※夫婦な二人です。

※バレンタインデーに更新した「チョコレートよりも甘いもの」から続いているお話になります。


 

 

 

 

 

 

 

その日。小狼は大急ぎで仕事を終わらせて、近所のスーパーマーケットへ向かった。
主婦でごった返す売場の中を、スーツ姿の男が早足ですり抜ける。向かったのは、製菓コーナー。多様にあるチョコレートを、真剣な顔でひとつひとつ吟味して、カゴの中に入れていく。
周りの視線など気にすることなくレジに進み、来た時と同様に早足で出て行った。
我が家の扉を開けると、人の気配はない。この家のもう一人の住人であるさくらは、大学で講義を受けている最中だ。壁にかかっている時計を見て、小狼は小さく息を吐いた。
(この時間に俺が家に一人っていうのも、変な感じだな・・・)
いつもよりも部屋が広く感じて、苦笑する。小狼は、買ってきた食材をキッチンへと運んだ。
上着を脱いでネクタイを緩めると、腕まくりをして早速調理を始める。
作るのは、彼女の大好きなチョコレートケーキ。
「・・・さて。始めるか」









チョコより甘いお返しを









 

不意に、彼女の気配を感じとって、小狼は手を止めた。
がちゃん、という音は、玄関の鍵を開けた音。次いで、扉が開く音と、忙しなく駆けてくる足音が響いた。だんだんと近づいて、リビングの扉が勢いよく開かれた。
「・・・小狼くん!?」
「さくら、おかえり」
「え?ど、どうしてこんな時間に、おうちにいるの・・・?」
さくらは持っていた鞄を下ろさないまま、キッチンへと入ってきた。部屋中に満ちているチョコレートの香り。彼女の表情は、隠しきれない喜びで緩んでいた。
ボールの中には、溶かしたチョコレートとバター。混ぜていた手を止めて、小狼は笑った。
「ケーキを焼くんだ」
「・・・ケーキ?」
「さくらも、俺にくれただろ?」
そこまで言うと、さくらは「あっ」と声を漏らし、頬を赤らめた。
そう。今日のこのケーキ作りは、ホワイトデーのお返しの為。一か月前に、さくらに貰った手作りケーキのお返しにと、小狼が考えた事だった。
チョコレートケーキに、生クリームと苺を添えて、彼女の目の前に置く。甘いものが大好きな彼女は、キラキラと目を輝かせて、嬉しそうに口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼して、飲み込んで。―――「おいしい。小狼くん、ありがとう」―――さくらはきっと、極上の笑顔をくれるだろう。
その光景を想像して、小狼の顔が思わず緩んだ。
しかし。その想像は、呆気なく外れる。
「・・・・・」
さくらは、微妙な顔をして黙り込んだ。眉を八の字にして、困っているような怒っているような、なんとも言えない表情をしたのだ。
予想外の反応に、小狼は内心で焦る。
「・・・?さくら?」
「あっ・・・。う、うん。大丈夫。全然、大丈夫」
―――一体、何が大丈夫で何が大丈夫じゃないのか。さくらの様子に、小狼は困惑した。
今すぐ問い詰めたい衝動に駆られるも、左手はボール、右手は泡だて器で埋まっていて、身動きが取れない。それらを放り出してしまったら、さくらの為に作っていたケーキが無駄になってしまう。
どうしたものかと悩む小狼に、さくらは言った。
「チョコのケーキ?」
話しかけられて、ホッとする。小狼は笑って、ボールの中身を見せた。
「ガトーショコラだ。生クリームと苺も付ける。さくら、好きだろ?」
「・・・うん。大好き」
さくらは、どことなく元気が無いように見えた。それでも、笑顔を見せてくれた事が嬉しくて、小狼も笑う。
「出来るまで、ゆっくり座ってて」と言って、かき混ぜるのを再開する。
しかし。さくらはその言葉には従わず、笑顔のままキッチンへと入ってきた。そうして、小狼の傍らに立ち、ボールの中身を覗き込んだ。
近くなった距離に、小狼の心臓が大きく跳ねた。
「甘い匂いがするね」
「あ、ああ。今度は、メレンゲを作るんだ」
声が上擦ってしまった。小狼はなんだか気恥ずかしくなって、さくらから目を逸らし、もう一つのボールの中身を凝視する。
先程割っておいた卵白をゆっくりとかき混ぜながら、小狼は思った。
いつもなら、一番に抱きしめてキスをする。そうする事が必然のように、体は無意識にさくらを愛でる。
だけど、今日はそれが出来ない。さくらが大好きなチョコケーキを作るべく、両手はせわしなく作業をしている。隣にいるさくらを抱きしめたい衝動に駆られるけれど、今はケーキ作りを優先しなければならない。
(ケーキを作ると言っておいて、中断したら元も子も無い)
それはきっと、さくらをガッカリさせてしまう。だから今は、煩悩を抑え、ケーキ作りに専念しようとした。
しかし。
「・・・っ!?」
小狼は、驚いて手元のボールを落としそうになった。その悲劇はなんとか回避したものの、動揺は大きい。小狼は、背中の感触を追って、ゆっくりと後ろを振り向いた。
背中にぴったりとくっついて、腕を前に回して、ぎゅうぎゅうに抱き着いてくる。すり、と頬を寄せるさくらの可愛さに、一瞬、思考が停止する。
小狼はハッとして、止まっていた手を再び動かしながら、聞いた。
「・・・さくら、何やってるんだ?」
「小狼くんを、充電してるの。ここ最近、お仕事で帰ってくるのが遅かったでしょ?こんなに早くにおうちにいるの、すごく嬉しい」
