※パラレル設定の小狼とさくらです。

※死にネタに近い描写があります。苦手な方は注意です!



 







「さくらちゃーん!いったよ!」
「はぁい!」
ぽーん、と空高く上がった小さなボール。輝く夏の太陽に重なって、白く消える。さくらはグローブを手に構えたまま、目を細めた。
その、瞬間。
落ちてくるボールの向こうに、『黒い影』を見た気がした。
「―――!あれは・・・っ」
鬼気迫る顔で目を見開いた、その時。ぱこん、と。音を立てて、ボールが額にバウンドした。
痛みにうずくまるさくらに、周りの友達が心配そうに駆け寄る。さくらは涙目で「大丈夫」と繰り返しながら、太陽の方を見上げた。先程の影は、もう見えなかった。
(見間違い・・・?それとも、また・・・)
これから起こり得る事態を予想して、さくらの胸がうるさく鼓動をうった。その場から立ち上がると、少々わざとらしく額を抑えて、近くにいる教師へと申し出た。
「す、すいません。ちょっと、保健室に行ってきます」

 


 

 

 

replay

 

 

 

 

 

「・・・俺を呼んだのは、お前か」
目の前で、黒い翼が大きく揺れた。呆然とする少女へと、真っ直ぐに向けられる視線。男が指をパチンと弾くと、背中にあった黒い翼は消えた。
少女は、震えながら手元のノートを見下ろす。そこに書かれた魔法陣を指でなぞりながら、笑みを浮かべた。半信半疑だったけれど。こんなに簡単に、成功するなんて―――。少女は、歓喜に震える。
しかし。ある事に気付いて、怪訝そうに眉を顰めた。
「アレ?なんか見た事ある顔・・・。隣の男子校の、李小狼くんじゃない?」
「そうだ」
「は!?なにそれ!!じゃあ、悪魔とかいうのは嘘・・・!?」
「嘘じゃない」
激昂する少女と向き合う男―――小狼は、おもむろに右手を出した。その掌に、黒い炎のような光が生まれる。自然のものとは違う不可思議な力。その炎に魅入られたように、少女の目の色が変わる。
小狼はそれを確認すると、スッと目を細めた。ゆっくりと口を開き、問いかける。
「汝の望みを聞こう。その代わりに、然るべき対価を頂戴する」
「私の、望みは・・・」
虚ろな瞳で願いを口にする少女を、小狼は見つめた。
―――この瞬間。必ずといっていいほど、同じ映像が浮かぶ。自分の魂と引き換えに、望みを手に入れようと手を伸ばす。その瞳の色を思い出す―――。
「私の、望みは・・・・・・」
「だめっ!だめ―――っ!!!」
勢いよく扉が開かれて、賑やかな声が飛び込んできた。
小狼は一瞬驚いた顔をして、それから眉間に皺を寄せ、わざとらしく溜息をついた。少女はハッと我に返って、その瞳には光が戻る。
「またお前か。木之本さくら。俺の仕事の邪魔をするな」
「邪魔をするのが私の仕事だもんっ!小狼くんこそ、いつも悪い事ばっかりして!だめだよ!!」
「これが、俺の仕事だ。善悪は関係ない。大体、それはそちら側の都合だろう」
子犬のように小狼の周りを忙しなく動きながら、きゃんきゃんと吠える。そんなさくらを、小狼は鬱陶しそうに手で払った。
突然に始まった騒々しいやり取りに、少女はその場で立ち尽くす。やがて何かを悟ったのか、怒りの表情で言った。
「やっぱり、からかってたんだ・・・!悪魔なんて、いるはずない!願いなんて叶うわけない!」
その表情が、だんだんと涙に滲む。さくらは、少女の悲しみが伝染したかのように眉を下げて、近づく。そうして、そっと少女の肩を叩いた。
「願いは、叶うよ。でも、それは悪魔に頼るんじゃなくて、自分で叶えなきゃ。悪魔に頼んだら、寿命を対価に奪われちゃうんだよ?」
