリしてたら・・・先輩が、一生懸命教えてくれたから」
「それだけ?」
「・・・それだけ、です」
仏頂面になった李くんの頬が、赤く染まる。
また、違う顔が見られた。子供みたいに拗ねて、ヤキモチ妬いて。可愛くて、愛おしい。私は思い切って、李くんの赤い頬っぺたにキスをした。
「私がもう少し強くなったら、おじいちゃんのところに一緒に行ってくれる?」
「・・・はい。もちろん」
「えへへ。ありがとう、李くん」
笑みを零した途端、唇を塞がれた。
驚きに目を瞠ると、少し照れた顔をした李くんが、言った。
「部活の事も、心配しなくて大丈夫です。将棋がやれそうで、且つ無害そうなメンバーは、俺が探します。期限内に、必ず集めるから」
「ほんと?じゃあ、私もっ」
その先の言葉は、またもキスで塞がれる。
「先輩は何もしなくていいから。・・・その代わり、部に昇格したら、部活時間以外にちゃんと俺との時間も取ってください」
「っ!?」
「当然だろ。・・・俺を飢え死にさせる気ですか?」
突然に『男の子』になった後輩に、狼狽える。心臓が、ばくばくとやかましく鼓動をうつ。
恋人になっても、キスを覚えても。大好きな君の一挙一動に、振り回されている。喜んだり、怒ったりして。
いつの間にか、笑ってる。
「・・・もう。しょうがないなぁ」


いつの間にか、季節は春から夏へと移り変わる。
日の当たる盤の上に、駒が置かれる。―――ぱちん。優しい音が、私をあの日へと連れていく。
(・・・ああ。そっか。私、この場所にまた、戻って来たかったのかもしれない)
ゆるやかな風が、頬を撫ぜる。風鈴の音と、将棋をさす音。大好きな人の、真剣な横顔。ずっとずっと、見ていたい。
「先輩?」
「ううん・・・。なんでもない。ね、李くん。一緒に将棋、しようか?」


 

 

 

END




 

狐さんからのリクエストで、『パラレルでさくらちゃんが学校の先輩。学年の違う二人はどんなシチュで接点を持つのか・・・』というものでした!

先輩なのにちっちゃいさくらちゃんと、後輩なのに生意気な小狼、書いててとても楽しかったです!!

将棋部にしたのは、二人きりでも出来る部活だったから・・・という安直な理由です(あと、三月のライオンがすきなので・笑)色々間違ってるところあるかもですが、目を瞑っていただけると嬉しい・・・(^^;)

→ 年齢制限有の続きは夜桜別室にて

 


2017.4.7 了

 

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