そう言って、さくらは抱きしめる手に力を込めた。伝わる熱や、やわらかな胸の感触。冷静を取り戻したかに思えた小狼の心臓は、またも大きく鼓動を打ち始めた。
欲望を振り払うように、必死でかき混ぜる。電動ホイッパーも驚きの早さで、卵白がメレンゲへと変わっていく。
しかし。小狼のそんな努力もむなしく、さくらの誘惑はますます激化する。
「小狼くん」
「ん?」
「どうして、こっち向いてくれないの・・・?」
「そ、それは。ケーキを作らないといけないだろ。ほら、さくらの好きな甘いチョコレートケーキだ」
「・・・小狼くん。さくらより、ケーキのほうが大事?」
「っ!!そ、そんなわけ」
「じゃあ、こっち向いてよぅ。顔、見たい。寂しい・・・」
冷静に、冷静に。そう言い聞かせて応対していた小狼だったが、その一言で理性は崩壊する。
背中越しに、大好きな女の子にそんな可愛い事を囁かれて、冷静でいられる男がいるだろうか。
ボールの中で、ふわふわになったメレンゲ。それを、ガンッと勢いよく置くと、とうとう小狼は両手から調理器具を離した。
自分の体に回されたさくらの腕を解いて、くるりと後ろを向く。
向かい合った瞬間、目の前のいる彼女が、にっこりと破顔して言った。
「小狼くん、ひっかかった!」
「・・・え?」
「バレンタインデーの仕返し、しちゃった。えへへ、ごめんね?」
今日は、予想外の出来事の連続だ。さくらの言葉に呆然として、小狼は伸ばしかけた手を途中で止めた。
―――バレンタインデーの、仕返し。
さくらは可愛らしく舌を出して、悪戯が成功した子供のように笑った。
混乱する脳は、だんだんと状況を理解する。小狼は脱力して、頭を抱えた。
一か月前の、バレンタインデー。繁忙期のせいでなかなか家に帰ってこれなくて、さくらにも会えない日々が続いた。やっとの事で仕事を片付けて帰ってきたのは、奇しくも二月十四日、バレンタインデーだった。
自分の為にケーキを作ってくれるさくらが、いじらしくて可愛くて、愛おしかった。だけどそれ以上に、触れたくなった。抱きしめたかった。ケーキじゃなくて、自分の方を見てほしかった。
―――そして、実力行使に出た。
『・・・小狼くんの、ばかぁ』
ケーキ作りを無理矢理に中断させた小狼に、さくらは半泣きでそう言った。
その時の顔を思い出して、小狼は溜息をつく。
「・・・なるほど。仕返し、か」
バレンタインデーのお返しにケーキを送ろうとした小狼に、あの日ケーキ作りを邪魔されたさくらの仕返し。
感じる既視感に、小狼の中で、堪えていた気持ちが静かに大きくなる。
そうとは気付かず、さくらは笑顔で言った。
「ごめんね。ちょっとだけ、意地悪したくなったの。もう邪魔しないから、許して?」
「・・・うん。許す」
「よかった!ケーキ、楽しみにしてるね。じゃあ私、リビングの方にいるから・・・」
そう言って、さくらは小狼から離れ、くるりと背を向ける。
無防備な背中に、小狼は手を伸ばす。離れていこうとするさくらを捕まえて、抱き寄せた。そうして、後ろから強く抱きすくめる。
さくらは、驚いて声を上げた。
「え?しゃ、小狼くん・・・!?」
「スイッチ入った」
「ほぇ!?」
さくらの顎を取って自分の方に向けさせると、唇を重ねた。薄く開いた唇から舌を差し込んで、見開かれる碧の瞳を間近で見つめながら、深く口づけた。
身じろぐさくらの腰を強く抱いて、逃げ場を無くす。戸惑うさくらに、小狼は笑んで。自分の腰をぐっと押し付けた。その途端、さくらの顔が真っ赤に染まる。
「・・・っ!!」
「さくらのせいだからな?」
キスの合間にそう囁くと、さくらは困った顔をした。その一言で、今小狼が何を考えているか、これからどんな展開になるのかを、漸く悟ったのだ。
さくらは膝をすり合わせて、小さく身を捩る。チラ、と。放置されているメレンゲやチョコレートを見つめて、小狼へと聞いた。
「でも、その・・・、ケーキ、作らなきゃ、でしょ?」
おそるおそる、問いかける。
さくらの潤んだ瞳に、小狼はわざとらしく溜息をついた。
ネクタイをしゅるりと解いて、シャツのボタンを外す。煽情的な仕草と、露わになった鎖骨に、さくらは肩を震わせた。
「さくら。今、俺よりもケーキのほうがいいって、そう思ったな?」
「えぇ!?そ、そんな事ないよっ!!」
「・・・ふぅん?」
口の端を上げて、笑う。小狼の言葉に、さくらは小動物のように身を小さくして、ふるふると首を横に振った。
小狼は問答無用でさくらを抱き上げて、これ以上ないくらい甘い笑顔で、言った。
「ケーキを食べる前に、色々と『お返し』しないとな?」
「ほえぇっ!?」
寝室へと続く廊下に、さくらの悲鳴が響き渡る。
パタン、と閉まった寝室の扉の奥では、絶えず甘い声が溢れて。扉は、数時間と開かれる事は無かった。


結局。
チョコレートケーキが無事にさくらの口へと運ばれるのは、翌日となるのだった。


 

Happy whiteday!!






END

 


バレンタインに引き続き、ホワイトデーも夫婦のお話になりました。結局放置されるケーキ・・・翌日には美味しく食べられてる、と思います(笑)

 


2017.3.14 了

 

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