「ちょっと・・・まだその話続くの?A組の木之本さんでしょ?あなたまで何!?私をからかって楽しい!?」
「そうじゃなくて、その」
「こんなインチキ、信じるんじゃなかった!」
そう言って、少女は一冊の本を床に叩きつけた。怒りに肩を震わせて、教室を出て行くその背中を、さくらは悲しそうな顔で見送る。
その後方で、小狼が床に落ちた本を拾って、溜息をついた。
「今年に入って三度目。お前のせいで、商売あがったりなんだが」
「・・・っ!あ、悪魔にみすみす対価を差し出すのを、見過ごせないよ!小狼くんの・・・、悪魔達の所業を止めるのが、天使のお仕事だもん!!」
冷たい瞳に睨まれて、さくらは少しだけ怯む。負けじと言い返すも、どもるし声は震えるし、強がりが透けて見える。それを見下ろして、小狼は口元を歪ませて言った。
「最初の頃は震えて声も出なかったのに。随分と言うようになったな、新米天使。まるで犬だな。妙に鼻が利くし、俺の周りをうるさく吠えまわる」
「な・・・っ!!ひ、ひどい!さくら、犬じゃないもんっ!!」
「悪い。訂正する。犬の方がまだ可愛くて素直だった」
「~~~っ!!小狼くんのばかっ!意地悪!!悪魔―――!!」
口喧嘩でも完全に負けている。勝てないとわかっていても、悔しい。
子供のように叫んださくらを見下ろして、小狼は一瞬だけ、笑んだ。
それは、先程の意地悪な笑みとは違う。例えるなら、愛おしい恋人に向けられる甘く優しいそれで―――しかし。悔しさに打ち震えていたさくらは、全く気づかなかった。
「・・・悪魔だけど。何か文句あるのか?新米天使」
そう言って、小狼はさくらへと一歩近づく。手を伸ばすと、びくりと怯えて、両目をぎゅっと瞑った。その反応に苦く笑って、小狼はさくらの頬を、ふに、と摘まんだ。
その瞬間、さくらは目を開いた。既に涙目である。
「は、離して!!溶けちゃう!消滅しちゃうっ!悪魔に触られたら、私・・・っ」
必死になってもがくさくらを無表情で見下ろし、もう片方の頬も摘まむ。そうして、両側に引っ張った。さくらのその顔を見て、また嫌な笑顔を浮かべる。
「確かに。悪魔の力に触れれば、新米天使の儚い命なんて一瞬で消えるだろう。でも、よく考えろ。俺もお前も、『仮借(かしゃ)』の体に入ってるんだぞ」
「・・・あ。そっか・・・」
そう言われた途端、さくらは安心したように気を抜いて、詰めていた息を深く吐いた。
素直すぎるその反応に、逆に腹が立ってくる。小狼は眉間に皺を寄せて、さくらの頬を尚も引っ張った。
「ほえぇぇぇ・・・っ!ひゃ、ひゃめて」
「じゃあ、お前も俺の邪魔をするのをやめるか?」
さくらはその言葉に、ふるふると首を横に振った。強情なのは相変わらずか―――。小狼は心の中で溜息をつくと、さくらの頬から手を離した。
「・・・まあ。お前がいくら邪魔しても、俺の業績にはさほど変化はない。ただ、何度も続くようならこっちだって考える。お前みたいな新人のドジ天使を黙らせるなんて、簡単だからな」
「~~~っ!絶対、絶対!負けないんだから!小狼くんの悪だくみなんて、全部私が止めてやるんだからねっ!」
涙を浮かべながらの捨て台詞に、小狼は思わず噴き出した。その反応に顔を真っ赤にして震え、さくらは宣戦布告代わりに、べっ、と舌を出した。
賑やかに去っていく足音を聞きながら、彼女の残した余韻に震える。掌に残る熱。先程触れたのは、『仮物』の体だというのに、こんなにも気持ちが高揚する。
小狼は自嘲するように笑うと、自身の掌へと唇を寄せた。








悪魔は、願いを叶えてくれる。ただし、その身をもって対価を支払う事となる。悪魔が求めるのは、命の灯。願いの代償として、寿命の一部や死後の魂を奪う。
今時の悪魔というのは、人間に扮し、人間と共に暮らしている。願いを叶え命の灯を奪うのは、自身の悦楽や食事ではなく、定めたシステムによるものだった。―――つまり。人間社会のサラリーマンのように、『仕事』として、報酬をもらって願いを叶え、灯を集める。悪魔の住処である地獄では、既に確立されつつあるシステムだった。
しかし。それを良しとはしない勢力があった。それが、『天界』。人の魂を司り、転生を導く。神々は長らく、悪魔の所業に頭を悩ませていた。
天界と地獄は、この世界を形成する二大勢力。戦争に発展するのは避けたい。結果、冷戦状態が長く続いていた。
水面下での小競り合いは常にあった。天界の使いである天使が、人間世界での悪魔の所業を食い止める。その為に、天使も人間に扮し、人間世界で活動する必要があった。担当地域ごとに配属された天使は、その周辺で悪さをする悪魔を監視する事が義務付けられていた。
新米天使―――さくらが、この友枝町に来たのは一年前。正体を隠してある女子高に潜伏し、隣の男子校に潜んでいた悪魔・小狼を見つけた。それからずっと、二人の攻防戦が続いている。
(はぅ・・・。今日も泣いちゃった。悔しい・・・。でも、小狼くんの悪さは止められたもん!それだけでもよかった!・・・よね?)
任務は遂行した筈なのに、すっきりしない。
さくらは、先程彼に触れられた頬を、そっと撫でた。言葉は辛辣で、意地悪で乱暴。だけど一瞬だけ、優しい顔をする時がある。思い出して、さくらの頬が熱を持った。
なぜか、胸が苦しくなる。覚えのある感情が、奥底から湧き上がる。
ふとした時に浮かぶ情景。一枚の窓から見える景色。白いシーツの上に力なく落ちた、痩せた腕。その手を握って離さない、『誰か』の手。
ぼんやりと霞がかっていて、それ以上は思い出せない。
(もしかして、前世の記憶・・・なのかな。私がまだ、人間として生きていたころの・・・?)
―――ぴぴぴっ
呼び出し音にびくっと肩を震わせ、さくらは慌ててポケットから携帯電話を取り出す。見た目は、女子高生が使うそれと同じであるが、中身は違う。天界からの通知を受信する、大切な商売道具だった。
「えっと・・・二丁目の杉沢さんのおじいちゃん。あと30分ほどで魂回収・・・。急がなきゃ!」
さくらは周囲に誰もいないことを確認すると、両目を瞑って体を丸めた。仄かに光った背中から、白い翼が生まれる。ばさ、と大きく羽ばたくと、一息で屋根の上まで飛んだ。電線に止まっていた小鳥が、驚いて飛び立つ。さくらは「ごめんね!」と言って、もう一羽ばたきする。風を切るスピードで、空を駆けた。
天使の、もうひとつの仕事。魂の回収。寿命を終えて魂が体から離れる時、天使はそれを回収し、天界へと連れていく。広い区域を一人で任されている為、時に物凄く多忙だ。
(・・・!あそこだ!)
魂が出かかっている場所では、天使にしか見えない光が止めどなく溢れる。虹色の美しい光。さくらは、その家の前で羽をしまい、窓から中へと入った。
布団の上で眠っていた老人が、気配に気づいたのか、ゆっくりと目を開いた。既に虹色の光は全身を覆い、その体から離れようとしていた。
さくらは傍らに膝をついて座ると、老人を見つめた。
「・・・ほ。随分と可愛い、お迎えが来てくれたもんだ・・・」
「おじいさん。大丈夫です。苦しいのは、もう終わります」
さくらは悲しそうに瞳を揺らして、言った。この瞬間は、何度体験しても慣れない。この世の生を終える、最後の瞬間。魂は無限に続いていくけれど、その人生は一度終わる。
切なく、やりきれない気持ちになった。
「てっきり・・・あの、可愛くない小僧がくるかと思っていたが・・・そうか・・・最後の最後で、得をしたなぁ」
「え?それって、もしかして・・・」
言いかけたさくらへと、老人は手を差し出した。さくらはハッとして、筋張ったその手をぎゅっと握った。その瞬間、シャボン玉が空にあがるように、虹色の光が勢いよく噴き出した。
「ありがとう・・・いい、人生だった・・・」
満ち足りた笑顔で最後の言葉を残し、老人は目を閉じる。膨大な光がすべて肉体から離れ、心肺と呼吸が止まる。さくらの手元には、眩い光で形成された魂があった。
しかしよく見ると、魂には若干の黒い翳りがあった。さくらはそれを見つけて、悲しそうに眉を下げる。
「・・・小狼くんだ」
魂の一部にある翳り。それは、悪魔が生前に干渉したという証だ。願いを叶える代償に差し出した、命の灯。おそらく、いくらかの寿命を捧げたのだろう。きっと、自分がこの街にくるよりも、ずっと昔に。
「もしかしたら、あと数年生きられたかもしれないのに。なのに、どうして?」
―――『あと少しでいいの。一週間だけ。お願い・・・。お願い―――・・・』―――
頭の中に浮かんだ、記憶というには頼りないその映像は、掴もうとするほどにすり抜けていく。さくらは頭を押さえて、ふるりと横に振る。
大切な魂を胸に抱いて、さくらは翼をはためかせる。宙へ飛び上がった体は、あっという間に空に消えて、見えなくなった。








悪魔を召喚するのは、さして難しくない。必要なのは、強く何かを願う心。
例えば、ここ星條男子高校の図書室には、一冊の本が置かれている。しかし、一般の生徒はそれを手に取ることは出来ない。『存在を認知出来ない』ようになっている。強い願いを胸に抱いたものだけが、引き寄せられるように、それを見つける。
そんな風にして、この世界で暮らす人々の傍に、必ず悪魔の存在はあった。
隣の女子高も、同じだ。つい先日も、一人の女子生徒がこの本を手に取り、中にあった『悪魔召喚術』を試した。せっかく悪魔―――小狼を呼び出せたというのに、さくらの妨害によって彼女との契約は成立しなかったわけだが。
(今日は、遅れているな。・・・大方、『魂送』が入ったか。それなら、好都合)
「ほ、本当に、君の言ったとおりになるんだね!?絶対だよ!?」
「ああ。お前が対価を払うなら、願いは叶う。詳細は、さっき俺が言ったとおりだ」
小狼はそう言って、一枚の紙を取り出した。そこには、契約者の願いと対価についての全容が几帳面な字で綴られていた。ポケットから取り出したボールペン―――これも一見、何の変哲もないペンに見えるが、中身は特別製である―――を、男子生徒へと渡す。
「お前がこの契約書にサインすれば、契約は完了する。ただちに、お前の願いは叶えられる」
「・・・!」
男は、小狼からボールペンを受け取ると、思いつめた顔で契約書を読み込んだ。ぎゅっと目を瞑ったあと、勢いよく顔を上げて小狼を睨んだ。それは、強い決意の表れだった。
ボールペンの先をカチリと出して、契約書の上にペン先を滑らせる。
「・・・待ってっ!!ダメだよ!!」
その時、教室の窓が勢いよく開いた。夜空を降る流れ星のように、突然に現れたさくらは、そこで起きている光景を見て愕然とする。
(やっぱり・・・!)
魂を天界に届けてから地上に戻ってくると、酷く胸騒ぎがして、さくらは飛ぶスピードを速めた。
誰もいない夜の学校で、今まさに、悪魔の契約が為されようとしていた。
教室中央には、黒い炎が大きく肥大し、一人の男子生徒を飲み込んでいた。その傍らで、背中に黒い翼を携えた小狼が、いつもの無表情で立っていた。
さくらはその時、悔しいとも悲しいとも違う、強い感情に襲われた。涙が頬を伝い、気づいたら駆けだしていた。
(助けなきゃ!)
その一心で、黒い炎の中に飛び込もうとした。
しかし、さくらのその想いは、寸でで止められる。
力強く引き寄せられ、固い胸板に押し付けられる。痛みを覚えるほどに強く掴まれた腕。息も出来ないくらいに抱きしめられて、動揺するさくらの耳に、怒号が響く。
「この、馬鹿!!本当に消えたいのか!?無茶も大概にしろ!!」
「・・・っ!」
「仮借の体だから大丈夫だと思ったのか!?あの炎に触れて、ただで済むと思ったのか!?ふざけるな・・・っ、こんな事でまた失うなんて、冗談じゃない!!」
今までにないくらい、厳しく叱られた。押し当てられた胸から、鼓動が響く。これはきっと、仮借の体の奥にある、彼の本当の音。
身じろぐと、少しだけ腕の力が緩む。おそるおそる見上げた先、小狼が真っ直ぐに自分を見下ろしていた。
さくらの目には、彼が泣きそうな顔に見えた。その顔が、いつかの記憶と重なる。フラッシュバックする。奥底に眠る『感情』を、静かに揺さぶる。
「・・・ごめん、なさい・・・小狼くん」
「・・・・・」
驚くほど素直に、謝罪の言葉が出た。小狼は何も言わずに、再びさくらの体を抱きしめる。
その時。
近づいてくる足音を感じ取って、さくらは思わず小狼の胸を突っぱねて、距離を取る。そうして、慌てて翼を消した。
見ると、教室内で轟々と燃えていた黒い炎は消え去っていて、男子生徒がぽつんと佇んでいた。近づいてきた足音が、教室の前でぴたりと止まる。扉が開いた瞬間、ある少女が飛び込んできた。
「見つけたぁ!私のダーリン!」
「!?」
教室に入ってきたその少女は、呆然と立っていた男子生徒へと抱き着いた。男子生徒は驚愕と歓喜が入り混じったような顔をして、わたわたと取り乱す。
見覚えのある顔だった。ついこの間、悪魔を召喚し願いを叶えようとしていた、あの少女だった。先日の憂いた空気は一掃されて、幸せいっぱいの顔で男子生徒へと笑いかける。
「ねっ。早く帰ろ?一緒に帰ろ?」
「う、うん・・・!帰ろう!一緒に!」
二人は熱っぽく見つめあい、手をがっちりと繋いだ。外野など見えていないのだろう。二人の世界に浸ったまま、教室を出ていく。
あまりに突飛な展開に、さくらは目を丸くしたまま固まる。
「ど、どういうこと・・・?」
「偶然だ」
さくらの呟きに、小狼が答えた。振り向くと、小狼はいつもの無表情に戻っていて、さくらは内心で少しガッカリする。
「少し前に、あの女子生徒は失恋を理由に俺を呼び出した。大方、離れた男の心を取り戻そうとしたんだろう。だけどそれは、お前に邪魔された。・・・その数日後。『ある女』の心を手に入れたいという願いで呼び出された。それが、偶然にも同じ人物だったんだ」
「え、えっと・・・?つまり」
「つまり。男は長年片思いしていた相手と両想いになった。更に、失恋で落ち込んでた女子生徒は新しい恋を見つけて元気になった。めでたしめでたし」
「そっか・・・。めでたし・・・、って!違うでしょ!?」
さくらはハッとすると、いつもと同じように小狼へと怒りを向けた。またも口八丁にまるめこまれるところだった。しれっとして契約書を回収する小狼の背中へ、さくらは言った。
「対価は・・・!?あの男の子から、どれだけの命をもらったの!?どうしていつも・・・っ!お仕事だから仕方ないの!?」
さくらの目から、涙がぽろぽろと零れる。仮借の体だというのに、よく出来ている。胸が苦しくなって、何度もしゃくりあげた。
「悪魔の力で願いを叶えても、意味なんてないのに!それで本当に、幸せなの・・・?そういうの、小狼くんはどうでもいいの!?」
どうしてこんなに悲しいんだろう。どうして、こんなに涙が出るんだろう。さくらは、ずっと不思議だった。
今までも、悪魔の所業は見てきた。もっと酷い場面にだって遭遇したことがあるのに。それでも、こんな気持ちになる事はなかった。
(小狼くんだから・・・!小狼くんだから、嫌なの。平気で、いてほしくない・・・!)
肩を震わせて泣くさくらを、小狼は無言で見つめる。
記憶の中にいる、決して泣こうとしなかった少女の姿が、重なった。
小狼は小さく笑って、さくらを抱き寄せる。今度はさっきみたいな力任せではなく、包むように優しく、抱きしめた。
天使と悪魔。決して交わらない。触れ合えば、壊れてしまう関係。違う世界を生きる者達。
だけど、今だけは。同じ空間で、息をしている。
仮借の器なのに、伝わってくる。押し当てられた胸の奥から、聞こえる。熱さや鼓動は、確かにこの人のもので。どうしようもなく、惹かれてしまう。
(こんなの、ダメだってわかってるのに。私、どうして・・・?)
自分の鼓動と小狼の鼓動が重なるのを感じて、確かな幸せを感じていた。抱きしめる力が強くなって、小狼が耳元で静かに話す。
「あの男の願い・・・最初は、好きな女の心を一生分欲しい、というものだった。それに伴う対価は、死後の魂だ。地獄に引き渡され、終わらない無限時間を苦しむ事になる・・・。そう言ったら、あっさり引き下がった」
「ほぇ・・・?そしたら、さっきのあれは」
「色々検討した結果、対価は一年分の寿命。それによって叶えられる願いの期間は・・・もって、半年。それ以降は、願いは解けて女の心も離れる。それでもいいと、あの男は言っていたぞ」
小狼の言葉には、どこか笑みが含まれていた。さくらが顔を上げると、至近距離でその顔が映る。
かぁっ、と赤くなったさくらの頬を、小狼の手がむに、と摘まんだ。
「半年の間に、ホンモノにしてみせる。自分の力で、彼女の心を手に入れてみせるって、そう言ってた。・・・人間の、そういう前向きなところ。俺は、嫌いじゃない」
「・・・!」
「願いは叶った。あとは、自分次第。その先は、俺が干渉出来る事ではないけどな。・・・それでも、願うよ」
小狼はそこで言葉を止めて、何かを思い出すように目を閉じた。さくらは、再び浮かんだ涙をぐっと堪えて、小狼を見つめた。
―――『いい、人生だった・・・』
小狼に願いを叶えてもらった人は、幸せに寿命を全うして、天に昇っていく。
何かを為そうとする為に、後悔や未練を断ち切る為に、願いを叶える術があるならば。人々はきっと、彼を求める。彼もまた、それに応えるのだろう。
(今まで私は、魂が穢れてしまうだけの、愚かな行為だと思ってた。だけど、それだけじゃないんだ・・・)
「ごめんなさい。私・・・小狼くんの事、誤解してた」
「何を?」
「すごく意地悪で、極悪非道で、全然優しくないって思ってた。でも、違うんだね!小狼くんは・・・、ふぇ!?」
小狼はさくらの言葉を途中に、その頬をぎゅーっと引っ張った。仮借とはいえ、勿論痛覚もある。さくらは涙目になって、「なにひゅるの!?」と怒る。
その顔を見て、小狼は笑った。悪魔のような、意地悪な笑顔。
それを見た途端―――なぜか、さくらの胸が「きゅんっ」と音を立てて、苦しくなった。
「―――!?」
そして。次の瞬間、驚きに目を見開く。
視界が、小狼の顔で埋められて。唇に、やわらかな感触。キス、されているのだと気づいた時。さくらは思わず、手を振り上げた。
―――ばちんっ
「い・・・っ、て」
「~~~っ!!しゃ、小狼くんのバカッ!!冗談でも、こんな・・・っ、ひどい!!」
「仮借の体なんだから問題ないだろ?」
「そういう問題じゃないの!もう、もう・・・っ!やっぱり、小狼くんは悪魔だぁっ!!ばかっ、ばか―――!!」
さくらの叫びとともに、白い翼が音を立てて生まれる。半泣きのまま、窓を開けて飛び去っていく天使に、小狼は苦笑した。
夜空には、満月が浮かぶ。それを見上げて、小狼は息を吐いた。じんじんと痛む頬と、愛おしい余韻を残す唇に、笑みを抑えきれず、一人笑んだ。










「・・・なるほど?思っていたより、順調そうね。李小狼。やっぱり、配属先が良かったのかしら?」
「感謝します。悪魔王様」
「その呼び方が嫌いなの知ってて言ってる?減給するわよ」
「失礼しました。侑子さん」
今月のノルマ達成を祝し、大きなボードの小狼の名前の頭に、可愛らしい花が付けられる。月に一度の報告会が終わり、ホッとして退席しようとした小狼に、侑子が声をかけた。
「で?あの天使ちゃんは、あなたの事を思い出したの?」
「・・・彼女が思い出す事はないでしょう。あれから、数百年経ってますから。綺麗さっぱり忘れています」
「あら。あなたは一時も忘れず想ってるっていうのに。不毛ね」
「そうでもないですよ」
小狼はそう言って、笑う。強がりによるものではなく、心の底から幸せそうに見えた。侑子は煙管を咥え、白い灰をコンコンと落とす。
「そうね。記憶なんて、さして重要ではないもの。あなたにとっては、特にね」
小狼は侑子の言葉に頷くと、深く一礼をして、部屋を出て行った。
侑子は煙を吐くと、そのままソファに横たわり、美麗な足を投げ出す。側近である四月一日が「行儀悪いですよ!」と注意するも、気にせずに寝転がった。天井へと煙を吐きながら、言う。
「幸せそうでなによりだわ・・・お互いに」








どれだけ時が経っても、忘れない。
瞬間ごとの彼女の表情、全てを。涙を堪える一瞬の揺らめきさえも、鮮明に思い出せる。
―――小狼がその少女の召喚に応じたのは、およそ、三百年前。
古い病院のベッドの上で、少女は呆然として、小狼を見上げた。少しだけ怯えが含んだ瞳で、だけど決して逸らさずに、無理矢理に作った笑顔で言った。
「私は、さくら。あなたの、お名前は・・・?」
「小狼。お前の願いを叶えにきた」
一目見て、すぐにわかった。命の灯が消えかかっている。余命はおそらく、ひと月に満たない。少女の白い頬を見つめて、小狼は眉根をきつく寄せた。
「すごぉい・・・。本当に、悪魔さんが来たんだ。嘘じゃなかったんだ・・・願いを、かなえてくれるの?」
「ああ。だが、その為には対価を支払う必要がある」
―――悪魔との契約に必要なのは、命の灯。それは人間による『寿命』に換算される。しかしそれが支払われない場合は―――。
「お前の魂を、もらい受ける必要がある。それでも、いいか?」
小狼の問いかけに、大きな目を瞬かせる。緊迫した場面だというのに、さくらのふんわりとした雰囲気のせいで、小狼はやりにくさを感じる。
さくらは、こくりと頷いて、言った。
「うん。いいよ。お願い事は・・・私の寿命を、あとひと月だけ延ばしてほしいの」
「・・・!」
「お父さんとお母さんが、来てくれるの。ひと月後には、さくらのところに来てくれるって。でも私の病気、それまで持ってくれるかわからないって・・・昨日、お兄ちゃんとお医者さんのお話、聞いちゃったから」
病気、余命。残された命。客観的に見ると絶望的に辛い話なのに、さくらは拍子抜けするくらいに普通だ。長い闘病生活の中で余儀なくされた覚悟と諦めが、透けて見えるようで。その笑顔が、ひたすらに痛ましかった。
十にも満たない少女の願いは、初めて、小狼の心を波立たせた。
「お前の余命を、ひと月後に延ばす。その願いの対価として、死後のお前の魂を地獄へと連れていく。永久の苦しみと逃げ場のない労働。極楽浄土には行けず、次の転生もない。それでも、いいのか?本当に」
「うん・・・!お願いします!」
笑顔で了承するさくらに、小狼は完全に調子を狂わされた。舌打ちしたくなるくらいに、呑気な返答だ。事の重大さを本当にわかっているのか、疑わしい。
しかし、契約は契約。
小狼は一枚の契約書とペンを、さくらへと手渡した。可愛らしい字で名前が書かれ、悪魔である小狼と人間であるさくらの契約が成立した。
―――それから、ひと月。
最後の命の火をもらって、さくらは生きた。
寿命を延ばされたからと言って、病の苦しみから逃れられるわけではない。毎日、数時間に及ぶ辛い治療を繰り返し、眠れないほどの激痛に耐えて、日々を過ごした。
その間、小狼はずっと、さくらの傍にいた。
涼やかな風が、さくらの髪をふわりと舞い上げる。ゆっくりと開いた瞼。綺麗な碧の瞳が、ベッドの傍らに立つ小狼の姿をとらえた途端、嬉しそうに笑んだ。
「小狼くん・・・」
「・・・なんだ?」
「ううん。なんでもない。小狼くんがいてくれて、嬉しいなって思っただけ」
「なんだ、それ」
白いベッドの上で、弱々しく笑う少女を見下ろし、小狼は顔を顰めた。共に過ごせば過ごすほどに、わからなくなった。ここまで辛い思いをして、ひと月生き延びて。それだけの願いで、魂は地獄へと引き渡される。あまりに、報われない。
そう思うのに。当の本人は決して嘆く事もなく、傍にいる悪魔へと微笑む。その笑顔を見るのが、だんだんと辛くなった。
「お父さんとお母さんに会えるの、嬉しい・・・。二人とも、私が病気になったのをすごく悲しんでくれて、私の治療費の為に遠くで働いてくれてる。二人とも、すごく辛いと思う。だから、最後にどうしても会いたいの。伝え、たいの」
「・・・お前は。お前は、辛くないのか?」
「私は・・・」
何かを言いかけて、さくらは一瞬、泣きそうな顔をした。だけど涙は見せずに、笑顔で首を振った。
「お兄ちゃんがいてくれるし、お友達もいるから、大丈夫!・・・あと、今は小狼くんが、傍にいてくれるから」
その言葉に、嘘はない。だから、辛かった。
小狼は顔を顰めるだけで、気の利いた言葉も返せなかった。ただ、さくらの痩せ細った手を握ってやることしか、出来なかった。
そして、願いがかなう最後の日。なんとか時間内に間に合って、病院に到着した両親と会う事が出来た。
「私、幸せだったよ。・・・短かったけど、幸せだった。ありがとう」
悲しむ家族に感謝と別れを告げて、たくさんの人に見守られながら、さくらの命の灯は消えた。
さくらの体から、眩い光が放たれる。虹色に溢れた魂は、小狼の手の中へと吸い寄せられるように治まった。その光を見下ろして、小狼は目を閉じる。
思い出すのは、少し前の事。
何気ない会話の中で、さくらは一度だけ、弱音を吐いた。


「・・・小狼くんと一緒にいるの、楽しい。この時間が、ずっと続けばいいのにな」
「それは、お前の願いか?」
真面目な顔でそう返すと、さくらは一瞬驚いた顔をしてから、破顔した。
「小狼くんの意地悪!私にはもう・・・払える対価がないの、知ってるでしょ?」
悲しそうに言った、その笑顔が。小狼の目の奥に焼き付いて、離れなかった。


小狼は、手の中にあるさくらの魂を抱いて、飛び立った。黒い翼が落とした影は、人々の目に映ることなく、消えた。








小狼とさくらが交わした契約は、無効となった。小狼自らが契約書を燃やし、さくらの魂は天使の手に渡り、天界へと届けられた。
契約不履行の罪を自ら犯した小狼は、地獄にて悪魔裁判にかけられた。弁解や言い訳は一切せずに、自分が全ての責を負い、どんな罰でも受けると。そう言い張る小狼に、悪魔達は皆、激昂した。
「静粛に」
その場に、よく通る声が響いた。悪魔王である侑子が他の悪魔を黙らせ、跪く小狼を見下ろして、言った。
「偽らずに答えなさい。お前の願いは、何?李小狼」
問いかけに、小狼はゆっくりと顔を上げる。曇りのない瞳で、侑子を見据え、言った。
「さくらの魂が、再び生を受けられるように。・・・アイツが、今度こそ我慢しないで、ちゃんと泣けるように」
澱みなく伝えられた小狼の願いに、侑子は一瞬、笑った。
すぐにその表情を引き締めると、壇上を鋭く叩き、地獄全域に聞こえるような大声で言った。
「李小狼の罪の対価として、四千五百年の無償労働を命ずる!なお、これは決定事項であり、如何なる理由であろうとも覆される事はない!以上!」
―――こうして。さくらの魂は天界に届けられ、小狼はその罰として、長年の『タダ働き』を命じられた。
思っていた以上に軽い罪だったと、小狼は内心で驚いていた。あとから聞くと、七千年から八千年で見積もられていた刑期が、悪魔王の情けにより減免されたとの事。
(まあ、いい。永くこの仕事をやっていれば、転生したアイツに会えるかもしれないな)
それは、一筋の望み。それで十分だと、小狼は思っていた。
―――しかし。思わぬ方向へと、話が転がる。






「まさか、さくらちゃん自身が地獄に行きたいと駄々をこねていたなんてね」
「大変だったみたいですよ。『小狼くんのところに行くの!』って、暴れて聞かなかったって。困った神様たちが、彼女を天使として遣うという事で、話は一応決着したみたいですが」
「記憶を失って転生するのが嫌だったんですって。だとしても、会える確率なんて広大な砂漠から一粒のダイヤを見つけるくらいに途方もない。それがまさか、本当に再会するなんてね」
「・・・悪魔王様?無いとは思いますが・・・あなたが裏で手を回した、とかじゃないですよね?」
「ふふ。・・・四月一日、私ね・・・・・・今夜はひれ酒と鶏天で一杯やりたい気分だわ!」
にやりと笑って話を逸らした悪魔王―――侑子に、四月一日は溜息を零す。
「はいはい」とおざなりに返事をして、上司の願いに応えるべく、準備を始めた。










「小狼くんっ!!もう、また悪さばっかりして~~~!!」
「また邪魔しにきたのか、新米天使」
憎まれ口の合間に、ふと目が合って。一瞬だけ緩んだ目元に、鼓動が大きくなる。
すぐさま、意地悪な笑顔で頬をつままれ、さくらはいつものように涙目で怒る。それを見て、小狼は笑った。
―――『小狼くんと一緒にいるの、楽しい。この時間が、ずっと続けばいいのにな』―――
運命の糸は、縺れて絡まって、ほどけて離れて。そうしてまた、繋がる。
ずっと、あなたの傍にいる。
もう、絶対に離れない。

Replay―――ここから、もう一度。




 


 


end

 




リク企画第14弾。ランプルさんのリクエスト「さくらと小狼が天使と悪魔」、さふさんからのリクエスト「小狼がいつもより3割増しSな話」
この二つを掛け合わせて作ってみました。似非ファンタジーですが、悪魔小狼が特に楽しく書けましたね!(さくらちゃんはいつも天使なので・笑)
パラレルなんですが、さくらちゃんに辛い思いをさせるのは胸が痛みました・・・。こういうのが苦手な方がいたら申し訳ないです。でも今が幸せだからこそ、過去が痛むというか。余計に今の幸せを感じられるのかなって。(んん、何言ってるかわからなくなってきたぞ~w)

楽しんでいただけたら幸いに思います♪




2017.7.21 了

 

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